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美少女化する中年女性

ふと思いついた文句をタイトルに採用したのだが、ここで述べたいのは、こういうことである。

実年齢を重ねても、元気だし見た目がそれほど老けない健康な人が増えたが、そのことが世の女性の意識を変えてきているんじゃないか、と。

過去にツイキャスで複数回話題にしたことではあるのだが、

  1. 実年齢的に10代の娘さんがいてもおかしくはない、もしくは実際にいる母親世代が美少女にハマる

  2. 周囲に若い女の子が多いので、本人の精神年齢・精神構造がタメになることで、自分自身の心も美少女になる

あたりの2パターンを見かける。

前者を「第一種美少女おばさん」、後者を「第二種美少女おばさん」と勝手に名付けてツイキャスあたりでしゃべったことがあるくらいだ。

実例を挙げてみる。

昭和32年産まれの女性が「自分が40歳前だったら射命丸文コスは着れる」と言っちゃって、既に成人見かけるしていた娘さんドン引きという心温まるエピソード。

恐らくは世代が下ると、この手の精神構造の持ち主の数も割合も上がるのではなかろうか。

筆者には当人を揶揄するつもりもその意識の自覚がない、とだけおことわりしておくけれども、半世紀前の表現は今でも刺さる人には刺さる。

とはいえ、「少女趣味」の射程範囲となる年齢層が50代あたりまで広がっている現状(決して上の引用の方の年齢が50代だろう、という意味で言っているのではなく)を見るに、好みの対象が美少女化するであるとか、当人の精神構造や場合によっては言動まで歳不相応な雰囲気になる、というのは人によっては不気味に感じられるのではなかろうか。

実は、そういう変化が起きるという現象自体に自分も違和感を覚える。

念のために言っておくと、若作りだとかかわいいキャラ自体は決して悪いものではないけれども、特殊な人とは言い切れない現状が不思議なのである。

個人的な体験談で寄り道する。

自分から見れば叔母にあたる人物の一人で、第二種美少女おばさんな人がいる。本業は大学教員だったが、定年を過ぎ、今は非常勤で授業を持っているという人物。よりによって女子大で授業を持っている。

そういう対外的な身の上をはぎ取ってみれば、声質であるとかしゃべり方に関していえば、30年以上前から「家で魔法のステッキを振り回していてもおかしくはない」芸風と思っていたのであった。

上の昭和32年生まれの女性の事例もそうなのだが、下記の過去記事で指摘したプリンセスのドレスを着たいという大人たちの話もそうで、単に好みであるとかハマるというだけの第一種とは異なり、その先にある第二種が増えてきていないだろうか?というのが、自分の疑問なのである。

その逆で「かつて子どもだった私が今期のプリキュアには居場所を見つけられなかった事実が、少しだけしんどい」の人といい、2025年のプリキュアが肌に合わなかった藤井セイラ先生といい、反応がくっきりと二極化している。

歳を取ると若い子についていけなくなる現象自体は自然なことなのかもしれないが、上手いこと距離感を取って心を自営できる人とそうでない人の格差を見ているとエグイ。

「かつての自分はそうだったかもしれないけれども…」から距離を取ることが大人になることなのだろうけれども、反転まで行ってしまう人は世代が上がるにつれて比率が上がる印象だ。

これが激しくなるとある種のミソジニーに陥るのではなかろうか。

若い女性のミソジニーに関する論考が参考になる。

上の記事は、「あざとくて、ワガママで、身勝手で、変わり者だけど、『可愛い』ことで全てを許される」ことが女性の性的魅力であり、「女性性が無制限に肯定される時代だからこそ、女性は女性を肯定できなくなってしまっている」と指摘する。

現場を見る限り、「かわいいものが好き」「かわいい服を着たい」「かわいい女の子になりたい」という願望というものは、ここ数年というレベルではなく、少なくとも1950年代に立ち上がってきたマンガ&アニメの表現の受容から始まっている。

時代とともにセンスが変わり、結果として表現型が変わってきただけであり、根本は70年以上変わっていない。

もう一つ上の記事で重要なのは「『女が嫌い』と考える若い女性」というキーワードだ。

これも女性という括りの中での分断を象徴していないだろうか。

「社会に出て活躍したい。人気者になりたい」という願望の強まり、その一方で「それは無理」という形の諦めであるとか、目立つことのリスクの大きさという現実がある。

そういう中で「美少女おばさん」になる人はどういう人なのだろうか?という疑問の一部に答える指摘もある。

上の記事で著者のまーぴょ女史が指摘するポイントはうなずくほかない。

そして「可愛い」言葉が子供を表現する言葉ではなくなり、無邪気さ・無垢さだけではなく、「エロさ」という性的なニュアンスも含まれた語法に変わっていったことだ。

すなわち現代の女性は「男性目線を媒介せずに女の子が女の子の視線だけを意識するゲーム」の時代に生きている。

「かわいいは正義」の不気味さについては、ここ2年ほど定点観測的に記事化しているのだが、年不相応に見た目が若い・幼いことで、周囲が甘やかすため、本来果たすべき義務や責任への意識を失うことが問題、という気がしている。

要は中身は大人になれよ、と。

そういう意味では、益若つばさ女史はじめ、下記で引用した皆様は、そこのところをよく理解しているような気がしている。

良くも悪くも覚悟ができているがゆえに、線引きができていてスタンスがブレない。

これが男だったら、見た目不相応というだけでナメられる。

女性の場合は、ナメられるどころか、周囲からちやほやしてもらえる、という非対称性があるがゆえに、本人が自覚していないと、どんどん痛いだけになっていく。

自覚なき一般人こそが危険なのだ。

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