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パーティーはいつか終わる《1》【#創作大賞2025】

《あらすじ》
東京に行けば何かが変わる。そんな希望的観測を抱いて、生家から一旦距離を置くように東京で一人暮らしを始めた潮田朱莉しおたあかり。しかし理想とは裏腹に、会社とアパートを往復するだけの代わり映えしない生活に慣れきって、惰性のような毎日を十八年間続けた結果、とうとう一人で四十歳を迎えてしまった。
これといった友達も恋人も作らず、培ったものは年齢だけだと自虐する日々を過ごしていたある日、家庭の事情により唐突に実家へ帰ることが決まり、ついに東京でのモラトリアムに終止符が打たれてしまう。
会社も退職することになり、どこか諦念ていねんのような心持ちで送別会に出席していた朱莉に、これまで殆ど会話をしたことがない物静かな四十五歳男性社員・青羽あおばが話しかけてくる。
最終出勤日の夜、青羽と二人で会うことになっていた朱莉は、青羽に指定されていた店に向かうと、まさかのそこはナイトクラブであった。
ハプニングのような出逢いの中で朱莉は自らの輪郭を確かめながら、自分なりに成長していく。

【本編文字数】約84,500字(全8話)




「本日はお忙しい中、このような会を開いていただき誠にありがとうございます。このたび親の介護がきっかけで、三月三十一日付けで退職し、地元へ帰る運びとなりました。入社してから十八年間、上司や同僚の皆様方に支えられ、大変多くのことを学びました。ここで培った経験を活かして、新しい環境でも精進してまいります。手短ではございますが、皆様方のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。本当にありがとうございました」

そう言い終えて一礼すると、形式的な拍手がぱらぱらと送られた。
私と交代で席を立ち上がった幹事の男性が乾杯の音頭を取ると、会場のみんなが待ちわびていたかのようにグラスを掲げ「かんぱーい!」の合図で場が一転して明るくなった。周りの席の人たちと乾杯を済ませると、私は一仕事終えたような気持ちになって、手に持っているビールにちびちびと口をつける。

転出者と転入者をまとめて祝うこの歓送迎会は毎年度末の三月に行われる恒例行事で、私は三月末に退職する転出者としてこの場に出席していた。

地元の大学を卒業した後に東京へ引っ越してきて、就職してから一度も転職することなく十八年間勤めたこの会社を去ると思うと少しだけ感慨深い気持ちが込み上げてくるけれど、それよりも、工業用品を取り扱う中堅の専門商社の経理として特にこれといったやりがいや不満を抱くこともなく十八年という時間を過ごしてしまった事実に"果たしてこれでよかったのだろうか"という考えが頭をもたげる。かと言ってやりたいことがあったのかと聞かれても思い当たるものなんて何もなくて、仮に今から見つけられたとしても四十歳の私には時すでに遅しだ。

隣の卓からどっと笑いが起こる。反射的に視線を向けると、他部署から異動してくる若い女性社員が転入者として座っているテーブルだった。彼女の周りだけ、やけに雰囲気が明るい気がする。
私のテーブルはというと女性は自分しかいなくて、先ほどの乾杯を終えてからは特にこれといった共通の会話もない。男性社員たちは隣同士でちまちまと固まって談笑しながら、卓上に並べられた料理に当たり障りのない感想を言い合ったり、たまに沸き起こる周囲の盛り上がりに羨ましそうな視線を向けたりしている。
自意識過剰だと分かっていながら、微かに申し訳ない気持ちが湧いてきた。きっと”ハズレの席だ”とか思われているのだろう。一刻も早くみんなに酔いが回って、入れ替わり立ち替わりで席を移動する無礼講ぶれいこうの喧騒に紛れてしまいたい、と心の中で念じる。

潮田しおたさん、何か飲まれますか」

突然、隣に座っていた男性に名前を呼ばれて少し驚く。ゆっくり飲んでいるつもりだったけれど、率先そっせんして会話をするでもなく、周囲の談笑に曖昧な笑みを浮かべる以外はただ酒を飲んでいるだけだったので、気付けば手元のグラスはほぼ空になっていた。

「あっ、すいません、ありがとうございます。えっと、じゃあ、ウーロンハイにします」
「分かりました」

その男性が手を挙げて店員を呼び「すいません、ウーロンハイ二つお願いします」と注文すると、そのまま私の方に身体の向きをすっと変えて「あの、」と口を開いた。

「内示みたとき、潮田さんが退職されると知って、ほんとにびっくりしました」

私は思わず「え」と声が出た。話しかけてくれたこの男性は、確か四十五歳くらいの青羽あおばさんという方だ。基本的に物静かで、目を引くような顔立ちや背格好でもない彼が二年前に私の所属する経理部に異動してきて以来、特にこれといった職場での騒ぎや私との交流も一切なく今日この日を迎えていたので、彼の口から「びっくり」という言葉が出たことに私は大いに驚いて、

「あ、いや、その……突然の退職ですいません。しかもこの繁忙期にご迷惑をおかけして、何というか、本当に申し訳ないです……」と途切れ途切れに言葉を返す。

私が働いている経理部は、決算関連事業や株主総会がある三月から六月が繁忙期なので、この三月のタイミングで欠員が出ることは経理部としてかなりの痛手であるということは身に染みて分かっていた。異動による欠員は同じように他部署からの異動で賄われるけれど、会社の退職申告時期である九月を過ぎてからの申告については新規採用の確保が間に合わないので、大抵の場合しばらくの間欠員状態が続く。今年の一月、つまり今から二ヶ月ほど前に突然退職を申し出た私にはそういう後ろめたさもあって、本来なら溜まっていた有給休暇を消化できるはずの三月もこれまでどおり出勤し、最終日の三十一日まできっちり働くことに決めたのだった。
青羽さんの「びっくりしました」にはおそらく、”これから忙しくなるこのタイミングで突然辞めるとか非常識過ぎてびっくりしました”の意味が込められているのだろうと考え、彼の「びっくり」の意図を尋ねることはせず、私は謝罪に徹するべきだと思いへこへこと頭を下げる。

「最終日までしっかり働かせていただきますので、すいません」と重ねて詫びる私に、青羽さんは少し焦った様子で手をばたつかせて「いや、違うんです」と訂正するような口調で言葉を続ける。

「すいません、突然話しかけて、その上嫌味みたいな言い方になってしまって……。あの、決して責めているわけじゃないんです。ただ、潮田さんが退職されると知って、その何というか、ほんとにびっくりして。それに申し訳ないなんて、そんなこと気にしないでください。潮田さんもご両親の介護でお忙しくなるでしょうから」

”介護”という言葉を聞いて、私は一瞬ぽかんとする。そしてすぐに思い出した。そうだった。上司に退職を相談した時も、そして先ほどの乾杯前の挨拶でも、親の介護という理由で話を”通して”いたのだ。

「潮田さんが帰ってこられて、ご両親もきっと喜んでいらっしゃるでしょうね」と青羽さんが社交辞令のように言ったので、私も形式的に「はは、まあ……」と曖昧に笑って返すと、まるで会話の終わりを見定めたかのように「お待たせしましたぁ、ウーロンハイお二つでーす」と店員がぶっきらぼうに言いながら私と青羽さんの間にグラスをガンっと置いた。

「すいません、私、お手洗いでちょっと抜けます」
「あ、どうぞどうぞ。ここ出てすぐ右にありましたよ。お気をつけて」
「ありがとうございます」

席を立ち上がり、段々と乱れ始めた喧騒けんそうの隙間を縫うように「すいません、後ろ通ります」と小さく声を発しながら廊下に出ると、私はそこでようやく深い息を吸い込んだ。

そのままトイレで用を足し、洗面台の前に立つ。
久しぶりの飲酒だったせいか、あるいは滅多にない大人数の飲み会に緊張していたのか、ビール一杯で割と酔いが回って頬がほんのりと紅潮していた。
酔いが手伝っていつもより恐怖心が薄れていた私は、洗面台の鏡に映る自分の顔をまじまじと見つめてみる。目尻の細かい皺、たるんでぼやけ始めた輪郭、うっすらと浮かび上がるマリオネットライン、所々に目立つシミや白髪。年々衰えている視力でも、目の前の”老い”がはっきりと確認できた。頬を赤らめている自分が途端にバカみたいに思えて、水で洗った両手をパンっと頬に当てて顔面を冷ます。

東京に来てから十八年。私がここで培ってきたものは、今この目の前にある”老い”だけだ。これといった友達も作らず、恋人も持たず、自分のために贅沢にお金を使うこともなく、長い時間をかけて死んでいくように生きてきた。何かに没頭するでもなく、そして深く絶望することもなく、”ここじゃないどこか”にぼんやりと思いを馳せながら、四十歳までひとりで生きてきてしまったのだ。
就職を機に上京してきた当初は、この”東京”という街でなら自分の人生を変えられるかもしれないという淡い期待があったけれど、会社とアパートを往復する満員電車の日々で次第に精神と体力が擦り減っていき、それでも最初の頃は休日を使って知らない場所にわざわざ足を運んでみたり、共に行動してくれるような友達作りに励んでみたりしたものだったが、性根が内気で人見知りな人間にとっては東京のレジャーはどれも非常に高カロリーなもので、そして気の合う友達を作ろうにも職場の人間関係は驚くほどさっぱりしていたことから結局誰とも深い関係を構築できず、外出そのものに段々と腰が重くなった私は休日の大部分をベッドの上かテレビの前で過ごすようになった。そしてネトフリ、アマプラ、YouTubeといったインスタントな娯楽が世の中に流行してからは輪をかけて出不精が加速し、ついには会社と買い物以外の用事で外に出る機会がほとんどなくなる。決して満ち足りているわけではないけれど悲観するほどの不満や絶望もない毎日。中年と呼ばれる年齢が目前に迫り始めるとさすがに”何かしなくちゃいけない”という焦りが芽生えたが、そんな焦燥感も手近な娯楽ですぐに紛れた。こんな具合で惰性とごまかしの毎日を十年以上続けた結果、気付けばやり直しのきかない年齢になっていたのだ。

来月には地元の田舎に帰って、始まってもいない人生がまた振り出しに戻る。駒を進めたところで山も谷もない緩やかな下り坂を長い時間かけて下りていくだけのあまりに退屈な人生ゲーム。ここじゃないどこかに私のゴールがあるはずだと常々考えているけれど、そもそも私が本当に行きたいところなんて、本当にあるのだろうか。

トイレを出て宴会の場に戻ると、さっきまで私が座っていた席には例の若い女性社員が座っていて、隣にいる青羽さんや周りの男性社員たちに笑顔でお酌をしているのが見えた。

今この瞬間でさえ、私の居場所なんてどこにもなかった。

二次会には行かず、夜九時過ぎには自宅に着くと、母からLINEの通知が何件か届いていた。

すぐにLINEを開く気にはなれず、とりあえず肩に掛けていた鞄をテーブルにドサッと下ろして、手に持っているビニール袋から帰宅途中のコンビニで買ったカップ麺を取り出した。そのまま台所にカップ麺を置いて、寝室でスーツを脱いで部屋着に着替えてから、再び台所に戻って笛吹きケトルに水を溜めてコンロの火をつける。
あとは沸騰するのを待つのみというタイミングでようやく母からのLINEを確認しようとスマホのロックを解除すると、真っ先に”顔合わせ”というワードが目に飛び込んできた。

〈顔合わせの日程、4月30日に決まったから。それまでに引っ越しとか色々終わらせて、余裕もって臨むようにね〉

返信に悩むというより、私はそのテキストをどこか他人事のようにぼんやりと見つめる。引っ越しはともかくとして、”顔合わせ”という言葉に現実味がなく、果たしてこれは本当に自分宛のメッセージなのだろうかとさえ思った。

ピーッという笛の音ではっと我に返ると、スマホをいったん置いて、沸騰したお湯をカップ麺に注いで蓋を閉める。再びスマホを手に取って、五分のタイマーをセットする。

何となしに部屋を見渡してみると、私以外誰もいないこの八畳ワンルームの部屋が何だかいつもより広く感じられた。
上京してすぐ、仮住まいのつもりで借りたこの手狭なアパートに、結局十八年間住み続けた。どこでも買えるような食器や家具に囲まれ、生活に必要な物は大体手を伸ばせば届く範囲に配置されているこの部屋では特にこれといった不自由は感じないけれど、同じくロマンや趣味もまったく感じられない、まるで私の生き方を象徴しているかのような殺風景な部屋だな、と改めて思う。

物思いに耽っていると、ピピピピピッとスマホのアラームが五分の経過を知らせた。カップ麺を持って台所から移動して、卓袱台ちゃぶだいのすぐ後ろに置いてある小さめのソファにどしっと深く腰掛ける。カップ麺の蓋を開けると、鼻を突く魚介豚骨臭の湯気がたちまち部屋に立ち込めた。はやる気持ちを抑えながら割り箸で荒々しく全体をほぐして、どろっとしたスープが絡みつく太麺を豪快に掬い上げると、ふうふうと冷ましてからズルっと音を立てて啜る。
手狭なソファの上で大胡座おおあぐらをかいて、人目を気にせず『とみ田』のカップ麺を貪る。こういう瞬間、ひとりでよかったと思うし、やっぱりひとりが気楽だなと思う。来月にはこのアパートを引き払って実家に戻ることを想像すると、吹けば飛ぶようなこの些細な幸せを精一杯噛み締めるようにして、ざらざらとしたカップ麺の汁を最後の一滴まで飲み干した。

”結婚”の話が舞い込んできたのは、年末に実家へ帰省した時のことだった。

私の実家は地元ではそこそこ大きい寺で、大晦日の夜は除夜の鐘撞きを目的に多くの参拝者で賑わい、さらには参拝者の方々に無料で甘酒を振る舞うという恒例行事で大いに忙しくなるため、毎年この時期は実家に帰って寺の手伝いをする必要があったのだ。

今年の帰省がいつもと違ったのは、事前に母経由で「お父さんから話がある」という連絡をもらっていたことだった。
嫌な予感しかしなかった。ついにこの日がきてしまったのか、という諦念のような心持ちで私は実家に帰った。

父は胃癌とのことだった。
しかし、比較的早い段階で腫瘍が見つかったおかげで手術による切除が十分可能であり、他の臓器に転移も見られないため、手術さえ無事に終わればひとまずのところ心配はないという状態だという。
早くて二週間後には手術をするとのことだったが、私にとってはそんなことよりも、父が今回の病気をきっかけに”寺の跡継ぎ”の話を母と本格的に進めていたことが何よりも重大だった。

父と母は居間に私を座らせて、私の知らないところで勝手に進められていた”結婚”の話を淡々と説明した。父と母の口ぶりは説得というよりほとんど指示に近いもので、要約すると「実家の寺と同じ宗派の寺が跡継ぎに困っていて、そこの住職の一人息子も独身なので、私がその一人息子と結婚して両方の寺を存続させる」という内容だった。
寺の跡継ぎが不在の場合、本山から派遣された僧侶が引き続き檀家だんかの世話をするケースもある。つまり、血縁者でなくとも寺を存続させられる手段はあるのだ。寺の娘として生まれた以上、できる限り多くの跡継ぎの事例を調べ、様々な選択肢があることを学んでいたけれど、潮田家の前ではそのすべてが何の役にも立たなかった。父は”血縁者による寺の存続”以外、絶対に認めない人間だったからだ。

父と母の間には、男の子が生まれなかった。子供は私と姉の二人娘で、二つ年上の姉は引っ込み思案な私とは対照的に、小さい頃から自由奔放な性格だった。憧れの自分の姿を明確に持ち、溌剌とした性格と端正な顔立ちゆえに友達も多く、いかにも輝かしい人生が似合うような人種。私とは真逆の生き方を貫いていた姉は高校を卒業した後、親の反対を押し切って海外の大学へ進学し、そのまま現地で就職した。今はどの国に住んでいるのかさえ分からず、年末にも実家に顔を出すことはないので、姉とはもう何十年も会っていない。

早い段階で姉に寺を継ぐ意思が全くないと判断した父は、姉とは対照的に、私のことは”大切に”育てた。中学では、私は事あるごとに「欲しい物はないか?」と父に聞かれて半ば押し付けのように色々なものを買い与えられたが、姉は買いたい物一つ一つに父への理由の説明と許可が必要だった。結局姉が所望したほとんどのものは買ってもらえず、その反動もあり、姉は高校に上がってすぐにアルバイトを始めたが、私には何もしなくても十分なお小遣いが毎月与えられた。そして姉は親の支援を一切受けずに莫大な奨学金を借りて海外の大学へ進学した一方、地元の仏教系大学に進学した私の学費やお小遣いはすべて父が出してくれた。

就職を機に私が東京へ行くことを父が認めてくれたのは、毎月実家へ仕送りすることと、将来的には地元に帰ってくることが絶対条件だったからだ。父にとっても、これまで投資してきた自分の娘から金銭的な還元を受けながら、さらには私が東京から跡継ぎ候補の婿を連れて来ればお見合いなんかの手間も省けるという一石二鳥的な考えがあって、私は一時的に東京で暮らすことを認められた。
子供のことも考えると三十五歳くらいまでには地元に引き戻されると思っていたけれど、私の会社が上場に向けた準備などで経理部としても仕事が立て込んでいたことや、父もここ数年は檀家の不幸が重なり多忙を極めていたことから跡継ぎの話が後回しになっていたのだろう。そして今回父の病気が発覚し、寺の跡継ぎの話が本格化したことで、私の東京でのモラトリアムにあっけなく終止符が打たれてしまったというわけだ。

母は、私が小さい時からよく「長男は好きになっちゃダメだからね」と口にした。そもそも恋愛というものすらあまり分かっていなかった子供の頃の私は母の言葉にまるでピンときていなかったけれど、中学に上がって周囲が恋愛を意識し始めると同時に母の言葉の含意がんいを理解し、それを常に頭の片隅に置いて生きるようになった。今思えば大げさな話だけれど、当時の精神的に未熟な私を恋愛奥手にさせるには十分すぎるほどの呪いだったのだ。

結局、中学・高校ではまったく恋愛を経験せず、宗派の大学では一度だけ異性とそれらしい雰囲気になったことがあったが、彼が私と同じく寺の子供で仏教に関する素養があり、そして何より次男であったことから、私が彼に抱いているこのキラキラとした気持ちは好意なんてロマンチックなものではなく、”婿候補としてうってつけのステータスが揃っている人物を両親の望みどおりに見つけることができたという事務的な達成感に近いものなのでは?” と自問自答するようになり、本当に彼自身のことが好きなのか分からなくなった私は結局自分から別れを切り出して、私にはまともな恋愛ができないんだと自己嫌悪に陥った末に、恋愛に重たい蓋をした。

東京に来てからも、いつかは地元に戻らなくてはいけないという諦めが常に思考の中心にぼんやりとあって、その閉塞感に囚われて誰とも深い関係を構築する気にはなれず、さらには実家への月々の仕送りもあって日々の生活費を稼ぐのに精一杯で、恋人や友達すらも満足に作ることがないまま、とうとう一人で四十歳を迎えてしまったのだ。

結局私は、東京に何を求めていたのだろうか。環境を変えれば人生も変わる、なんて安易な考えに縋っていたのだろうか。東京という街に、私は一体どれほどの幻想を抱いていたのだろうか。
結局得られたものなんて何一つないけれど、それでも生きていけるような適度な退屈があって、そしてその退屈さえも都会の輝かしい喧騒と一緒くたにして紛らわせてしまうこの東京という場所で、無為むいに十八年という時間を費やしてしまったのだ。
ここまでの人生を振り返って、ライフラインチャートとやらを思い浮かべてみる。浮かんできた曲線が今際いまわきわの心電図くらいあまりに起伏が少なくて、思わず乾いた笑いがこぼれた。私はきっと、このまま静かについえていくのだろう。



もう何百回繰り返したか分からないひとり反省会を終えて、空になったカップ麺のゴミを捨てようと立ち上がると、「ブブッ」と鈍い通知音がスマホから聞こえた。LINEの通知音とは違う、社内専用のビジネスチャットアプリの通知音だったので条件反射的に頭が仕事モードに切り替わった。
緊急の連絡かも? と少し身構え、手早くスマホのロックを解除してチャットアプリを確認する。

〈潮田さん、お疲れ様です。本日はありがとうございました。急なお誘いで申し訳ございませんが、来週月曜の仕事終わりの夜、お時間あったりしますか。ご検討いただけると幸甚です。〉

え? なにこれ?
差出人名には【青羽雄司あおばゆうじ】という表示がある。
間違いなく今日の歓送迎会で少しだけ会話をしたあの青羽さんなのだけど、あまりにも急な連絡に理解が追いつかず、一体なぜ? とスマホを持ったままソファーの前で立ち尽くす。ビジネスチャットの使用にあたって、私的利用に端を発する様々なトラブルを避けるため、人事課が定期的に会話の内容をチェックしているという脅しのような噂を耳にしたことがある。あの物静かな青羽さんがビジネスチャットを私的利用するリスクを冒してまでよりにもよって退職間際の私に会いたい理由がまったく思い当たらず、少しの間考え込んで、

〈大丈夫ですよ。お仕事の相談でしょうか?私でよければ気にせず何でもおっしゃってください〉

と、あくまで事務的に、かつ”仕事の相談以外に何かあるんですか?”と青羽さんの真意を探るような返信を送ってみる。

事務連絡や日々の挨拶以外の会話は今日が初めてだったと言っても過言ではないほどのうっすい関係値である青羽さんが、わざわざビジネスチャットを使ってまで突然私を誘ってきた理由をあれこれ考えてみる。事務的な話であれば職場で直接話せばいいのできっと違う。とするならば、職場では話しにくい人間関係にまつわるような話題ということだろうか。来週の月曜日は私の最終出勤日である三月三十一日なので、私が青羽さんにとっておそらく金輪際こんりんざい会わないであろう人間ということも関係しているのでは? いや、仮にそうだとしても一体どんな話があるのだろう。

考えれば考えるほど、分からない。そもそも冷静に考えてみればどのみち私は退職するのだから、青羽さんの誘いをにべもなく断ったところで特段何の支障もないはずだ。それでも私が誘いに応じたのは、歓送迎会で話した時の青羽さんの表情がどこか深刻そうに見えたこと、そして何より青羽さんからの連絡の直前に脳内で行われていた"ひとり反省会"のせいでひどくセンチメンタルになっていたことが大きな要因だった。加えて、最終出勤日にも関わらずその後の予定が何もないという事実にどこか虚しさを感じていた私にとって、青羽さんからの突然の誘いは正直なところまんざらでもなかったのだ。そんな感じでほぼ勢いに任せて了承してしまったけれど、冷静になってみれば不安が山ほど浮かんでくる上に、そもそも考えること自体がめんどくさくなってきている。

青羽さんには申し訳ないけれど、やっぱりここはひとまず様子を見させてもらおうと「送信取消」のボタンをタップしようとしたちょうどその時、トークルームに青羽さんからの返信がシュッと表示された。

〈急なお誘いにも関わらず了承いただきありがとうございます。それではまた月曜、よろしくお願いします。素敵な休日をお過ごしください〉

ひとつ前の「お仕事の相談でしょうか?」という私のジャブは華麗にスルーされ、これ以上の詮索は無粋であると言わんばかりのきっぱりとした文章に私は何も返信が浮かばなくなる。土日をすっきりとした頭で迎えたかったので、野暮だと分かっていても本心では「何かあったんですか?」と聞いておきたかったけれど、あれこれ考えすぎて眠くなってきたのと、あと一日で退職する身であるとはいえこれ以上会社のビジネスチャットでプライベートな会話をすることに微かなリスクを感じて、〈こちらこそよろしくお願いします〉とだけ返信してスマホを裏返しに置いた。

こうして少しのモヤモヤを残しつつ、私の四十歳の誕生日は静かに終わった。





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