『女は二度生まれる』川島雄三~男への依存からの脱出~
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川島雄三監督は若尾文子と『しとやかな獣』(1962)、『雁の寺』(1962)と傑作とも言える見事な作品を撮っているので、1961年のこの作品も見た。増村保造監督とは『青空娘』(1957)、『妻は告白する』(1961)、『清作の妻』(1965)、『赤い天使』(1966)、『刺青』(1966)など20作も出ていることでも知られており、どれも強烈な作品ばかりだ。他にも溝口健二とは『祇園囃子』(1953)、『赤線地帯』(1956)があり、小津安二郎の『浮草』(1959)、三隅研次の『女系家族』(1963)にも出ている。若尾文子とは、まさに日本を代表する優れた映画監督に起用され続け、その出演本数も260本以上、1950~1960年代の日本映画を支えた女優である。
この映画ではまず靖国神社の大きな太鼓の音にビックリする。国のために死んだ英霊を祀る場所・靖国神社近くのおそらく九段南3丁目界隈の花街の設定で芸者をしている小えん(若尾文子)が主人公だ。売春防止法が制定された1961年当時、花街が衰退をしていく中で法の目をかいくぐるようにして枕営業をしている芸者の小えん。名刺をもらい、恋人との自由恋愛ということにして客と寝るのだ。客は建築設計士の山村聰。これから床を共にするシーンで大きな神社の太鼓が聴こえてくる。なぜ靖国神社なのか?なぜ太鼓の音を入れたのか?どんな意図があるんだろう?と思って見ていると、置屋の前の路地をよく通りかかる学生の藤巻潤が靖国神社に遺族会の何かを届ける場面で若尾文子と一緒になるシーンがある。そこで二人がお互いの素性について話す。藤巻潤の父親は戦死して英霊として靖国神社に祀られているが、若尾文子の両親は空襲で亡くなったようで、「ここに祀られる資格なんてないわ」と彼女は言う。靖国神社の大きな菊の紋章が印象的に映像に使われており、同じ戦争犠牲者でも国家による扱いの違いが強調される。そして後日、サラリーマンになった藤巻潤に若尾文子が再会したとき、彼は「大事なお客だから」と外国人男性との性接待を彼女に求めるのだ。若尾文子は若い時に淡い思いを寄せていた藤巻潤に枕営業を求められて裏切られたような気持ちになる。芸者での枕営業、そして夜のバーでのホステスを経て、山村聰の妾になった小えんという女性・磯部友子は、男に頼ってずっと生きてきた。そして旦那の山村聰が病気で亡くなって再び芸者稼業に戻るのだが、結局、女性は男の権力の犠牲を強いられる存在なのだという現実が描かれる。男に尽くし庇護のもとで生活してきた女が、新しく生まれ変わろうとする希望が映画のタイトルに込められている。さしずめ靖国神社の太鼓の音は、国家の力のような象徴でもあり、女を支配する男の力のイメージなのかもしれない。
山村聰は若尾文子が両親のいない戦災孤児だという理由で、妾として彼女を養う。「孤児であるということ」が大事なのだと自ら語る。それは男の自己顕示欲であり、支配欲とも言えるプライドである。だから彼女が若い旋盤工のコウちゃん(高見国一)を旅館に連れ込んだことを知って、ドスを畳に突き立てて怒り、彼女を引っぱたく。裏切りは許さないと。それは山村聰の男としての支配欲が裏切られたからだ。若尾文子は、なぜコウちゃんを誘ったのか?売春芸者をしてきた女性としてのサガ(性)なのか?映画『雁の寺』の小坊主の慈念もまた高見国一が演じていた。貧しい生まれの慈念を妾の若尾文子が慰める母性と同じだ。この映画でのコウちゃんへの好意は母性的な感覚の延長なのだろう。山村聰の2号さんという立場に満足していたはずなのに、小えんはそこまで考えが至らない。正妻にアパートに踏み込まれて、部屋の入口に「二号」という落書きをされて、「あの奥さん、女学校を出ていて教養もあってお金もあって。私なんかイジメてどうだっていうのかしら」と言い、洗濯物の下着を干しながら憤慨する。山村聰には、男に頼って生きていないで、自分で何かを身に付けろと諭され、彼女は小唄を習い始める。小えんは、小唄の芸で身を立てようとしだすのだ。その矢先に山村聰が病気で倒れてしまう。
結局は病気で死んでしまうのだが、小唄を習い出したご褒美に山村聰からもらった腕時計を、彼女は最後にコウちゃんにプレゼントしてしまう。街で偶然コウちゃんと再会した若尾文子は、かつて「山へ行きたい」と言っていたコウちゃんの願いをかなえるため、長野の山へと電車で向かう。その途中の電車の中で今度は妻子連れのフランキー堺と再会する。知らないふりをしながらも、かつて心を通わせた客だった男の変化を見て、若尾文子にもいろんな感情が生まれる。そしてコウちゃんに腕時計をプレゼントして、「上高地へはコウちゃん一人で行きなさい」と別れを告げてバスを見送るのだ。駅の待合室で、若尾文子は時間を確認しようとして腕時計がないことに気づいて苦笑いして、駅の待合室に佇むロングショットで映画は急に終わるのだ。コウちゃんを一人で送り出し、これからは自分一人で生きていこうとする感じなのだろうが、あくまでも曖昧な印象のラストだ。川島雄三監督は『雁の寺』でも急にモノクロからカラーの現代に変わるユニークなラストシーンを作っていた。ラストを単純に終わらせない川島雄三ならではの企みがあるのだろう。どうとでも考えられる曖昧なラストが面白い。
映画の中で何度も繰り返されるのが部屋の襖や窓や雨戸を閉めるアクションだ。小えんが男と一緒に寝る場面では、「電気を消していいですか?」と男に問い、男が枕元のスタンドをつけて少し枕もとで語らい、襖を閉めるアクションがあってセックスが行なわれ、翌日になる。山村聰ともフランキー堺ともコウちゃんとも最後の無理やり迫られる山茶花究とも、その襖や窓を閉めるアクションが繰り返されるのだ。つまり、襖を閉めるアクションとは、性への誘いのサインだった。男女二人で密室に閉じこもることを繰り返してきた女・こえん(=磯部友子)がラストは山へ行くのだ。広がりのある空間こそが、彼女の新しい人生であり、「二度生まれる」=「生まれ直す」ことでもあるのだろう。
1961年製作/99分/R18+/日本
原題または英題:A Geisha's Diary
配給:大映
監督:川島雄三
脚色:井手俊郎、川島雄三
原作:富田常雄
企画:川崎治雄
撮影:村井博
美術:井上章
音楽:池野成
録音:長谷川光雄
照明:渡辺長治
キャスト:若尾文子、山村聰、フランキー堺、藤巻潤、山茶花究、高見国一、山岡久乃、潮万太郎、高野通子、村田知栄子、村田扶実子、倉田マユミ、山中和子、山内敬子、目黒幸子、耕田久鯉子、花井弘子、八潮悠子、三保まり子、江波杏子、中条静夫、上田吉二郎、菅原通済、紺野ユカ、穂高のり子
