バルコの航海日誌 Ⅰ◆真珠の島《3》

Ⅰ◆真珠の島《3》

島にはひとりの美しい若者がいた。若者は海のようにたくましく、島一番の真珠採りとしてその名をとどろかせていた。また、島には花のようにやさしい娘がいた。若者と娘は許嫁だった。仲睦まじいふたりは皆に祝福されて、次の春には婚礼をあげる手はずが整っていた。

ある夏の日、若者は村から遣わされて王宮へ向かった。年に一度定められた捧げ物を納める時期だったのだ。

謁見の広間では、捧げ物の列が朝から途切れることなく続いていた。午後に入り、王は倦んでいた。捧げ物の数は多いが、珍品を見慣れた宮中の人間の目を驚かせるような逸品はいっこう現れない。各地からの使者たちによって繰り返される口上と、代り映えしない品物に、妃もまた密かにあくびを噛みしめるか、窓から斜めに射し込む光の中に浮かぶ埃のきらめきに目を遊ばせるのみで無為に時を過ごしていた。

「次、入れ」
居丈高な役人の声に応じて、また扉が開いた。むっと温気のこもった広間に一陣の風が流れ込む。不意に訪れた涼しさに、人々が振り向くと、入ってきたのは恭しく顔を伏せた若者だった。番兵に先導されながら若者は小箱を捧げ持ち、広間の中央を歩んだ。玉座まで数段の石段を隔て、台の上に小箱を置くと若者は石の床にひれ伏した。

「中を見せよ」
王の傍らに席を占める大臣が声を掛けると、貢ぎ物をあらためる役人が前に進み出て、台の上に置かれた小箱の蓋を手に取った。
役人は中を覗き込むと一瞬息を呑んだが、動揺を抑えて蓋を戻した。それから玉座まで続く敷物の上を進み出でて、王と妃の眼前で再び小箱の蓋を取った。

「こちらにございます」
それはそれは見事な真珠だった。王が目にしてきた数多の真珠のなかでも、群を抜いた大きさ、色艶をみせている。

「もしや、これはあの……」
居並ぶ重臣たちの間に声にならない囁きが広がった。
出処の噂をたばかって、涙の真珠、ということばは口に出さないのが不文律となっていたが、ひと目見れば誰もが分かる。並外れた大きさ、冴え冴えとした蒼み。青年が捧げた真珠はその特徴をことごとく備えていた。

豪奢な窓掛けの隙間から差し込む午後の陽は、広間の床に化石したように動かない。太い柱が広間に落とす影に身体を浸すようにして若者は床にひれ伏している。

「おもてを上げよ」
思わぬ品に機嫌を良くした王は鷹揚に声を掛けた。命に応じて若者はゆっくりと上半身を起こした。若者の動きにつれて光と影が順々にその身を貫いてゆく。身体を起こしきったとき、その半身は陽のただなかにあった。まっすぐに顔を上げた若者の眼の中で、泉が湧くように光が揺らめいている。
壇上に座す妃の瞳にその光が映った。
玉座に身を沈ませた王は、純金の手摺を握りしめたまま、じっと妃の横顔を見つめていた。

その翌日から、妃は真珠をあつめはじめた。ほどなくして王妃の身を飾るものは真珠で埋め尽くされ、王が授けた宝石類は、今や豪華な箪笥の奥深くにしまい込まれて、陽の光を浴びることはなくなった。

「王妃様、今日はこちらの紅玉はいかがでございますか。真っ赤な血のようなくれないが、王妃様の白い肌に映えてそれは艶やかでございます」
「それはもう要らぬ」
「ではこちらの緑碧石は」
「それも要らぬと申したろう」
侍女の勧めを妃は冷たく退けた。

「王妃様、しかしこれらの宝石はみな、王から賜りしもの。近頃は王妃様がいっこうにこちらの宝石類をお召しになりませんので、王が寂しくお思いになっていると耳にしました。たまにはお召しになられては」

長らく妃に仕えている侍女は、妃の我儘を心得ている。しかしこのところのあまりの妃の態度のつれなさに、王の心証を損ないはしないかと胸を痛めていた。

「よいのじゃ。わらわはもう真珠しか身に着けぬと決めたのじゃ。もっと真珠を持て。もっと、もっと大きいものを。そう、この真珠のように」
妃は胸に垂がっている金の鎖を愛おし気にたぐった。その先にはひときわ潤いを放つあの日の大粒の真珠が下げられていた。鏡に映る我と真珠を眺めながら王妃はつぶやいた。

「忘れられぬ、あの眼を。妾はもっともっと大きい真珠を望もう。さすればまたあの若者に逢えるであろうか」

(続く)


【バルコの航海日誌】

■プロローグ:ルダドの波
https://note.com/asa0001/n/n15ad1dc6f46b

■真珠の島
【1】 https://note.com/asa0001/n/n4c9f53aeec25
【2】 https://note.com/asa0001/n/n57088a79ba66
【3】 https://note.com/asa0001/n/n89cc5ee7ba64 ☆この話
【4】 https://note.com/asa0001/n/n9a69538e3442
【5】 https://note.com/asa0001/n/n253c0330b123
【6】 https://note.com/asa0001/n/n734b91415288
【7】 https://note.com/asa0001/n/nfe035fc320cb
【8】 https://note.com/asa0001/n/n81f208f06e46
【9】 https://note.com/asa0001/n/n6f71e59a9855

■銀沙の薔薇
【1】水の輿 https://note.com/asa0001/n/nedac659fe190
【2】銀沙の薔薇 https://note.com/asa0001/n/n6a319a6567ea 
【3】オアシス https://note.com/asa0001/n/n3b222977da7a 
【4】異族 https://note.com/asa0001/n/n224a90ae0c28 
【5】銀の来歴 https://note.com/asa0001/n/n2a6fb07291ae 
【6】海へ https://note.com/asa0001/n/n1a026f8d4987 
【7】眠り https://note.com/asa0001/n/ne00f09acf1b7 
【8】目覚め https://note.com/asa0001/n/ncbb835a8bc34 
【9】海の時間 https://note.com/asa0001/n/nb186a196ed9d
【10】歌声 https://note.com/asa0001/n/ne9670d64e0fb 
【11】覚醒/感応 https://note.com/asa0001/n/n983c9b7293f2 
【12】帰還 https://note.com/asa0001/n/n53923c721e56 

■香料図書館
【1】図書館のある街 https://note.com/asa0001/n/na39ca72fe3ad
【2】第一の壜 https://note.com/asa0001/n/n146c5d37bc00
【3】第二、第三の壜 https://note.com/asa0001/n/na587d850c894
【4】第四の壜 https://note.com/asa0001/n/n0875c02285a6
【5】最後の壜 https://note.com/asa0001/n/n98c007303bdd
【6】翌日の図書館 https://note.com/asa0001/n/na6bef05c6392
【7】銀の匙 https://note.com/asa0001/n/n90272e9da841

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