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バルコの航海日誌 Ⅰ◆真珠の島《7》

Ⅰ◆真珠の島《7》


夜更け、宮殿の一室。
黒檀の棚に置かれた香炉からはひとすじの煙が流れだしている。薄紫にたなびく煙の先には、長椅子にもたれかかった王妃の姿があった。王妃は白いおもてを隠すように扇をかざし、物陰にひそむ何者かに囁きかけている。

返事の声は聞こえないが、燈火の届かない闇のなかに目を凝らすと、さらに濃い闇がある。岩のようにがっしりと鍛えあげられた男の肉体が、黒い塊となってわだかまっているのだった。どこか遠くに、血の匂いを嗅ぎ取ったらしい野犬の遠吠えが尾を引いた。

「して、首尾は」
妃の問いに応え、石のように固まっていた影がわずかに動き、周囲の空気を震わせる。
妃は満足げに頷いた。

「それから、それからどうなったのじゃ」
楽しい御伽話をせがむ幼女のような熱心さと執念深しつこさで、王妃は仔細を望んだ。
「己がその目の奥に焼き付けてきたことを、この眼前にありありと浮かぶように話すのじゃ。目にし、耳にしたこと全てを洩らさずにじゃ。わらわはそれを味わいたい。うまい酒のように、さぞ妾を酔わせてくれることであろう。」 

男の報告を聞くうちに、王妃の瞳は残忍な喜びに輝きだした。小半時が過ぎ、赤い月は岩山の端に沈みかけていた。やがて王妃は満足そうに吐息をもらした。

「そうであったか。まだ若い身であったに、それは気の毒なことであったのう」
言葉ばかりの慈悲とは裏腹に、王妃の紅い唇はめくれあがり、濡れた犬歯をわずかに覗かせた。こらえきれずに歪んだ笑みが浮かび、吐く息が歯の隙間から漏れた。

「よう聞かせてくれた。褒美としてこれを遣わす。市場に持てば相応の値がつくであろう」
妃の白い掌が傾けられ、ひとしずく、ふたしずく、紅の輝きがこぼれ落ちた。男の掌に受けられたそれは紅玉の耳飾りとみえた。色の冴えといい、凝った細工といい、ひとめでかなりの値打ちものと知れる代物だ。

「下がれ」
黒い影はするりと窓から抜け出て、中庭の闇へ消えた。

帳を幾重にも重ね、人払いをした部屋の奥で、王妃はひとり恍惚の息を整えていた。
ああ、面白かった。さあ、お人形は壊れてしまったし、し物はこれで終わり。

王妃は鏡を見た。鏡を見ながら、王妃は手を伸ばし、己の胸元にきらめく細い金鎖に力を掛けた。うなじにかかった鎖の強さに耐えきれず、わずかに破れた柔肌からは、赤い絹糸のようなひとすじの血が糸を引いた。
引きちぎられた鎖は、鎖の先に貫かれた真珠の大珠とともに打ち捨てられた。冷たい床の上で、真珠はしずかに蒼い月光を湛えていた。

「さて、宵に届いた緑玉の頸飾りを試してみるとしよう。真珠も紅玉ももう飽いた。緑玉なら、乳の上にもうす青く血管を透かせるほどに白い妾の肌をさらに滑らかに艶やかに映えさせてくれるであろう」

黒孔雀の羽根の扇の陰で、妃の唇は満足げに弧を描いた。

(続く)


【バルコの航海日誌】

■プロローグ:ルダドの波
https://note.com/asa0001/n/n15ad1dc6f46b

■真珠の島
【1】 https://note.com/asa0001/n/n4c9f53aeec25
【2】 https://note.com/asa0001/n/n57088a79ba66
【3】 https://note.com/asa0001/n/n89cc5ee7ba64
【4】 https://note.com/asa0001/n/n9a69538e3442
【5】 https://note.com/asa0001/n/n253c0330b123
【6】 https://note.com/asa0001/n/n734b91415288
【7】 https://note.com/asa0001/n/nfe035fc320cb ☆この話
【8】 https://note.com/asa0001/n/n81f208f06e46
【9】 https://note.com/asa0001/n/n6f71e59a9855

■銀沙の薔薇
【1】水の輿 https://note.com/asa0001/n/nedac659fe190
【2】銀沙の薔薇 https://note.com/asa0001/n/n6a319a6567ea 
【3】オアシス https://note.com/asa0001/n/n3b222977da7a 
【4】異族 https://note.com/asa0001/n/n224a90ae0c28 
【5】銀の来歴 https://note.com/asa0001/n/n2a6fb07291ae 
【6】海へ https://note.com/asa0001/n/n1a026f8d4987 
【7】眠り https://note.com/asa0001/n/ne00f09acf1b7 
【8】目覚め https://note.com/asa0001/n/ncbb835a8bc34 
【9】海の時間 https://note.com/asa0001/n/nb186a196ed9d
【10】歌声 https://note.com/asa0001/n/ne9670d64e0fb 
【11】覚醒/感応 https://note.com/asa0001/n/n983c9b7293f2 
【12】帰還 https://note.com/asa0001/n/n53923c721e56 

■香料図書館
【1】図書館のある街 https://note.com/asa0001/n/na39ca72fe3ad
【2】第一の壜 https://note.com/asa0001/n/n146c5d37bc00
【3】第二、第三の壜 https://note.com/asa0001/n/na587d850c894
【4】第四の壜 https://note.com/asa0001/n/n0875c02285a6
【5】最後の壜 https://note.com/asa0001/n/n98c007303bdd
【6】翌日の図書館 https://note.com/asa0001/n/na6bef05c6392
【7】銀の匙 https://note.com/asa0001/n/n90272e9da841

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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