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スパイダーマン:ホームカミング 考察|ラストの意味は「昇進を断ること」。瓦礫の下で起きていた本当の戴冠式

新作の公開が近づいてきたので、1作目から順番に見返しています。

※この記事にはアフィリエイトリンク(楽天)を含みます。

で、『ホームカミング』を久しぶりに観て、正直びっくりしました。

ずっと「明るい学園ヒーロー映画」だと思っていたんです。街も壊れないし、世界も滅びないし、最終決戦は誰もいない砂浜で決着がつく。軽い一作目、くらいの認識でした。

でも今回、まったく別の映画に見えました。

これ、ヒーローになる話じゃないです。スーツを取り上げられる話です。



🎬 一発目のカットは、ヒーローの登場ではなくレイオフの通告

この映画の最初の場面を思い出してほしいんです。

2012年のニューヨーク。アベンジャーズとチタウリの戦いのあとの瓦礫を、エイドリアン・トゥームスの業者が黙々と片付けている。

彼らは「仕事」をしています。トラックを出し、人を雇い、たぶんローンも組んでいる。

そこへダメージ・コントロールが来る。政府とスターク・インダストリーの合弁会社です。

契約は、まるごと持っていかれます。

ヒーローの登場ではなく、レイオフの通告から始まる映画。

ここに気づいてから、登場人物の見え方が全部変わりました。

サンドイッチ屋のデルマーさん。高校の先生たち。折り返しの電話を待っている少年。この映画に出てくる人、ほぼ全員が「アベンジャーズではない側」にいます。

そして全員に、同じ問いが投げられている。上から与えられなかった人間は、どうやって自分を定義するのか。


(余談。トゥームスが資材を回収しているあの建物、『アベンジャーズ』でソーとハルクがリヴァイアサンを叩き落としたグランドセントラル駅と同じ場所なんだそうです。ヒーローが暴れた現場と、その後片付けの現場が、同じ座標にちゃんと置かれている。Reddit の r-marvelstudios で1,500人以上が反応していた指摘です)

📞 全編が「返事の来ないメッセージ」でできている

ピーターの行動の原動力って、正義感じゃないんですよ。「連絡が来ないこと」です。

『シビル・ウォー』でドイツまで連れていかれて、帰されて、「必要になったら連絡する」と言われる。そして連絡は、来ない。

だから彼はハッピーに留守電を残し続けます。あの報告、几帳面ですよね。今日はチャリ泥棒を捕まえました、今日はおばあちゃんに道を教えました、って。

内容はだんだん切実になっていくのに、返信は一度も来ない。


自転車泥棒を捕まえたのに持ち主が見つからなかった夜、彼はこう報告しています。

持ち主が見つからなかったので、メモを残しておきました。
(原文: "Couldn't find the owner, so I just left a note." /拙訳)

この少年、届くかどうか分からない紙を、ずっと残し続けているんです。

ちなみにその紙にはこう書いてあります。"IS THIS YOUR BIKE? IF NOT, DON'T STEAL IT!"(これはあなたの自転車ですか? 違うなら盗まないで!)。誰が読むかも分からない紙に、ちゃんと注意書きまでしている。

(最後、ウェブでぐるぐる巻きにしたトゥームスにも書き置きを残していきます。"FOUND: Flying Vulture Guy, Spider-Man. P.S. Sorry about your plane."。命を狙われた相手にまで手紙を書く男。もう性分です)

対して、トニー・スタークが物理的にその場にいる瞬間は、数えるほどしかありません。

序盤に家の前で降ろしたあと、彼はほとんど電話か、ハッピーという代理人か、スーツのAI(カレン)越しにしか出てきません。湖に落とされたピーターを助けに来たアイアンマンだって、中身は入っていない遠隔操作でした。

そして、ここがこの映画のいちばん冷たいところなんですが——

トニーが次に本人として姿を見せるのは、スーツを取り上げるときです。

褒めるためでも、抱きしめるためでもなく。


しかもスーツの初期設定、名前が「トレーニング・ホイール・プロトコル」。補助輪モードです。

補助輪をつけて渡したまま、外しに来ない大人。この一語でトニーの育児方針が全部説明されている気がして、わたしはちょっと笑って、そのあと真顔になりました。

大事なのは、トニーに悪意がまったくないことだと思うんです。

彼はピーターを守ろうとしているし、実際に守っている。なのにピーターは絶望的に孤独になる。

描かれているのは「悪い大人」じゃなくて、善意のまま人を宙吊りにする構造のほうなんですよね。

善意の放置は、悪意の拒絶と同じ形の傷を作ります。

🦅 悪役は、同じ構造の「8年前」だった

その構造が、もう一回作動していた場所があります。トゥームスです。

彼も上から「もういい」と言われて、それきり誰からも連絡が来なかった男でした。

つまりこの映画の主人公と悪役は、同じ事件の被害者を、年齢だけ変えて二人並べたものに見えてきました。

(ちなみにこの「8年」、公式が後年になって「やらかし」と認めた有名な誤差です。実際は2012年春から2016年秋なので、4年ちょっと。制作側が『アベンジャーズ』の公開年から素で数えてしまったらしい)


そしてこの人の名前、ヴァルチャー(Vulture)=ハゲワシなんですよね。

海外の掲示板で、「洗濯物を畳んでたら急に気づいた」という体でこんな投稿が伸びていました。

ヴァルチャーの商売って、文字通り過去の戦闘の残骸を漁ってるだけじゃないか。まるで本物のハゲワシみたいに。ちょっと座って落ち着こう。
(Reddit / r-marvelstudios の投稿より・拙訳)

言われてみればそのとおりで、彼のビジネスモデルと名前が完全に一致している。死んだあとに残ったものを食べて生きる、という意味まで含めて。

そのうえで、ピーターとの違いは保険があったかどうかだけ。

ピーターにはスーツがあり、AIがあり、金持ちの後見人がいた。トゥームスには何もなかった。だから同じ「自分で作った翼」でも、片方は青春の証明になって、片方は前科になる。

「もし保険がなかったらピーターはトゥームスになっていた」を、悪役の側から証明している映画だと読みました。

ここで効いてくるのが、有名なあのセリフです。

このスーツがないと、僕は何者でもないんです。
そのスーツがなければ何者でもないなら、なおさら持つ資格がない。
(原文: "If you're nothing without this suit, then you shouldn't have it." /拙訳)

かっこいいセリフとして語られがちですが、わたしは聞くたびにひやっとします。

だってトニー・スタークって、『アイアンマン3』でアーマーを全部爆破しないと自分を取り戻せなかった人ですよね。

つまり彼は、自分が何年もかけて解けなかった問題を、15歳に一日で解けと要求している。

教育としては最悪です。でも人間としては、あまりにも分かる。

人は自分の一番治っていない傷を、後輩に説教の形で渡してしまう。あれ、指導じゃなくて懺悔なんですよね。

🚗 あの車内シーンが怖いのは、彼が一度も脅していないから

MCU屈指の緊張感がある、あの車の中のシーン。

なんであんなに怖いのか。トゥームスが、脅迫の言葉を一度も使っていないからなんですよね。

彼が口にするのは全部、娘の父親としての正しくて温かい言葉です。君はいい子だ。娘を助けてくれてありがとう。

なのに、観ているこっちには完全に殺害予告として届く

しかも場所が車の中。密室で、逃げ場がなくて、運転しているのは相手で、後部座席には好きな子がいる。アクションの余地をゼロにしたうえで、最大の脅威を置いている。


気づく瞬間の演出も、セリフじゃないんですよ。

トゥームスの視線がバックミラーに動いて、顔の中の情報がゆっくり並べ替えられる。それだけで「バレた」が伝わる。

マイケル・キートンを使う理由が、あの数秒に全部入っています。

(何度も観ている人が指摘していて唸ったんですが、彼が気づくのとちょうど同じタイミングで、信号が青に変わるんだそうです。頭の中で電球がついた瞬間みたいに。気づいてから観ると、ちょっとぞっとします)

海外の掲示板でも、この場面はこう評価されていました。

あのシーンのマイケル・キートンとトム・ホランドの間の緊張感は本当にすごい。ギャグで緩和しなかったことに感謝しているし、あの演出の見事さに敬意を表したい。
(海外メディアが紹介した Reddit の投稿より・拙訳)

そう、この映画って基本ずっと笑わせにくるんですよ。なのにここだけは、最後まで一度も茶化さない。

そしてこの映画がフェアなのは、トゥームスの理屈を最後まで論破しないことです。

「アベンジャーズが壊した街の後片付けを、アベンジャーズの会社が国と組んで持っていった」。これは事実で、ピーターに否定する材料はありません。

だからこの対決は「正義 vs 悪」じゃない。「上の恩恵を受けた側の子ども」 vs 「上に切り捨てられた側の大人」です。

ピーターが彼を止められる根拠は、彼が正しいからじゃない。同じ不満を持ちながら、人に武器を売らなかったという一点だけ。

トゥームスの怖さって、異常性じゃなくて再現性なんですよね。

人はめったに「悪をなそう」なんて思わない。ほぼ全員が「守るべきものがある」と思って踏み外す。「家族のため」は、自分にいちばんよく効く麻酔です。

それが本当に理由なのか、もう決めたことへの後付けの許可証なのか。トゥームスは、後者に変わった瞬間を自分では見逃しました。

🧱 瓦礫の下——この映画の本当の戴冠式

さて、本題です。この映画でスパイダーマンが「誕生」する場面はどこか。

飛行機の上じゃないです。フェリーでもない。誰も見ていない、廃倉庫の瓦礫の下です。


この場面の何が恐ろしいかって、戦闘じゃないことなんですよ。

敵はもういない。ヴァルチャーは去っている。彼はただ、重いものの下で一人になっているだけ。

つまりこの映画のクライマックスは、敵と戦う場面ではなく、助けが来ないことを受け入れる場面として設計されているんです。

しかも直前までに、サポートの回線が一本ずつ丁寧に切られています。

スーツは没収済み。トニーは来ない。ハッピーは出ない。カレンもいない。

だからあの瓦礫の重さは、物理量じゃなくて心理量なんですよね。

そして彼が最初にすることは、力を出すことじゃありません。呼ぶことです。

おい! 頼む! 誰か、ここから出してくれ!
(原文: "Hey! Please! Please, somebody let me out!" /拙訳)

声が、急に子どもの声になる。この映画がはじめて本気で「彼は15歳だ」と見せてくる瞬間です。

返事はない。そこでカメラが向く先が、自分になる。反射に映った自分の顔を見て、彼は叫びながら瓦礫を持ち上げます。

ここ、実は原作コミックのいちばん有名な一枚の再現なんです。

『アメイジング・スパイダーマン』#31〜33「If This Be My Destiny...!」(1965〜66年/原作スタン・リー、作画スティーブ・ディッコ)。鉄骨の下敷きになったピーターが、瀕死のメイおばさんを救う血清を取りに、精神力だけで立ち上がる場面。

ジョン・ワッツ監督自身が「ディッコの最高の絵の一つ」と語っていて、コンセプトアートもコマをほぼ模写する形で描かれていました。

スパイダーマン60年以上の歴史でいちばん有名な一枚をここに置いたということは、作り手が「ここが本編だ」と宣言しているのに等しいと思うんです。

(原作でピーターを潰していたのはドクター・オクトパスです。映画はそこをヴァルチャーに差し替えている。「MCU版は改変ばかり」と言われがちなこの作品が、実はいちばん原作の魂を再現していた、というのがちょっと面白い)

そしてここで思い出さずにいられないのが、サム・ライミ版『スパイダーマン2』の電車です。

あちらでは、力尽きたピーターを乗客たちが抱えて運びます。「彼はまだ子どもだ」と言って、群衆が彼を支える。

ライミ版のテーゼは「街がスパイダーマンを支える」でした。

『ホームカミング』は、それをきれいに反転させます。

ここには群衆がいない。誰も見ていない。彼は自分で自分を持ち上げる。

思い返すとこの映画、ピーターが街から感謝される場面をほとんど描かないんですよね。

記念塔で級友を助けても、フェリーで人を助けても、飛行機を止めても、市民が讃える大団円が来ない。

それどころか、車泥棒と間違えて一般人に飛びかかった彼は、窓から住人にこう怒鳴られます。「降りてこさせるなよ、このガキ」(原文: "Don't make me come down there, you punk!")。ちなみにこの住人、スタン・リーです。

だからわたしは、本作の「親愛なる隣人」をこう読みました。

隣人から愛されている状態のことではなく、誰も見ていない場所で、隣人のために動き続ける状態のこと。

だから戴冠式が、無人の廃墟で行われる。作品の定義と、演出の場所選びが一致しています。

人生の本当の分岐点って、たぶん人前では起きないんですよね。昇進でも表彰でもなく、誰も見ていない夜に「もう誰も助けに来ない」と認めた瞬間に、人はちょっと別の生き物になる。

🕸 ウェブは、2点なければ張れない

もうひとつ、この映画が執拗にやっていることがあります。

スパイダーマンが弱くなる場所を、何度も描くんです。そしてそれが全部、「掴むものがない場所」なんですよ。

  • 郊外:ビルがないのでウェブが張れず、彼は走るしかない。民家の裏庭を必死に越えていく、あの間抜けなダッシュ

  • ワシントン記念塔:ぽつんと立つ巨大構造物。周りに何もない=糸を掛ける相手がいない

  • フェリー:水の上。掴めるものがなく、彼は失敗する

  • 飛行機の上、そして海と砂浜:最終決戦は、いちばん不利な「何もない場所」



ウェブって、2点なければ機能しないんですよね。自分と、自分ではない何か。

つまりスパイダーマンの能力は、原理的に関係性の能力で、彼は単独では飛べない。

一方、ヴァルチャーは翼で飛びます。何にも繋がずに、単独で、どこへでも行ける。

この2人の移動方法の差が、そのまま生き方の差になっている。

これに関連して、海外の掲示板で2,800人以上が反応していた観察があります。

この映画のスパイダーマン、悪役を一度も殴っていない、と(Reddit / r-marvelstudios の投稿より)。

ウェブで絡めとる。相手の攻撃を利用してぶつけ合う。蹴りは使う。でも、拳を振り抜く場面がない。

しかもこれ、ファンの深読みで終わらないんです。トム・ホランド自身が、本作のアクションは「ほとんど子ども向けと言っていいくらい」で「彼は実際には誰も殴っていない」と語っています。意図的にそう設計されていた。

繋いで、絡めて、相手の力を返す。 能力の設定が、そのまま人格になっているんですよね。

逆に彼がいちばん生き生きしているのは、クイーンズの雑踏です。

道を聞かれ、チュロスをもらい、デルマーの店で「いつもの」を頼む。

この映画が丁寧に撮るのは戦闘じゃなくて、地元の商店の名前と店主の顔なんですよ。

だからこそ、ATM強盗のとばっちりでデルマーの店が焼けることが、この映画でいちばん重い被害になる。

街が瓦礫になる映画を何本も観てきたわたしたちに、「サンドイッチ屋が1軒燃えた」だけで痛みを与えてくる。被害の単位を、生活サイズに戻しているんですね。




そしてフェリーでピーターが本当に失敗したのは、船を割ったことじゃないと思うんです。自分の手に負えない規模の問題に、名前も知らない人たちを巻き込んだことのほう。

規模が大きくなるほど、助けた人も傷つけた人も数字になる。「親愛なる隣人」という縮尺は、被害の顔が見える範囲のことなんだと思います。

🎓 タイトルになっているダンスに、主人公は出席しない

タイトルの "Homecoming" は、少なくとも4つの意味で効いています。

  1. 学園行事のホームカミング・ダンス

  2. スパイダーマンがソニーからマーベルという実家に帰ってきたこと

  3. ピーターがクイーンズという家に帰る話であること

  4. 原作という家への帰還(あの瓦礫の場面)


そのうえでいちばん面白いのは、タイトルになっているダンスに、ピーターがほぼ出席しないことです。

迎えに行って、会場に着いて、開始数分で外に出ていく。タイトルロールの行事を主人公が放棄する。この不作法さが、この映画の誠実さだと思うんですよね。

思えばピーターは前半、ずっと「ここではない場所」へ行こうとしていました。でも物語は彼を、毎回クイーンズに送り返します。事件は結局、地元と、同級生と、好きな子の家庭の中で起きていた。


そして中盤、スーツを失った彼が取り戻すのは日常のほうなんですよ。

デカスロンに戻り、リズを誘い、メイにダンスを教わる。この映画、"力を失った期間"を罰ではなく回復として撮っています。 地味にすごいと思う。

で、ここからが本題です。物語の前半、トニーは電話でこう言います。

ただの親愛なる隣人のスパイダーマンじゃダメなのか?
(原文: "Can't you just be a friendly... neighborhood Spider-Man?" /拙訳)

これ、否定として、格下げとして、上から降ってくる言葉です。お前は所詮そっち側だ、という。

そしてラスト。アベンジャーズ入りと新しいスーツを差し出されたピーターは、それを断って、同じ言葉を自分の口で言います

親愛なる隣人のスパイダーマンで。誰かが弱い人を見ていないと。
(原文: "Friendly neighborhood Spider-Man. Somebody's got to look out for the little guy, right?" /拙訳)

同じ言葉なんですよ。中身は変わっていない。

変わったのは、誰がそれを言うか、です。

押し付けられた定義を、自分の定義として引き受け直す。この映画の「成長」は、能力が上がることじゃなくて、そっちなんだと思います。

言葉の所有権が自分に移った瞬間、それは呪いから旗になる。

💡 で、この映画は結局なんの話だったのか

ここまで来て、構造がひとつ見えます。

  • 映画の冒頭は、一人の大人が上の組織に仕事を奪われる場面

  • 映画の結末は、一人の少年が上の組織の仕事を断る場面

トゥームスは上に入れてもらえなかった。ピーターは上に入れると言われて、要らないと言った。

この2つを並べて置いたことが、この映画の最終的な主張だとわたしは読みました。つまり——

「上に行けたかどうか」で人の価値を測る、その物差しそのものから降りていい。

あの辞退を「まだ早いから謙虚に辞めた」と読む人も多いと思うんですけど、わたしはそう思いません。

だってあの時点で彼は、自力で瓦礫を持ち上げて、単独でヴァルチャーを倒して、しかも自分を殺そうとした男を火の中から助けている。能力でも倫理でも、アベンジャーズより上と言っていい仕事をしています。

だからあれは「まだ早い」じゃなくて、「そっちには行かない」なんです。


しかも良いのは、断った直後のピーターが全然すっきりしていないことなんですよね。記者会見は用意されていて、トニーは面食らっていて、空気は気まずい。

正しい選択をした人が、直後に爽やかじゃない。 ここが撮れているから、この映画は説教になっていない。

昇進を断ることは、負けじゃないです。ただ、断った直後は必ず気まずい。その気まずさに耐えられるかどうかが、その選択が本物かどうかの試験になります。

🕯 いちばん苦いのは、彼が何も説明できないこと

最後に、この映画のいちばん苦い部分の話をさせてください。

本作は「ヒーロー映画に学園要素を足した」んじゃないと思うんです。学園映画の形式——小さく閉じた人間関係の系——を、そのまま世界の縮図として使っている。

学園映画って、加害者も被害者も明日また同じ教室にいるじゃないですか。この映画はその原理を、ヒーロー映画に適用しました。

倒すべき悪が、好きな子の父親だった。


(ジョン・ワッツ監督は撮影前、キャスト全員にジョン・ヒューズ作品を「課題」として観せていたそうです。実際、教室では『フェリスはある朝突然に』の映像が流れているし、あの裏庭ダッシュもあの映画へのオマージュ。徹底しています)

そして勝利の代償が、これです。

トゥームスは逮捕され、リズは父が収監され、オレゴンへ引っ越していく。彼女は最後にピーターへ別れを告げます。

ピーターは、なぜダンス会場から消えたのかを、永久に説明できません。

わたしはこの映画の本当の代償は、危険でも痛みでもなく、「説明できないこと」だと思っています。

マスクをかぶるって、傷つけた相手に事情を話せなくなることなんですよね。

ライミ版も「親友の父が悪役」という構図を持っていました。あちらでは、ピーターの正体を知ったノーマンはその場で死にます。当事者が退場することで、少なくともその一人との間の始末はついてしまう。

でも本作は、悪役を生かす

トゥームスは刑務所にいて、リズは生きていて、ピーターの罪悪感には期限がない。始末をつけさせてもらえないんです。これが、この映画のいちばん大人びた選択だと読みました。


そして、あのミッドクレジット。

獄中のトゥームスは、マック・ガーガンに「スパイダーマンの正体を知っているんだろう」と探りを入れられて、知らないと嘘をつきます。

理由は明示されません。でもわたしは、火の中から助けられたからだと読んでいます。

リズには何ひとつ説明できなかったピーターに対して、トゥームスだけが、説明なしで理解している。

いちばん傷つけた相手だけが、真実を知っていて、そして黙っていてくれる。この非対称な救いは、正直かなり苦い。でも人生の後始末って、だいたいこういう形でしか付かないよなあ、とも思うんです。

そして思い出してほしいんですけど、この映画は返事の来ないメッセージでできていました。留守電。書き置き。AI越しの会話。無人のスーツ。

その全部の中で、たったひとつ返事をしたのが、悪役だったんです。

それも、誰にも見られない場所で、何の見返りもなく。

返事って、見られているときにするものじゃないんだな、と思いました。

🌏 ここまで書いておいて何ですが、真逆の読みもあります

ここまでずっと「この映画は階級の話だ」と書いてきたんですけど、まったく逆の評価もちゃんとあって、しかもけっこう鋭いんです。逃げずに置いておきます。

海外のレビューサイトで5,000人以上が「いいね」を押していた、こういう批評があります。

子どもの頃スパイダーマンの原作を読んでいて、いちばん共感したのはあれだよね。ピーター・パーカーが億万長者のメンターから最新テックを渡されて、そのメンターに食い物にされた労働者階級をぶちのめすところ。(…)可愛いし面白いし演技もいい。他のMCU作品と同じくらい映像が無難で、僕の大好きなキャラクターから階級性というドラマを奪ってしまった、という点を除けばね。
(Letterboxd のユーザーレビューより・拙訳。全文が皮肉です)

これ、痛いところを突いていると思います。

原作のピーター・パーカーって、もともと貧乏な側の人間なんですよね。学費に困って、下宿代を心配して、写真を売って稼ぐ少年だった。

その彼が、億万長者から最新スーツを支給されて、リストラされたおじさんを取り締まる側に回っている。構図だけ見れば、たしかにそのとおりです。

日本のレビューサイト(Filmarks)にも似た温度の指摘があって、こちらはもっと直球でした。トニーとピーターの関係に「#ブラック企業」「#労働基準法違反」というタグを付けている人がいて、思わず笑いました。笑ったあとに、ちょっと考え込みましたけど。

わたしの答えはこうです。その批判は正しい。ただ、それをこの映画は自覚してやっている。

もし本当に階級性を消したい映画だったら、ラストはアイアン・スパイダーを受け取って終わっているはずなんです。

🎥 こんな人におすすめ/おすすめしない

おすすめしたいのは、こんな人です。

  • 「頑張ってるのに誰も見てないな」と思っている時期の人。この映画の主人公は最後まで街から感謝されません。それでも動きます

  • 上司や先輩に「気にかけてもらえない」と感じたことがある人。トニー・スタークは悪人ではないのに、ピーターを絶望的に孤独にします。あの構造に見覚えがあるはず

  • 昇進や異動を断ろうか迷っている人。断った直後の気まずさまで、ちゃんと描いてくれます

  • MCUを追いかけていなくて、いまさら入りづらいと思っている人。実はこれ、単体でほぼ完結します

逆に、おすすめしにくいのはこんな場合です。

  • 派手なヒーローアクションを浴びたい日。ビルは崩れないし、主人公は誰も殴りません

  • ヴィランには圧倒的な悪であってほしい人。この悪役、言い分がまともすぎて、たぶんモヤッとします

  • 主人公にすかっと成長してほしい人。彼はけっこう長い時間、無能で、嘘つきで、失敗します

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🕷 スパイダーマン考察シリーズ

新作が楽しみで、1作目から順番に見返しています。書けたらここに足していきます。

ほかの考察もどうぞ。


💬 あなたはどう観ましたか?

考察に正解はないと思っています。ここに書いたのは、あくまでわたしはこう読んだという一本の線です。

とくに聞いてみたいのは、ラストの辞退をどう受け取ったかです。

謙虚だと思いましたか。それとも、怖くなって逃げたと思いましたか。わたしは「そっちには行かない」と読みましたが、たぶんここがいちばん割れるところだと思っています。

あと、瓦礫のシーンで息を呑んだ人、いますよね。よかったら教えてください。
(続編『ファー・フロム・ホーム』の考察も書きました。この記事の続きになっています)

そして完結編『ノー・ウェイ・ホーム』の考察も公開しました。この記事で彼が「もらった」ものが、3作目では一つずつ返されていきます。

そして4作目、最新作『ブランド・ニュー・デイ』の考察も公開しました。3作かけて奪われ続けた男が、初めて「もらい直す」話です。

そしてシリーズ最新、アニメ版『アクロス・ザ・スパイダーバース』の考察も公開しました。キャノン・イベントの話は、この記事で書いた「昇進を断る」の続きにあたります。

そして番外編として、悪役の側から撮られた一本『クレイヴン・ザ・ハンター』の考察も公開しました。この記事で書いた「上に切り捨てられた大人」の隣に、今度は「上を継ぐことを断った息子」が並びます。

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