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スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース 考察|ラストの意味と、キャノン・イベントを唯一降りたのが超能力を持たない父だった理由


この映画、主人公が数百人のスパイダーマンに囲まれて、こう言われます。

※この記事にはアフィリエイトリンク(楽天)を含みます。

"You don't belong here. You never did."
お前はここにいるべきじゃない。最初からずっとだ」(拙訳)

全員に囲まれて、たった一人でそれを否定する。あの場面がずっと頭から離れませんでした。

ここまで実写のスパイダーマンを続けて観てきたんですが、今回はアニメのほうです。というより、これを観たあとだと実写側の見え方まで変わってしまったので、順番を飛ばして先に書きます。

前作『イントゥ・ザ・スパイダーバース』の合言葉は「誰でもマスクをかぶれる」でした。誰だってスパイダーマンになれる。だから君もなれる。あれは、間違いなく美しい話だった。

でも今作は、その裏側を見せてきます。

誰でもなれるということは、「なるべきでなかった者」を判定する誰かが必要になる、ということです。

そして、その判定係が現れる。

※こ
の記事は結末まで触れています。未見の方はご注意ください。


🎓 進路面談と、スパイダー・ソサエティは、同じ場面です

序盤に進路面談がありますよね。マイルスと両親が呼び出されて、大人たちに囲まれて座らされる。

成績はいい。可能性もある。でも「このままだと危ない」と言われる。

そして後半、彼は数百人のスパイダーマンに囲まれて、こう言われます。

力はある。仲間にもなれる。でも、お前はここにいるべきではなかった。

同じ構図なんですよ、これ。

大人が円を作って、真ん中に子どもを座らせて、「お前のためを思って言うんだけど」と切り出す。

面談室が宇宙規模になっただけです。

わたしがこの映画をいちばん怖いと思ったのは、その包囲網の側に、悪い人が一人もいないことでした。

先生も、両親も、ミゲルも、全員が善意です。全員が「この子のため、みんなのため」と思って言っている。

善意で囲まれると、逃げ場がないんですよ。

悪意なら戦えます。でも「あなたのためを思って」と言われると、反論する自分のほうが間違っている気がしてくる。

そして、この映画がうまいのは、その解毒剤を、攻撃より先に渡していることです。

物語の途中、母親のリオがマイルスに、ひとつ約束をさせる場面があります。原文はこうです。

"Wherever you go from here, you have to promise to take care of that little boy for me. (…) And he never lets anyone tell him that he doesn't belong there."
「これからどこへ行っても、あの小さい男の子の面倒を見るって、母さんに約束して。(…)そして、あの子に『お前はここにいるべきじゃない』なんて、誰にも言わせないで」(拙訳)

……この台詞、このあと起きることを全部知っていたとしか思えないんですよ。

しかも、守る相手がマイルス自身なんですよね。彼は、彼を守る係に任命されている。

そして彼はこのすぐあとに、数百人から「お前はここにいるべきじゃなかった」と言われに行く。

攻撃より先に、解毒剤が渡されている。

順番が逆だったら、彼は折れていたと思います。

🕳 スポットは、マイルスが作った敵です

悪役のスポット。全身の白い体に黒い穴がいくつも空いていて、その穴が別の場所につながっている。

彼が生まれた原因は、前作でマイルスたちが壊した粒子加速器の事故です。

つまり、こうなります。

この映画の悪役は、主人公が自分で作った。

ここ、前作からの大きな変化だと思っています。

前作『イントゥ』でマイルスを追い詰めたのはキングピンでした。死んだ家族を取り戻したい大人です。マイルスは巻き込まれた側だった。

今作はちがいます。自分の後始末を、自分でやらされる。責任を押しつける相手がいない。

巻き込まれた少年が、巻き込んだ側になっている。1本挟んだだけで、立ち位置がまるごと入れ替わっているんですよ。

そのうえ、スポットの怒りの出どころがまた効きます。彼は最初、誰にも本気で相手にされません。今週のちょっと変な奴、くらいの扱いをされて、笑われる。

あの怒りは、力の差から来ているんじゃないと思うんです。

自分がこの物語の主役として数えられていない、という扱いのほうです。

数えられなかった男が、数に入れてもらえない少年の敵になる。

この2人、扱われ方が同じなんですよ。

ちがうのは、その扱いを受け入れて怪物になったか、否定して主人公であり続けようとしたかだけで。

📖 「キャノン・イベント」とは何か

この映画のいちばん大きな仕掛けが、キャノン・イベントです。

ミゲル・オハラの説明を、わたしなりに要約するとこうなります。

  • どのスパイダーマンの人生にも、必ず起きる決まった出来事がある

  • たいてい、それは大切な人の死である

  • それを止めると、その世界そのものが壊れる

  • だから、悲劇は起こさなければならない

だからマイルスの父が死ぬのを、止めてはいけない。

これ、たしかに筋は通っています。実際、公開から3年経ったいまも「ミゲルは正しかったのでは」という議論がずっと続いています。海外の掲示板には「ミゲルは正しかった」というスレッドが立っていて、その投稿者本人がこう書いていました。

"Now ask yourself, would you risk ALL of their lives, for one person?"
「自分に聞いてみてほしい。たった一人のために、全員の命を賭けるのか?」(拙訳/Reddit・r/IntoTheSpiderverse より)

反論しにくい。ものすごく反論しにくい問いです。

でも、わたしはこの理屈には穴があると思っています。しかも、けっこう大きな穴が。

🔍 ミゲルの論証は、サンプル数1です

ここで先に、ひとつ整理させてください。

劇中でミゲルは、ムンバッタンで起きた崩壊を「マイルスがキャノンを破ったせいだ」と断定します。彼の中では、因果はもう確定している。

ただ、その因果には疑問の余地があるという指摘もあります。IGNの分析記事は、崩壊の直接の引き金になっているのは施設の崩落であり、それを起こしたのはスポットがコライダーに手を出したことだ、と読んでいます。

「破ったから壊れた」のか、「壊した奴が別にいた」のか。

どちらが正しいのかを、わたしは断定できません。ただ、画面の情報だけで一義に決まる話ではないのに、ミゲルはもう決めている。そこは引っかかりました。

そのうえで、彼の論の立て方を見てみます。

彼が「キャノンを破ると世界が壊れる」と言い切る根拠は、彼自身の体験です。

別の宇宙に、自分によく似た男がいた。その男は死んでいた。ミゲルはその席に座り、その家族と暮らした。そして、その宇宙は崩壊した。

だから彼は言う。規則を破ると、世界は壊れる。

……いや、待ってください。

それ、1回しか観測していないですよね。

しかも、彼がやったことをよく見ると、「悲劇を防いだ」のとは少しちがいます。

彼は、他人の席に座ったんです。

死んだ本人の代わりに、その人生に入り込んだ。防いだのではなく、入れ替わった

同じスレッドで、この点を的確に突いている人がいました。

"Miguel didn't disrupt a Canon event in his second universe. He replaced a version of himself. The original event still happened."
「ミゲルは2つ目の宇宙でキャノン・イベントを壊したわけじゃない。自分の別バージョンに成り代わっただけだ。元の出来事自体は起きている」(拙訳/同じスレッドのコメントより)

もうひとつ、こんな指摘もありました。

"Miguel's theory has many flaws and E42 still being around is enough to prove Miguel doesn't fully understand canon events."
「ミゲルの理論には穴が多い。アース42がまだ存在していること自体が、彼がキャノン・イベントを完全には理解していない証拠だ」(拙訳/同上)

スパイダーマンが一人もいない世界(アース42)が、消えずに存在している。

もちろん、「あの世界では誰もキャノンを破っていないんだから、消えなくて当然だ」という反論は立ちます。わたしもそう思います。

でも引っかかるのは、そこじゃないんですよ。

ミゲルが、その世界を一度も検討していないことです。自分の法則の外にある実例がひとつ転がっているのに、確かめにいっていない。

法則を主張する人が、反例を見にいかない。それはもう、法則ではなく信仰です。

そして極めつけは、ミゲル本人の態度です。

グウェンがこの点を突く場面があります。マイルスが父を救ったら本当に何が起きるのか、確証があるのか、と。海外の掲示板で、そこを引いている人がいました。

"Gwen calls this out right before she's sent home, asking if he knows for a fact what will happen if Miles saves his dad, and Miguel responds with 'Do you want to find out?'"
「グウェンは送還される直前にそこを突く。マイルスが父を救ったら本当に何が起きるのか確証があるのか、と。ミゲルの返事は『確かめてみたいのか?』だけだった」(拙訳/同じスレッドのコメントより)

証拠ではなく、脅しで答えている。

確信を持っている人は、こういう答え方をしません。

⚖️ 彼は、自分を許すために法則を作った

じゃあミゲルは嘘つきなのか、というと、そうは思いません。

わたしの読みはこうです。

彼は、自分の罪を「宇宙の法則」に格上げした。

考えてみてください。彼がやったことは、傍から見れば、死んだ他人の人生に勝手に入り込んで、その家族に愛されて、そして全部失った、という話です。

これを「わたしが間違っていました」で処理するのは、たぶん無理なんですよ。

だから彼は、こう言い換える。

「これは、自然界の法則を破ったから起きたことだ」

そうすれば、あれは個人の過ちではなく、宇宙のルール違反になる。自分の弱さの話が、物理法則の話になる。

そして同時に、彼はその法則で自分を罰し続けます。幸せになる権利を、自分から取り上げる。

……この人、悪役ではないんですよね。

先に壊れた大人です。

そういう人、たまにいます。自分がしくじった経験を「これは世の中の絶対法則だ」と言い張って、後から来た若い人にそれを強制する人。

本人は誰よりも真面目です。真面目だからこそ、自分を許せなくて、他人にも許さない。

「わたしはこれで失敗したから、お前もやるな」は、たいてい愛情の形をしています。でも、その人の失敗はその人のもので、あなたの人生の法則ではない。

👨‍👩‍👦 この映画、全員が親子の話です

気づいてしまうと、もう他の見え方ができなくなります。

  • マイルスと両親:息子が何をしているのか知らない。知らないまま「危ない」と心配している

  • グウェンと父ジョージ:父は警官で、娘を犯人として追っている

  • ミゲルと娘:もういない娘。彼が入り込んだ世界で、彼を父と呼んでくれた子

全員が「守りたかったのに守れなかった」の変奏なんですよ。

そしてこの映画は、親側の弱さも隠しません。

グウェンの父は、娘に銃を向けます。マイルスの両親は、息子を理解しないまま叱ります。ミゲルは、娘の代わりに世界を守ることに逃げます。

大人の側も、全員なにかを間違えている。

前作は「少年が父の言葉を思い出して立ち上がる話」でした。今作は、その父たちの側にも、それぞれの後悔があると見せてくる。

だから今作の親子は、どこか気まずいんですよね。台所で、みんな少しずつ嘘をついている。

🎖 キャノンから降りたのは、超能力を持たない父でした

ここが、わたしがこの映画でいちばん静かに驚いた場面です。

キャノン・イベントには型があります。劇中ではっきり示されるのは、パヴィトルの世界で起きた「シン警部の死」がその一つに指定されている、という場面です。ミゲルの台詞はこうでした。

"Inspector Singh's death was a canon event. You weren't supposed to be there. And you weren't supposed to save him."
「シン警部の死はキャノン・イベントだった。お前はあの場にいるはずじゃなかったし、彼を救うはずでもなかった」(拙訳)

シンはパヴィトルの恋人の父で、警察の上役です。そしてグウェンの父も、マイルスの父も、同じ職業で同じ位置にいる。

バッジが、死亡フラグとして機能している。

しかもミゲルは、日付まで言い切ります。

"In two days. When he's sworn in."
「2日後だ。あいつが宣誓する日に」(拙訳)

昇進の日が、命日として予告される。

では、この運命に対して、誰かが何かできたのか。

できた人が一人だけいます。

グウェンの父ジョージです。

娘が正体を明かし、逮捕される覚悟で目の前に立っている。そこで彼が言うのが、これです。

"I can't... Because I quit."
「できない。……もう辞めたからだ」(拙訳)

いつ辞めたのかと聞かれて、彼はこう答えます。君の長い演説の、だいたい途中で。

これ、答えとしてものすごく静かで、そしてものすごく大きいと思うんです。

ミゲルたちは、「出来事は変えられない」という前提で議論していました。

でもジョージがやったのは、出来事を変えることじゃないんですよ。

その出来事に出演するのを、やめただけです。

キャノン・イベントが要求していたのは「隊長が死ぬこと」でした。ジョージは死を回避したのではなく、隊長でいることをやめた。台本のほうは変えず、配役表のほうを書き換えている。

超能力もない。多元宇宙の知識もない。ウォッチも持っていない。それでも、自分が誰としてそこに立つかは、彼の管轄だった。

🎨 いちばん多様な集団の画が、いちばん均質でした

この映画、世界ごとに絵柄が変わります。

グウェンの世界は水彩で、感情が動くと空の色ごと変わる。ムンバッタンは色と模様が氾濫している。ホビーの世界はコラージュで、線が定規を無視している。

画がそのまま内面なんですよ。台詞で説明しないで、絵の描き方で語ってくる。

で、ここからが本題です。

数百人のスパイダーマンが集まるスパイダー・ソサエティの本部の画が、この映画でいちばん退屈です。

いろんな種族、いろんな時代、いろんな体型のスパイダーマンが何百人もいるのに、画としては均質なんですよね。同じ空間、同じ照明、同じ規則。

これ、意図的だと思います。

多様性の見本市が、いちばん均質な場所として描かれている。

これ、わたしだけの深読みでもないみたいです。英語版Wikipediaのビジュアル解説では、スパイダー・ソサエティ本部のデザインが「権威主義的(authoritarian)・ブルータリズム・ミニマリズム」と要約されています。

つまり、あの場所は最初から「役所」の顔で設計されている。

「いろんな人がいます」と言いながら、実は全員が同じルールに従っている組織。……見覚えのある光景です。

前作の合言葉は「誰でもマスクをかぶれる」でした。今作が見せているのは、その合言葉が組織になったあとの姿です。会員制になった瞬間、審査が生まれる。認定が生まれる。ウォッチが配られて、システムに登録される。

「誰でもなれる」は、規模を持った瞬間に「資格」に変わる。

そして、その規則から明確に外れている人物が一人いる。

ホビー(スパイダー・パンク)です。彼だけは画面の作り方が違って、フレームレートも配色も本人だけ勝手に動く。

そして彼だけが、組織にいながら組織を信じていない

画の自由さと、精神の自由さが、完全に一致している。芸が細かいです。

そして、この「誰でもマスクをかぶれる」が実際に誰かに届いた例も、ちゃんとあります。

本部の群衆の中に、松葉杖と車椅子で戦うスパイダーマン(サン・スパイダー)がいるんですが、同じ疾患の当事者コミュニティで、この登場が大きな反響になっていました。「バケツいっぱい泣いた」という書き込みまである。

背景に数秒いるだけのキャラクターです。でも、画面の中に自分と同じ体の人がいるかどうかは、ずっと待っていた人にとっては数秒でも決定的なんですよね。

🌏 逃げた先が、別の筋書きだった

ラスト。

マイルスは全員を振り切って、自分の世界に帰ります。父を救うために。

そして、帰り着いた場所が自分の世界ではなかった。

そこはアース42。彼を噛んだ蜘蛛が本来いた世界で、スパイダーマンが一人もいない世界です。荒れ果てている。父はもういない。

そして、その世界のマイルス・モラレスは——プラウラーになっている。

ここ、構造がめちゃくちゃ怖いんですよ。

筋書きから逃げようとして走り出したら、走り込んだ先が別の筋書きだった。

これ、ギリシャ悲劇の型そのものです。予言から逃げた行動が、予言を成立させてしまう、あの形。

しかも、この世界が示しているのは残酷な事実です。

マイルスが「本来いるはずだった世界」には、スパイダーマンがいない。

彼がいなくなった穴は、埋まらなかった。そして、その世界の自分は、悪の側にいる。

「お前は間違いだ」と言われ続けた少年が、たどり着いた先で、間違えた自分に会わされる。

そして抗った結果、いちばん抗えない場所に落ちたところで、「To be continued」。

……そりゃ怒られますよ、この終わり方は。

日本のレビューにも、こういう声がありました。

「それにしたって、あの終わり方はないと思う。ネタバレにならないギリギリの表現で言うなら『バックトゥザフューチャーpartⅡ』を見にいった時の気持ちに近い」(映画.com のユーザーレビューより・★2.5/2024年3月)

BTTF2。分かりすぎます。

ただ、落ちる直前に彼が言い切る台詞が、この映画の全部だと思っています。

"Everyone keeps telling me how my story is supposed to go! Nah... I'mma do my own thing."
「みんな、僕の物語がどう進むべきかを教えてくる。……いや。僕は僕のやり方でやる」(拙訳)

数百人に囲まれて「お前は最初からここにいるべきじゃなかった」と言われた少年が、最後に出した答えがこれです。

論破ではありません。宣言です。

証拠も勝ち目もない。ただ「僕の話は僕が決める」と言っただけ。

でも、母親から先に渡されていた言葉と、ここでぴったり噛み合うんですよ。誰にも、お前はここにいるべきじゃないなんて言わせるな。

🤔 とはいえ、ミゲルが正しい可能性もあります

ここまでミゲルの論理の穴を突いてきましたが、彼が正しい可能性も、正直に書いておきます。

だって、彼の言い分はこうです。

たった一人を救うために、何十億人を賭けるのか。

もしマイルスが父を救って、そのせいで本当に世界が消えたら、責任を取れる人はいません。取り返しがつかないことに賭けるなというのは、大人としてまったく正しい。

海外の掲示板でも、こんな指摘がありました。

"Miguel is right, but to think he can stop people from trying to save their loved ones is ridiculous."
ミゲルは正しい。でも、大切な人を救おうとする人間を止められると考えるのは、ばかげている」(拙訳/同じスレッドのコメントより)

これがいちばん公平な結論だと思います。

論理としては、たぶんミゲルのほうが強い。でも人間は、論理が強いほうを選べない生き物です。

自分の父親が死ぬと分かっていて、「世界のために見殺しにします」と言える高校生がいたら、その子はもうヒーローではないと思うんですよ。

それに、スパイダーマンという物語の根っこは、ずっと「助けられなかった」の話でした。目の前で失った経験が、彼らを動かしている。

その物語が「今回は助けるな」と言い出したら、それはもうスパイダーマンではない。

だからこの映画は、論理が正しくても、選ばないことがあるという話なんだと、わたしは読みました。

📽 3年経っても続きが来ない、という現実

正直に書きます。この映画、いま観ると別の重みがあります。

続編『ビヨンド・ザ・スパイダーバース』は、当初2024年3月公開予定でした。それが延期を重ねて、いまのところ2027年です。

日本のレビューにも、こんな声が出ています。

「全編かっこよかったです。けれど、話を膨らませすぎて方向性が迷走しそうな終わり方でもありました。3作目の製作も滞っていると聞きます。クオリティが高かったゆえに、心配な作品でもあると思いました」(映画.com のユーザーレビューより・★3.5/2026年3月)

褒めたうえで心配している。この温度が、いまの空気だと思います。

海外の掲示板には、こんな一言もありました。

"Ngl im just ready for the movie to be out and Miguel to inevitably be proven wrong."
「正直、映画が早く出てミゲルが間違ってたって証明されるのを待ちわびてる」(拙訳/Reddit・r/Spiderman のスレッドより)

待たされているあいだ、みんな仮説を握ったまま止まっている。

制作現場の労働環境については、当時から報道がありました。1000人規模のアニメーターが動員され、100人以上が離脱したと伝えられています。

あの画は、そういう場所で作られていた。

だから、この映画の「決められた筋書きに逆らう話」を、いま観ると二重に見えるんですよ。

続編を待つ側も、いま「決められた予定」に振り回されている。

🎥 こんな人におすすめ/おすすめしない

おすすめ

  • 前作を「元気が出る映画」として観た人(今作は、その元気の値段を請求してきます)

  • 組織の中で「お前はここにいるべきじゃない」と匂わされた経験がある人

  • 「あなたのため」という言葉に、うまく反論できなかったことがある人

  • アニメーションを「絵の作り方そのものが語る」ものとして観たい人(この映画は語彙が異常です)

おすすめしない

  • 1本で話が終わってほしい人。終わりません。本当に途中で終わります

  • 前作を観ていない人。今作は前作の答え合わせでできています

  • 主人公が正しく勝つ話が好きな人。今作のマイルスは、走って、走って、間違った場所に着きます

  • 続きをすぐ観たい人。2027年です

(2026年7月現在、Prime Video・Disney+ の見放題で配信されています)

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🕷 スパイダーマン考察シリーズ

1作目から順番に見返しながら書いています。書けたら、ここに足していきます。


📚 あとよみの他の考察

ほかの映画の考察も書いています。


💬 あなたはどう観ましたか?

わたしはこの映画を、「大きくなった善意と、たった一人で戦う話」として読みました。

でも、まだ答えの出ていない問いがあります。

もしあなたがマイルスだったら、父を救いますか。

世界が消えるかもしれない。証拠はない。脅されているだけかもしれない。でも、確かめる方法もない。

わたしは……たぶん、救いにいくと思います。そして、それが正しいとは言えません。

正しくないと分かっていて、それでも選ぶことがある。この映画が描いているのは、そこだと思っています。

あなたはどう観ましたか。

ミゲルは正しかったと思いますか。それとも、ただ先に壊れた大人だと思いますか。

コメントで教えてもらえたら嬉しいです。全部読んでいます。

そしてもう一本、この記事で書いた「配役表のほうを書き換える」の、いちばん極端な例の考察も公開しました。『クレイヴン・ザ・ハンター』——原作では宿敵という配役が決まっている男が、相手役のいない映画に一人で立たされています。

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