スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ 考察|ラストの意味は「マスクを譲ること」。奪われ続けた男が、初めてもらい直す日
第1話の1カット目の、その続きが来ました。
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前回の記事の終わりのほうで、わたしはこう書きました。『ノー・ウェイ・ホーム』のあのラストを「続編の終わり」だとは思っていません、やっと始まった第1話の、1カット目です、と。
その第2カット目です。
そして今回、いちばん強く残ったのはここでした。
この映画のラスト、スパイダーマンのマスクを被っているのは、ピーター・パーカーではありません。
先に結末まで全部書きます。まだ観ていない方は、観たあとに戻ってきてください。
日本では2026年7月31日(金)、北米と同日公開。上映時間145分、映倫区分はG、全国365館という国内最大級の規模です。
予告編を貼っておきます。これだけでも、前3作と空気がまるで違うことは伝わると思います。
🕸 前の3作は「暴かれる話」でした。これは、譲る話です
まず、シリーズを並べます。ここが今回の背骨です。
『ホームカミング』は、スーツを取り上げられる話でした。『ファー・フロム・ホーム』は、帰り着いたのに、帰る場所のほうが消えていく話。ちゃんとニューヨークに帰ってきて、そのうえで最後の30秒で家を失う。引き金は、ミステリオが遺した映像が彼の名前と顔を全世界に流したことでした。
そして『ノー・ウェイ・ホーム』は、全部返す話。進学先、住所、育ての親、恋人、親友、そして名前。わたしはあれを「同窓会の形をした葬式」だと書きました。
3作に共通しているのは、マスクの下が問題になっていることです。奪われる。暴かれる。晒される。方向はすべて「ピーターから外へ」でした。

本作のラストで、その向きが初めて逆になります。
病室の窓で、スパイダーマンのマスクを被って群衆に手を振っているのは、ピーターではありません。フランク・キャッスルです。そしてその群衆の中を、ピーターが私服で歩いていく。
ここ、ずるいと思った。
同じ「マスクの下に別人がいる」という状況が、3作分の呪いから、最後の一回だけ贈り物に変わるんですよ。
なぜそれが成立するのか。順に書いていきます。
📕 原作の「ブランド・ニュー・デイ」は、全部失った翌朝の話です
タイトルの意味を先に片づけます。ここを知っているかどうかで、見え方が変わります。
原作コミックの『Brand New Day』は2008年に始まったアークですが、その直前に『One More Day』という悪名高い一編があります。
そこでピーターは悪魔メフィストと取引をする。メフィストが求めたのは魂ではなく、ピーターとメアリー・ジェーンの結婚の歴史でした。二人はそれに応じ、世界中からピーターの正体の記憶が消えます。そして物語は、集まった人々が「a Brand New Day(新しい一日)」に乾杯する場面で終わる。
つまり原作の「新しい一日」は、祝杯の言葉であると同時に、失ったものの上に立っている朝なんですよね。
映画はここをほぼそのまま引き受けています。ただし忘却の質が違う。原作で消えるのは「マスクの下の顔」の記憶。映画で消えるのは、ピーター・パーカーという人間の存在そのものです。差し出した理由も、原作は「メイを救うため」、映画は「MJとネッドの人生を救うため」でした。
そして原作が「さあ仕切り直しだ」の乾杯で始まるのに対して、映画はその仕切り直しから何年も経って、消耗しきった地点から始まります。
新しい一日って、始まった瞬間より、それが何日も続いたあとのほうがきついんですよね。
🎼 この映画は、テーマ曲から音が抜けています
この映画でまず語られるべきなのは、映像ではなく音のほうだと思います。
作曲はマイケル・ジアッキーノ。『ホームカミング』から4作連続です。つまり、わたしたちが3作かけて覚えたあのテーマの作者本人が、そのまま担当している。
ところが、鳴らない。正確には、鳴るんだけど、音が足りない。
本人が狙いを語っています。
"What if we just start removing all the extraneous notes from his theme in the way that could represent pulling away all the pieces of his life that he doesn't have anymore?"
(マイケル・ジアッキーノが監督への提案として語ったもの。出典:サンディエゴ・コミコンのパネル「Musical Anatomy of a Superhero」/Den of Geek、Yahoo Entertainment)
同じ場で彼はこうも言っています。「悲しいスパイダーマン映画を作りたかった。誰もが悲しいスパイダーマンを見たいはずだ、私たちはみんな悲しいから、一緒に悲しめる、それは素晴らしいことだ」。
この映画は、テーマ曲まで喪失している。

冒頭のしばらくは、季節をまたぐモンタージュです。ブーメラン、タランチュラ、ランロッド、スコーピオン、トゥームストーン。
ここ、勘違いされやすいところだと思うんですが、彼は不遇ではありません。スパイダーマンは街の英雄として、ちゃんと讃えられている。市長から市の鍵まで贈られる。
それでも彼は一人なんですよ。感謝はぜんぶ「スパイダーマン」に届いて、「ピーター・パーカー」を知っている人が一人もいないから。
NYPDのジーン・デウォルフ刑事が、この期間を一言でまとめます。"Do you do anything besides work?"(拙訳:あなた、仕事以外に何かしてるの?/海外の台詞まとめサイトによる採録で、細部は未確認です)。
それを4年間。(英語版の資料では前作から「4年後」とされています。5年後・9か月後とする記述も一部にありますが、本稿では4年で通します)
この映画の敵は、最初から人ではありません。持続なんです。
🩸 心の代償が、身体の症状になって出てくる
そのバランスが崩れる引き金は、戦闘ではありません。MITを卒業したMJとネッドが、ニューヨークに帰ってくることです。
シリーズを追ってきた人には、ここがかなり効きます。前作のラストで、ピーターは進学を諦めて高卒認定の勉強を始めました。彼が手放した未来が、他人の卒業という形で目の前に戻ってくるんですよ。
しかも二人は彼を認識しない。そしてMJには、新しい恋人がいます。クレジット上、その男に名前はありません。「The Boyfriend」とだけ表記される。
パーティーで、ピーターは二人のキスを目撃します。
同窓会に呼ばれて行ったら、卒業アルバムから自分の写真だけが抜かれていた、みたいな話です。しかも誰もそれを不自然だと思っていない。

その翌朝から、彼の身体が壊れ始めます。感覚が過敏になる。目が完全に黒くなる。一時的に自制がきかず、攻撃的になる。そして——手首から、有機ウェブが出る。
トビー・マグワイア版と同じ仕様です。『ノー・ウェイ・ホーム』で共演した、あのピーターと同じ。
ここでシリーズの対応が一つ決まります。前作の最後で、彼は機械式のウェブシューターを自作し、手縫いのスーツを着ました。道具をゼロから作り直した。
本作では、道具が要らなくなる。身体そのものが道具になる。
一見すると強化ですが、中身は逆で、これは症状です。彼はこのあと、憑依された犯罪者マック・ガーガンを追い詰めた際、明らかにピーターらしくない暴力で相手を昏倒させ、駆けつけた警官に重傷を負わせます。
孤独が、DNAの側から出てくる。
『ホームカミング』では、彼の未熟さは「スーツを取り上げる」という外側の処置で示されました。本作では、処置する対象が自分の身体です。
=スーツを「取り上げられる」話として読んだ第1作。今回は、そのスーツが要らなくなります。
彼はこの暴走を止めるため、ブルース・バナーのもとを訪ねます。ハルクを抑えている抑制装置——インヒビターの話を聞くために。バナーは当然、彼を覚えていません。
そしてピーターは、その助言をもとに自分用のインヒビターを自作します。さらに、テレパスの能力そのものを封じる2つ目も作り始める。この「彼が自分で抑制装置を作った」という一点、あとでかなり重く効いてきます。
✉️ 名乗って、打ち明けて、それでも返ってきたのは「あなたを知らない」
中盤、屋上でひとつの場面があります。
MJが、スパイダーマンのマスクを外してキスをする。記憶が戻ったように見える。
戻っていません。憑依です。マスクを外させて素顔を見たのは、MJではなくテレパスのほうでした。しかもそのあと、彼女はMJをビルから歩いて落とす。
海外のファンはこれを "fake out" と呼んでいました。感動的な場面に見せかけておいて、実は操作だったと判明する演出。この映画でいちばん意地の悪い数十秒だと思います。
そして重要なのは、MJ本人は憑依されている間のことを何も覚えていないことです。つまりこの時点で、彼女はまだ何も知らない。
彼女が知るのは、もう少しあとになります。身を隠すために連れて行かれたフランク・キャッスルの隠れ家で、MJがあの手紙を見つけてしまう。何年も前にピーターが書いて、渡されなかった手紙です。魔法で記憶が消されたことを説明した手紙。
見つかった以上、彼はもう認めるしかありません。

ここで思い出してほしいのが、前作のラストです。
ダイナーで、ピーターはMJの前に立ち、"My name is Peter Parker. And I… would like a coffee. Please." と名乗ります。
わたしはあの場面を、「名乗ったのに、打ち明けなかった」と書きました。彼は名前だけ置いて、店を出た。
本作は、そこでやらなかったことを全部やります。打ち明ける。手紙のことも認める。そして愛を告白する。
"You mean everything to me, and I've been trying to live my life without you but I can't. I love you."
"I don't know you." / "I really am sorry, Peter."
(出典:海外の台詞まとめサイトによる採録。細部は未確認で、日本語字幕の訳とは異なる可能性があります)
手紙を読んでも、記憶は戻りません。彼女の中にあるのは、スパイダーマンに何度も助けられた記憶だけ。ピーター・パーカーという人間の記憶は、空白のままです。
やらなかった選択を、何年も遅れてやってみた。そして駄目だった。
続編としてかなり誠実な設計だと思うんですよ。いちばん簡単なのは「手紙を読んで記憶が戻る」なんですから。
海外の観客も、そこを評価していました。
"I really appreciate how they didn't just instantly undo the end of No Way Home."
(出典:Reddit r/marvelstudios の公開記念スレッド、ユーザー u/csqur の投稿より。353ポイント)
そしてもう一つ重要なのは、この映画が復縁を選ばなかったことです。
MJは、彼女なりの筋の通った理由で、できるかぎり優しく断ります。ピーターはそれを受け入れて、手放す。そのうえで彼女のアパートに招かれ、MJとネッドと時間を過ごす。恋人としてではなく、はじめましての知人として。
「もらい直す」のは、恋人ではないんですよね。それが何かは、いちばん最後に書きます。
=「全部返す話」として読んだ前作。ダイナーで彼が名乗ったのに、打ち明けなかった理由も、そこに書きました。
🧠 忘れられた男のもとに、他人の記憶に入れる少女が来る
さて、セイディー・シンクです。
公開まで役柄が伏せられ続け、プレミアのレッドカーペットで、劇中に楽曲を提供したミュージシャンのスティーヴ・レイシーがうっかり漏らしてしまう騒ぎまで起きた、あの役。
正体は、ジーン・グレイでした。X-MENのジーン・グレイが、実写のMCUに初めて登場します。
念力とテレパシー、そして他人に憑依する能力を持つミュータント。中盤に入るまで、彼女は顔の見えない敵として描かれます。人から人へ体を渡り歩き、DODC(ダメージ・コントロール局)を繰り返し襲撃する何者か、として。

ここに、この映画のいちばん美しい対があると思うんです。
世界の記憶から消された男のところに、他人の記憶の中に入っていける少女が来る。
ピーターから見れば、彼女は「自分に起きたことの逆」を持った存在です。ドクター・ストレンジという他人の力が、彼の記憶を世界から消した。今度はジーン・グレイという他人の力が、彼の記憶を他人に見せる。同じ超能力の、逆向きの使用なんですよね。
そして彼女もまた、失った側の人間です。姉のサラ・グレイ。同じ能力を持つミュータントで、DODCに拉致され、拘束下で死にました。
家族を奪われて世界を憎むようになった少女と、世界に忘れられて誰も憎めなかった男。
これは鏡像です。もしピーターが受容されずに育っていたら、彼女になっていた。
海外のファンが拾っていたディテールで唸ったのが、これでした。ジーンは去り際に、姉サラの緑と黄色のヘアバンドを持っていく。ジーン・グレイの初代コスチューム(マーベル・ガール)の色です(Reddit r/marvelstudios、u/AlpineSummit の投稿より。297ポイント)。姉の遺品の色が、そのまま彼女のヒーローとしての色になる。台詞ゼロで、これをやる。
もう一つ、Redditで大きく伸びていた指摘があります。ピーターが最初のミュータント抑制装置(inhibitor)を作ってしまった、というものです。今後のミュータント弾圧——首輪の時代への道を、スパイダーマンが自分の手で開いたことになるじゃないか、と。(r/marvelstudios の公開記念スレッドで、複数のユーザーが挙げていた読みです)
これはファンの読みで、映画が明示しているわけではありません。ただ、指摘としては相当に鋭い。善意で作った道具が、次の時代の抑圧装置になる。
そのジーンが、中盤でブルース・バナーに憑依し、DODCの金庫室をこじ開けるためにハルクを使います(実際に金庫室を吹き飛ばすのは、同じく憑依されたフランクの爆薬です)。解放されたあと、バナーは激昂してサベージ・ハルクへ退行する。"No Banner. Only Hulk."(拙訳:バナーはいない。ハルクだけだ/この台詞も海外の台詞まとめサイトによる採録で、聞き取りに表記の揺れがあります)。『エンドゲーム』以降のスマート・ハルクが終わり、『インフィニティ・ウォー』以来の暴走形態が戻ってきます。
その直後に、この映画で二番目に残酷な瞬間が来ます。
ハルクがピーターの喉を掴んだとき、スパイダーマンは自分から正体を明かすんです。(この一言、海外の記事によって "It's me, Peter" / "It's him, Peter" / "It's Peter" と表記が割れており、正確な原文は確定していません)
なぜハルクが手を放したのかは、実は記事によって書き方が分かれています。正体を明かしたからだとするものと、「友達だ」と呼びかけられて我に返ったからだとするもの。わたしはここ、どちらでも同じことだと思っています。名前でも関係でも、ピーター・パーカーとして呼ばれたという一点は変わらないので。
バナーは少し前に大学で彼と会い、そして覚えていない。なのに、ハルクは手を放す。
つまり、理性が忘れているのに、その下の層が覚えている。
『ノー・ウェイ・ホーム』で喪失の頂点は、ハッピー・ホーガンが彼を覚えていない場面でした。本作はその裏返しをやる。忘却が届いていない場所がある。
この仕掛けは映画のいちばん最後でもう一度使われるので、覚えておいてください。
🚢 家族を失った男と、世界から忘れられた男
この映画のもう一本の柱は、フランク・キャッスルです。
MJを守るため、ピーターは彼の隠れ家に彼女を連れて行きます。工業用バージを改造したハウスボート、「ゴールデン・ガール」。

この二人の関係が、観客反応でいちばん盛り上がった部分でした。Redditのスレッド最上位は「映画を通してのスパイダーマンとパニッシャーの軽口と言い合いは、Aプラスだった」(u/lyndsayj、1,599ポイント)。トム・ホランド本人も、当初は互いを嫌い合う関係として始まり、アドリブを重ねるうちに「兄と弟のような競争関係」になったと語っています。
チリを作って振る舞い、そのくせ「チリに触るな」と怒る男。よその家に泊まったときの、謎に厳格なローカルルール感がすごい。
でも、笑っている場合ではないんです。
フランク・キャッスルは、家族を殺されて、人間そのものを見放した男です。
そこに、世界から忘れられた男が来る。片方は失った相手の顔を覚えている。もう片方は、誰にも顔を覚えられていない。喪失の形が、ちょうど反対なんですよね。
だから彼らは、互いの穴を埋められない。埋められないまま、隣にいる。
観客が刺さったと言っていたのは、そこでした。
"I wasn't expecting to be so moved by Frank's admiration being earned by Peter."
(出典:Reddit r/marvelstudios、ユーザー u/PeterParker72 の投稿より。291ポイント)
"earned" という言葉が使われているのがいいと思うんです。与えられたのではなく、稼いだ。
この映画のピーターは、何年も、誰からも何も与えられていません。だからこそ、稼いだ一つが重い。
🔤 「V-Max」の正体は、掠れた文字でした
物語の謎として引っ張られるのが、「V-Max」という単語です。
ジーンが繰り返しDODCを襲い、探し続けているもの。イエレナ・ベロワが情報をくれ(ちなみに彼女の拠点はロシア式バスハウスで、ここでピーターはスーツを脱がされ、マスクだけ残ります。銭湯でマスクだけ着けている画、冷静に考えるとかなり異常です)、DODC長官のビル・メッツガーに問い質しても、答えは同じ。それが何なのかは自分も知らない——と突っぱねられる。
観客は当然、嘘だと思います。実際、彼は隠しています。姉サラの拉致も、実験も、死も。
でも、V-Maxについてだけは、本当に知らなかった。
真相はこうです。V-Maxは、死ぬ直前のサラが妹にテレパシーで送ったものでした。そしてジーンは、自分が同じ独房に閉じ込められて初めて、その正体に気づく。
天井の空調ダクトのラベルの、掠れた文字。
(細部としては、ラベルは "VENTMAX" で "ENT" が剥がれて "V MAX" に見えていた、という読み取りがあります。ただしこれは、一つの媒体だけが書いている細部です)
つまり、姉が最期に見ていたものです。

ここが、この映画でいちばんこたえました。
メッセージじゃなかったんですよ。
妹は何年も、それを手がかりだと思って追い続けた。組織を襲い、人に憑依し、人生を全部そこに賭けた。その正体が、姉が死ぬ間際にたまたま視界に入っていただけの文字かもしれない。
(このメッセージに脱出経路を伝える意図があったのか、単なる残像だったのかは、資料によって解釈が割れています。断定はできません)
Redditで、この仕掛けを "brilliant and sad"(拙訳:見事で、悲しい)とひとことで表していた投稿がありました(u/Fire_Otter、1,009ポイント)。
遺言だと思って握りしめていたものが、遺言ではなかった。
でも、それを握りしめていた時間のほうは、本物なんですよね。
ちなみにピーターが長官の嘘に気づくきっかけは、MJの何気ない一言です。「憑依されている間のことは何も覚えていない」。それを聞いて、憑依で情報を得たという説明が成立しないと分かる。この映画の探偵役は、彼の頭脳ではなく他人の雑談でした。
🤍 決着がついたのは、殴り合いではなく、頭の中のメイの部屋でした
激昂したジーンの力が増大し、ニューヨークがほぼ丸ごと止まります。その中に入っていけるのは、彼女の能力に耐性のあるピーターだけ(フランクは射程の外にいます。これがあとで効いてきます)。
彼はDODCに突入し、ジーンが憑依させた大量の「ザ・ハンド」の忍者に囲まれます。そこで何をするかというと、自分でインヒビターを外すんですよ。抑えていた変異を、自分から受け入れる。
でも、この映画のクライマックスはそこではありません。
ピーターは、自分の心をジーンに読ませます。
そこにあったのは、彼の能力を知って、それでも彼を受け入れたメイおばさんの記憶でした。

"Because you're special, people can do dark, monstrous things to you… We love you, not because you're special, but because you're you."
(出典:海外での採録による。日本語字幕の訳とは異なる可能性があります)
観客が泣いた場面のリストがRedditに上がっていて、そこに挙がっていたのがこれです。「ピーターの頭の中で、メイおばさんがジーンと話す」(u/dj88masterchief の投稿より、248ポイント)。
『ノー・ウェイ・ホーム』でメイが遺した言葉は、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」でした。あれは責任の言葉です。
本作でジーンに届くのは、責任ではなく、無条件の受容の言葉です。しかも本人ではなく、赤の他人の少女に届く。
亡くなった人の言葉って、たいてい遺された家族の中だけで回るじゃないですか。この映画は、それを一度、外へ出す。継承された言葉が、もう一度誰かに継承される。
そして二人は、互いの死者について謝り合います。「君のお姉さんのこと、気の毒に思う」「あなたのおばさんのこと、気の毒に思う」(この応酬も採録ベースなので、実際の言い回しとは違うかもしれません)。
批評家の中には、これをクライマックスの弱さと取った人もいます。「第3幕でジーン・グレイが映画を乗っ取る」という指摘は、複数の媒体で共通していました。
わたしは逆だと思っています。殴って解決しなかったことが、この映画のいちばんの主張です。
🔫 3作かけて奪われ続けた男が、最後は銃弾を自分から取りに行きます
ジーンが怒りを手放しかけた、その瞬間です。
射程の外にいたフランク・キャッスルが、引き金を引きます。狙いはジーン。彼にしてみれば、街を丸ごと止めた化け物を仕留めるだけの話です。
そして、ピーターは撃たれます。

ここ、誤解されやすいので順番を書いておきます。彼は流れ弾に当たったのではありません。
過敏になった感覚が飛んでくる弾を先に捉えて、彼はジーンをどかし、自分でその弾を受けに行きます。
英語の記事に "accidentally shoots Peter" と書かれているのは、「フランクにはピーターを撃つつもりがなかった」という意味であって、「ピーターが偶然当たった」という意味ではありません。当てたほうは事故、受けたほうは意志。この二つは同時に成立しています。
で、ここが本作の背骨だと思うんですよ。
3作かけて、彼はずっと取り上げられ、差し出す側でした。スーツを取り上げられ、名前を晒され、最後は存在ごと返した。
そのうえで、この映画で彼は——銃弾すら、自分から取りに行く。
「返す話」の、完成形です。
正直に言うと、しんどい。
これは前作ラストの反復でもあります。彼は「みんなのため」に自分の存在を消してもらい、今度は「彼女のため」に体を投げ出す。同じ人が、同じことを、また一人で決めている。しかも今回は、頼れる相手がもういたのに。
ちなみにこの構図——パニッシャーが、負傷したスパイダーマンを抱えて救急に運び込む——は、原作『Civil War』#5のコマの再現だという指摘があります。
そして、ここからが本作の核心です。
ジーンが、ピーターの精神に入り込んで、彼を生かし続けます。海外の記事はこれを「精神の人工呼吸器」と表現していました。
この映画で初めて、彼は誰かに返してもらいます。しかも返してくれるのは、家族でも恋人でも師匠でもない。さっきまで敵として撃ち合っていた、他人の少女です。
差し出しっぱなしだった人の口座に、初めて入金がある。そういう場面です。
🎭 病室の窓で手を振っていたのは、パニッシャーでした
そして冒頭に書いた場面に戻ります。
ピーターは病院で目を覚まし、隣にフランク・キャッスルがいる。フランクは、ピーターが危篤だった間ずっと、ジーンが彼を生かし続けてくれていたことを説明し、そのうえで自分の行為を謝ります。そして、こう言ったとされています。
海外の台詞まとめサイトには、このとき彼が「思っていたとおりの顔だな」という趣旨のことを言った、という採録があります(独立した裏は取れていないので、言い回しは違うかもしれません)。裏が取れているのは、フランクが自分の行為を悔いていること、そして二人が互いを友人だと認めることまでです。
それでも、この順番が効くんですよ。人間そのものを見放していた男が、マスクの下を見て、まず相手の顔の話をする。
外には群衆がいます。スパイダーマンの無事を確かめようと集まった人たち。このままでは、ピーターは病室から出られません。
だからフランクは、スパイダーマンのマスクとグローブを着けて、窓から手を振ります。

海外の記事は、この場面のフランクをこう書いていました。ピーターが静かに退出できるようマスクを被るが、彼がどれほど愛されているかを目の当たりにして、明らかに感情を抑えきれずにいる、と。
家族を殺されて世界を見限った男が、他人の代わりに歓声を浴びて、こらえきれなくなっている。
そして、その群衆の中を、ピーターが私服で歩いていきます。
ここが本作のラストの意味だと、わたしは思っています。
3作かけて、彼のマスクは「剥がされるもの」でした。ミステリオが剥がし、世界が覗き込み、最後は魔法で顔ごと消された。
その同じマスクが、初めて「自分から他人に譲り渡せるもの」になる。
しかも譲り渡した結果、彼に何が起きるか。自分が守ってきた街の人たちが、自分の心配をして集まっているところを、当事者ではない場所から見るんです。
自分の葬式に紛れ込むのと、ちょっと似ています。ただしこちらは生きているほうの葬式で、誰も泣いていない。みんな安心して笑っている。
世界中が彼を忘れた映画の最後で、彼は初めて「スパイダーマンに見られないまま」人混みを歩く。
そして群衆の中でただ一人、スパイダーマンのコスチュームを着た子どもが彼に気づいて、ウェブを撃つハンドサインを送る。ピーターも返す。(この細部に触れているのは、一部の記事だけです)
🤝 身体のほうが、先に思い出す
最後の場面です。
街角のボデガで、ピーターはネッドに再会します。ネッドにとって彼は、いつかのパーティーに来ていた「花を持ってきた人」でしかない。
そこでピーターは、自分から名乗ります。前作のダイナーで、彼は名前だけ言って打ち明けなかった。その続きが、ここでようやく来ます。
そして握手をしようと手を出した瞬間——
二人は、打ち合わせもなく『ホームカミング』以来の「秘密の握手」を、完璧にやってのけます。

ここでハルク戦の仕掛けが効いてきます。理性は忘れている。でも、その下の層が覚えている。
魔法は記憶を消しました。でも、何百回も繰り返して身体に入ったものまでは消せていない。
自転車って、10年乗らなくても乗れますよね。頭は乗り方を説明できないのに、跨った瞬間に足が回る。
忘却を破ったのは、言葉でも魔法でもなく、身体でした。
そしてネッドの顔に、認識の光が走ります。
※この台詞、資料によって表記が割れています。以下の両方が出回っています。
ここ、正直どちらでもいいと思っているんです。
疑問形なら、まだ戻っていない。名前が喉まで来ているだけ。感嘆形なら、戻っている。何年分かが一気に。
でも、どちらであっても、ピーターの側に起きたことは同じです。何年も誰にも呼ばれなかった名前を、他人の口から呼ばれた。
彼が最後にもらい直したのは、恋人でも、家族でも、名誉でもありません。自分の名前です。
だからこのタイトルは正しいと思います。全部失った翌朝から始まって、名前を一つ取り戻すところで終わる。
それは劇的な回復ではなくて、ただの一日の始まりなんですよね。
🌌 それでも最後に、映画は宇宙へ行ってしまう
ここまで褒めてきたので、割れているところも正直に書きます。
Rotten Tomatoesの批評家スコアは90%(307件・Certified Fresh)、観客スコアは98%(検証済み1万件以上)。Metacriticは66、CinemaScoreはA。興行は、プレビュー興行が7,200万ドルで『エンドゲーム』を超える歴代最高。公開初日の1億6,700万〜1億7,300万ドルという数字は、現時点ではDeadlineが報じた見込み値で、週末3日間とあわせてまだ確定していません。
そしてここが面白いところで、批評家90%はトム・ホランド版4作の中でいちばん低い水準(『ファー・フロム・ホーム』と並びます)で、観客98%は4作でいちばん高いんです。ただしForbesは、観客スコアの母数が他の3作に比べてまだ少ない段階の数字であることを明記していました。公開直後の熱心な層に偏っている可能性はあります。
で、このねじれの中身が、きれいに分かれているんですよ。
批評家の不満は、ほぼ全部が第3幕に集中しています。「別のマーベル・サーガのバックドア・パイロットになっている」。ジーン・グレイが物語を乗っ取る。ハルクが予告編素材として投入される。145分は長い。
いちばん辛辣だったのは、この評でした。
"Calling this Brand New Day feels like a cosmic joke. It's the same old MCU B.S., coasting by on the considerable charm of its two resident stars and a legacy of good will. There's nothing new here whatsoever."
(出典:David Fear、Rolling Stone のレビューより)
一方で、観客の称賛はほぼ全部が第1・2幕とラストに集中しています。
"A beautiful movie about mental health, which taught me you don't have to go through life alone."
(出典:Rotten Tomatoes 検証済み観客レビュー、ユーザー Jose、★5)
つまり、同じ映画の別々の層を評価しているんです。
そのねじれが最後にいちばん露骨に出るのが、ポストクレジットです。
ミッドクレジットはなく、ポストクレジットが1本だけ。ネッドが自作したスパイダーマン捕捉アプリ「Spidey Tracker」の画面が映り、ニューヨーク市内で反応、グリッチ、そして地球からズームアウトして、月の軌道の外側の宇宙空間にピンが一本立つ。台詞はなく、最後に "Spider-Man Will Return" とだけ出て終わります。

ここでRedditは真っ二つでした。バトルワールド説、別ユニバースのスパイダーマン飛来説。X上には「MCU史上最悪のエンドクレジット後シーン」と書いた人もいます。
わたしが引っかかったのは、そこではありません。
2時間半かけてニューヨーク一都市の話に縮めた映画が、最後の30秒で宇宙に戻る。
作り手は「悲しいスパイダーマン映画」を作りました。ジアッキーノはテーマ曲を解体し、クレットン監督は決着を対話にして、街の話に戻した。そのうえで、フランチャイズは次へ行かなければいけない。
個人の映画としては完結していて、シリーズの部品としては未完成。そのねじれが、批評家90%と観客98%の差になって出ている。わたしはそう読みました。
そしてもう一つ、静かな余韻があります。罪悪感を抱えたジーンは、街を出るバスに乗ります。行き先は示されません。
海外の記事は、そこから北へ——ニューヨーク州北部あたりへ向かうのではないか、と推測していました。X-MENを知っている人なら、その方角に何があるかは分かると思います。ただ、映画はそれを一言も説明しません。
この映画は、彼女にとっての「新しい一日」も、同時に始めているんですよね。
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🕷 スパイダーマン考察シリーズ
1作目から順番に見返しながら書いてきました。今回で、ホランド版4作が揃います。
=ヒーローになる話ではなく、スーツを取り上げられる話として読みました。すべての出発点です。
=帰り着いたのに、帰る場所がなくなっていく話。最後の30秒で、帰る場所そのものを失います。
=全部返す話。同窓会の形をした葬式であり、今回の記事はここの直接の続きです。
🎬 この映画をおすすめする人・しない人
おすすめしたいのは、こんな人です。
今、誰にも言っていない何かを一人で抱えている人。この映画は「一人でやらなくていい」を、説教ではなく身体の不調として描きます。抱え込んだ結果、目が黒くなるという表現は、わりと正確な比喩だと思います
忘れられる怖さのほうが、嫌われる怖さより大きい人。ここに響くように作られています。ピーターは嫌われていません。ただ、いないことになっているだけです
シリーズの前3作を観ている人。効き方が2倍以上変わります。とくに『ノー・ウェイ・ホーム』のダイナーの場面を覚えているかどうかで、ラスト15分の意味がまるで違います
ジョン・バーンサルのパニッシャーを知っている人。あの男が他人のマスクを被って手を振る、という一点だけで観る価値があります
逆に、おすすめしにくいのはこんな場合です。
スカッとしたい日。145分、ほぼずっと重いです。前2作の「ワクワクのジェットコースター」を期待して行くと、たぶん面食らいます。日本のレビューでも「終始重い空気感」という指摘が多く出ていました
MCUを追っていない人。単体の映画としてはよくできていますが、第3幕は明確に「次の何か」の準備を始めます。そこが気になる人はずっと気になります
上映時間に体力を割けない日。「詰め込みすぎ」という批判は、褒めている批評家からも出ています。当初の編集は約170分あったそうで、それが145分に収まっている密度です
恋愛の決着を期待している人。先に言っておきます。戻りません。戻らないことに意味がある映画です
💬 あなたはどう観ましたか?
考察に正解はないと思っています。ここに書いたのは、あくまでわたしはこう読んだという一本の線です。
今回いちばん聞いてみたいのは、ここです。
フランクにマスクを渡したあのラスト、あなたにはどちらに見えましたか。「スパイダーマンの休止」ですか。それとも「ピーター・パーカーの回復」ですか。
同じ一つの画なのに、受け取り方で真逆になると思うんですよ。
休止として読むなら、あれは撤退です。倒れて、代役を立てて、群衆の中をこっそり抜けていく。ヒーローが一時的に降りた場面になります。
回復として読むなら、逆になる。マスクを他人に預けられるようになって初めて、彼はマスクなしの自分で街に出られた。4年ぶんの「スパイダーマンでしかいられない」から、やっと一歩出た場面になります。
わたしは後者に読みました。というより、後者であってほしかったんだと思います。この人にはもう、全部を一人で背負うのをやめてほしいので。
もう一つ、こちらも割れているところです。ハルクが手を放したのは、彼が正体を明かしたからだと思いましたか。それとも「友達だ」と呼びかけたからだと思いましたか。海外の記事でも、この2通りの書かれ方がされています。
あなたはどう観ましたか。よかったら教えてください。
あと、ボデガの握手のところで、劇場で変な声が出た人、いますよね。
そしてアニメ版『アクロス・ザ・スパイダーバース』の考察も公開しました。「マスクを譲る」の裏返しで、あちらは「運命を降りる」話です。
「何年も経ってから作られた続編が、前作の意味のほうを裏返してしまう」という話でいうと、今年はまったく別のジャンルでもう1本、同じことが起きていました。
20年ぶりの続編になった『プラダを着た悪魔2』です。前作が「選ぶ話」だったのに対して、20年後は選択肢のほうが先に消えていました。
そしてもう一本、フランク・キャッスルの隣に置きたくなる男の考察も公開しました。『クレイヴン・ザ・ハンター』——こちらは顔も名前も隠さない狩人で、4作かけて書いてきた「マスクの下」の話の、外側にいます。
