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早稲田哲学カフェに参加しました(テーマ:特別)

早稲田哲学カフェに参加してきました。今回僕は2度目。普段は「早苗」という喫茶店で開催しているはずですが、今回は何か都合があって、早稲田駅近くのレンタルスペースでの開催でした(会場に辿り着けず苦労した人多数)。恐らく、その関係もあったのだと思うけど、参加者はいつもより多かったようです(と、運営の人が言っていました)。人数は、運営を含めて10人。で、全体的に女性率が高かったです。運営の2人(男1、女1)を除くと、参加者は「男2、女6」でした。たぶんだけど、僕ともう1人以外は学生だったんじゃないかな。「学生8、学生以外2」という感じだと思います。

さて、僕はいくらでもペラペラ喋れちゃう人間ではあるけど、なるべく抑えたつもりです。いや、もちろんかなり喋ったけど、「喋りすぎ」って印象にまではなってないと思います。そうであってほしい。どうだろう。

さて、今回のテーマは「特別」。色んな方向性があり得ただろうけど、全体的に概ね「特別な人」という、対象を「人」に据えた話が展開されました。ちなみに、僕は今回メモを一切取らなかったので、以下で書いた話は僕の記憶から掘り起こしたものになります。そう大きく捉え間違ってはないだろうけど、実際の対話の感じとはちょっと違ったりするかもしれません。悪しからず。

個人的に一番興味深いと感じたのが、対話の割と最後の方で展開された「苦しさ込みでの『特別』」という話です。色んな意見があったけど、「特別な関係には苦しさを求める」みたいな人もいて、終盤はこの辺りの話でかなり色んな意見が出たと思います。

意外だったのは、参加者の内のかなりの人が「『特別』には『苦しさ』がつきまとうものだ」と考えていたことでした。これは極端に言えば、「『苦しい』と感じられる関係こそ『特別』だと思える」みたいな話です。「決して『苦しさ』を求めているわけでない」みたいな意見が多かったですが、それでも、「人間関係にはそもそも『苦しさ』がつきまとうものだし、ゼロになることはないんだから、であればむしろ『苦しさ』を強く感じる方が『特別』だと思えるんじゃないか」みたいな感覚のようでした。

僕は正直、この意見にはあまり賛同できず、だから結構色んな質問をして深堀りしたつもりです。僕が「『苦しい』と感じられるような関係性からは距離を取りたい」と感じるタイプということも関係しているでしょう。みんなが言う「苦しさ」というのは、「相手のことが理解しきれない」「相手が自分に関心を持ってくれない」みたいな感じのようですが、僕は正直そういう部分に「苦しさ」を感じることがありません。だから、僕にとって「対人関係の『苦しさ』」というのはほぼ「不快感」とイコールになる感じがあって、だから「不快感を抱かされる相手からは離れる」みたいな発想になります。

で、僕は色んな話を聞きながら、一応自分なりに納得できる理屈を見つけました。それは、「その『苦しさ』を乗り越えてでも関わりたいと思える相手だから『特別』に感じられるんじゃないか」ということです。「苦しい」のなら関係性を諦めてもいいわけですが、「諦められない」と感じるからこそ「特別」という感じになるんじゃないかと。という話をしてみたのだけど、みんなの反応的にはちょっと的を射てなかったかもしれません。

さて、この話に関しては、「人間関係にはそもそも『苦しさ』がつきまとうもの」という意見に対する疑問も出ました。「そもそもみんな、対人関係において『苦しさ』って感じるもの?」というわけです。で、みんなやっぱりよくよく考えてみると、「『苦しさ』を感じながら関わっている相手」というのは、まったくいないか、いても少数という感じのようでした。だからこそ余計に、「苦しさ=特別」みたいな関係が成り立つのかもしれません。

あと、「会っているか、会っていないか問題」みたいな話も展開されました。要するに、「普段から会っている人を『特別』だと感じるのか、そうではない人にも『特別』と感じられるのか」みたいなことです。参加者の中には、「普段から会っているからこそ『特別』だって思える」という人もいましたが、今回の参加者の中では「日常的に会えない相手でも『特別』だと感じられる」みたいな意見が多数派だったかなと思います。

そして僕はその流れで、映画『実写版 秒速5センチメートル』の話をしてみました。

僕はこの映画を、「小学生の頃に『魂が震える人』と出会ってしまった男女の物語」と捉えていて、だから「彼らは中学生以降まったく会えなくなってしまっても、お互いのことを想い合う関係でいられた」のだと思っています。僕にとっては、『実写版 秒速5センチメートル』で描かれていた関係性は結構リアリティがあって、そして羨ましささえ感じさせられるものです。

また、参加者の1人が「『星の王子さま』に出てくるキツネが王子の髪を思い出す」みたいな話をしたタイミングで、書店員時代に結構インパクトがあって記憶していた小説(読んではいない)のことが思い出されたので話に出してみました。ただ、タイトルがうろ覚えで、「『試着室で思い出したら、~』みたいな感じの本」としか言えなかったんだよなぁ。今検索してやっと分かりました。『試着室で思い出したら本気の恋だと思う』(尾形真理子)ですね。

僕は正直、この本のタイトルを初めて知った時、意味が分からなかったんだよなぁ。「どゆこと???」としか思えなかったです。その後、「試着室で思い出すってことは、『今着ているこの服をあの人に見せたい』と考えているってことで、そんな風に思い出す相手がいるならそれは本気の恋だよ」みたいなことだと理解しました。そう理解してみると、このタイトル、メチャクチャ良いよなぁ。

あと、この「会う/会わない」の話に関して、僕は「初対面の人にも『特別』を感じることがある」とか、「色々あって直接会えない(会いにくい)人のことは、意識的に『特別』だって思わないようにしてる」みたいな話をしました。「会えなくても『特別』だと思える」のは確かだけど、やっぱり、叶うなら会いたいですよね。

また、話の中で、「どういう人を『特別』だと感じやすいか?」みたいな話になったので、僕は昔から考えている「名前が付かない関係性」の話をしてみました。

僕のこの意見に対して、「一般的には、『家族』とか『恋人』みたいなラベルがつくと『特別』ってなりそうだから、意外ですね」みたいな意見が出ます。なので僕は、「『特別だと思いたい/信じたい』からラベルを付けるのであって、実はラベルを付けている相手は『特別』じゃないんじゃないか」「『特別』というのは頂点な感じがしてしまうから、何らかの形で『特別』みたいなラベリングをしてしまうと、そこから下り坂になっちゃう気がする」みたいなことを言ってみました。ま、この辺りの話は人に話してみても大体共感されないんですけどね。ただ今回、参加者の中に1人、僕のこの辺りの感覚に賛同してくれる人がいて、ちょっとびっくりしました。

また、「いなくなって気づく『特別』もありますよね」みたいな話もあって、この「会う/会わない」という要素は結構「特別」の条件に絡んでくるなという感じでしょうか。

あと、かなり序盤で出てきた話で、「私のパートナーは、すべての人と『特別』になりたいと言ってる」みたいな話があって、これもまた特殊な話だったなと思います。そのパートナーは、「誰とでも、鍋やサラダを取り分けることなくそのまま食べれるような関係になりたい」と考えているのだそうです。僕は当初、「それって、『全体の平均が上がっている』だけのことで、『特別』というのとは違うんじゃ?」みたいに感じたのだけど、僕のこの考え方は「特別」を「相対的」に判断しているなと考え直しました。そのパートナーには恐らく「『特別』の基準値」みたいなものがあって、「その基準値を超えた人は全員『特別』」という、ある種の「絶対的」な判断をしているということなんでしょうね。この辺りの感覚の違いも面白かったです。

そして、最後に少しだけ「モノ・概念に対して感じる『特別』」の話も出ました。これに関しては時間が迫った中で出てきた話題だったこともありあまり深堀り出来ませんでしたが、ある参加者が、「モノ・概念に対する『特別』な感情は変わらないけど、人に対する『特別』な感情は変わり得る」と言っていたのが印象に残っています。この点に関して僕は、対話の中では言わなかったけど(時間がなかった)、「モノ・概念は不変だけど、人は可変だからではないか」と思ったりしました。どうなんでしょうね。

というわけで、なかなか楽しい時間でした。早稲田哲学カフェは開始時間的に、仕事帰りで向かうとちょっとギリギリすぎるので、「土日開催の時には申し込んでみる」というスタンスで参加するようにしています。また次の機会があれば行くつもりです!

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