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幾原邦彦さんの出世作、劇場版「セーラームーンR」

私は、この映画を、封切り時に、日本心理臨床学会の大会が開かれていた、沖縄県那覇市で観る形になった。

まさに大会期間中に封切られたのだ。

まだシネコンではない時代、「東映まんがまつり」の平日昼間の上映館は、ひなびていた。

とっくにアニメブームの渦中なわけで、我々アニメおたくは平然と映画館に男一人でアニメを観ることに抵抗がなくなってきていた時代のはずだったが、切符売り場のおばさんは、私の目を見て、

「あの・・・子供向けの漫画映画ですよ?」

とはっきりと問いかけてきたのを、よく覚えている。

これは(この当時でも)実に久しぶりの体験なので、思わず苦笑した。

・・・そりゃ、「ヤマト」の映画が公開された頃は、映画館で切符を売る女性の職員さんの前に進み出るまでに、15分はうろうろして躊躇して、周囲に他の人影がないことを確認して、緊張でガチガチになり、すごく勇気を奮って長編アニメの名前を口にした時期もあったけど。

沖縄にはアニメおたくはおらんのか?


そりゃ、「まんがまつり」だから、いかにもアニヲタ向けのアニメよりは、若干敷居は高いけどよ。

(「プリキュア」ファンの大きなお友達は、今でも普段よりは緊張するものなん?・・・ちなみに、私は「DANZEN!ふたりはプリキュア」はカラオケの十八番中の十八番のひとつ。ただ、この曲ってカラオケ屋ではメドレー仕様ではない単独全曲は、結構レアだってことは、みんな知ってるよね?)

同時併映は、久々に新作が作られた「キャンディキャンディ」でしたね。これはなかなか画面が美しいと感じた。

👆最近流行りの、生成AI動画による、アニメの実写映画化動画

阿世賀による解説

さて、お目当ての「劇場版セーラームーンR」(当時2代目TVシリーズディレクターだった幾原邦彦さんが監督)の前に、TVシリーズの総集編の30分くらいのが前座として上映された。

そう・・・「セーラームーン」、劇場に初登場だったのだ。

でも、当時のアニメおたくの間では、すでに男女関係なく、「セーラームーン」が大ブームになっていた。

幾原さんが各話演出の回には、初代シリーズディレクターの佐藤順一さん’(確か私と同い歳)とは別の、すごい切れ味がある回が多い、というのは、前番組の「きんぎょ注意報!」の頃から、少なからぬアニメファンにも注目されて来ていた。

1時間という短めとはいえ、当然幾原さん、初の劇場作品、当然20代だったと思う。

まだ、アニメ雑誌の誌面では、彼がアニメ監督としてはかなりユニークな経歴で、ファッションや髪型も超「なうっちい」おしゃれな、珍しいタイプの人であることなど、知られてはいなかった。

「転るピングドラム」監督の頃の幾原邦彦さん

この映画公開の後、しばらくしたら、「アニメージュ」誌面には、すいぶんいろいろな形で頻繁に露出してくださる、ファンサービス旺盛の存在になったのだが。


私にとって、
今日に至るまで、
およそ映画館で体験した、
最も感動的で衝撃的なひとときのひとつ

として、この時のことは記憶している。

特に、セーラー戦士5人が歌う"MOON REVEBGE"に乗せた、クライマックスの盛り上がり異常なテンション

オリジナルキャラクターの、異星人フィオレが、想像の遥か斜め上に向けてピッチを上げて行く、あまりにも凄みのあるキャラクターで、しかもあまりにも悲しいキャラクター。

誰もが彼には共感し、涙するだろう。

わすか1時間の作品だが、脚本密度の高さは異常といっていい。

完璧すぎる伏線術

そして、映像上のメタファー的象徴表現が、あまりに、あまりにエグい。

こんなの子供に見せていいのか?

幼稚園児も主なるターゲットに含まれる東映子供向け枠のギリギリを狙い澄ました、あまりにセクシャル過ぎる描き方だよ!

作画枚数にも当然すごい制約があったはず。

明らかに、当時の大抵の劇場公開アニメに比べても、客観的に見れば低予算。アニメーターも特別に優秀な人はいないはず。

でもそんな制約を、アニメスタッフ全員が異常なまでにやる気を出して、ギリギリのセンスと腕ででカバーしているという、奇跡がまさにここでは生じている。

深層心理学的な深読みが、とんでもなくどこまでもできる。それが「計算され尽くした」意図的演出であることは確か。

宮崎駿さんですら、ここまで「計算ずく」ではやってない!!

クリエイティブな天才的感性だけで「無意識的に」やれちゃうだけだから、宮崎さんは!!

もちろん、宮崎さんにも、頭に中で計算して、「これはこの『象徴』表現(メタファー)」とか計算して仕込んでいるシーンも少なくない「面もある」とは思うが、宮崎さんの宮崎さんたる所以は、ご本人も「直感」と「感性」だけでそう描いてみた、という結果がどんでもないイマジネーション領域に到達していて、私たち観客の意識と無意識をトリップさせまくるとしか感じられない点だ。

だ・か・ら、宮崎さんは交換不能な、日本の生んだ「空前絶後」の「奇跡」のアニメ作家の領域に到達しているのだ。

「神の手」が宮崎さんを通して絵コンテを切らせている。

そんな「神聖な」産物に「人間風勢」の「言葉」による解釈など「畏れ多い」。

特に「ハウルの動く城」とそれ以降に宮崎作品からは私はそれをビシビシ感じるから、私は宮崎作品の「深層心理学的象徴解釈」自体をもはや放棄してきた。

宮崎「映像」作品は「言語」に「翻訳」不能。

「翻訳」したつもりの内容は、それが誰によるものでも、

「ある観点からみれば、そう理解してもいい・・・かな?」

という一面的な「記号化」なのであり、宮崎作品は「記号論」を超えている。

言語としての「はっきりとした(ジェンドリンのいう"explicite"な)意味づけへのと「還元」「解釈」なんて、そんなことしたら「神様の罰」が下る、と、私が、頭の中で「試しに」「ちょっとだけ」してみることすら、一貫して「封印」して、全く頭を空っぽにしたまま、いわば「身体で」、「全身で」味わい、堪能するのみとしている、ということについては、別の記事で書いた通り。

でも、映像演出を「メタファーとして」意識的に活用しているアニメ作家さんの場合には、それに気づかなくても構わなくて、理屈抜きで「何かすげえ!!」で楽しんでしまうんで十分なんだけど、少なくともプロの批評家さんは、そうした「演出意図」まで汲んで作品批評するのが、むしろクリエイターへの礼儀だと思う。

本来なら、批評家も、芸大や映像専門学校で「映像演出」の勉強する人と「同じ」専門的教育を受けるべきだと思うし、少なくともヨーロッパやアメリカの一流批評家は、そういうキャリア持ってる人が非常に多いと思う。

最悪でも、そうしたことについて詳しく書いた「映像表現の本格的理論書」は、日本でも結構訳されているから、そうした本を独学でいいから研究しておくことはすべきだろう。

そしてたまには海外の著名講師のセミナーには出てみる、くらいの良心は欲しい。

私も、そうした域の本は実は上にリングの下のほうの1冊しか読んでいないのだが、幸いなのは、心理カウンセラーには「アートセラピー」の分野ならたくさん著作があるし、セミナーだって頻繁にある。

こうした経験は容易に「映像作品」の理解にも転用できるのだ。

ちなみに翻訳されているユングの著作の、控えめにみて8割は興味深く自然と読めてきた私の脳内は、完全に「メタファー辞書」化が進行している。

そして、実写を含めた映画史に残る名画のかなりを観てきた映像体験がある。

どうも最近のおたく評論家どもは、黒澤明「2001年」、ひょっとしたら「ブレードランナー」すら観たことないか、仮に観ていたとしても、脳内の引き出しの中にいつでも検索可能な形で収納してはいないのがいそうだから、超お寒い限りである。

もちろん、

「映像演出論的に見ればこういう『意図』なんだろうが、ちょっと『思わせぶりが過ぎ』ていて『独りよがり』、あるいは、そうではなくても『わかる人にはわかるかな、いっひっひ!』と影でほくそ笑んでいそうな監督の顔が浮かんで、そんなの、でええっつきれーだー! こいつは大衆置いてけぼりの芸術家気取りの作家や!」

…という批評だってあっていいと私は思うのですが、そういうレベルの批評すら、今の日本の映画批評で期待できないという、「超ショぼい」ところまで現状はきてないか?と思う私ではあります。

私だって、実はほんとうの映画通を自負している人たちに比べれば、守備範囲かなり狭いはず。

若い頃の一時期は、毎週15本くらいは新作テレビアニメ観てたし、レンタル店に置いてあるOVA(オリジナルビデオアニメーション)、片っ端から借りて、そういう際に一緒に、名前だけは知っていた実写映画も借りまくってましたが(だいたい毎週十数本、アニメと実写ソフト観てたはず)。

つまり、専門書や学会論文読んでる時間より、(番組録画含めて)映像観てた時間の方が2倍は長いのでは、更に輪をかけて、FM「エアチェック」マニアで所蔵CD1000枚以上という音楽おたくオーディオおたくという、不届き千万な心理専門家だったというのが私の正体ではあります。

ただし、私の自分でもわけわからん「客観的読解力」のことは話題にしてきた通りで、単に業績づくりのノルマとして書かれたのが少なくない、学会誌の「玉石混交」の「石」読むく暇あったら、中井久夫先生でもユングでもサリヴァンでもウィニコットでも、ご本人の書いた本読む方がよっぽと勉強になるし、実は「わかりやすい」と思う。

・・・このへんになると「私のような平凡なのには無理です」と言われそうだが、まあともかく私はそういう天賦の「読解力」神様から授かったんだから許せ!としか開き直れないわけで。

しかも「どの本を読んだら役に立つか」を限られた情報から「見抜く」力が半端じゃない、「超省エネセレクトスキル」もあって、少数精鋭の読書で、なぜかつまんない本と巡り合うこと自体少ない。

そういう点からすれば、映像作品の方は、レンタルでだけど、一時期はほんとうにどうしょーもないOVA作品までかなり観てしまっていた時期があります。

ただ、アニメ誌とかで評判でもなかったり、あるいは悪評だらけでも、私が「これ、いい!」と感じた作品は、実は現在、若いおたく世代にも結構評判であることが結構あるってこと、Youtube動画のコメントの世界で、時折気づいて嬉しくなること、あります。

UHF局やCS系のアニメチャンネルとかで徐々に噂広まるみたいで。

一例は、「緑山高校」は、皆さま、絶対観て損はしないからね!

この記事はほんとうに軽いノリで何となく書き出したから、たいてい前から後ろ一気に「一筆書き」で書いて、推敲段階での途中への挿入すら滅多にしないという、「天衣無縫の文章構成力」持つ私としては異例なまでの大脱線モードになってて、今、おーい、「セラムン」とこいったんやー?・・・と読者に思われてるの承知だ。

だが、「果てしなきスカーレット」不入りの衝撃から完全に覚醒状態に突入し、数か月以上、延々「ゾーン」状態だった私が、どうもこの2日くらい、私はやっと「修行僧」のこどき、そのストイックなモード抜けていいかな?と感じ出してるので、まあ、こんな日もあるかもよーこれからは、くらいで許していただきたい(笑)


こうして、私にとって、幾原さんは、完全に神レヴェルアニメクリエイターの仲間入りをした。

当然公開時には、沖縄から当時住んでいた関東に帰ってきてからも、確か5回くらいは映画館に行き、入れ替えナシが当時デフォルトだったので、延べ10回は見たと思う。

観れば観るほど、幾原さんが隅々まで計算し尽くして映像演出しているかの仕掛けが見えてきて、しかも「大感動型」の作品だから、ほんとうに甘露甘露だったが、そうした中で、そうした映像演出に込めた意図を「全部」文章化して「学会発表」しようと思うまでになった。

それは実際、B5判でワープロ4,50枚という超大作になったのだが、それを、当時は「アニメージュ」に付録だった、年に一度の手帳に乗っていた、東映動画の住所に気付でお送りしたわけです。

すると、幾原さん、なんとそれから2週間くらいで返事くださいました。

それはある意味、不思議なお返事でした。

葉書に、幾原さんは、鉛筆書きで、恐らく5回や10回なんてものじゃないくらいに、繰り返して消しゴムで消しては書き、決しては書き、いろいろ書かれようとした形跡はあるのです。

ところが、最終的にはそれは5行ほどになっていました。

しかも、何も印象に残る文面ではない。
形式的な挨拶でもない。

何か、謎の文面でしたね。

ただし、全然病的な内容とは感じなかった・・・とだけは、専門家として責任を持って言い添えおきます。

ただ、なぜか、その文面は、特に覚えておかなくてもいい、と私が判断したことだけは、私はよく覚えています。

その葉書を同封した、そんなに大きくはない封筒には、
普通紙にマジックで書かれた、
A6くらいのサイズの、
月野うさぎちゃんの直筆イラストと、幾原さんのサインがありましたしね。

私はそれを大事に透で厚手のなA4サイズのビニールカバーに入れ、しかも決して外にすら持ち出さなかったはずです。

しかし、気がつくと、半年くらいで、ある日突如、どうしても見当たらなくなりました。

当時の私の部屋は床が見えない「地層化」は進む状態でしたが。

それから2回引っ越した際に、一応気をつけて、手に取る荷物、全部確認したんですが、再発見できず。

この時書いた長大な論考にも、運命が待ち構えていました。

私が「夜逃げ」して久留米に帰るしかなかった、とは書いてきましたが、一応バックアップは取っておいたはずのハードディスクやMOからは、どうしてもそのファイル発掘できず。

それを掲載していたブログも、プロバイダ料金未払いのまま自然消滅。

書こうと思えば、その内容は「再現」できる自信は十分ありますけどね。



ここで読者の皆様に。

【募集】 : 読者皆様のお手元に、コピーしたファイル、ございませんか?

恐らく学会大会で紙の考資料として配ったものがどこかで生存している可能性はあり得ないでしょう。

少なくともネット検索できる範囲では、他のサイトに転載されたものは発見不能です。

でも、もしファイルとしてコピー→ダウンロードしていて、今も手元にある、という奇特な読者の方がおられれば、私にご連絡いただければ幸いです。

「二つの母性の相克:~「セーラームーン」についての精神分析的対象関係論に基づく考察」1994

kfc20220801@gmail.com

内容が「全文」読めることを確認させていただいた上で、ご謝礼はさせていただきます。

  1. 私の同人誌、「ウマ娘の精神分析」第1巻・第2巻合本版と「私の〈推しの子〉論」の電子書籍版の「原本」という、メロンブックスで購入できるコンテンツよりも遥かにハイクオリティなファイルの「閲覧権」(パスワード)を贈呈いたします。

  2. 以下の私の講演会、参加無料といたします。

  3. 私のカウンセリング、フォーカシング個別指導、フォーカシングを用いた夢分析のいずれか、60分コース、一回だけ無料といたします。久留米での対面、ネットでのオンライン、いずれでも可能です。有料継続の必要はございません。

  4. これらの御礼は、上記の私の劇場版「セラムン」R論考全文のコピーファイルを仮に複数の方から提供いただいた場合にも、先着10名様まで対象とさせていただきます。ただし、申しこまれた方に同一人物のなりすましが含まれると判断した場合には、その方の全お申込みを無効とさせていただきます。  

この論考の「断片」は、別記事に引用して現在も私の手元に残り、実はこのnoteに更に転載され、今でも読めます。

以下の「まどマギ」論に載ってるのがその断章です:

「アニメージュ」編集部には送ってはいたし、幾原さん自身の元に奇跡的にないとは言えませんが、徳間書店のような大企業は、定期的に個人情報は処分してきたと思いますので。

【追伸】:

実は、この論文の出版を考えたことは10年ほど前あるので、実はそれをお送りしたある著名な専門家と大手出版社のことを思い出したのですが、その大手出版社がまともなら、逆にメールの添付ファイル等で残っている個人情報はすでに個人情報保存期間を過ぎて、消去しているでしょう。

大先生の方は、プリントアウトしたもしかお送りしませんしたし、なにぶん10年以上前、しかもその先生、内容に否定的でしたから、期待できないかと思います。

実はその時を引き金にちょっと現状では距離をとっている先生ですので。

ご応募いただいた皆様には、メロンブックス販売では不可能だった、私の作成したAI生成画像のイラストが本文中にたくさん掲載されているファイルの全文閲覧権差し上げますよ!!
👇こんなの、いっぱい拝めるねん!!
ワンダーアキュート
ネオユニヴァース
※この記事、おかげ様でアクセスランキング1位かなり長く続けてますが、私の腕も、水野亜美 ちゃんとご一緒です(笑) 


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