III-1 すべての人は、死のからだから解放されることによって生きる 5:12-8:39
~「永遠に続く救い」の預言 〜
人間はすべて神に背を向けて生きていた罪人であったのに、キリストの贖いを信仰によって受け入れて義人とされ、そこで神の愛を知ることになります。
そこでまた、「義人が信仰によって生きる」事を学ぶ最初に、人間には「肉」の問題があって、聖なる律法があっても罪が引き出されるばかりで、神に生きることが不可能であることを自覚させられなければならないのです。
神の愛を自覚させられた人は、神との人格的な結びつきがわかるようになり、聖なる霊が私たちの内に住んで下さって御言葉の真理を教え、導いて下さるようにもなります。
そこに私たちの意識を向けさせようと、「義人は信仰によって生きる」機序をパウロは解き明かしているのです。
まず「生」と「死」の対比。
一方は神と結びついている状態であり、他方は神と断絶して神の御旨を全く行い得ない「死に体」の状態。生まれながらの人間、「古い人」は、神と断絶している霊の状態で生まれ、肉体的に成長する過程で、神と無縁に生きる習慣が基底から根付いてしまっているのだと考えられます。
新しく生まれ変わることによって、人間の霊は神に向いて生き始めますが、「肉」はすぐには霊の求めに応じた行動に切り替えられないものなのです。
特に、律法を知らないままに大人になった異邦人にとっては、すでに死んでいるはずの「古い人」の習慣が身についているために、極めて難しい状態なのです。神の御旨を実行する力も習慣も「からだ」に全く着いていないからです。
そして、ユダヤ人にとってはモーセの律法の戒め、異邦人にとってはその民族の「律法」である慣習法の戒めは、なおさら人を神の御旨から引き離してしまうと、パウロは指摘します。
最終的な解決は、ただ、御霊の導きに従うことしかありません。
