「幸福」とは欲求の達成か?-幸福の本質4
「幸福って何?」幸福の本質は何か
幸福は何か?三つの幸福学説
私は「従業員幸福度(EH)」の向上をライフワークと決めて、それに関わる調査、コンサルテーション、研修等を仕事にしていますが、noteでは私の「幸福」および「従業員幸福度(EH)」に関する基本的考え方、「幸福」の定義などを紹介しています。
幸せ、幸福という言葉は日常頻繁に使われますが、その本質は以下の三つに大別される(イギリスの哲学者、デレク・パーフィットの分類)ことを『幸福とは何か?-主要三学説まとめ-幸福の本質1』で述べました。
1.快楽説(Hedonism Theory)
「快楽」を感じることが幸福であるという考え方。
2.欲求達成説または欲求説(Desire-Fulfilment TheoryまたはDesire Theory)
「欲求」の達成、成就が幸福であるという考え方。
3.客観的リスト説(Objective List Theory)
人間にとって望ましい価値を持つ要素を複数挙げ、これらが良好な状態にあることが、幸福とする考え方。
今回の記事は『幸福とは何か?-主要三学説まとめ-幸福の本質1』記事の2.
欲求達成説または欲求説(Desire-Fulfilment TheoryまたはDesire Theory)の部分を切り出しリライトしたものです。内容は実質重複し、一部加筆を除き、ほぼ同じであることをご了解ください。
本記事は下記三つの記事の続編です。関連記事↓
以下、欲求達成説または欲求説の概略を述べます。
欲求達成説または欲求説(Desire-Fulfilment TheoryまたはDesire Theory)の概略
「欲求達成説」(Desire-Fulfilment Theory)は、
欲求の対象、目的を定め、その達成をもって
幸福とする考え方です。
「欲求充足説」(Desire Satisfaction Theory)また、
単に「欲求説」(Desire Theory)
という名称も使われます。
「欲求達成説」は「快楽説」に対する批判、
「心理的快、不快のみしか取り扱わず、
意義のある現実の経験を無視している」
という批判に対して
「快楽説」の欠陥を回避するものとして
R.M.ヘアらによって提出されました(注1*)。
「欲求達成説」は
「本人の望んでいる欲求の実現が善である」
という考えに立つことで、
「快楽説」と同様、幸福は主観的なもの
という前提に立脚しています。
幸福は主観的なものであるという点は
「快楽説」と同じですが、
「欲求達成説」の優れている点は
「快楽説」が幸福を単なる
精神的快楽の量的大小で捉えるのに対し、
本人の欲求する目的、意義を明らかにすることで、
幸福の質的価値を問えるようになることです。
人生の目的を達成することが幸福と捉える視点であり、
多くの人の人生経験の実感とも合致し、
納得性が高いと考えます。
多くの人の実感と適合する「欲求達成説」ですが、
疑問もあります。
問題点は三つあります。
1.「欲求」を達成しない限り幸福じゃないのか?
欲求が達成(実現、成就、満足なども同義とします)
されたことのみを幸福とするのかという問題です。
もちろん欲求が達成した暁には、
大きな幸福感が得られることは間違いないでしょう。
しかし、
未だ欲求が達成に至っていない時点では
幸福ではないのでしょうか?
幸福を単純に「欲求の達成=幸福」と捉えてしまうと、
欲求が達成されるまでは不幸
ということになってしまいます。
すぐに達成されれば良いのですが、
目標の価値が大きく、困難であればあるほど
達成には長期間を要し、
達成できる可能性も低くなります。
そうすると肝心の
幸福を実感できる時期は遠い先のこととなり、
しかも達成できるという保証はありません。
不幸である期間ばかりが長く、
欲求が未達成に終われば、
幸福は見果てぬ夢であり、
不幸ばかりということになります。
「欲求の達成=満足」を幸福と捉えてしまうと、
この説は大きな問題を抱えます。
その意味で
「欲求達成説」または「欲求充足説」「欲求満足説」
という名称は好ましくないと考えます。
むしろ単に「欲求説」とする
方が望ましいかもしれません。
ちなみにサムナーやセリグマンは
「欲求説」(Desire Theory)という
名称を採用しています。
幸福は「欲求の達成」だけではなく、
欲求の対象を意義ある目的として設定し、
達成に向けて毎日の生活を充実することに、
人は幸福を見出す
というのが私の考えです。
むしろ、
幸福の重要な源泉である
「やりがい」とか「働きがい」は、
目標に向かって努力している、
そのプロセスで実感する
と考えるのです。
たとえば、何らかの成長をしたい、
チャレンジをしたいという欲求を
持ったとしましょう。
資格試験にチャレンジしようとか、
志望校に合格したいとか、
欲求を目標という形で具体化して
頑張ろうと心に決めた
としたらどうでしょうか。
そこから得られるであろう幸福感は、
資格試験や入学試験に合格した時点でしか
獲得できないものでしょうか。
もちろん
合格と言う欲求を達成した暁に得られる幸福感は、
ひときわ大きいものでしょう。
しかし、それだけではないはずです。
合格という目標を設定し、
欲求を具体的に定めた時点で、
ある種の高揚感、幸福を感じ、
それに向かって日々努力している中に
持続的幸福を実感できると思います。
これは私の実感ですが、
多くの方々の賛同も得られるのではないか
と考えています。
このことは
「幸福度」と「満足度」の関係と
言い換えることもできます。
欲求達成の「満足」のみが幸福ではなく、
欲求(目的)に向かって努力する時点で
既に「幸福」ということです。
私(イーハピネス社)の調査でも、
実際に「幸福度」と「満足度」は
一致しないことが明らかになっています。
*関連記事↓
https://note.com/e_happiness_co/n/n6c620679347e?magazine_key=mdd7cfa7eb7e4
https://note.com/e_happiness_co/n/n53a843618510?magazine_key=mdd7cfa7eb7e4
2.幸福を欲求の達成のみとすると幸福の可能性を限定する
第二の問題は、
幸福を欲求の達成のみに限定することで、
幸福の可能性を限定してしまうことです。
幸福は必ずしも主観的欲求の結果
からのみ得られるものではなく、
偶然や本人の選択によらない
他者のはたらきかけによって得られる
こともしばしばです。
そればかりか、
本人の自覚的欲求への執着があまりに強ければ、
かえって幸福の機会を閉ざしてしまう
ことさえあります。
自覚的欲求へのこだわりが、
本人の自覚していない潜在的可能性開発
の障害となることがあるからです。
これは、特にキャリア開発において
重要な問題と捉えられています。
これを回避するためには、また
積極的に偶然性を幸福の機会として
開発するためには、
J.D.クランボルツによって提唱された
「計画された偶発性」理論(注2*)
が役に立ちます。
クランボルツは、多くの人を調査した結果、
キャリア形成の大部分を
偶然の機会が占めている事実を発見しました。
この研究によると、
初めから自覚的欲求のみのコースを
脇目もふらず追求するのでなく、
偶然の出来事をオープンに受け容れながら、
自ら自己の想像力の限界を突破する機会を
産み出すことが重要であるとされています。
絶えず新しい学習の機会を模索し、
自覚的に定めた幸福に至る道である
キャリア計画に過度に執着せず、
柔軟性を持つこと、
こだわりを捨て、信念、行動を変えること、
不確実な状況下でも
リスクを取って行動を起こすことが
幸福なキャリアにつながるということです。
高い理想、自己への欲求を持つことも
素晴らしいことではありますが、
それにこだわりすぎず、
意図せざる偶発的な出来事も
自己の限界突破の機会として
柔軟に活用することが、
幸福に至る道だということです。
3.欲求を実現可能な対象、水準に逆算して設定し幸福を矮小化する懸念
第三の問題は、
幸福であるか否かは欲求対象と
目標とする欲求水準に依存するので、
幸福度は対象と目標水準を変えることで、
いくらでも変動するということです。
「欲求達成説」は欲求の達成という経験
に幸福があるという考え方ですが、
人間の能力、行動には限りがあるので、
欲求を際限なく高めていくと
得られる達成は相対的に貧しいものとなり、
逆に不幸の原因となってしまいます。
そのため、多くの人は、しばしば
欲求を実現可能な対象、実現可能な水準に
逆算して設定し幸福を得る
ということを選択します。このことを
「適応的選好形成(Adaptive Preference Formation)」(注3*)
と呼びます 。
つまり
「多くの人はできる範囲で諦める人生
を選んで小さな満足感を得るが、
それで幸福と言えるのか?」
という問題があるのです。
最初の問題と関連しますが、
達成可能性、挫折や失敗を恐れず
勇気を持って大きな目的に挑戦する
こと自体に既に「幸福」がある
と考えます。
さて、ここまで
「欲求充足説」(Desire Satisfaction Theory)
または「欲求説」(Desire Theory)」
の概略を述べてきました。
さらに補足したいのですが長くなるので
「欲求達成説」(Desire-Fulfilment Theory)
または「欲求説」(Desire Theory)
の続編を別記事で詳述します。
最終的私の考えは、やはり別の記事で述べます。
まとめ
「欲求達成説」は、欲求の対象、目的を定め、その達成を幸福とする考え方。「快楽説」の欠陥を回避するものとして提起された説。
幸福は主観的とする点は「快楽説」と同じだが、メリットは「快楽説」が幸福を単なる快楽の量的大小で捉えるのに対し、欲求する目的、意義を明らかにし、幸福の質的価値を問える点。問題点は3つ。
1.「欲求」を達成しない限り幸福じゃないのか?欲求が達成されるまでは不幸か?。欲求達成の「満足」のみが幸福ではなく、欲求(目的)に向かって努力する時点でやりがいを感じ、既に「幸福」であるので「欲求説」とすればこの問題を回避可能。
2.幸福を欲求の達成のみに限定することで、幸福の可能性を限定する。幸福は必ずしも欲求の結果からのみ得られるとは限らず、偶然や本人の選択によらない他者のはたらきかけから得られることもある。これを避けるには「計画された偶発性」理論が役に立つ。
3.多くの人は欲求を実現可能な対象、実現可能な水準に逆算して設定し幸福を得るが「できる範囲で諦める人生から得る小さな満足が幸福と言えるか?」達成のみを「幸福」とすべきでない。達成できなくとも挑戦に既に「幸福」がある。
最後まで記事をご覧いただき、
誠にありがとうございました。
今後も幸福に関連する記事を
投稿してまいりますので、
好き・コメント・フォローなど
いただけますとありがたいです。
イーハピネス株式会社 代表取締役 松島紀三男*プロフィール*
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(注1*)R. M. Hare, “Ethical Theory and Utilitarianism”, in Contemporary British Philosophy 4, Allen and Unwin.1976.
(注2*)J.D.クランボルツ、A.S.レヴィン『その幸運は偶然ではないんです!』花田光世・大木紀子・宮地夕紀子訳、ダイヤモンド社、2005年.
(注3*)Jon. Elster, 1983b. Sour Grapes. Cambridge: Cambridge University Press.
いいなと思ったら応援しよう!
ご支援ありがとうございます。くださったチップは、調査等に使わせていただきます。