8.影響論 インタラクティブミュージックは印象に残らない、という神話
この記事は「インタラクティブミュージックについての12の神話」連載の、8つ目になります。単体でも問題なく読めます。インタラクティブミュージックを略して「IM」とすることがあります。
インタラクティブミュージック(という言葉)が普及するにつれ、見かけるようになった言説がある。それは、
「インタラクティブミュージックになって、印象に残らなくなった」というもの。
あぁーもう桜井さんがだいたい答えを言ってしまっている~~
昔のゲーム音楽を今の画面にそのまま流すと~~?

リアルな画面には音楽の他にも~~?

そもそも作る曲が~~?

というわけで、昔と比べて音楽が印象に残らなくなったのは多分そうだけど、それは「今のゲームが昔に比べてもっと多様で複雑な画面を映すようになった」とか「音楽以外の情報量も増えて、BGMばかり聴かせることが難しくなった(それをやると別の弊害が出てしまう)」という話なんですね。IMは関係なくて、単にIMと同時代的に進化してきた別の都合によるものなんです。ちゃんちゃん。
……いやいや、さすがに桜井さんのリピートだけでnote終わったら困る。でもお陰様で半分くらい結論にショートカットできた気がする。ありがとう桜井さん。
インタラクティブかつ印象深い音楽は可能なのか?
結論はもちろん「可能」なんだけど、いろいろ条件があって。
まず、インタラクティブ性が音楽性に制限を生む問題の提起はすでにこのnoteでやってるので、読んでない方はまずこちらから読んで欲しい。

この問題に対する答えも一応出していて、FF15でやったPre-end(ゲームゲノムでもClimaxの時の曲として紹介されたもの)の方式がそれにあたる。

しかし。
この「答え」は「この場面でたまたま使えた解の一つ」でしかない。
実際に、↑のnoteで「ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス」の昼と夜の楽曲遷移を比べたように、反応性を優先した組み方をすると、音楽性がある程度犠牲になることもありえる。
ゼルダの音楽はそれでもなお一定の音楽性を感じられるために問題とまでは思えないかもしれないが、ここであえて、批判的な意味で別のゲームを取り上げる。それは、Horizon Zero Dawnの通常戦闘曲だ。
反応性を優先すると音楽性が犠牲になる問題
先に言っておくが、Horizonは私が本当に大好きなゲームだ。普段はDLCなんてやらずにすぐ次のゲームにいきたい自分が、もうどうしようもなくハマってDLCのボスを倒すまでやり尽くした。
ただ、この通常戦闘曲の演出は、最高のものとは言いがたかった。
わずか50秒の戦闘。その中でも、ステルス状態から戦闘状態へシームレスに遷移し、さらに戦闘終了と同時に曲を終わらせている。見事なものだ。「インタラクティブ性」という面で見れば、非常にちゃんとしていると言える。
ただ何かが足りない。端的に言うと……この楽曲の「メロディ」とは一体どこにあるのだろうか?あるいは「コード進行」というものすら、ハッキリとしていない。
一方で、間違いなくあるのは「リズム」であり、それによる「テンション」の動きだ。
これは乱暴に言い換えるなら、音楽という表現から色彩(コードやメロディ)がほとんど失われ、白から黒へのモノトーンの変化(テンションの変化)だけが残されたような状態だ。Horizonの背景やキャラクターが色彩豊かでSF色が強いのに対して、音楽的な振れ幅には物足りなさを感じる。
Ghost of Tsushimaでも同様に、通常戦闘曲が見事に遷移しつつ毎回キレイに終わる。伝統的な和楽器による音楽がモノトーンなゲームの雰囲気に非常にマッチしているため、この作品においてこれ以外の音楽的な正解があるとは考えにくいが、それでも音楽の色彩にある種の制限がかかっているという事は共通して言えるだろう。
このように、通常戦闘というインタラクティブ性が高い場面において音楽を終わらせようとすると、音楽性を犠牲にせざるを得ない状況が起こり得る。
反応性を持たせながら、音楽性を保とうとしている日本のゲーム
上記2作はいずれも海外のAAAタイトルだったが、日本のゲームではどうだろうか?もちろん、全てを欧米・日本で二分できるわけではないものの、大まかな傾向としては、日本のゲームのほうが音楽性を優先していると見られる作品が多い。
連載でも何度か出している「ファイアーエムブレム」シリーズなどは、楽曲そのものの魅力を損なわないままに、アレンジの変化によって戦闘とフィールド曲をインタラクティブに変化させる工夫を取り入れている。
アクションゲームでも、戦闘とフィールドをアレンジの変化で上手くつなぐことで、音楽的な魅力とインタラクティブ性を両立している例もある。以下は「ASTRAL CHAIN」の場合。
これらのように、戦闘曲を終わらせる(横の遷移)のではなく、フィールド曲とアレンジ切り替えにする(縦の遷移)方式であれば、さほどの音楽的な制限を感じることなく、インタラクティブな変化そのものは実現できる。
なぜ欧米のAAAタイトルではこのような方式が少ないのだろうか?
明らかなように、それは「フィールド曲」の有無によるものだ。環境音を主体として音楽を出来るだけ鳴らさない方式なのか、それとも、フィールド曲を鳴らして、常に音楽を鳴らし続ける方式なのか。では、より本質的な問いとして、なぜ欧米のAAAタイトルでは「フィールド曲」を鳴らさないのか?
1つの答えは冒頭の桜井さんの動画でも言っていた通り「環境音が重要だから」というもの。音響的な面で、常に音楽が鳴っていることへのデメリットがあるという点だ。
しかしここではもう1つ、私なりに音楽的な面から、欧米と日本での認識のギャップを指摘しておきたい。それは、「音楽の繰り返しが忌避されている」というものだ。
繰り返しを忌避する欧米のゲーム音楽
これは海外のゲーム音楽に関する言説(とくにGDCなどで開発者同士で交わされる言説)を見ていない限り、あまり馴染みないかもしれないが、マジな話なのだ。
繰り返し聴くことを前提とする日本ゲーム音楽文化
日本のゲームで育った人間であれば、好きなゲーム音楽を繰り返し聞く事は苦痛でもなんでもない。むしろ、「100分耐久」のようなループ音源を勝手に作り出し、作業用BGMとして無限に流し続けるといった行為に需要があることも明白だ(勝手にやっちゃダメだけど)。

※許諾のない音楽のアップロードは慎みましょう
こうした需要を見越して、Nintendo Musicでは公式に「好きなだけお気に入りの音楽をループ再生する」ための「ながさチェンジ」機能が実装されたりもした。
Listening Fatigue(聞き疲れ)という烙印
だがそんな日本の風潮をよそに、欧米では「いかにゲーム音楽の繰り返しを避けるか」という議論が真面目に展開されている。
次の「Rethinking the audio loop in games」というGameDeveloper.comの記事では、listening fatigue(聞き疲れ)をいかにして回避するか、という観点から、次の4つの改善策が示されている。
1. Inversion of the parts of the song:楽曲を複数のパーツに分けて組み替えながら提示する。たくさんのパーツがあるほど組み合わせの可能性が広がっていく。
2. Mute the melody:メロディは正しく使えば強力だが、欠点もある。繰り返しすぎて没入感を阻害するなら、メロディを消してしまうことで繰り返し感を軽減することができる。
3. Implementation of silence:↑のより強力なバージョンとして、そもそも音楽を何度かループした後に無音に移行するというアプローチも考えられる。音楽がなければ、それに聞き疲れることも無い。
4. Random playlist:シャッフル再生みたいな感じで、毎回違う曲を鳴らす。多様なゲーム音楽が聴けて良いはずだ。
なるほど。それぞれの施策は悪くないアイデアだと思うが、私(日本のゲームで育ってきた人間)としては、そこまでして繰り返しを減らしたいのか?と疑問に感じる。
さらに驚くべきは、以下の記述だ。原文と翻訳を載せるが、
The disadvantages of looping
It doesn't matter how beautiful the composition is. After being repeated over and over, it becomes boring. Here's a simple exercise that proves this: try listening to your favorite music four times. By the fourth repetition, you may not be able to listen to the music at all anymore. The melodies that were once pleasant and pleasing become annoying, and the surprise generated by each new section of the song is gone. In the end, looped music creates an undesired effect: it repels listeners, instead of attracting them.
(訳)
ループの欠点
楽曲がどれだけ美しくても関係ありません。それが何度も繰り返されると飽きてしまいます。このことを証明する簡単な例を挙げましょう。お気に入りの音楽を4回聴いてみてください。4回目には、もう全く聴いていられなくなるかもしれません。かつては心地よく、心地よかったメロディーが耳障りになり、曲の新しいセクションごとに生まれる驚きも失われてしまいます。最終的には、ループする音楽はリスナーを引き付けるどころか、むしろ遠ざけてしまうという望ましくない効果を生み出してしまうのです。
お前……いいからそこに直れ。今からFF3の「悠久の風」を4回聴いてみろ。飽きたか?本当か?もう聴きていられないって?冗談はよしてくれ。
ドラクエ1の「広野を行く」でも良い(こちらは公式音源見つけられず)。あるいは、ペルソナ5の「Last Surprise」でも良い。とにかく、お前の好みの問題はあるだろうが、同じ曲を4回繰り返してさらに聴きたいかどうかに「楽曲がどれだけ美しくても関係ありません」なんて事は、普通に音楽を好きな人なら口が裂けても言えないはずだ。
ハァ……ハァ……つい熱くなってしまった。もちろん、件の執筆者もループやメロディの価値を全否定しているわけではないので、当然わかってはいるはずだ。しかしなぜか、ゲーム音楽の話となると、「繰り返しは飽きるから、技術と工夫で乗り越えよう」という言説が幅を利かせてくるのである。
飽きさせないためにIMを使う、という前提の言説たち
一応、この人だけの突飛な言説ではないという証拠に、他にも記事を貼っておく。こちらは世界で活躍する13人のゲーム作曲家へのインタビューで、彼らがそれぞれ「繰り返しで飽きさせないようにするために、音楽的あるいはデザイン的にどのような工夫をしているか」を問うたものだ。
Super Hexagon / Hollow Knight / Sayonara Wild Hearts / Dead Space / Assassin’s Creed Valhalla / Dear Esther / Celeste / A Short Hike / The Witcher 3: Wild Hunt / Hyper Light Drifter / Dead by Daylight / Call of Duty: WWII / Bloodborneという錚々たるタイトルに携わった作曲家がそれぞれ答えている。
また、私がGDC2017でFF15の発表をした際に(こうした背景を意識して)「IMで繰り返しを減らすことはしない」と赤字で明記したところ、海外のブログ記事でそれが驚きをもって評されたことがあった。
以下が私の作ったスライドで、

これを受けて、Winifred Philips氏という(昨年グラミー賞も受賞された)(GDCに毎年登壇しているからその筋ではお馴染みの)大御所作曲家から、以下のようにコメントされたのだ。
Those of us who have been in the game audio community for years have probably heard countless expert discussions of how crucial it is for video game composers to reduce musical repetition, and how powerful interactivity can be in eliminating musical recurrences in a game.
But for Iwamoto, this consideration is entirely beside the point. "Repeating music is not evil," he says. "Of course, it could be annoying sometimes, but everyone loves to repeat their favorite music, and also, repetition makes the music much more memorable."
So, if eliminating repetition was not at the top of Iwamoto's list of priorities, then what was?
(訳)
我々のようにゲームオーディオのコミュニティに長年いる人は幾度となく 「音楽の繰り返しを減らすことがいかにゲームにとって大切か、インタラクティブミュージックの手法がそのような繰り返しを駆逐するのにどれだけ効果的か」 専門家が議論しているのを耳にしているはずです。
しかし、岩本によるとそのような考慮は的外れであり 「繰り返しは悪ではない」と言います。 「もちろん、場合によっては邪魔に感じることもあるが、 でも皆自分の好きな音楽を繰り返すことは大好きだし、 繰り返しによって音楽がより覚えられやすくなる」。
では、繰り返しを減らすことが最優先ではないとしたら、彼にとってインタラクティブミュージックを使う最大の理由とは何なのでしょう?
かのように、欧米のゲーム作曲家の間では、「繰り返しは減らすべきもの」という言説が根強い。
ここで注意したいのは、果たして欧米のゲームファンの間でもそれが同様に支持されているかどうかは、定かではない、ということだ。
実際の所、FFの曲がどれだけ「うるさい」とか「繰り返しばかり」と専門家から揶揄されたところで、GDCに集まる開発者でさえ、私がプレゼンでFFの曲を流すと拍手で迎えるわけで。最近ではClair Obscur: Expedition 33などの成功例も生まれており、「お前らもしっかりした音楽流すの大好きなんだろ」といえば「もちろんだ」と応えるファンは少なくないと思える。
飽きさせないために、覚えられないジレンマ
結論として、「IMが使われるから印象に残らなくなった」というのは根本原因ではなく、「同じ音楽を繰り返して飽きられないように、どうするか」という目的、課題設定があり、その解決手段としてIMが用いられた、という理解が正しいと思われる。
ただ、既に述べたように私個人としては、そのような課題設定自体がそもそも欧米圏ですらユーザーの期待を正しく反映しているのかは疑問だし、先に紹介した13人のコンポーザーへのインタビューでもChipzelが「自分の音楽を繰り返し聴いても嫌いにならないようにできれば、それほど問題ではない」と応えるなど、別に繰り返しても良いじゃんという意見も当たり前に存在している。
いずれの立場も、どちらかが完全に正しいわけではない。印象に残ることと、変化を用いて飽きさせないことは常にバランスの問題だし、それがトレードオフになる、という事も明らかだ。
最後に、このトレードオフを上手く説明するためのレトリックとして、音楽の「重さ」という概念を紹介して終わりにしたい。
音楽の「重さ」という概念
ここでいう「重さ」はテンポがゆっくりとかそういう意味ではなく、可変性という意味で「動かしにくい音楽=重い音楽」で、「動かしやすい音楽=軽い音楽」という意味になる。
こちらはCRI TechSummit 2022で「重い音楽と軽い音楽 欧米と日本のゲーム音楽の違いについて」と題して講演を行った際の資料なのだが、

この考え方の元となったのは、「ワンダと巨像」や「人喰いの大鷲トリコ」で培った巨大キャラクターアニメーションを作る上でのコツについてgenDESIGNの田中氏が行ったCEDEC講演であった。そこでは、巨大なキャラクターを説得力をもって動かすためには「すぐに動き出さない」「すぐに止まらない」という物理法則を守って違和感をなくすことが重要とされた。
音楽とは全く関係のない講演だったが、私はこれが音楽にもそのまま当てはまる事を直感した。すなわち、
重い音楽=巨大な音楽
・長いメロディ、長いループ、調性や拍子の変化を含む展開
・すぐに変化できない
・曲単体で聴いても魅力的
軽い音楽=小さい音楽
・短いフレーズ、短いループの組み合わせ、調性や拍子が統一されている
・すぐに変化できる
・曲単体で聴くと印象に残らない
のように対応させると、重い音楽を停止させるには、それなりのコード進行やメロディが終始するまでの流れが必要で、すぐに止まることは出来ない、という事が直感的に表現できる。
一方で、冒頭で紹介したHorizonやGhost of Tsushimaのように、短く細かいフレーズを組み合わせて作られた軽い音楽であれば、どのタイミングでも音楽の終わりに繋げて急停止させることに、さほどの違和感はない。
この表現であればトレードオフを直感的に表せるため、ゲーム音楽のディレクションなどにおいては共通言語として活用できると思う。例えば、このゲームにおける音楽の「重さ」をどれくらいにしたいか?Ghost of Tsushimaなのか、ゼルダの伝説 BotWなのか、あるいはファイナルファンタジーくらい重くても良いのか?とか。
そのうえで、FFくらい重たい音楽をしっかり流しながら、それを軽々と変化させるというのは結構大変な事である、という覚悟をもって、5.組織論:インタラクティブミュージックは技術があれば可能、という神話の内容なども参考にしつつベストな音楽演出が探れると良いだろう。
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連載全体あるいは一部でも「これは有料級だ」とご納得いただけたら、こちらのおまけ有料記事をご購入いただけたら幸いです。
反響&参考資料
こちらの記事がプロも巻き込んで大反響を頂いており、恐縮です。私としても、まだまだ制作側の1つの論理を紹介したまでで、全ての論点を網羅できたとは考えておりませんので、リンクを並べるだけですが、「こんな論点・意見も大事だな」と思ったものを、紹介させていただきます。
まず私からの補足として、以下のように、海外の研究でも、ユーザーへの定性調査において、とくにライトモチーフを繰り返し用いるような演出は好ましい、とされていました。
イギリスの大学の論文によると、インタビューをもとに定性調査においても、ライトモチーフの活用は是とされていますね。
— じーくどらむす/岩本翔 (@geekdrums) September 7, 2025
・繰り返しすぎると「Overfamiliar(慣れすぎ)」に感じて楽しみが減る。
・繰り返しによってライトモチーフが適切に提示されることは好まれる。https://t.co/SS467ApRlE https://t.co/2bzsjdmNaJ
次に、青木さん(作曲家としてStreet Fighter V、Bayonetta 3、Astral Chain、戦国BASARA3、FF15など多数に参加)が執筆された「ゲーム音楽におけるメロディの力」という一連のnote。
FF15のエンディングの焚き火のシーンがあんなにも心に残るのは、およそ2分半の間1音も曲が鳴らないからだと思っているし、「鳴っていないこと」も含めて音楽演出であることがよく分かる。印象に残る音楽演出=印象に残る曲ではなかったりする。
— Godspeed/青木征洋 (@Godspeed_ViViX) September 7, 2025
印象に残る音楽がゲーム体験を破壊するリスクもあるよねという、ゲーム音楽におけるメロディの力について4年前に書いてました。https://t.co/SZe6t8TIsI
— Godspeed/青木征洋 (@Godspeed_ViViX) September 7, 2025
↑のnoteを最後まで読めばわかりますが、
この記事はよくある自国批判&西洋エンタメ礼賛的な主張ではなく日本のゲーム音楽が愛されてきた要因であるメロディを今後も活かすために日本人が何かを学び磨く必要があるのではないかという問題提起です。西洋のゲーム音楽とは文化の差で片付けて良い部分と洗練度の差として認識すべき部分が両方存在することからは逃げられないと僕は思っています。
です。
他にも、作曲家の方々から貴重なコメントが。
メルブラシリーズなどの作曲で知られるRAITOさん。
私も青木さんに同意。ゲーム音楽という存在は非常に脆くて、ミュートされるし、簡単に切り離される。
— RAITO/来兎 (@lisa_rec) September 7, 2025
だから作曲家としては耐久性ある音楽を作る努力はするけど、プレイヤーが別の好きな曲に差し替えることは受け入れる必要がある。 https://t.co/UUGZuMaXQB
そして、元任天堂で「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」にも参加された岩田恭明さん。
私としては、繰り返し耐性もありつつ、心に残る曲を書きたい…! https://t.co/wbwYVbxTTV
— Yasuaki Iwata / 岩田恭明(いわた やすあき) (@yasui_wata) September 7, 2025
また、hallyさんからもコメントいただき(恐縮です)、歴史的な面からの補足もいただきました。
見事な論考です。「最近のゲーム音楽は…」はインタラクティヴミュージック以前、2000年代初頭から延々続く言説ですが、それは欧米のゲーム音楽作法が「繰り返し」を未だ論理として消化できていないことと無関係ではありません。繰り返し型ゲーム音楽の知見と常識は全て日本がもたらしたものだから。 https://t.co/aJhq2153z6
— hally (VORC) (@hallyvorc) September 7, 2025
私も読みましたが、以下の記述がドンピシャで今回の話題と結びつくので、必読です。
私からは制作観点からの整理になりましたが、歴史的な経緯についてはやはり @hallyvorc さんの著書「ゲーム音楽はどこから来たのか」をご覧いただくのが一番です。
— じーくどらむす/岩本翔 (@geekdrums) September 7, 2025
「3.ヴィデオゲームにBGMが定着するまで」の章で、なぜ日本のゲーム音楽が「鳴りっぱなし」で定着したのか、という話が出ています。 pic.twitter.com/RRPgAd85XV
本書の最終部では、ゲーム音楽の「繰り返し」によって、没入の向こうにある「身体化」が起こる、という整理がされており、参考になります。
ゲームは繰り返しプレイされるメディアとしての特性がある。そのゲームおよびゲームサウンド体験がプレイヤーを繰り返しその聴取にいざない続けることができれば、プレイヤーの聴取モードも切り替わっていく、という事がゲームサウンドの体験において非常に重要である。…
— じーくどらむす/岩本翔 (@geekdrums) December 23, 2024
また、追記で以下のようなご指摘もいただきました。私の筆が足らず申し訳ない(自分も、全く持ってそのとおりと思います)。
例えばミニマルテクノに対して「コードやメロディがない」と批判するのが的外れであるように、振れ幅に制約があるところには、異なる評価軸と聴き応えがあったりもします。僕自身Horizonの音楽にはそうした方向での魅力を感じていたので、色彩の制約もまた良し悪しである、とは言っておきたいかなと。 https://t.co/q5CqZBMRjT
— hally (VORC) (@hallyvorc) September 7, 2025
実際問題、「軽い音楽」の中でどのように音楽的魅力を作っていくか?というのはゲーム作曲家の腕が問われる部分であり、Horizonの音楽もそうした軸で評価されうると思います。
個人的に、カプコンさんが今度出す「プラグマタ」の新映像を見たときに、軽い音楽ながらも、終わり方の味付けがすごくて、こういう手もあったか!と唸りました。
通常戦闘曲の終わらせ方問題は、解決法がほんと色々あって、プラグマタのこれは音楽的に少し新しくて面白い(3分あたり)。パズルだから敵配置がちゃんと間隔空けて決められているという都合もありそう。 https://t.co/uZhQ7CwJpw
— じーくどらむす/岩本翔 (@geekdrums) September 7, 2025
あと、(この方以外にもいくつか上がっていた)音楽の「使われるゲーム場面による」というご指摘。
悠久の風って音楽の良さという文脈だけで語られがちだけど、暗い洞窟や街から出て、「これから冒険が始まるぞ!」というナラティブがあの美しくてどこか切ないサウンドを引き立ててると思うので、音楽にも文脈ってめちゃくちゃ大事だと思う
— Ayatsugu_Otowa@youtube始めました。 (@Ayatsugu_Otowa) September 7, 2025
これもまさにそのとおりで、今回は音楽制作側の視点しか扱えませんでしたが、次の神話で「ゲームの音楽演出」という観点から、音楽を「どこで使うのか」という話題にも触れようと思っていますので、お楽しみに。
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