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信以て義を行い、義以て命を成す ― 高市総理大臣の覚悟


 政治の言葉には二種類ある。
 空気を震わせるための言葉と、
己を縛るための言葉だ。

 今回の施政方針演説の冒頭に置かれた
「信以て義を行い、義以て命を成す」
という一句は後者であったと、
私は受け止めた。

信をもって義を行う

 「信」は信頼であり、
誠実さであり、
揺るがぬ姿勢だ。

 政治において信とは、
支持率でも、拍手の大きさでもない。

 国民との約束を守るという、
厳しい責任である。

 「義」は正しいと信じる道。
 損得や空気ではなく、
筋を通すこと。

 つまりこの前半は、
『信頼に立脚し、正しいと信じる道を実行する』
という意味になる。

 これは単なる理想論ではなく、
政治家にとって最も厳しい宣言だ。
 なぜなら「信」を失えば、
「義」はただの独善になるからだ。

義をもって命を成す

 後半はさらに重い。

 「命を成す」とは、
天命を全うする、使命を果たすということ。

 政治家にとっての「命」とは何か。
「言葉の遊び」や「駆け引き」ではない。

 国家の進むべき方向を示し、
それを実現するという
国民から託された責務である。

 つまりこの一句は、
『正義を貫くことによってのみ、
与えられた使命を果たす』
という宣言でもある。

 ここには逃げ道はない。

終戦の詔書と昭和の漢学

『信以行義、義以成命。』は、
『春秋左氏伝』という中国の古典史書
からの引用とされている。
 昭和期の漢学者・安岡正篤が、
紹介したことで広まった。

 終戦の詔書をめぐる議論の文脈でも、
「義」と「命」という概念は、
日本の進路を考える際の精神的軸として語られてきた。

 つまりこれは単なる古典趣味ではない。
 国家の岐路に立つときに引き出される言葉なのだ。

冒頭に置いた意味

 演説の冒頭にこの言葉を置くということは、
 「私はこれで政治を行う」
という宣言である。

 支持者にとっては、
これほど頼もしい宣言はない。

 反高市勢力は、
高市総理大臣と同じ覚悟があるのか問われるだろう。

理想の実現という覚悟

 私は、この一句を
理想を実現するという覚悟の表明
だと受け止めた。

 理想を語ることは容易い。
 理想を貫き、実現することは難しい。

「信」と「義」という二つ文字で自らを縛る。
 その上で「命を成す」と言う。

それは、自ら発した言葉で自らを律する政治の姿だ。

言葉が試される時代

 もちろん、真価はこれから問われる。

 言葉は掲げた瞬間から、
未来の検証に晒される。

 だが、政治の世界でこうした古典の一句を
あえて冒頭に置いたこと自体、
軽い決意ではないと私は思う。

 信が崩れれば義は立たず、
義が揺らげば使命は果たせない。

 この一句は単なる飾りや前置きではなく、
高市総理大臣の施政を測る冷徹な物差しになる。

 僅か八文字に、高市総理大臣の国民に対する
重い約束が込められている。

最後に

 今までの歴代総理大臣の施政方針演説は、
官僚が作成した原稿を、
ほとんど棒読みするだけのものが多かった。

 高市総理大臣の演説は、
時々、ドスの効いた声を交える一方、
笑みも浮かべながら、
(官僚の原稿を踏まえながらも、)自身の言葉で、
自信を持ち、力強く述べていた。

 議場には、
与党の『そうだ!』の声と拍手の音だけが力強く響き、
野党の野次が全く聴こえなかった。

 それは、
数で負けていただけが原因ではないように思う。

 皆様、
『未来への挑戦』を共に進めてまいりましょう。
『希望を生み出す政治』を共に進めていこうではありませんか。


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