マネ×ゴト Vol.43——「分かっていない」と「分からない」を区別する
私の専門分野——セキュリティは、正直に申し上げてしまえば、相手から距離を置かれやすい領域です。それも、ITの中でも、特に。
「その分野は素人なので」
「その分野は分からないので」
こうした言葉を、これまで何度も聞いてきました。
もちろん、それ自体が悪いとは思っていません。誰にでも専門はありますし、すべてを理解することなど不可能です。私自身も、他分野においては素人ですし、分からないことだらけです。
ただ、どうしても気になってしまうことがあります。それは、「分かっていない」と「分からない」が、同じように扱われている場面です。
今日はこの違いについて、マネジメントという観点から考えてみたいと思います。
「分かっていない」は入口に立っている
「その分野は分かっていないので、教えてください」
こう言われたとき、私はとても前向きな印象を持ちます。なぜなら、「分かっていない」と言う人は、すでに理解の土俵に立っているからです。
自分はまだ十分に理解していない。しかし、理解すること自体は可能であり、その価値も認めている。
そこには、学習の意思があります。
一方で、「その分野は分からないので」と言われるとき、そこには時折、別のニュアンスが混ざります。
分からない。だから関与しない。
分からない。だから判断しない。
分からない。だから責任を持たない。
このニュアンスが漂った瞬間、議論の場に小さな境界線が引かれます。
Vol.28で「境界線を設ける」ことの大切さを書きましたが、ここで引かれる境界線は、守るための線ではなく、関わらないための線になりがちです。
専門性には階層がある
専門知識の理解には、構造があります。
第一に、専門家として必須の理解度。
第二に、専門外であっても押さえておいてほしい理解度。
この二層は、明確に分かれています。
たとえば、私の専門領域においては、技術的な詳細や運用の実装レベルまで理解する必要があるのは専門家だけです。しかし、意思決定者や関連部門の方には、最低限「何がリスクで、何がリスクではないのか」「どこに投資すべきか」という判断軸は共有してほしいと思っています。
ここで「素人なので」「分からないので」と言われてしまうと、この二層構造自体が無意識に否定されてしまいます。
専門家でなければ、何も理解しなくてよい。
完全に分からなければ、触れなくてよい。
そんな二択の世界観になってしまうのです。
しかし、仕事の世界はグラデーションでできています。ゼロか百かではありません。
「専門家ではないが、最低限は理解する」
「完全には分からないが、論点は押さえる」
この姿勢を見せることこそが、組織全体の生産性を底上げするのではないでしょうか。
「分からない」は思考停止になりやすい
「分からない」と言った瞬間、安心する人もいます。それ以上考えなくてよくなるからです。
しかしマネジメントの文脈では、「分からない」はしばしば思考停止の入り口になります。Vol.22で「心構えをしない」と書きましたが、実は「分からない」という言葉は、一種の心構えになり得ます。
(私は分からない側の人間です。だから、この議論の責任は持ちません)
この立場に立つと、楽になります。しかし同時に、影響力も手放すことになります。
仕事とは、関与した分だけ影響力が増す営みです。分からないまま距離を置くことは、自分のレバーを手放すことではないでしょうか。
プロフェッショナルとしての「分からない」
では、「分からない」と言ってはいけないのでしょうか。もちろん、そんなことはありません。
むしろ、プロフェッショナルであればあるほど、「分からない」と正直に言うように思います。
ただし、その後が違います。
何が分からないのか
どこまでが分かっていて、どこからが分からないのか
どうすれば分かるようになるのか
これを分解します。「分からない」という状態を、解像度高く扱うのです。
私は、分からないことに対するプロフェッショナルな態度とは、「分からなさを構造化し、行動に変換すること」だと思っています。
分からないから学ぶ。
分からないから聞く。
分からないから仮説を置く。
ここまで進めば、「分からない」は弱さではなく、推進力になります。
自分の土俵を広げるために
Vol.8で「経営を読む力」について書きました。
Vol.9では「仕事を知る」ことの重要性に触れました。
これらに共通するのは、自分の専門外にも足を踏み入れる姿勢です。
もちろん、すべてを専門家レベルで理解することはできません。しかし、最低限の構造を知ることはできます。
この分野の目的は何か
成功とは何か
失敗とは何か
自分の仕事とどう接続しているか
この問いを持つだけで、「分からない」は「分かろうとしている」に変わります。Vol.41で書いた「話を接続する」ことにも通じますが、仕事は接続のゲームです。
分からないと言って線を切るのか、分からないからこそ線をつなぎにいくのか。この違いは、数年後に大きな差になるのではないか? と、信じています。
専門家側の責任
ここまで読むと、「分からないと言う側が悪い」と言っているように聞こえるかもしれません。しかし、そうではありません。専門家側にも責任があります。
専門家が、
「それは難しいので分からなくて当然です」
「専門家でないと理解できません」
と振る舞ってしまえば、相手は二度と土俵に上がってきません。
私は、自分の専門領域について、
専門家でなければ理解できない部分
専門外でも理解してほしい部分
を意識的に分けるようにしています。
そして後者については、できるだけ構造化し、翻訳します。
Vol.36で「よい手順書を書こう」と述べましたが、翻訳も同じです。相手の立場で再構成することが、専門家の仕事の一部だと思っています。
「分かっていない」は成長の余白
「分かっていない」という言葉には、余白があります。そこには、伸びしろがあります。
Vol.2で「真似と成長」について書きましたが、最初は分かっていなくて当然です。
分かっていないから真似をし、真似るうちに構造が見えてきます。
問題は、「分からない」という言葉で、その余白を自ら塗りつぶしてしまうことです。
私は、できるだけ自分に対しても、「まだ分かっていない」と言うようにしています。
まだ、です。
この一言を足すだけで、未来が開くからです。
きます。
マネジメントとしての区別
マネジメントとは、資源配分の技術です。
時間、注意力、学習機会、関与度合い。
これらをどこに投下するかを決める営みです。
「分からないので」と線を引くことは、その分野への資源配分をゼロにする決断です。一方で、「分かっていないので教えてください」は、少額でも投資するという意思表示です。
すべてに投資する必要はありません。しかし、自分の職務に接続する領域については、最低限の投資をする。その姿勢が、長期的な価値創出につながります。
Vol.6で「自分の価値を最大化」と書きました。
価値とは、専門性そのものだけでなく、他分野と接続できる幅でも決まります。その幅を広げる第一歩が、「分かっていない」と認めることなのだと思います。
おわりに——分からなさと共に働く
仕事をしていると、分からないことは減りません。むしろ、増えていきます。役割が広がるほど、視野が広がるほど、自分の無知に気づきます。
だからこそ、
「分からないから離れる」のか、「分かっていないから近づく」のか。
この小さな選択を、大事にしたいと思っています。
私自身、専門家として振る舞いながらも、常に多くの分野で素人です。だからこそ、「分からない」という言葉の扱い方には敏感でありたいのです。
分からないことに対するプロフェッショナルなマインドとは、分からなさを受け入れ、分からなさを構造化し、分からなさを行動に変えること。そして、「まだ分かっていない」と言い続けること。
この姿勢を、これからも自分自身のマネジメントの軸に据えていきたいと思います。
