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一緒にお茶を飲んでみたい〈1〉

 幼い頃、同じ事故で父を失ったしのぶと紘人。
 二人は支え合い、かけがえのない幼なじみとなった。しかし母に再婚話が持ち上がったことで、紘人の心は荒れ狂い、寄り添い続けたしのぶも、暴走する紘人に耐え切れず距離を置いてしまう。
 そんな中、バイト先の蕎麦屋《しま藤や》で出会った兄弟、草太朗と葉次朗との交流が、しのぶに紘人との関係を見つめ直すきっかけを与える。だがその矢先、紘人は「一緒に死んでくれ」と告げ、しのぶを連れ去るのだった。
 亡き父への思慕と、今を生きる母への思いに揺れるしのぶと紘人。
 それぞれの心の傷と向き合いながら、父の死によって止まった時間が再び動き出すまでの、葛藤と解放、愛を描いた物語。

あらすじ(300文字)



 すでに十二月が始まっている。
 あんなに暑かったのが嘘みたいだと思いながら、しのぶは冬空の下を歩いていた。
 夏休みの猛暑の日、
「もぉー! この暑さ、いつまで続くのぉー!」
 しのぶがソファーで悲鳴を上げていると、母のあやめが
「大丈夫よー。八月なんて、もう年末みたいなもんよ。気づいたら、あっという間に、十二月が始まっちゃうんだからー」
 そんな乱暴なことを言った。
 八月が年末なら秋はどうなるんだ  としのぶは思ったが、母の言うとおり、秋は猛スピードで去って行き、あっという間に十二月も半ばを過ぎてしまった。 

 あの頃、しのぶの髪型はまだ、茶髪交じりのロングヘア―だった。髪の根元が伸び、地毛と染めた茶髪の境目がくっきり目立つ状態で、毛先も傷んでパサパサだった。だが、そんな髪でも保温効果だけはあったらしい。

 しのぶは身につけていたマフラーを口元まで持ち上げる。
 風が吹き込む隙もないほど、マフラーをぐるぐる巻きにしたのに、なぜか首回りが落ち着かない。ショートヘアーは身軽で快適だが、このままでは風邪をひきそうだ。

「そんなんで風邪ひくなんて、ぶーは体弱すぎなんだよ」
 馬鹿にする紘人ひろとの声が聞こえてくる気がした。
 紘人はいつも、しのぶのことを「ぶー」と呼んでいた。しのぶの《しの》を省いて語尾を伸ばして、
 ぶー。
 あまりに無礼な愛称だ。
 風邪などひいてたまるかと、しのぶは勢いよくはなをすする。冷えた空気を吸い込んだせいか、鼻の奥がツンとした。

 紘人とひと月以上、話をしなかったのは初めてのことだった。紘人と《いったん》距離を置くために、しのぶは気合いを入れて長かった髪を短くし、心を鬼にして紘人を遠ざけた。
 幼なじみの腐れ縁。
 そうまでしないと、きちんと離れることができないような気がしたのだ。 

 だが、その《いったん》が、思いのほか長引いている。
 そのうち紘人のほうが根を上げて、自分に話しかけてくると思っていたが、目論見は外れてしまった。紘人の意地は、しのぶが思うよりも根の深いもので、その頑なさは、この世界のすべてに向けられているように見えた。

   もう、元の関係には戻れないかもしれない。
 そう思い、しのぶの胸がざわめき出す。
 不安になればなるほど、紘人のことが気になって仕方がない。それなのに、簡単に歩み寄ることもできなかった。
「悪循環だなぁ……」
 小さくつぶやきながら、しのぶは《しまふじや》の引き戸に手をかけた。

「おはようございまーす」
 営業中は表に出ている紺色の暖簾のれんが、内側に掛けられている。それを手で掻き分け一歩足を踏み入れると、店内の暖気がふわりとしのぶの体を包み込んだ。
「おはよー、今日もよろしくねぇー」
 《しま藤や》の二代目店主、武弘たけひろの妻、紀子のりこが厨房から出てくる。

「しのぶちゃん、随分と格好がおとなしくなった気がするねぇ。あと、話し方もだいぶ普通になったし」

 ギャルっぽい外見のしのぶを、アルバイトとして雇うことを決めたのは、紀子だった。元々、派手にしていたのは化粧やまつ毛や髪の毛くらいで、服はこれまでと変えていない。人の視線が集まる顔の周辺を変えるだけで、印象がかなり違って見える。

「髪が短くなって、黒髪の部分が増えたでしょう? 今までと同じメイクだと顔だけ浮くし、いろいろ面倒になっちゃって、もうギャルっぽいことは、全部止めちゃった」

 元々、やりたくてやっていたわけではない。
 紘人が「オレ、金髪にするから、ぶーも染めろよ」と言ってきたので、付き合ってやったまでのことだ。いつもなら、そんな誘いは突っぱねるのだが、あのときは付き合ってやらないといけない気がした。そうじゃないと、紘人が壊れてしまうと思ったのだ。

 校則のゆるい学校なので、髪を染めている者は他にもいる。だが、しのぶと紘人は、そういうことをすすんでやるようなタイプではなかった。はたから見ても、ふたりはどこにでもいる真面目な高校生に見えたはずだ。

 そんなしのぶと紘人の激変にクラスはざわつき、それまで仲が良かった子とも疎遠になった。見た目でひとつで簡単に人間関係が変わってしまうことに驚いたが、そんな体験も人生経験のひとつだと思ってやり過ごした。

「でも、しゃべりほうが、なかなか元に戻らないんだよね」

 しのぶは紀子に言う。
 新たに仲良くなった友達は皆ギャルで、彼女たちと話を合わせるうちに、しのぶの話し方もすっかりギャルっぽくなってしまった。
 格好を戻しても、ギャル言葉の癖が抜けない。
 これまで自分のことを《あーし》と言っていたのを、ようやく《あたし》に戻せた程度だ。一度あの軽快さを覚えてしまうと、口のほうが勝手にギャル語をしゃべってしまう。

「あー、そういうのあるよね。知り合いに青森の人がいるんだけどさ。訛りを直すのが大変だったって言ってたもん」
「そっか。じゃあ、あたし今《ギャル訛り》なんだ」

 見た目を元に戻したら、新しくできたギャル仲間から、除け者にされると思ったが、実際はそうでもなかった。話し方が直らないのはそのせいだろう。
「様変わりして、お母さんもびっくりしたんじゃない?」
「全然」
 あやめは娘の短くなった髪を見て、
「ショートにしたんだね。似合うじゃん」と、言っただけだった。
 初めて茶髪にしたときは、さすがに驚いて目を白黒させたが、
「ライオンみたいな色だね」と笑っていた。

「しのぶちゃんのお母さんって、割と大らかな人なんだ」
「そうかも」
 父親が死んでからというもの、母ひとり子ひとり。大らかじゃないと、やっていけなかったのだろう  、としのぶは思っている。

「それじゃあ、ぱぱっと掃除しちゃおっか」
 紀子の掛け声に、「はーい」と返事をし、しのぶは店の屋号の入った前掛けをして、手ぬぐいをきゅっと頭に巻いた。

 厨房の汚れは、閉店してすぐにきれいにするが、その他は開店前に掃除をする。床を掃き、モップで水拭きをし、テーブルや椅子をアルコール消毒しながら拭いていく。すべてが終わったところで、ちょうど開店一時間前になる。

《しま藤や》は通し営業なので、決まった昼休憩がない。特に混み合う土日は、営業前にまかないをしっかり食べることにしている。
 しのぶは《しま藤や》の中華そばが好きだ。
 蕎麦屋なのに客の七割は中華そばやチャーシュー中華、ワンタン中華を注文する。だからといって、蕎麦がまずいわけではない。

 夏頃、まかないで《辛味冷やしそば》という季節限定のメニューを食べさせてもらったことがあった。薬味と揚げ玉と錦糸玉子と細切りのかまぼこの他にわかめがのって、さらっとラー油が掛かっている。キリッとしたそばつゆと、ラー油の相性が抜群だった。

「この店、蕎麦も美味しいんだね!」
 思いがけぬ味に口を滑らせたら、
「しのぶちゃん、うちは蕎麦屋なんだよ」
 店主の武弘は、そう言って笑った。

 まかないのとき、しのぶには店のメニューを作ってくれるが、武弘と紀子は余り物で済ませている。わざわざ作ってもらうのも忍びないので、同じものでいいと話したら、
「店の味を知っておいてほしいから、バイトさんには、店のメニューと同じものを食べてもらってるんだよ」
 と、武弘は言った。

 初めてのお客さんに、おすすめを訊かれても、食べたことがあれば味の説明ができる、というのがその理由だった。
「なるほどねー、バイトに店のメニューを食べさせることは、お客さんへのサービスにもなるんだ」
 しのぶがうなずくと、紀子が顔をほころばせた。
「しのぶちゃんは打てば響く子だから、本当に助かるわ。ああ、しのぶちゃんみたいな子が、うちの馬鹿息子たちのお嫁さんになってくれたら、我が家も安泰なんだけどねぇ」
 冗談半分にそう言って、紀子は笑った。
 そんなことを思い返していると、厨房から声がかかった。

「しのぶちゃーん。今日のまかないは何にする?」
 しのぶが掃除道具を片付けながら、どうしよっかなぁ、と店内にぶら下がるメニューの短冊を見回していると、
「おぉー、ちょうどまかないの時間かぁ。父ちゃん、俺にも中華そば作ってよ」
 店と自宅とを繋ぐ出入り口から、馬鹿息子のひとりがやってきた――、といっても、実際は馬鹿ではない。長男の草太朗そうたろうは、名門大学文学部の学生で、本と漫画を友とする好青年だ。屈託のない笑顔からは、人の良さがうかがえる。

 以前、しのぶが、
「草太朗君って、よく人から道を訊かれるタイプでしょう?」
 と訊ねたら、
「えー、なんでわかるの?」
 占い師に心の内を言い当てられたように、草太朗は目を丸くしていた。

 中学校の頃、修学旅行先の京都で、着物をまとった妙齢のご婦人に、
「金閣寺に行くにはどのバスに乗ればいいのでしょう」
 と、訊かれたことがあるそうだ。
 京都にいる学生服の集団は、どう見ても修学旅行生なのに、ご婦人は草太朗を目がけてやってきたらしい。

 草太朗は黙っていても、どこか朗らかだ。人を惹き寄せる天真爛漫さは、昨日今日で作られたものではないのだろう。しのぶも、そんな草太朗に少なからず好感を抱いている。

 中華そばを食べたがる息子に
「なんだなんだ、うちで働きもしないで、まかないだけ食うつもりか?」
 無銭飲食だと言わんばかりに、武弘は顔をしかめた。

 そうは言っても武弘は、長男の草太朗がかわいくて仕方ないのだ。本当はほいほい作ってあげたいところなのだが、照れもあるのか、つい、文句を言ってしまう。

「あたしも今、中華そばにしようと思ってたところだったんだ。ねぇ、おやじさん。一人前も二人前も大して変わんないじゃん。ついでに作ってあげたら?」
 しのぶが助け船を出す。 
「まぁ、しのぶちゃんも中華そばにするなら、まぁ……」
 武弘はごにょごにょ口の中で文句を言いながら、中華そばの麺を二玉、大鍋に放り込んだ。
 草太朗はしのぶに目配せをして、ありがとう、と礼を示す。しのぶも、どういたしまして、と視線を返した。

 草太朗と同じ空間にいると、それだけでのんびりした気持ちになる。紘人のことで溜まっていた憂さが、すーっと晴れていくようだ。こういう人が跡継ぎになれば《しま藤や》も安泰なのだが、当人に継ぐ気はないらしい。

「今日、葉次朗ようじろうくんは?」
「夜中まで起きてたみたいでさ、まだ寝てる」

 天真爛漫な草太朗に比べ、次男の葉次朗は内向的だ。しのぶと同い年のはずなのだが、顔を合わせてもろくに挨拶もしない。口の中をもごもごさせて、軽く会釈だけして去ってしまう。

 同じ兄弟で、どうしてここまで違うのかと思ってしまうが、そんな周囲の気配が、葉次朗を内にこもらせてしまったのだろう。しのぶは、なんだか葉次朗が気の毒な気がして、顔を見ると、とりあえず声をかけてしまう。

「あの子ったら、いつもむっすりしてるから、何を考えているのか、よくわかんなくってねぇ」
 紀子が首を振る。
 でもしのぶは、葉次朗にも優しい一面があることを知っている。

 バイトのない平日、しのぶは武弘の母のマツエとお茶をするために、《しま藤や》に行くことがある。
 住居に上がらせてもらうとき、三和土たたきに下りて鍵を開けようとするマツエを、葉次朗は背後からそれとなく見守っている。マツエがどら焼きを食べたいと洩らせば、すすんで隣町まで買いに行く。
 草太朗と葉次朗、どちらも馬鹿息子ではない。



第2話につづく
このお話のマガジンへ

一緒にお茶を飲んでみたい〈2〉https://note.com/hanamarue8787/n/n1330fc8cc1bd

一緒にお茶を飲んでみたい〈3〉
https://note.com/hanamarue8787/n/nb26530d0e7c1

一緒にお茶を飲んでみたい〈4〉
https://note.com/hanamarue8787/n/nc184403a0631

一緒にお茶を飲んでみたい〈5〉
https://note.com/hanamarue8787/n/nb706244e809d

一緒にお茶を飲んでみたい〈6〉
https://note.com/hanamarue8787/n/n156834e9aa5c

一緒にお茶を飲んでみたい〈7〉
https://note.com/hanamarue8787/n/n061acc8b9287

一緒にお茶を飲んでみたい〈終〉
https://note.com/hanamarue8787/n/n5d0cb2c4094b


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