『美山考』第4章 沿革【260503】
南丹市美山町の地域史についての考察
改訂履歴
古代より連綿と引き継がれてきた「桑田郡」は、明治12(1879)年に、現在の亀岡市一帯を南桑田郡、それより北の地域を北桑田郡として分割されたことにより、その名称を終えることになった。
「別表B 美山地域の沿革」は、北桑田郡内で、のちに美山町となる地域の沿革についてまとめたものである。各項目について以下に補足する。
1. 地名ID.
地名の個別番号(4桁)を次の番号体系で設定する。
・1桁目:地区番号(1:鶴ケ岡、2:大野、3:宮島、4:平屋、5:知井)
・2~3桁目:01~:各地区内の現地名に対する追番
・4桁目:1~:現地名内の追番(村名ごとの追番)、0:現地名と村名が一致するもの
2. 地名
明治初頭の小学校区を示したものと思われる「丹波全図」から、美山地域に該当する村名を抽出したものを地名とした。一部については現在使われている地名と組み合わせて表記した(例えば、福居(山森)。本考察で使用する地名表記は、基本的に本欄に依るものとする。
3. 戸数
「丹波全図」記載の戸数を引用した。奇しくも「日本歴史地名体系」に掲載されている「京都府管轄便覧」(1872年)の戸数と一致したため、その年を項目名に記載した。
4. 禁裏御料
「京都府北桑田郡誌」では、平安初期に弓削郷の一部として、平屋、鶴ケ岡、知井の各地区が禁裏御料地であったとしているが、ここでは「日本歴史地名大系」で 1802年に禁裏御料になったとする村名に〇印を付した。知井地区の各村が該当するようである。
5. 神社・氏子
宮島・平屋地区は道相神社(宮脇)、鶴ケ岡地区は諏訪神社(川合)、知井地区は八幡神社(北)のように、各地区の郷神社の氏子が、集落を跨いで多くいることが見て取れる一方で、大野地区については各集落内にある神社の氏子であることが多いように見受けられる。この差異は古代に始まる土地開発について何らかの示唆を与えているのかもしれない。
神社の詳細については「第9章 神社と寺院」を参照のこと。
6. 寺院・檀家
近隣村にある寺院の檀家になっている様子がうかがえる。特定の宗派に偏らず各宗派の寺院が存在するが、浄土真宗と曹洞宗の寺院が若干多いようである。浄土真宗については、後述する蓮如上人の伝承が要因のひとつであることも考えられる。
寺院の詳細については「第9章 神社と寺院」を参照のこと。
7. 行事
地域の風土と風習を表す重要な要素であり、美山各地域には多くの伝統行事が継承されている。別表B に引用した各行事の概要については「第10章 行事と食文化」で紹介する。
8. 遺跡・史蹟等
「京都府遺跡地図 第3分冊」「京都府北桑田郡誌」「美山町誌」を参考にした。
各遺跡・史蹟の背景については「第11章 伝承と人物」「第12章 遺跡」に示す。
9. 古代
美山地域の大部分が弓削郷に属していたことは「第3章 桑田郡」で述べた通りである。大野地区については、弓削郷に属していたか不明であるため「弓削郷?」とした。
10. 中世
中世になると、土豪の川勝氏が神楽坂以北(野々村、棚野村)を所領し、川勝光照の頃に全盛を迎えた。領内に築いた山城、今宮城跡(高野 今宮)、乾城跡(鶴ケ岡 棚)などが今に伝わる。
川勝氏の系譜については「第11章 伝承と人物」、城跡については「第12章 遺跡」、美山町域と周辺地域の動向については「第5章 中世」を参照されたい。
11. 近世
関ヶ原の戦い以降、美山町域のほとんどは園部藩と篠山藩が治めるようになったが、江戸期を通じて領主と領地の関係には若干の変動があったようである。両藩による領地支配の状況については、「第6章 近世」を参照されたい。
12. 明治初頭
明治初頭に存在したと思われる村名である。そのほとんどが元禄郷帳(1700年)にも見えることから、各村の発足が中世以前に遡ることが充分に推測される。本欄で示す村名の多くが、明治3年と同9年の合併を経て、現在の美山町内で使われている地名の原形になっていることが見て取れる。
13. 明治3(1870)年以降
別表B には表記していないが、明治初頭の一時期に「区」や「組」を行政区画とし、桑田郡内の村は、第1区~第24区に分けられ、その内、北桑田郡は第15区~第24区、美山地域は第21区~第24区が該当した。
表4-2 は、別表B から明治期以降の沿革を抜き出し要約したものである。
明治維新直後の一時期、美山地域は久美浜県や豊岡県に属し、周辺地域を含めた行政区割りは短期間に再編されるなど混乱状態であったが、明治4年に京都府に属すことで落ち着いた。
「北桑田郡誌 近代編」によれば、昭和30年の町村合併時には、北桑全郡一町説と南北二町説があり、南北地域別に合併推進委員会を設けて検討することになった。南部については波瀾曲折があって 1つの町にはならず、北部については、知井・平屋と宮島・鶴ケ岡・大野の二町説や、知井の独立説もあったが、結果的には 1つの町、美山町 にすることで落着したようである。
「知井村史」によれば、この町村合併時に町名の公募が行われ、上由良町、北栄町、桑田町などがある中で、「美山」は下位の方だったとのこと。最終的にどのような手続きで「美山町」に決まったかについては述べられていない。
表4-2 明治以降の主な沿革

今後の考察課題 【260503】
大野ダム建設前後の変化と沿革
