千曲川は、大ネズミだった①「唐猫様に守られているから」
第1章「水をかき出した夜」

非日常は、ある日突然訪れる。
隠された正体が、むき出しとなる。
あの夜、床上まで水が来た。
テレビの画面に、速報テロップが流れた。
千曲川氾濫危険水位——。
その文字を見ながら、私は動かなかった。
避難するかどうか、躊躇していた。
その時、要介護の父が言った。
「ここは大丈夫だ。唐猫様に守られているから」
私は避難をやめた。
論理ではない。証拠もない。それでも、その感覚だけは揺るがなかった。
自宅の床下から、水が這い上がってきた。最初は染みる程度だった。気づけば、床上まで達していた。
モップを持った。風呂場の排水溝に向かって、ひたすら掻いた。
掻いても、掻いても、水は来る。
不思議なことがあった。
手が、震えていなかった。
死ぬかもしれないという感覚が、どこにも湧いてこなかった。ただ手が動いていた。モップを持ち、水を掻き、排水溝へ流す。その繰り返しだけが、あの夜のすべてだった。
あとから考えると、あれは何だったのだろうと思う。諦めではなかった。投げやりでもなかった。強いて言えば——「なるようになる」という感覚に近かった。
被災後私は、千曲川沿いを歩きながら、ある事実に気づいた。
私が住むこの場所の近くに、軻良根古神社という小さな神社がある。千曲川の堤防のすぐ横に鎮座する、古い社だ。私はその神社の祭典係を務めている。
その神社の堤防が、辛うじて持ちこたえていた。
長沼地区は壊滅的な被害を受けた。濁流が家々を飲み込んだ。だがこの場所は、浸水はしたものの、堤防は決壊しなかった。
後から知ったことだが、地元の記録にこう残っている。「決壊すれば長野市のハザードマップ通り川中島平全域が水没する可能性があった」と。
あの夜、軻良根古神社の堤防が持ちこたえなければ、川中島平全域が水の底に沈んでいた。
なぜ、ここだけが持ちこたえたのか。
地図を見ると、ことさら違和感を覚えた。千曲川はこの神社のあたりで、北から南へ流れながら右に大きくクランクしている。本来なら水流が外側にぶつかる、最も危険な地点のはずだ。それでも堤防は破れなかった。

境内を見上げた。
樹齢何百年という大木が、何本も立っていた。太い幹。地面の奥深くまで張った根。その根が、何百年もかけて地盤を内側から固めていたのではないか——そう思った。

だが、それだけではなかった。
この神社には、奇妙な伝説がある。
その昔、この地に大ネズミが棲みついた。田畑を荒らし、村人の財産を食い尽くした。手を尽くしても退治できなかった。そこで村人たちは、遠くから唐猫を呼び寄せた。唐猫と大ネズミは死闘を繰り広げ、ネズミは倒れた。しかし唐猫もまた力尽き、千曲川を流れ下り、この地に辿り着いて息絶えた。村人はその猫を祀った。それが軻良根古神社の始まりだという。
実は、この伝説は上田市の公式サイトにも記されている。ねずみの大群が岩山を食い破り、湖の水が千曲川になったと。だが、その記述はあくまで伝説の紹介にとどまっている。ねずみとは何か。誰も問わなかった。
よくある昔話だと思っていた。
だが、ある日ふと知りたくなった。
大ネズミとは、何のことだろう。
唐猫とは、何のことだろう。
上流を調べていくと、驚くべき事実が見えてきた。上田市の半過岩鼻と呼ばれる場所に、高さ100メートルを超える岩壁がある。その岩壁に、ネズミが噛み切ったとされる痕跡が残っている。地質学者たちはこう言う。3万年から4万年前、この岩壁と対岸の岩鼻が天然のダムとなって千曲川の水を堰き止め、上田盆地全体が湖の底だったと。
やがてそのダムが決壊した。湖の水が一気に流れ出した。それが千曲川の始まりだった。
大ネズミが岩を噛み切って湖を決壊させた——という伝説は、この地質学的事実を、物語として封じ込めたものではないのか。
だとすれば——大ネズミとは、何者なのか。唐猫とは、何者なのか。
あの夜、水を掻きながら恐怖を感じなかったのはなぜか。
千年前の人々も、同じように手を動かし続けたのではないか。
川と戦いながら、恐怖より先に手が動いた。その記憶を、伝説という器に封じ込めた。神社という形に残した。根を張る木を植え続けた。
そしてその構造が、2019年の夜、堤防を守った。
——守られている、という感覚の正体は、これだったのかもしれない。
これは昔話ではない。
だが——唐猫様とは、何者なのか。
第2章「川沿いの暗号」
大ネズミとは、何のことだろう。
その問いが頭を離れなかった。
復旧作業が続く中、ゴミの集積場に家財を捨てに行った。
そこに、塔婆が捨てられていた。
誰かの、大切な人の名前が書かれた塔婆が、ゴミの中にあった。
涙が流れた。
声は出なかった。ただ、時間が流れた。
無常という言葉が、初めて体に触れた瞬間だった。
復旧が一段落したのは、それから数週間後のことだった。
泥をかき出し、床を拭き、日常を取り戻す作業が続いた。
その間、ずいぶん多くの見ず知らずの方々に支援をいただいた。名前も知らない人が、泥だらけの他人の家に入り、黙って手を動かしてくれた。感謝という言葉では足りなかった。ただ、その光景を見ながら思った。
——人間は、こういうときにつながるのだと。
復旧が終わり、静かになった夜、頭の片隅にずっと引っかかっていた問いが戻ってきた。
私は千曲川の上流を調べ始めた。
最初に目に留まったのは、上田市と坂城町の境にある半過岩鼻だった。
高さ100メートルを超える岩壁が、千曲川を挟んで両側から迫り立つ場所だ。その岩壁に、伝説が残っている。大ネズミがここの岩を噛み切り、上田盆地に溜まっていた湖の水を決壊させた。濁流は千曲川となって流れ出し、ネズミは下流へと押し流された——という話だ。
地質学者たちはこう言う。3万年から4万年前、この二つの岩鼻が天然のダムとなって水を堰き止め、上田盆地全体が湖の底だったと。やがてそのダムが決壊し、湖の水が一気に流れ出した。それが千曲川の始まりだった。
伝説の中に、地質学的事実が隠されていた。
では、その「ネズミが流れ着いた先」はどこか。
地図をたどると、岩鼻の下流、坂城町に「鼠」という地名が残っている。鼠宿と呼ばれたかつての宿場町だ。そこに、會地早雄神社という社がある。
私はその名前を手帳に書き留め、さらに下流をたどった。
次の目的地は、現地だった。

調べると、鼠宿の會地早雄神社の祭神・大穴持命と、下流の軻良根古神社の祭神・大己貴神は、同じ神の別名だった。
なぜ、同じ神なのか。
大己貴命とは何者か。
記紀神話では、大国主命とも呼ばれる。国造りを成し遂げ、やがて国を譲った神だ。その神格の核心にあるのは——「治める」ことだ。荒ぶる力を鎮め、秩序をもたらす。
千曲川という荒ぶる川を、治める。
先人たちは川沿いに大己貴命を祀り続けた。それは信仰であると同時に、川との闘いの記録でもあったのではないか。
大ネズミ=千曲川。
唐猫=鎮守の構造。
そしてその鎮守を担う神が、川の流れに沿って連なっている。
これは偶然の一致ではない。
誰かが設計したのか。それとも、川そのものがこの配置を要求したのか。
答えを求めて、私はさらに上流へとさかのぼった。
三万年前、上田盆地を湖に変えた、あの岩壁へ。
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