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シュタルクとリヴァーレどっちが強い?(魔族はなぜ負ける?)【葬送のフリーレン】

マンガのキャラの強さ比較って小学生みたいなテーマですね。実は、強さ比較の結論ははっきりしていて(リヴァーレの方がずっと強い)、本当に考えたいのは「シュタルクがどうやってリヴァーレに勝つのか?」もっと言えば「魔族はなぜ負けるのか?」です。


シュタルクとリヴァーレの関係

血塗られし軍神リヴァーレは80年前のキーノ峠においてシュタルクの師匠アイゼンと戦っており(女神の石碑編)、また、ヴィレ地方にあったシュタルクの故郷の村を滅ぼしている(おそらく兄を含め家族を殺している)というシュタルクとは深い因縁のある大魔族(将軍)です。(第26話)

そのため、現在の所、リヴァーレはシュタルク個人にとっての「ラスボス」とも目される魔族です。

シュタルクのこれまでの戦績

これまでにシュタルクが戦った魔族は次のとおりです。

  • リュグナー(第2巻17話)

  • リーニエ(第3巻19, 20話)

  • 剣の魔族(第7巻64話)

  • 神技のレヴォルテ(第8巻74, 76話)

  • 無名の大魔族ソリテール(第10巻95, 97話)

このうち最も重要なのはリーニエ戦です。

その理由の一つはシュタルクと魔族の一騎打ちがこれしかないということですが、もっと重要な理由があります。それは―――この戦いの裏ではフリーレンとアウラが対峙しており、そこでのフリーレンの回想の中でフランメが「魔族とは」を解説しています。そして、リーニエの言動は一つ一つがこの解説で理解できるようになっています。つまり、リーニエの行動を理解することが魔族を理解することにつながるからです。

レヴォルテ戦にも少し触れます。シュタルクの成長が現れているからです。

ソリテール戦はフェルンのサポート役に徹しており、二人の関係性の発展という観点からは面白いのですが、シュタルク個人の分析という観点では意外と見どころがありません。リュグナー戦は非常に短く、剣の魔族との戦闘はフリーレン、フェルンと共に戦ったものであっさり終わっていて見どころなしです。

リーニエ戦はシュタルクの完敗

リーニエは七崩賢・断頭台のアウラの配下ですが、二つ名も持っておらず、将軍でもありません。比較的若い魔族です。

リーニエ戦では最終的にはシュタルクが勝利しています。

けれども、内容に着目するとシュタルクの完敗です。

フランメによれば魔族の特徴は、自らの技量に対する自信と信頼、そこから生まれる驕りと油断。それと個人主義(利己主義)です。この観点からリーニエ戦を見てみます。

リーニエの驕りと油断

まずは、「自らの技量に対する自信と信頼、そこから生まれる驕りと油断」という観点からリーニエの行動を見てみます。

  • リーニエにはシュタルクに止めを刺す機会が二回ありましたが、二回とも止めを刺しません。つまり、リーニエにとってこれは命を懸けた戦いではなく、あくまでも技量比べにすぎません。

  • リーニエがシュタルクを殺すことに決めたのは、シュタルクにエアファーゼンを「お前のはただの真似事」と言われてプライドを傷つけられたためです。それまでは、「勝ち」へのこだわりはありますが、「殺す」ことには執着していませんでした。

  • リーニエはアイゼンの模倣をしていますが、細身なリーニエの得意武器が重量のある両手斧だとは思えません。つまり、リーニエは不得意な武器をあえて使っています。

  • それでもリーニエがアイゼンの模倣をする理由は、アイゼンが最強の戦士だからではなく、アイゼンがシュタルクの師匠だからです。

  • リーニエはエアファーゼンの性能をシュタルクに見せつけるために得物を両手斧→片手剣→槍→短剣と持ち替えましたが、結局、両手斧に戻しています。

  • リーニエがシュタルクと最後に相対した時の腰を落とした構えは、シュタルクがリュグナーを襲った時の構えと同じです。

  • このとおり、リーニエはシュタルクと同じ土俵で戦って技量の差を見せつけて勝つことに執着しています。そうせずにはいられないのです。これはリヴァーレがアイゼンとの戦いで見せたのと同じ(自分の得意な得物ではなくアイゼンの得意な得物を選ぶ)魔族のさがです。

もし、リーニエがこの驕りを捨てて、得意な得物、得意な戦術を選択していたら、シュタルクは勝てなかったはずです。(あるいはリュグナーの指示に素直に従って、シュタルクに直ぐに止めを刺していれば)

ということは、この時点でのシュタルクの実力は将軍ですらないリーニエよりも下ということになります。

そして重要なのは、それでもシュタルクが勝っているということです。リーニエの実力はシュタルクよりも上ですが、リーニエは魔族ゆえに負けています

リーニエの個人主義(利己主義)

リーニエの行動をもう一つの魔族の特徴である「個人主義(利己主義)」の観点から見てみます。フランメは「個人主義」と言っていますが、「組織として動くことが苦手」程度の意味です。

リュグナーがフェルンに追い詰められてピンチに陥っているというのに、リーニエは指示(「リーニエ!!何をやっている!!早くそいつを片付けろ!!」)を蔑ろにして技量比べに耽っています。

リーニエはリュグナーが見ている所では素直に言うことをきくのですが、リュグナーの目が届かないところでは指示に従いません。

指示に対して「なんだよ、我儘だな」と不平不満を述べていますし、シュタルクから2回目のダウンを奪った際は「急がないと。またリュグナー様に怒られる」と言いながらもゆっくりと歩いていて、急いでいる様子はまったくありません

リュグナーの危機感は、組織内で全く共有されていないのです。

こういう面従腹背なところも魔族らしさの表れです。この魔族の個人主義(組織として動くことが苦手)もリーニエの敗因になっています。

少し時間をさかのぼりますが、そもそもの始まりとして、リーニエはドラートの独断専行を知っていたのに、リュグナーに訊かれるまで報告しませんでした。

懸念事項はなるべく早く上司と共有しましょう

ドラートの独断専行という重大な懸念事項がリュグナーに共有されていなかったわけです。これでアウラの計画は「全部、台なし」になってしまいました。

もちろんドラートの独断専行が第一のミスで、すべての元凶なのですが、リーニエの報連相の欠如が第二のミスとなっており、組織としてミスが重なっているのです。これもリュグナー達の敗因となっています。

レヴォルテ戦に見るシュタルクの成長

レヴォルテは大魔族(将軍)であり、リーニエよりも格上の相手です。なお、レヴォルテ戦は一級魔法使いゲナウとの共闘です。

レヴォルテが負けた理由は、人間のしぶとさを見誤ったことすなわち自分の技量への自信と信頼、そこから生まれる驕りと油断です。つまり「魔族だから」で、リーニエと同じです。

注目すべきは、シュタルクにリーニエ戦からの精神面の成長がはっきり見られることです。

リーニエ戦では、重傷を負って倒れたシュタルクがアイゼンとの修行を回想する中で思い出した「最後まで立っていた奴が勝つ」というアイゼンの言葉ですが…

レヴォルテ戦では、しっかりと自分の言葉になっています

このメンタルはリヴァーレ戦でも発揮されるはずです。

余談ですが、この場面ではリーニエとゲナウの台詞が相似しています。ゲナウの「死んだふりでもしていればいいものを」がリーニエの「大人しく寝てればよかったのに」と相似しています。そして、シュタルクの「それじゃ負けだろ(まだ負けていない、だから俺は立ち上がる)」という答えはゲナウに対するものというよりは「もう負けたんだから」というリーニエへのアンサーです。

技量比べで既に2回も勝っているので、リーニエはシュタルクのしつこさに呆れてため息をついています

魔族は人間よりも強い。しかし魔族は魔族だから負ける。

『葬送のフリーレン』の世界では、基本的に人間よりも魔族の方が強いのです。

なぜなら、魔族の方が寿命もずっと長いし、身体能力も優れているからです。

それでも魔族が人間に負けてしまうのは、魔族の性質のためです。

つまり、魔族は人間よりも強いのですが、魔族は魔族であるために人間に負けてしまうわけです。

魔族としての性質というのが、フランメの言う、生涯を懸けて研鑽を積んできた自身の技量への絶対的な自信と信頼、そこから生まれる驕りと油断、そして個人主義(組織として動くことが苦手)です。

シュタルクとリヴァーレについて考えてみましょう。

シュタルクの戦士としての実力がリヴァーレのそれを上回ることはないでしょう。

なぜなら、リヴァーレは、80年前の現役時代のアイゼンに「お前は俺とは比べ物にならない程の武の高みにいる」と評されるほどの実力を持っているからです。また、リヴァーレはおそらくクラフトと戦ったことがあり(「一世紀ぶりだ。俺の拳を止められる奴に出会ったのは」)、それでも生き残っている大魔族だからです。

リーニエはリュグナーの命令を無視して(個人主義)、技量比べにこだわっていたために負けました(自らの技量への自信と誇り、驕りと油断)。魔族のさがです。

技量で劣る人間としては、そこに付け入る隙があります。

ですから、シュタルクがリヴァーレに「勝つ」とすれば、リーニエ戦と同じ形になるはずです。リヴァーレは魔族であるがゆえにシュタルクに負けることになります。

※リーニエ戦についてはこちらも参照ください。

アイゼン対リヴァーレ戦(第12巻117話~第13巻118話)

もう一つ見ておきたいのは、女神の石碑編で描かれた80年前のアイゼン対リヴァーレの戦いです。

何をもって「勝ち」とするか?

この戦いにおけるアイゼンの目的はリヴァーレを足止めして、フリーレンを女神の石碑まで無事に到達させ、タイムリープさせることです。

だから、フリーレンの未来への帰還(タイムリープ)を確認したヒンメルから撤退の指示があった時、アイゼンは戦いを放棄します。

アイゼンとリヴァーレのやり取りからすると、実力面ではリヴァーレが勝っていたはずです。

けれども、目的の達成という観点から見れば、この戦いはアイゼンの勝ち、リヴァーレたち魔族の負けです。

魔族たちの本来の目的(魔王の指示)は未来から来たフリーレンを殺すことだからです。

集まった4人の大魔族のうち、この魔王の指示にコミットしているのは、ソリテールとグラオザームの2名のみです。

トートは「馬鹿馬鹿しいから、私帰るね」と一抜けしています。魔族の存亡を懸けた重要な作戦行動だというのに、気持ちよいほど徹底した個人主義者です。

リヴァーレはこの組織としての目的にはコミットしておらず(個人主義)、戦い(技量比べ)を楽しむためにここに集まっています。組織として動くつもりはありません。シュタルクと戦っていた時のリーニエと同じです。

そのために魔族たちは負けています。リヴァーレは「久々に楽しい戦いだった」と満足そうですが。

目標達成による勝利

シュタルクがアイゼンと同じように「設定された目標を達成する」というかたちで勝つというシナリオもあります。

例えば、リヴァーレとの戦いの目的として、アイゼンと同じように「何か(誰か)を守る」ことが設定される等です。(「何か(誰か)」については別のネタバレになるような気がするのでここでは触れません。マガジンから別記事を参照してください)

ただ、これではリヴァーレがシュタルクの故郷を滅ぼした(兄を殺した)ことに対する復讐が果たせませんし、弟子が師匠アイゼンに並び、そして超えるという感動的場面が生まれません。

一対一の戦いでリーニエの時のようにシュタルクがリヴァーレに勝つ場面を想像するのはなかなか困難です。(レヴォルテ戦もソリテール戦も仲間との共闘ですから)

そうすると、フェルンとの共闘も考えられるのではないでしょうか。ソリテール戦ではかなり息の合ったところを見せていましたので、それなら二人の関係性の発展も描けます。

魔族は人間らしさのために負け、人間は人間らしさを捨てて勝つという逆説

この項は他より更に私の解釈(つまり私はこう読んだ、こう考えるという主張)の色が濃くなりますのでご了承ください。

ここまで見てきたように、魔族は魔族であるために魔族よりも弱いはずの人間に負けてしまいます。

この「魔族であること」が何なのかというと、フランメによれば、生涯を懸けて研鑽を積んできた自身の技量への絶対的な自信と信頼、そこから生まれる驕りと油断、そして個人主義(組織として動くことが苦手)です。

ここでふと考えてみると、この「魔族であること」はある意味とても「人間らしい」ということです。「人間らしい」というと何か良いことのように聞こえてしまうので「人間くさい」と言った方が良いかもしれません。

生涯を懸けて打ち込んできたことに自信やプライドを持つのは人間として当たり前です。「自分はこれだけ努力してきた。それに比べて彼奴は…」という驕りも人間として当然の心の働きです。個人主義(利己主義)も同じで、組織の一部となって機能するのが人間らしさだとは思えません。フランメはあまり良い意味でこの言葉を使っていませんが、本来の個人主義の意味は「一人ひとりの自由を大切にする」という思想です。(魔王の命令にコミットしようとしないリヴァーレやトートの態度を思い出してください。リヴァーレやトートにとって大切なのは魔族全体よりも個人なのです。)

ということは、言い換えれば、魔族は「人間らしさ」のために人間に負けるのです。

翻って見て、人間は「人間らしさ」を捨てることによって魔族に勝つわけです。人間として当たり前の感情を捨てて、ロボットのように戦う。個人の主義主張を捨てて組織(集団)の歯車となって戦う。それが人間が魔族に勝つための方法です。

ソリテールの言葉を思い出します。

もう君の精神は人類のものとは掛け離れているわね。人の形をして、人の言葉を話す存在が許しを請うているのに、その言葉に耳を傾けること無く殺し続けてきたのだから。もう、どちらが化け物なんだかわからないわね。

『葬送のフリーレン』第11巻第100話

「魔族を殺し続けていれば、お前はやがて人間らしさを失って化け物になるだろう」という予言です。

魔族を殺すための魔法をフリーレンに授けたフランメの言葉を思い出します。

フランメのこの表情からは、ここでフランメが懸念しているのは卑怯かどうかという問題ではなくて、ソリテールが指摘したようなもっと深刻な問題なのではないか?という気がするのです。そうでなければなぜ「私達だけでいい」などと言うのでしょう。魔族を滅ぼすために、もっとたくさんの同じような魔法使いを育てればよいはずです。

『葬送のフリーレン』における魔族と人間の戦いには、こういう逆説が仕組まれています。

ということは、これは戦いの先にハッピーエンドはない(戦いの先に待っているのは化け物同士お互いに殺し合うという結末)ということを示しているのではないでしょうか。

作者がこの魔族と人間の対立関係をどのように解消するのか、どのような物語の結末を用意しているのか、興味深いところです。

おわりに

まとめておくと、シュタルクとリヴァーレではリヴァーレの方が圧倒的に強いです。ですから、シュタルクが勝つ(リヴァーレが負ける)とすれば、魔族の特徴(自らの技量に対する自信と信頼、そこから生まれる驕りと油断。それと個人主義)が原因になるはずです。

本稿はここまでとします。

次は、ちょっと別の観点からシュタルク対リヴァーレについて想像してみたいと思っています。

『葬送のフリーレン』のご紹介

※『葬送のフリーレン』をまだ読んだことのない方へ

※『葬送のフリーレン』を一級魔法使い試験編まで読んだ方へ(アニメ第1期視聴済みの方)

※『葬送のフリーレン』を女神の石碑編まで読んだ方へ

ネタバレあり考察記事

※『葬送のフリーレン』に関する記事をまとめています。ネタバレありです。

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