シュレディンガーはたぶん猫。[第34話](最終話)
第34話(最終話)
「宮本。移動しよう。人が来る」
気が付くと、いつの間にか、片山が隣に戻ってきていた。
まだそこに彼女がいるような気がして、俺はその場を動けない。けれども、片山は俺の腕を掴んで立つように促してくる。シュレが結界のようなものを張っていくらか影響は弱めてくれたわけだが、それでも戦いによる激しい光や音なんかの違和感はきっと近辺のマスコミや一般人にも広くバレたはずだ。確かに片山が言うことは理に適っている。それは分かるのに、結局俺の足は自力ではまともに動かなかった。
彼女の存在感の残存から遠ざかりたくないのと、単純に疲れ切って動きたくないのと、磁力で地面に叩きつけられた時の肉体の痛みが強めにあるのと。最初に聴力をやられた時のクラクラ感がまだ残っているのと。
色んな意味で動きたくないと思ったけれど、片山にプロレス技をかけられる時のような形でガッと肩の上に担ぎ上げられて、結局は移動することになる。
「悪い……」
ずり落ちそうになったのをもう一度抱え直して体勢を整えてから、歩き出す片山。
「謝らなくていい……こういうのは、俺の方が慣れてる」
そうは続けられたが、普段よりずっと足を進める速度は遅い。ひとりで「ドッペルゲンガー」分の多数の虫を倒し切ったコイツも、確実に疲れているに違いなかった。一見平気そうにしているとしても。基本、弱みは見せたがらない男だ。
やがて近くの公園に辿り着いた。広い芝生があって、ところどころに木が生えていて、「地域の憩いの場」っぽく木陰を作っている。その木の根元に片山は俺を下ろした。
ツクツクボウシがひときわ大きく鳴いていた。いつのまにか季節は完全に移っていた。そのまま聞くとはなしにツクツクボウシの蝉しぐれを聞いていると、シュレが姿を現す。
『よくやった』
シュレは言い切ってくれた。
でも、たぶん、もっと効率がいいやり方はたくさんあったと思うし、シュレの全力をもってすれば、俺や片山に全く配慮せず、徹底的かつ速攻でみずきちゃんを蹂躙することもできたんじゃないか、と感じている。何千光年も虫を追っているシュレたちに比べたら俺たちは素人に毛が生えた程度の能力値でしかないのだろうから、正直物足りなかったと思う。
でも、俺たちに全部任せてくれたんだ。そして労ってくれている。そもそもこの宇宙生物?は、俺たちに変異を及ぼしてしまった最初から、地球や地球人への被害を最小限に留めようと心がけていた。滅茶苦茶なところもあるけど、いい奴なんだと思う。友情みたいなものも感じている。
『虫は全て殲滅できたようだ。反応はもう一つもない』
ただ、この言葉でその友情も一区切りとなるらしい。俺は何となく、次にシュレに言われることの予測がついていた。
『そして急だが、吾輩も、そろそろこの星をお暇する時期が来たようだ。救難信号が届いたらしい、返信を受け取った』
やはり、全く想定通りのことをここに宣言される。
「前に調べてた、素粒子の研究施設に行って待つのか?」
『そうなる』
「そっか……」
俺たちは揃ってシュレの顔あたりを見る。やっぱりそこに表情はないけれど、奴なりに少し寂しそうにも思えた。その何とも言いようのない音で構成された声色の奥に、どことなくそう感じるものがあった。
『あとは、お前たちの中の混じりについてだが。完全には消せないものの、吾輩の素粒子を一か所に集めて閉じ込めるということはできるし、肉体の殻に鍵をかけて、元々の人間らしく、素粒子体を外に引き出せないようにすることもできる』
しかしこう続けて言われて、しんみり気分もそこそこに「あっ」と俺たちは声を上げることになる。
そうだ。すっかり忘れていた。立ち去る前に言ってもらって助かった。奴が地球からいなくなっても、俺と片山の素粒子体の中の「シュレの混ざり」自体は今後も変わらず残ったままになる、という現実があるのだ。
「っ、助かる」
「その問題があったか」
下手に放置していればまたあの変異が出てきてしまう。虫はいなくなったので能力を使わなくなる分、変異の頻度自体は減る、はずだ。一応、対処方法も知ってはいる。
とはいえ、ふとした瞬間に変異や素粒子体に出られると困るし、メンタルまで引きずられるっぽい、という問題は、規模は小さくなりつつも引き続き存在することになるのだ。
まぁ、それに、肉体を持った人間が不用意に他人の素粒子体を弄り倒すことは、あまり「良くない」からな。
耳の奥にまだ「えっち」と罵られた声が残っている。ちょっとそれは、彼女が最期の最期に明確に伝えてきたことなので、誠意を示すというか、反省はしたい……。
『靴と靴下を脱げ』
俺と片山は言われた通りにそれぞれ、スニーカーと靴下を脱ぐ。するとシュレが尻尾?の先を、ぽふりと俺の右足と片山の左足、それぞれの土踏まず部分に触れさせる。
途端。体の中に散っていたらしいシュレの素粒子体が、磁力で引き寄せられる形で、ザアッ、と土踏まずに集まってきた、感触がした。その熱なのか冷気なのか分からない感覚に耐えているうちに、いつの間にか、俺たちの足の裏には直径三ミリほどの大きさの、黒猫の形をした小さな「一見ただのホクロにしか見えないもの」がポツンとできていた。
『毎度お前たちは、異形を隠すのに苦労していたからな。分かりにくくしたぞ。可愛くしてあげたのは、サービスだ』
確かにこの位置なら、他人に見咎められることもなさそうだ。ちょっと見た目が可愛すぎるのだけが、アレだが。
「はは、んなサービスいらねーわ」
俺は口先ではそう笑ったが、変更の申し出はせずにそのまま受け取ることにする。この黒くてヘンテコな、たぶん猫?みたいな存在と、確かに数カ月過ごした思い出として。
「お揃いだな、宮本。トモダチとお揃いなのも初めてだ」
同じ猫型のホクロを左右対称の形で同じ場所にくっつけている、という事実に気付いて、片山が妙にニコニコと楽し気に話しかけてきた。なので、そっちの意味でも、形として残しておくのがいいんだろう。とはいえ、本気で浮かれているっぽいのが、少しウザいわけだが。
「……嬉しそうにすんな、馬鹿」
そのお揃いの足で、腹辺りを軽く蹴ってやったが、それでも片山は変わらず嬉しそうにしていた。
そんな俺たちをその足元で黙って見守っていたシュレだったが、やがて遠いところに視線をやる。まるで仲間がそちらから近づいてきているのを察したかのように。
『そろそろ、行くとしよう。ではな、カタヤマ。ミヤモト』
遠いところに戻っていくはずなのに、また明日な、くらいの勢いで言ってきたので、俺たちも同じ気軽さで返す。
「元気でな」
「じゃーな、今度こそ迷子になるなよ」
『む、分かっておるわ!!達者で暮らせよ、二人とも!!』
猫の形を解いたシュレの素粒子体が、初秋の青空を駆けるように流れていく。その軌跡は飛行機雲に似ていて、けれども、もっと細くて黒い軌跡だ。まるで猫の爪みたいだ。
「きっとあれも、ニュースになるな……」
「夏の終わりの怪異、ってか」
俺たちは芝生に寝転がって、しばらく空の爪痕をぼんやりと眺め続ける。ツクツクボウシが鳴き続けている。
「生きてるんだな……俺は、まだ」
ふいに、口をついて言葉が出てきた。あちこち痛くて、実際傷だらけだし、頭も痛い。けど、生きている。
「全部なくなったのに、生きるんだな……俺だけ」
そして、彼女のことを死ぬまでずっと覚えていなくてはならない。そのためには、この先もまだ生きていかなくてはならなくて、未来のことを考えなくてはならない。あの子はもういないのに、俺が殺したのに、俺の未来は続いていく。
反省します、なんて言って自殺してとっとと彼女の後を追いかける、みたいな安易な道は絶対に許されないらしい。永遠に「次の女」なんてものは作らず、一生彼女のことを引きずって過去にはせず、死ぬ間際まで後悔しながら全てを覚えておくのだ。そういう約束をした。
想いの力が、未来を繋ぐ――らしい。
みずきちゃんも、彼女が大好きだったマジカルキャットのリンちゃんも、そう言っている。それが一体どこにどう繋がっているのかは、まだ今は全然分からないけど。
「片山。俺さぁ。素粒子のこと、勉強したいかもしれない」
俺は今考えられる未来について、隣にいる男に語ることにする。彼女との約束を叶えるための道を、率直に考えてみる。
「シュレがたまに言ってた宇宙とかシュレたちの種族のこととか、半分以上わかんなかったけど、勉強したら、ちょっとは俺にも分かるかもしんねぇし」
ここ数カ月の間に俺たちに起こったことを整理しようと思っても、知識がないとまとまらない。まとめたい、のだ。シュレや虫の謎の生態も、みずきちゃんの見事すぎる素粒子体の使い方も、素粒子体だけになったアッコさんのあの瞬間についても、一体何が起こってどうなっていたのか、まだ頭の中で何一つ整理が追い付いていない。ちゃんと知りたい。
それは俺の一生かけてもいい、大事なことだと思うんだ。
「けど、そっちの進路に行くなら、全然理系の頭じゃないから、たぶん今年の大学受験は絶対間に合わない。それに、まだ勉強に身が入る気はしない……色々、時間が欲しい」
未来にしたいこと、は固まった。でも、それを実現するためには、色々とハードルがある。まずは親の説得からか。
片山は特に茶々を入れたりはせず、黙って俺の話を聞いていた。最後まで聞いて、一言、「そうか」と応えた。
「俺は……俺も、もう少し、考えてぇな。けど、何か、人を守れるような仕事がしたい」
しばらく沈黙を保っていたが、ぽつりと、片山も未来について口走る。出会って初めて、ちゃんと奴の口から具体性がある「進路の希望」についての発言を聞いたかもしれない。
「……いいんじゃね。向いてそう」
「そうか?」
「うん」
実際に向いてそうだな、と俺は思う。それは決して適当な相槌ってわけでなく、あれだけ「人間が好き」な奴なら仕事として目指しても全然いいんじゃねぇの?と。他人の手助けに回せるくらいには人一倍体力もあるし、ガタイもいいし。
寝そべったままの俺たちだったが、そろそろシュレが残した黒の軌跡も霧散しかけていた。木陰にいたはずが、いつのまにか太陽の位置が動いており、おかげで今はジリジリとした太陽が腕の皮膚を焼いている。
「くそ暑いな」
「だな……日差し痛い、けど、もう少し……」
そう文句を言いながらも、それでも俺たちは体をくっつけ合ったまま、芝生に身を預け続けている。
ふいに、片山のその手に頭を撫でられた。まるできょうだいにするようなやり方で、撫でられていると感じた。ここ数カ月分の働きを労うように、全ての暴力と喪失を宥めるように、未来に繋がるように、そしてどこか、勇気付けられているようにも感じた。
コイツだって頑張ったり失ったりしたし、未来がある……。
俺も、今された以上に片山を労ってやらなければ、と素直に思った。そうじゃないと、対等じゃない。そしてそういうことをこの人間にやってやれる男は、もう今のところこの世に俺だけしかいないんだろう。既にその行く末を頼まれてもいる。最期、微笑んで消えたあの人の顔が、脳裏を過ぎった。
とはいえ、今は疲れ果てているのか、体の方はピクリとも動かなかったが。
その手を振り払わないまま、俺は目を閉じて、与えられるままの感触をただ味わった。そろそろ本格的に秋が来るんだな、と考えながら。
例え今はまだ暑くとも、いずれ蝉の季節は完全に終わるのだ。ツクツクボウシも、もう鳴かなくなるに違いなかった。
[おわり]

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