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シュレディンガーはたぶん猫。[第32話]

第32話

「宮本くんがね、片山くんと何かしてるなとは、私も察してた。それが何かは、全然分からなかったんだけど。でも、やっと分かった……虫さんたちが全部、教えてくれたから……」

 ふわり、とその背の羽を羽ばたかせると、キラキラと羽自体が構造色の赤にきらめいて、同時にまた鱗粉が舞う。

「ふたりで、虫さんの仲間たちを倒してたんだね。放課後の街でも。学校のパソコン室でも。夏休み中も。ずっと、戦ってたんだね。必死に。そして今度は、私たち……なんだよね」

 すう、と息を整える彼女。直後、その唇から超音波が発生した。アー、という単純な音として人間の耳に聞こえるそれは、けれど実は虫の声で、耳の感覚が一瞬で奪われる。

「っ、うっ」

 耳を押さえる。どんなに素粒子体を優勢に保っていても人は肉体自体を捨てられない。聞いてしまう。聞きたくて聞きたくなくて、聞いてはいけない。繰り出したはずの電撃は同じ大きさの電撃で対消滅させられて、しかしみずきちゃんの電撃の側には磁力が膨大に込められていた。

「電力って、やっぱり派手だしこういう戦いの場では使い勝手がいいから、どうしても一番使っちゃうよね。でも、他の力も、ちゃんと使ってあげないと、だめだ、よっ!!」

 バチッ、という衝撃と共に俺は腹に一撃を食らい、そのまま地面に引き付けられる形で叩きつけられる。その背にさらに数倍に増した重力まで加えられた。電磁力と、重力。

「っ、ぐ、っ、う……っ!!」

 動けない。その俺の顔をみずきちゃんは覗き込んでくる。

「あのね。私も読んだんだ。政信くんが読んでた量子力学の本。『理科が苦手な高校生でもちゃんと分かる素粒子のはなし』だっけ?読んだら一緒に楽しく話せるかもって。実践も込みになっちゃったけどね。でも、ふふっ、やっぱり、好きな人と一緒に同じことを共有できるって楽しいね?」

まるでデートの時みたいな無邪気な顔で笑う。可愛い服着ておしゃれして、楽しくてたまらないって顔。可愛い。好きだ。赤いキラキラ、その頬から虫の一部が飛び出ている。光ってる、綺麗だ。おぞましい。死ぬ。内臓潰れて死ぬ。

「ねぇ。何でやり返さないの?私は虫たちの女王で、政信くんたちはこの星全ての虫を倒す使命がある。そうでしょ?それに、何か――私に対して、言うべきこと、ないの?」

 みずきちゃんはすごく寂しそうな顔になっていた。

「なんでそんなに、すぐ諦めちゃうの?私が一回怖がったから?片山くんがいるからいいや、って思っちゃった?そういうとこ、政信くんはすごく、私のこと、舐めてるよ……」

 全ての力が更に威力を増して、素粒子体全体にひびを入れられた形になる。悲鳴にもならない声が出た。が、喘いだその状態をいたわるように、みずきちゃんの指先が頬を撫でる。

「でも……それでも、大嫌いってなれない。政信くんが好き」

 キスを、される。舌先は口の中から、直接俺の素粒子体を撫でていた。背中に回った手のひらのみならず、触れ合うところ全ての素粒子体を混ぜ合わせようとしている。

「ふ、ぁ、んっ……う」

 思わず、声が漏れた。素粒子体を触られた時特有の、あの暴力的な快感が物足りない、と以前思っていたところを、これで完全に埋められてしまった。今のみずきちゃんにはそれが可能なんだと知らされてしまった。

「ふ、気持ちいい、ね……。声可愛い、政信くん」

 反応してくれて嬉しい、と耳元に吹き込まれて、自分でもしっかり興奮している事実を痛感させられる。

「私ね。色々考えたんだよ。政信くんを取り戻したくて。今までの虫たちはね、人間を食べて、人間の女の人のお腹で孵化する方法を取ってたの。でもね、私ならもっと違うやり方を考えるなって。罪もない妊婦さんがこの子たちのせいでうっかり死んじゃうのは、私も悲しいから」

 さわ、と体中の素粒子体の表面を、何度も柔らかく撫で上げられる。重力か磁力か判断できない重さは俺を地面に押さえつけたままで、抵抗できない。

「う、あ」

 びくびくと体が跳ねる。深く入り込もうとされる感触に。

「こうしてこの子たちと一体化した私が、いずれ子供を生むでしょう?そしたら、その子供をこの子たちに取り込んでもらって馴染ませて、子供の肉体とみんなの素粒子体を一体化させるのね?そうして生まれた子供たちが成長して生殖すると、今の私以上の、とても虫に馴染んだ肉体と素粒子体を持つ人型の子供が生まれると思うの」

 今後の予定、みたいに言いながら、みずきちゃんはその計画を先に進めようとしている、らしい。今、この俺を対象として。素粒子体の快感で篭絡しようとしている。

「その子も人間と生殖できるよね。そうやって私たちの子供が、誰も知らない間に、こっそりどんどん増えていくの。何百、何千年もかけて、いっそこの星全てに拡散させてしまえばいい。人間も虫も誰も死なないし、かわいそうな悲しい事件にもならない。人も虫も共生して生きる。助け合って生きる、共生社会。それって『とても良い』ことでしょう?きっとできると思うの。だって……私の子だもの」

その目元に涙が膨れ上がって、ぽたり、と俺の上に落ちた。

「それでね、その子供が、宮本くんとの子供なら、もっと『良い』のかなって。そんな世界が、もし、あるなら……受験の後は大学生、それから就職して、結婚して、子供だってできて……キラキラの幸せな女の人になれる、そんな世界。いいなそんな夢みたいな……『とても良い』ね。今からでも、少しはそれに近づけられる……?」

 提案を、一部リアルに心地いいものと想像してしまい、ますます背中が震えた。恐ろしいのは、そんなグロテスクな未来を、魅力的だと感じてしまう一面が俺にはあるからだ。

 彼女の下で俺が虫の一部になる。「殺されるかもしれない方」になるってことは「一方的に殺す心配」からは確実に逃れられる。好きなだけ虫も観察できる。自分と彼女、そしてその子や子孫を、ただ愛をもって見守り続けるだけでいい。

 彼女を壊してしまうかも、なんて心配もなくなった。とことん好みのキャラデザの、容易には壊れない、蟲の女王の女の子なんて。そんなの、俺が欲しいものが全乗せされた、「小学生が考えた俺の最強のキメラ」そのものじゃないか――。

 もしかしたら、そんな虫としての生き方は、俺と彼女にとって、とても「幸せ」な生活、虫生になるのかもしれない……。

 でも。それは、だめなことだ。アッコさんたちやこれまで巻き込まれた人たち、そしてこれから先巻き込む人たちのことを考えたら、絶対だめだ。だめなことなんだ――

 背中に手を回す、素粒子体で混じるように触れる、そうしながらも、俺は全ての電磁力と重力と弱い力と強い力を、彼女の素粒子体に叩き込んだ。



[つづく]

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