シュレディンガーはたぶん猫。[第33話]
第33話
宮本の岡田との戦いを横目に、片山は岡田の影と戦う。
『オマエ……嫌イ』
「奇遇だな。俺もだよ」
どこまでも、宮本の好みを寄せ集めたようなナリしやがって。一瞬でも「俺もこうだったら」と思わせやがって。そのくせ、大事なところで拒否って宮本を傷つけた。そして、「取り戻す策略」を確実に体現して出てきやがった。
変身した岡田を見ていたアイツの顔。滅茶苦茶に好きなものが目の前に出てきた時の顔してやがった。最悪だ。「ラ・ルエガの最強の女王」の形態として、あれは完璧すぎる。宮本が本当にアレをひとりで殺し切れるのか、全然分からない。
ただ、信じるしかない――片山はそう考える。
片山の中で「岡田に嫌われているな」という感覚はずっとあった。それはふたりが付き合う前から察していた。決定的に分かったのは、夏休み前。教室で変異が起こって、宮本と重なるように隠していた時だ。岡田が見ている、イライラしているのも察しつつ、片山はわざと、見せつけるように素粒子体を混ぜ合わせてみた。当時の岡田に片山たちがその形で混じり合うさまを認識できるわけはなかったが、それでもその後、岡田が片山に送ってくる敵意はグンと増した。
それは街中で遭遇する下手な不良崩れより、よっぽど気合いが入っていた視線だった。だから宮本の相手として「逆に悪くない、だったら俺も身を引ける」、そう片山は考えていた。
宮本が幸せならいいかって、そう思ってたんだよ……。
そのすました顔に片山はパンチを叩き込む。電磁力と、とにかく「重くしてやる」と「消してやる」の気持ちを思いっきり込めて。そうするとその部分の虫がザアッと消えて、けれども残りが散り散りになって逃げる。
片山にはシュレや宮本と違って、全く器用な戦い方はできない。単純に殴る蹴る、そこに力を思いっきり加えるだけだ。
再び虫が人物の形をとった。彼の義理の姉の姿だった。
「アッコ姉ちゃん……」
「オ前ノセイデ、ワタシハ死ンダ」
そうだな。そうだ。俺が未熟だったから。でも。姉ちゃん本人は、「そうじゃない」って言った。それが遺言だった。だから絶対に「アッコ姉ちゃんは、俺のせいで死んだんじゃない」。姉ちゃんは絶対、俺にそんなことは言わない。これは虫だ。どんなに姿を正確に再現していても、懐かし過ぎて抱き着きたくて泣きつきたくてたまらなくても、虫だ。
片山は再び愛する姉を形作った影の腹を蹴り上げる。また虫たちは姿を変化させて片山に幻を見せる。遠い母の幻。
「何デソンナニ、アノ人ニ似テルノ。産マナキャヨカッタ」
片山自身は顔も見たことない父親だったが、その男の顔は生き写しみたいに息子とそっくりらしい。そのため、ただ存在するだけで母親は勝手に傷ついた。
「でも、顔にホクロがあるのだけは、私似ね」
ただし、そう言って片山の口元に触れる時だけは、母は少し笑っていた。そういえば、母親の左の目元には泣きボクロがあったな、と片山は思い出す。結局、一緒にはいてくれなかった母だったが、それでも、「あの人もあの人で、俺の中に父親と違うところを探そうとはしてくれてたんだな」と今の片山には分かっている。だから、これもただの虫だ。
「ヤッパ、ヤベェ奴ジャン」
「引クワ」
次に現われたのは山瀬と松岡の姿。いい奴らだと、とっくに片山も認識している。宮本が「だから大丈夫だ」と言っていたように。ここしばらく登校してなかった間も、片山のことも宮本のことも一緒に心配してくれていた。スマホに連絡が来たのも残ってる。だから、やっぱり奴らもそんなことは言わない――思いっきり殴りつける。すると、影用の虫たちはとうとう人間の頭ひとつ分くらいの大きさまで縮小した。
これで終わりだ。そう最後のバンチを叩き込もうとした瞬間、悪あがきのようにそれは宮本の顔を形作る。
「イヤダ……消サナイデ、片山、タスケテ……」
その媚びた視線と声色は、それなりに「片山が好きそうな感じ」には仕上がっていたはずだ。けれども、片山は全く威力を落とすことなく殴りつけた。そして全ての虫が消失した。
「……宮本は、そんなことしないし、言わない」
片山は大きく吐息をついて、眉間に深くしわを寄せる。
絶対に言わないしすがらないからこそ、ああなった。そして、こうして俺が動かないと、きっとこの後は壊れる。
宮本たちがいる方角から、大きな音と光と、場の湾曲の気配があった。あちらの戦いも佳境のようだ。
「迎えに、行かないと」
宮本にできないのなら、俺がやろう。例えそれで宮本に徹底的に嫌われるとしても。岡田も含めた、全ての虫を今日確実に殺し尽くす……。それが三沢や巻き込まりれたみんなへの供養になると信じる。それができるのは「一体何が起こったのか」、経緯の全てを知っている、俺たちだけなのだ。
そう意思を固め、片山は急いで宮本の元に戻ることにした。
俺の腕の中、みずきちゃんの素粒子体は外側から削れるように壊れていく。俺自身の攻撃で。
外側の他の虫から殺していったのに。最後に人の彼女が残るはずだと信じたかったのに。シュレから借り受けた虫を殺す異能は、目の前の最後に残った女の子を、確かに虫だと知らせる。殺すべき天敵、しかもその親玉の女王そのものだと。
「ごめん。結局最後まで暴力しかあげられなかった。ごめん」
本当に大事にしたかったのに、結局はこうなった。俺が馬鹿だったから。そう悔やむ俺の頭を、みずきちゃんは撫でる。
「そんなこと、ないよ。本当はいっぱい、楽しかった」
ポタポタとみずきちゃんの上に俺の涙が落ちるけど、もうみずきちゃんの肉体はとっくに吹き飛んでしまったから、そこには素粒子体の一部しか残っていない。だから俺の涙という物理的なものは彼女を通り抜けて、ただ地面に染みていく。
「ねぇ。私を殺すの、悲しい?」
「悲しい、たぶん、一生忘れられない……」
「そっかぁ……。やっと、人形、以外の私、になれたかな」
俺の回答に、みずきちゃんは本当に満足そうにうふふ、と微笑む。幸せそうに。こんな状況なのに。
「ねぇ、政信くん。本当に、一生、覚えてて、ね。私のこと」
俺の目元の涙には触れられないのに、あえて素粒子体の手を伸ばしてきながら、お願い、と懇願された。
「次の女の子作るのだけは、やめて。あと、男はアレだけにして。すごく嫌だけどアレ以外の男はもっと嫌。政信くんを一番大切に扱ってくれるの、分かるから。本当むかつくけど」
「みずきちゃん……」
とても片山のことで負担をかけていたんだな、とようやく俺は知った。こんな、泣かすほどとは、思っていなかった。
「だって。政信くんはわりとちょろいから、片山くんがいなかったら絶対、次の子に行っちゃう。政信くんは優しくてかっこいいから、普通に相手の子も幸せになっちゃう。私のことをダシにして過去にして、いつか忘れる。嫌だよ、だったら私も、自分の命と片山くんを、利用してやるんだから」
逆に俺は彼女の素粒子体の目元には触れられる。その目元にあるのは物質的な涙じゃなくて素粒子の欠片だから。
「政信くんなんて、夏になるたびに、日曜朝の魔法で変身する女の子のアニメを見るたびに、片山くんのことを見るたびに、毎回毎回、私のことも一緒に思い出せばいいんだ。一生」
その粒状のそれさえも、じわりと空気に溶けていく。
「わたし、ワガママ言ってるって、思う……?」
問われて、思わないよ、と俺は首を横に振った。宥めるように背中を撫でる。最期を惜しむように。すると、彼女が言ってきた。最期の最期に、思い出したかのように言った。
「あのね、言い忘れてたんだけど。初めてキスした時、政信くん、こっそり私の素粒子体触ったでしょ。気付いちゃった」
「っ、それはっ……」
少し拗ねた口調で指摘され、俺は慌てる。そんな俺の動揺に、ふっとみずきちゃんがいたずらっ子のような顔になった。
「――政信くんの、馬鹿。えっち」
それが、俺が見た、最後の彼女の表情だった。

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