起きながら起きながら眠りながら起きる
たとえばあなたがゲームを開発するとしましょう。
そのゲームの名は「世界」。
あなたはいくつかの層を創造して、それを重ね合わせることで「世界」を彩ることにしました。
山脈や河川、森に草原、大空に海、町などのフィールドの層、
ニンゲンや動物たちが動き回り、互いに互いの身体を触れ合うための層
そして、河童に妖怪、妖精たちやドラゴン、ユニコーンにケンタウロスなどなど、幻獣たちが住まう層
たくさんの層を重ね合わせて、ついに完成した「世界」をあなたは観察することにしましたが、しばらくすると次第にニンゲンたちが予想外の行動をとりはじめたのです。
なんとゲームの内側にいながらゲームのプログラムを解析しようとし、
さらには幻獣たちが住まう層を「迷信」として「世界」から引き剝がすことまでし始めたのです。
当初の想定とは明らかに違う方向に進み始めたゲームを見て、あなたは「世界」をどうしますか?
人によっては早く終わらせてしまおうと、そう考えるかもしれません。
即ち、「加速」を。
あなたは、かなしばりにあったことがありますか?
かなしばりで身体が動かず、さらには「おばけ」まで見えたと、そういった証言は多くありますが、それは「ユメ」で、実際は身体が眠った状態で脳が覚醒しているような、いわば「起きながら眠っている」状態であると説明されます。つまり、あなたは実際に眠っている部屋とまったく同じような部屋を「ユメ」で構築し、そこに「おばけ」を配置している、ということです。
さて、その上で「起きながら眠っている」状態から、実際に「起きる」と「世界」はどうなるか知っていますか?
夢の層がドロドロと黒い液体のように溶けだし、剥がれ始めるのです。
剥がれても部屋の様子は特に変わりはありません。
ただ、何かが「世界」に足りないと、そう感じてならない喪失感があるだけで。
次にこのような発想もあなたの中に生まれてくるのではないですか?
「起きながら眠る」ことができるのであれば、
「起きながら起きる」こともできるのではないかと。
ニンゲンは「社会」を形成する生き物です。
「社会」とは端的に表現するのであれば、私とあなたの間で「そういうもの」だと信じこむ、ということです。
あなたと私の間に関係を結ぶ「何か」があることを信じこむ
私は継続して私であるし、
あなたは継続してあなたである。
私の内側に意識があるように、あなたにもあると信じ込む
その意識同士を結ぶ「何か」があなたと私の間で同じものであると信じ込む
ルールがある、お金がある、会社がある、国がある、政治がある、社会がある
それが「起きる(「自我」)」です。
「起きながら起きる」とはそれら一切が「迷信」であると気がつくことといえます。
即ち「啓蒙」といえるでしょう。
では次に、
「起きながら眠る」、「起きる」、「起きながら起きる」があるとわかったなら、
「眠りながら眠る」、「眠る」、「眠りながら起きる」もあるとは思いませんか?
「眠りながら起きる」と「眠りながら眠る」はセットであると思います。
何故なら、「眠りながら眠る」ためには、夢の中でそこが夢だと気がつく必要があるからです。
つまり、夢の中で夢だと気がつくことこそ「眠りながら起きる」、という状態です。
「眠りながら起きた」上で、さらに意識してそこで眠ろうとする必要があるのです。
そうすると何が起きるか知っていますか?
祝福の鐘がゴーン、ゴーンと鳴り響くのです。
まるで「結婚式」のように
さらに次にはこういった発想も浮かんできませんか?
「起きながら起きながら眠りながら起きる」
そうすると「世界」はどのような景色をあなたに啓くのでしょうか。
目を閉じて「まばたき」をしたまえ
開かれることによって閉ざされるもの
閉ざされることによって開かれるもの
あなたは人生という瞬きをするのです。
宇宙からみれば、私たちはまだ、瞬きすら未熟な赤子も同然なのだから、
今はただ、「世界」を全身で味わうのがいいでしょう。
山脈や河川、森に草原、大空に海、町などのフィールドの層、
ニンゲンや動物たちが動き回り、互いに互いの身体を触れ合うための層
そして、河童に妖怪、妖精たちやドラゴン、ユニコーンにケンタウロスなどなど、幻獣たちが住まう層
まずは明日、目を開く(閉じる)のです。
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