願ってないのに、ぴったりのものがやってきた(クリスマスギフト)
願いが叶う。望んだものを引き寄せる。そんな言葉には夢があって楽しいけれど、「そもそも自分は何を望んでいるのか分からない」ときだってある。何が欲しいのか、どこへ行きたいのか、どんな人と出会いたいのか――その“具体的なイメージ”がはっきりしない。
そうなると、「じゃあ、いちいち全部の願いを設定しなきゃいけないの?」となり、望むことすら面倒になる。もう計画→実行の現実主義で行けばいいじゃない、と思ったりする。
もちろん、いちいち願わなくてもいい。引き寄せの法則を知らなくても、願いは叶う。それは、著者であるエイブラハムも言っている。
「叶える」と書くと大げさに聞こえるけれど、あ、そうそう、これが欲しかった!こんな人に出会いたかった!こんな仕事を探してた!と嬉しい偶然に遭遇することは誰にだって起きている。
偶然と言えば偶然だけれど、「偶然にしてはすごい」と思ってしまう奇跡的な出来事は、人生の中で何度も起きる。自分の人生に全然起きてないと感じる人は、気づいていないだけかもしれない。
毎日ご機嫌でいれば、自分の心が喜ぶ出来事が勝手に転がり込んできたりする。特にここ数年の私は、そんなフェーズにいる気がする。そんな大げさなことではなく、日々の生活の中にちりばめられていることなんだけど。
今年もクリスマスが近づいてきたので、夫に「何が欲しい?」と聞かれた。
でも、今の私は欲しいものが何もない。とはいえ、ギフトなしはつまらない。そしたら夫が言った。
「君に必要なのは最新のiPadじゃない?今のはあまりに古くて見ていられないよ」
さすがに古いとは感じてたけど、そんなふうに見られてるとは思わなかった。キンドルを二つ紛失した今、私は読書のほとんどをiPadでしている。確かに、容量が小さすぎてあまりにも不便だから、それ以外ではめったに使わない。でも、特に気にせず堂々と人前でも使っていた。
そうか。私には新しいiPadが必要だったんだ。
と気づいた途端、向こうからやってきた答えにワクワクした。クリスマス前だけど一緒にお店へすっとんで行き、ギフトとして買ってもらった。もちろんペンも買ってくれた。お絵描きでもせよ。と。
その瞬間、あ、これだったんだ、と思い出した。
先月、箱根で電車に乗っていたとき、隣に座った女子高校生たちがタブレットでお絵かきをしていた。その姿があまりに楽しそうで、いいなぁ~、私もやりたい。と一瞬強く感じたのだ。それがストンと現実化した。
実は、この愛着のある古いiPadも「いただきもの」だった。
8年くらい前だったかな。あの頃の私は引き寄せの法則を理解し始め、たくさんのものを引き寄せていた。iPadも、高級車も、旅行とかお金すらも。プチ奇跡を受け取れていた。決して裕福ではなかったけれど、ドン底からシフトできたのはマインド設定のおかげでもある。
もちろん、物質的な引き寄せができるようになっただけでは、まだ本当の意味で「満ち足りた世界」に移行したとは言えない。外側から与えられるご褒美やギフトだけでは、本物の幸せは育たない。
あれからいくつもの出来事を経て、今の私は、内側から自然に喜びが湧き上がる状態が定着した。実はその感覚こそが、引き寄せの法則の核であり、すべての現実を動かす本当の源なんだけど。
時が経ち、かつて引き寄せたものは少しずつ古くなり、やがて手放すタイミングが来る。それは物質だけではない。人間関係だったり、習慣だったり、ときには価値観であることも。手放すたびに、心からの感謝だけが残る。
古いIpadにも、ありがとう。
意識してもしなくても、自分では気づいてないときにすら、望みは次々に生まれてくる。それが、欠乏ではなく、満たされた状態から湧き上がる望みこそが、創造のエネルギーを大きくしてくれるのだと感じてる。願わなくても、やってくるもの。それは、ささやかなギフトかもしれないし、人間関係かもしれない。日頃からあまり受け取れていないと感じるなら、来年に向けて、満たされる感覚を育てていくのがお薦め。そのプロセス自体が、もう豊かさなのかもしれない。
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