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出雲・岡山一人旅|魂の個性を守る境界線。石上布都魂神社の「攻めの剣」と「守りの剣」

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思いがけず祈年祭

岡山駅から車で45分ほどの山の中に鎮座する、石上布都魂(いそのかみふつみたま)神社。 平日は無人で、静かな場所だという情報を得ていた。
事前にホームページを見たとき、4月15日に近い日曜日に祈年祭とあった。私が訪れる4月19日にワンチャンお祭りだったら嬉しいけど、多分4月12日に終わっているだろうなと予想して、お祭りのことはすっかり忘れていた。

忘れていたことがギフトになった。駐車場はいっぱいで、お祭りの赤い旗が立っている。



境内に上がると、人の賑わいで活気に溢れていた。歓迎されてる!とわくわくした。
その後も想像していなかった奇跡を色々と味わうことになった。

お守り拝受

平日は無人で、境内にはお守りや御朱印をお受けできる自販機があると聞いていた。


珍しいお守りの自販機

その日はお祭りだったので、テントの下に授与所が設けられ、年上のお姉さまたちからお守りやお塩、お神酒も授かることができた。

剣の形のお守りは「必勝守」と「護身守」の二種類。どちらも赤と青の二色展開で、私は間違えて危うく「必勝」の赤青二色をお受けしようとしていたのだが、お姉さんに「間違える人が多いの、必勝二つで大丈夫?」と声をかけてもらえて助かった。おかげさまで私は「攻め(必勝)」の赤と「守り(十握剣・護身)」の青を授かることができた。


二回りさんの教え「人に聞く」

 高知からいらしたという参拝者の方と挨拶を交わした。その方は「サムハラ神社(奥宮)にも行ってきたけれど、近くでマラソン大会やってましたよ」と教えてくださった。 他にもお参りされたんですか?と聞くと「中山神社もよかったですよ」という新しい情報をいただいた。これは行くべきだと思った。

実は、前日に居酒屋で出会った二回り上の男性、「二回りさん」がこんなことを言っていた。
「ネットで調べるより、人に聞いたほうが美味しいものにありつけるし、いい情報が入りますよ」

その教えを翌日にさっそく実践した。旅先での見知らぬ人との交流で未来が広がっていく感覚。「私いま経験値上がってるかも」と 自己肯定感も上がった。

本宮に響いた祝詞

本殿でのお参りを済ませて、切り立った山道を15分ほど登ったところにある本宮を目指した。


岩登り
なかなかの山道


山の上の本宮なのに、階段の上の境内に多くの人の気配がした。お祭だからかな?と思い進んだ。

ようやく境内へ辿り着いたその瞬間、あまりのタイミングに驚いた。

神主さんが、大幣(おおぬさ)をバサッバサッと左右に振られてのお祓いが始まったところだったのだ。そして祝詞が始まった。

本来ならこの山の上の本宮で祝詞を聞かせてもらえるなんてあり得ないことだが、私は意図せず崇敬会員さんが集う祭典に立ち会えたのだ。

「待っていてもらえた」

そんなことを思ってしまった。

磐座(いわくら)で起こったこと

会員の皆さんが、神主さんと記念撮影をされている間、本宮の右側にある磐座(いわくら)の傍まで行ってみた。


磐座(いわくら)

ここは、社殿が建つ前から、岩自体が信仰の対象とされていて「禁足地」として守られている。

私は、その岩の端に両手でそっと触れてみた。
自分自身の体の中心に天地から伸びてきた光を通すとイメージし、さらに左手から岩のエネルギーを受け取り、右手から通すとイメージしてみた。

エネルギーを通したとイメージした瞬間、視界が真っ白になった。ちょっと不安になるレベルでしばらく白かった。何らかのエネルギーを受け取ったのかなと思う。もしくは、何かが祓われたのかもしれない。

神主さんとご一行が山を下りられてから、本宮をお参りさせてもらった。参拝の人はまばらで、ゆっくりと手を合わせることができた。



神前で頭の中に降りてきた言葉


「自分と他者の魂を切り分ける。明確な境界線を設け、お互いの領域を侵さない。それぞれの魂を守る。それが、調和。共存、共栄」


ハッとした。
なるほど、調和とは自分を消して周りに溶け込むことだと思い込んできたけれど、自分の魂の形をハッキリと保つことが、本当の平和への一歩なのだ。 

そして、個性の違いを認め、戦わず、傷つけ合わない。そのためには、「ここからは私の聖域」という明確な境界線が必要なのだ。


調和という名の自己犠牲 周りに合わせて自分の形を歪めた過去


これまで私は、「調和」を履き違えてきた。周りとうまくやっていき、平和を保つためには、「明確な自分」を打ち出してはいけないような気がしていた。自分の本来の形を溶かして、周りに合わせて歪める。それで調和を保とうとした。

「出る杭は打たれる」という怖さもあった。
自己表現した結果、嫌われて陰口言われていた経験があまりにも多かった。親や教師が求める「いい子」の型にはまらなければ、価値がないと突き付けられた記憶も。

誰かに評価されるために、パズルのピースである自分の「凸凹」を削り、形を不本意にぐにゃぐにゃ変えてきた気がする。

でも、本当の自己価値は、周りのニーズに応えることの先にはないはず。これからは自分の感性や感覚を打ち出してもいいのだ。

それは、誰かに勝つためでなく、自分の中に湧いてくるネガティブな声に打ち勝つため。優れた成績を出すためでなく、自分を自分で認めるため。

戦わなくていい。自分が正しいと吠えなくていい。誰かに分からせようとしなくていい。ただ自分の凸凹を均すことなく、怖がらずにもっと素直に表現してもいいと思えた。


知的な「断ち切る力」


ここで授かった二つの剣守りに意味があったことを改めて感じた。

「自分の個性を打ち出し、道を切り開く攻めの剣」

「ネガティブな干渉から身を遠ざける、守りの剣」

私には両方必要なのだ。

剣の霊力、フツヌシさんの力は、誰かを打ち負かす暴力ではなく、もっと知的な、「断ち切る力」だった。

迷いや不要な縁を鮮やかにバサッと振り払うもの。スサノオさんも、荒ぶる神とされているが、実は知的な優しさと強さを持つ神様なのではないかと想像した。

神前で浮かんだ言葉は、私に新しい指針をくれた。


瀬織津姫の「大丈夫」という見守り


下山後、お祭りのお裾分けとしてお茶と紅白もちまでいただき、お寿司も購入させていただけた。



当初は、神社のそばのカフェで飲食して神様の気を体に取り込めたらいいなぁなんて思っていた。それが、境内で叶ったのだ。

上に見えているのがテント。本殿とこの距離だった。



ふと腰を下ろしたその場所で、正面を見て息を飲んだ。


そこに鎮座していたのは、本殿の隣にある「祓殿」。

前回の記事で、私のルーツに深く関わっていると感じた瀬織津姫さんがいらっしゃった。 「大丈夫ですよ」 そう優しく微笑まれているような気がした。

知り合いに誰にも伝えずに匿名で書いてた別アカウントのnoteに記した、瀬織津姫さんからの気づきを再掲してみようと思う。

そうやって自己表現をせずに抑え込み、人目を怖がって生きることに自分が思う以上に疲れ消耗していたのです。

滝の前で「だいじょうぶ もうだいじょうぶ」という頭の中の声とあふれる涙と共に溶かされていきました。

私がおかしいから、敵意を向けられているのではなく、
「敵意を向けられることを恐れて自己表現をしない」
という傷を乗り越えさせるために、そういう人物が「キャストとして」現れてくれているのだ、と理解しました。

「滝神社へ  自己表現に関する恐れと傷の一部が癒された」


神様に見守られていることをひしひし感じた石上布都魂神社参拝だった。

何度も言うけど、ぺらって一枚引いたフツヌシさんのカードからこの旅は始まっている。不思議だけど、起こるべきことが起こり、導かれていると思わざるを得なかった。


自分の体感と起こる出来事を信じたい

山の上での祝詞、真っ白な視界、神前で浮かんできた言葉、直で書いてもらえた御朱印、境内で飲食できたこと。 奇跡の連続で、私はもう、自分を信じてもいいのかなと思った。

やばいやつと思われてもいい。 この「不思議な必然」を信じて、私は私の形を大切に生きていきたい。自分が感じたことを公表してもいい。

私という凸凹のパズルのピースが、ようやく本来の輪郭を取り戻しつつある。もっと尖らせてもよし。


清々しさを胸に、私は次の目的地「サムハラ神社奥宮」へと車を走らせた。



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