プロであることが、最大の障害だった。青梨ではない「新甘泉」が教えてくれるよそ者の価値【いいものインサイト #8】
地方にはまだ知られていない価値がある。
この価値を広く紹介していく記事を【いいものインサイト】としてシリーズ化していきます。
前回記事の白いかはこちら↓
いいものインサイトのマガジンはこちら
「しんかんせん」。
はじめてその名前を聞いたとき、思わず「え、新幹線?」と聞き返してしまいました。
梨の名前です。漢字で書くと「新甘泉」。甘さの泉が新たに湧き出る、という意味が込められているそうですが、音で聞くとどうしても東海道が浮かんでしまう。でもひとたびかじれば、そのユニークなネーミングのことはどうでもよくなります。
口の中に広がる果汁の量と、その甘さのこと以外、何も考えられなくなるから。
鳥取に来てはじめて食べた新甘泉の、あの甘さの衝撃は今も忘れられません。糖度は約14度。通常の梨が12度前後ですから、たった2度の差がこれほど大きいのかと驚かされます。シャキシャキした食感は残しつつ、口を開ける前からすでに甘い香りがする。そんな梨がこの世にあったのか、というのが正直な感想でした。
「二十世紀は神様」という絶対ルール
二十世紀梨のいいものインサイトはこちらから
鳥取の梨の歴史は、明治37年(1904年)に始まります。
千葉県から二十世紀梨の苗木を、わずか10本購入したことがきっかけです。病気に弱く、栽培が難しいことで知られるこの品種を、鳥取の農家は独自の袋かけや剪定の技術で育て上げました。
その努力は実を結びます。昭和58年(1983年)には鳥取全県の梨生産量が10万トンに達し、鳥取は名実ともに「梨王国」として全国に知られるようになりました。二十世紀梨の花は鳥取県の県花に指定され、梨をテーマにした日本唯一の博物館「鳥取二十世紀梨記念館なしっこ館」まで生まれています。それほどまでに、二十世紀梨は鳥取のアイデンティティそのものになっていたのです。
なしっこ館についてはこちらでもご紹介しています
ここで重要なのは、この圧倒的な成功が、ある強固な思い込みを生んでいたという点です。
業界の中にこんな雰囲気があったといいます。「生産者にとって二十世紀は神様。新しい梨は青梨でなければいけなかった」。鳥取の梨といえば二十世紀(青梨)という絶対のブランドがあったがゆえに、新品種開発の方向性もその呪縛から逃れられなかった。成功体験が、次の一手を縛っていました。
衰退の中で始まった「2万粒の実験」
しかし、梨王国は静かに揺らいでいました。
価格の低迷と生産者の高齢化が重なり、鳥取の梨生産量は昭和58年(1983年)の10万トンから現在1万1千トンまで落ちています。実に9割近くが失われた計算です。全国の生産量順位も、かつての1位から5位に後退しました。
こうした状況を受け、県は平成元年(1989年)、新品種の開発(育種)に乗り出します。
やり方は力技でした。有望な品種同士を交配させて採取した種の数、実に約2万粒。それを何年もかけて育て、実をならせ、食味を比較し続けたとのこと。
20年の歳月をかけて選ばれたのが7品種。しかしそのうち現在もまとまって生産されているのは、新甘泉を含む3品種ほどです。ほとんど世に出ることなく消えていった品種もあります。
注目したいのは、2万粒から生まれた7品種のうち、ヒットになったのは結局1品種だったという事実です。才能を持つ種を育てても、市場に根づかせることはまた別の難しさがある。量が質を担保する一方で、傑作は偶然に近い選択の積み重ねで生まれるのだということを、この数字は教えてくれます。
「私が生産者じゃなかったから」
平成20年(2008年)、新甘泉は品種登録されます。
「筑水」と「おさ二十世紀」を掛け合わせた、赤梨です。大玉で糖度が高く、酸味が少なく、袋かけも不要。消費者にとっても生産者にとっても「いいことずくめ」の品種として、やがて二十世紀との二枚看板を担うまで生産面積が拡大していきます。
ただ、ここで立ち止まって考えたいことがあります。
「青梨でなければいけない」という業界の空気があったにもかかわらず、なぜ赤梨の新甘泉が生まれたのでしょうか。
日本海新聞の記事によれば、園芸試験場で育種に携わった北川さんはこう振り返っています。「私が生産者じゃなかったから青梨にこだわらず、純粋においしい種を残せたのかもしれない」。
この一言に、すべてが詰まっていると思います。
生産者であれば、二十世紀ブランドへのプライドがある。業界の常識への忠誠心がある。だからこそ、赤梨という選択肢は最初から候補外になっていた。ところが、生産者ではなかったからこそ、そのしがらみを持っていなかった。「純粋においしい」という基準だけで種を選ぶことができた。
よそ者であることが、傑作を生んだのです。
プロの常識が、革新の壁になる
ビジネスの文脈で置き換えると、これはよくある話かもしれません。
業界歴が長いほど、「それはやってはいけない」「それは前例がない」「うちの顧客には受け入れられない」という判断が増えていきます。それは経験から来る知恵でもあるのですが、同時に、新しい可能性への目を塞ぐ壁にもなる。
SNS時代に置き換えれば、さらに顕著です。「バズるコンテンツ」の正解を熟知しているプロほど、その正解に縛られる。「これは伸びない」と最初から判断して、試さないものが増えていく。結果として、常識を知らない新参者が偶然に独自のヒットを生み出す、という逆転現象が起きます。
新甘泉は、その逆転を梨の世界で証明しているように思います。
種苗法による品種保護期間は30年。平成20年(2008年)の登録から計算すると、2038年まで鳥取県は新甘泉の独占生産権を持ちます。「よそ者の自由」から生まれたブランド資産が、今も鳥取の梨産地を支え続けているのです。
「知らない」を武器にする一手
新甘泉の誕生から17年が経ちました。
鳥取県では今、次世代の新品種「鳥園L」(開発名)の品種登録を国に出願中です。3年後に登録が完了し、6年後には市場に出回る予定。いつの時代も、傑作を生むのは技術だけではない。
よそ者の目線で、自分の仕事を見てみてください。あなたが当たり前だと思っていることの中に、外から見れば「なぜそうしているのか」と感じられる慣習が、きっとあるはずです。その「なぜ」こそが、次のイノベーションの入口かもしれない。
明日から使える一手は、シンプルです。「業界の外にいる人に、自分の仕事を説明してみる」。違和感を持ってもらうことが、目的です。
Iターンでこの地に来て、鳥取の当たり前をまだ知らなかった頃のわたしが、あちこちで「なぜ?」と聞き回っていたように。知らないことは、恥ずかしいことではない。むしろそれが、長くその土地にいる人には見えなくなった問いを掘り起こす力を持っています。
新甘泉を頬張るたびに、わたしはそんなことを考えています。
旬は8月下旬から9月上旬。鳥取に来る機会があれば、ぜひその甘さを体験してみてください。
参考URL
https://www.nnn.co.jp/articles/-/729677
https://www.pref.tottori.lg.jp/204123.htm
https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/841782/6.pdf
https://www.torican.jp/feature/nashi-nashigari
ご覧いただきましてありがとうございます!
他の記事も是非ご覧ください。
新甘泉からインサイトを引き出した思考法はこちら
よそ者で歓迎された話はこちら
そのうち「宇宙梨」とか出てくるかも?
