きゅうり1,200円のビールの夜に、ベトナムへ飛ぶことを決めた。|私自身の部屋
大手町の居酒屋で、証券会社の同期と仕事帰りに飲んだ夜のことを
今でも覚えています。
1杯1,000円以上するただのビールと、
きゅうりに少しスパイスがかかった料理が
「シンガポール風ピクルス」みたいな名前で1,200円で出てきた。
その瞬間、ふと思ったんです。
このきゅうりとビールのために、明日また1時間真剣に働こうって思えない。
これが何十年も続くのか。
30代になって、40代になって、ここで身をすり減らし続けて
後悔するのは嫌だな、と。
それが正しいとか正しくないとかじゃなかった。
ただ、「やりたくない」という感覚だけがはっきりしていた。
ずっと、「正しいか正しくないか」で生きてきた。
大阪の下町で育った私の家には、「当たり前」がたくさんありました。
女の子は安定した人と結婚するべき。
勉強よりも家庭。海外なんて行かなくていい。
大学に行くのは優秀な男性だけで、女性がなんてただの贅沢。
女の子はいい人を見つける方が手に職より大事。
家族を見渡すと、みんなそうやって生きていた。
だから私も、その「当たり前」の中で、
何が正しいかを基準に物事を考えていました。
これをすべきか、すべきじゃないか。
この選択は正しいか、正しくないか。
19歳でパスポートを作って海外に出るまで、ずっとそうでした。
モントリオールで、「当たり前」が壊れた。
カナダのモントリオールに着いた瞬間から、
私の「当たり前」は通用しなくなりました。
20歳で投資用の家を買っている人がいた。
学生なのに起業している人がいた。
「女の子だから」という発想が、周りに誰にもなかった。
お金の話を食卓でする家族がいた。
反対にカバン一つで自国から逃げてきた難民のクラスメイトがいた。
夜のアルバイト先では、違法に滞在し、
不法労働で学費を稼いでいる同僚がいた。
性別も、宗教も、言語も、価値観も、全部バラバラな人たちが、
それぞれの「当たり前」を持ちながら普通に隣に住んでいた。
どれが正しくて、どれが間違っているのか。
そんな問いが、だんだん意味をなさなくなっていきました。
世の中は平等じゃないことを受け入れられたのも、この時期かもしれない。
東京は、訓練の場だった。
一度日本に帰国した20代前半、夢と希望を持って東京に出ました。
でも社会の底辺にいた私には、
学歴・職歴・出世というレールにどっぷりスタートラインから
始める選択肢しかなかった。
日中はフルで働いて、コールセンターで夕方働いて、
ガールズバーで夜働いて、週末はティッシュを配ったり、添乗員をしたり。
セクハラで職場を辞めて、ブラック企業で終電まで働いた。
当時は理解できないこと、してもらえないことで、いっぱいつまづいた。
でも今振り返ると、あの時期は今の自分に必要な訓練でした。
世界的に見ても厳しい規律と調和の中で生き、働く日本人の中でしか
経験できないことを、全部体で覚えた時間だったと思っています。
自由になるためには、まずそのレールを何らかの形で
経験として駆け上がる必要があった。
べき論とか正しいとかじゃなくて、そのための準備として。
海外に出て初めてわかった。
日本で鍛えられたあの時間は、世界で戦う上での武器でした。
当時は全然そう思えなかったけれど。
だから30歳になる直前、「もう準備は終わった」と思えた瞬間に、
迷わずベトナムに飛びました。
人に会うたびに、人生が変わった。
振り返ると、私の人生の転換点には、
必ず「人との出会い」がありました。
カナダで出会ったフランス人のルームメイトが、
学ぶことへの扉を開いてくれた。
「まだ学生なのに投資用の家を買う」という発想が、
私の中になかった「お金との付き合い方」を見せてくれた。
ベトナムで出会ったヨガの先輩が、「整える」ということを教えてくれた。
仕事が終わった後にヨガをしながら、明日の戦略を語り合う夜が、
私のキャリアを変えた。
スカバンドで一緒に演奏した仲間が、夫への日記を書くきっかけをくれた。
彼の本の中にあった、
コロナ禍で一番困難だった時に、奥様の早苗さんが
『自分のいいところを毎日一つ書き残してくれた』という益子さんの話が、産後うつの出口を見つけるきっかけになった。
▼ PIZZA FOR PEACE 世界で愛されるピザレストランPizza 4P'sの軌跡
(ピザ屋の話なのにこんな人間らしい話が出てくるところが益子さんご夫婦らしい。機会があればぜひ食べに行ってみてください)」
この話をきっかけに、私も夫のいいところを毎日一つ書き始めました。
それが今も続いている「毎日、夫に恋する生活を。」です。
▼ 夫への日記、読んでみてください。
毎日、夫に恋する生活を。
誰かと出会うたびに、自分の「当たり前」の枠が一つ外れていきました。
前に進む軌道力とアイデアを、私はずっと人からもらってきました。
自分一人の頭で考えていたら、たどり着けなかった場所ばかりです。
「正しいか」じゃなく「やりたいか」で生きていい。
ある時から、気づいたんです。
「何が正しいか」で選ぶのをやめて、
「何がやりたいか」で選んでいいんだ、と。
それは誰かに教えてもらったわけじゃなくて、
いろんな国に住んで、いろんな人に出会って、
「当たり前」が毎回更新されていく経験を繰り返す中で、
じわじわと腑に落ちていったことでした。
ベトナムに来てからの仲間たちは、
みんな30歳で次の事業を本気でやろうとしていた。
子どもの育て方に正解なんてない。
お金は稼ぐものじゃなくて育てるもの。
どこに住むかは、自分たちが決めていい。
「こういうものだ」という枠が、一つずつ消えていきました。
「当たり前」は、住む場所が変われば全部変わる。
それに気づいた時、初めて「自分はどうしたいのか」という問いを、
怖がらずに立てられるようになりました。
正解を探すのをやめた日から、自由になった。
「何が正しいか」じゃなくて「何がやりたいか」。
その問いに切り替えた瞬間から、選択が怖くなくなりました。
正解がないなら、やってみればいい。
違ったら変えればいい。
人に会って、環境を変えて、また更新していけばいい。
ダナンの朝、コーヒーを淹れながら、
今日も「やりたいこと」を選んでいます。
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お読みいただきありがとうございます。
「何者かにならなくていい。全部の自分のままでいい。」
そう信じながら、等身大のまま書いています。
諦める前に、もう一回だけ試してほしい。
そのための実験を、私自身が続けています。
どこかの誰かのエールになれたら、嬉しいです。
スキやコメント、とても励みになります。
フォローして、続きも一緒に見届けてもらえたら嬉しいです。
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【この記事を書いた人】まなラボ
音大中退、貯金ゼロ、高卒からスタートして、
気づいたら4言語・5カ国居住・約40カ国を旅していました。
ベトナムで会社を立ち上げて売って、産後うつになって、消えそうになって。
それでも今、ダナンで息子とフランス人の夫と、
日々の身の回りの幸せを大切にしながら、笑って生きています。
「こんな道もあるんだ」と思ってもらえたら十分です。
挑戦する前から、諦めないでほしい。
失敗を、恐れないでほしい。
諦めるまでは、失敗じゃないから。
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