サッカーオランダ代表とAFCアヤックス なぜ「トータル・フットボール」がサッカーを進化させたのか?
Ⅰ. 1970年代に始まったオランダ代表の成功

1974年の西ドイツW杯で、リヌス・ミケルス監督率いるサッカーオランダ代表が披露した「トータル・フットボール」は、当時の世界最先端の戦術だった。オランダ代表は1973年にFCバルセロナへと渡ったヨハン・クライフを中心に、ヨハン・ニースケンスやルート・クロル、アリー・ハーンが絡み、相手を圧倒するフットボールを展開。しかし、それが可能だったのには理由がある。
1974年W杯のオランダ代表選手の多くは、1970年代前半のAFCアヤックスでともにプレーしていたのだ。ミケルスがアヤックスの監督に就任したのが1965年。そこから戦術を磨いた同クラブは、ミケルスが退任する1971年までに4度のエールディヴィジ優勝を実現。そのうえ、1970/71シーズンからはUEFAチャンピオンズリーグの前身であるヨーロピアンカップで3連覇を果たした。
Ⅱ. 1980年代のアヤックスが誇ったスカッド

1974年W杯でオランダ代表が「トータル・フットボール」を披露できたのは、AFCアヤックスの成功とそれを導いた選手やミケルスを招聘できたからというのが、大きな理由だった。その後、1980年代にもアヤックスは成功を遂げる。レオ・ベーンハッカーやア・デモスといった監督のもとで5度のリーグ制覇を成し遂げたのち、1985年にクライフを監督に招聘したのだ。
クライフが監督に就任したアヤックスは、驚異的なスカッドを誇った。絶対的ストライカーでのちに3度のバロンドールを受賞するマルコ・ファン・バステン、史上最高のMFの1人と称されるフランク・ライカールト、1992年のヨーロピアンカップ決勝でFKを決めたことで知られるDFロナルド・クーマンなどである。さらにユースには、当時まだ10代のデニス・ベルカンプが在籍していた。
Ⅲ. 最大の成功となった1988年のユーロ優勝

先述したアヤックスの選手たちは、のちに巨大な成功を収めることとなる。ファン・バステンとライカールトはアリゴ・サッキ率いるACミランで再開し、1988/89シーズンからのヨーロピアンカップ2連覇に大きく貢献。クーマンは1987/88シーズンにエリック・ゲレツなどとPSVでビッグイヤーを獲得したのち、クライフ率いるFCバルセロナでも1991/92シーズンにビッグイヤーを獲得した。
しかし、この世代の選手たちの最大の成功となったのは、1988年のUEFA欧州選手権の優勝だろう。ミケルス監督に率いられたチームがミュンヘンで行われた決勝で対戦したのは、ヴァレリー・ロバノフスキー率いるソヴィエト連邦代表。当時、背番号12を着用したファン・バステンが、ほとんど角度のない位置から決めた伝説的ボレーシュートでも知られる同試合は、オランダ代表が制した。
Ⅳ. ルイ・ファン・ハールと1995年の成功

クライフが1988年にFCバルセロナの監督に就任したあとも、アヤックスは再び優秀な若手タレントを擁して黄金時代を迎えた。1991年に監督に就任したルイ・ファン・ハールの下、決勝でユヴェントスFCを破り、1994/95シーズンのCLで優勝を果たしたのだ。デイリーの父ダニー・ブリントやライカールトといった実力あるベテランを擁しつつも、ほとんどが新進気鋭の若手選手たちだった。
エドガー・ダービッツ、クラレンス・セードルフ、エトヴィン・ファン・デル・サール、デ・ブール兄弟、マルク・オーフェルマルス、パトリック・クライファート。のちにFAプレミアリーグやリーガ・エスパニョーラ、セリエAの主要なクラブでリーグ優勝を成し遂げることになる錚々たるメンバーが、ボスマン判決の影響で多くの選手が退団するまで、アヤックスに在籍していたのだ。
Ⅴ. 「小さな天使」たちと2010年W杯決勝

2000年代前半、アヤックスはそれまでチームの中核を担った多くのタレントを失いながらも、ズラタン・イブラヒモヴィッチやマクスウェル、クリスティアン・キヴなどの海外のタレントを獲得することで競争力を保っていた。加えて、ユースを重要視する姿勢を失うこともなかった。2000/01シーズン以降にヨング・アヤックスから数々の優秀なタレントを輩出したのだ。
「小さな天使」と称されたラファエル・ファン・デル・ファールトを筆頭に、ヴェスレイ・スナイデル、ナイジェル・デ・ヨング、ヨン・ハイティンハ、マールテン・ステケレンブルフなどがデビュー2010年W杯では、彼ら5人を擁するオランダ代表がベルト・ファン・マルワイク監督の下で決勝へ進出したものの、最後はアンドレス・イニエスタの決勝ゴールでスペイン代表に屈した。
Ⅵ. エリック・テン・ハフと2人の「天才」

2010年代以降のアヤックスは、フランク・デ・ブール監督のもとでのエールディヴィジ4連覇や、彼の後任となったピーター・ボス監督の下でのUEFAヨーロッパリーグ決勝進出など、デイヴィ・クラーセンやジョエル・フェルトマンといったユース選手を中心に成功を収めた。しかし2018年、チームのクオリティーを飛躍的に高めることになる監督が就任する。エリック・テン・ハフである。
テン・ハフは、マタイス・デ・リフト、フレンキー・デ・ヨングという2人のオランダ人を中軸に据えつつ、ハキム・ツィエク、ドゥシャン・タディッチなどの実力者を活かすプレッシング戦術で躍進。2018/19シーズンにはレアル・マドリードCFを破ってCL準決勝進出を果たすなど、近年における最大の成功を収めた。その後もライアン・グラフェンベルフといった逸材を輩出している。
Ⅶ. 「トータル・フットボール」がサッカーを変えた?

ここまで、サッカーオランダ代表とアヤックスの歴史の相関を詳しく見てきた。では、なぜ「トータル・フットボール」がサッカーを進化させたという言説が、サッカー界を支配しているのだろうか。個人的には、大きく2つの理由があると考える。1つが「ヨハン・クライフ」の存在だ。サッカーの戦術がのちの世にも名前を残すには、1つのアイコン(あるいはアイドル)が必要だ。
わかりやすい例がある。それがロバノフスキーを祖とするプレッシング戦術だ。プレッシング戦術は、いまでこそラルフ・ラングニックの影響で世界中で取り入れられているが、長くサッキやユルゲン・クロップ的な文脈でしか語られなかった。反対に「フランツ・ベッケンバウアー」というアイコンを持つリベロ戦術は、すでに廃れたにも関わらず、世界中で共有されている。
Ⅷ. 「トータル・フットボール」の伝道師たち

もう1つは、「トータル・フットボール」の伝道師たちの存在である。ミケルスやクライフ、ベーンハッカー、ファン・ハール、デ・ブール。すでに言及した監督たちは、伝道師の筆頭だ。さらにクライフが見事だったのは、監督として就任したFCバルセロナに同戦術を持ち込み、ヘンク・テン・カテなどと共に発展させたうえ、ジョゼップ・グアルディオラに教え込んだことにある。
ペップは、まさに「トータル・フットボール」の重要性を決定づけた人物だった。確かに、それまで成功を収めたアリゴ・サッキや「エル・ロコ」マルセロ・ビエルサもクライフの影響を多大に受けていたが、ペップは選手として直に指導を受けたうえ、FCバルセロナのレジェンドであり、監督としてFCバルセロナで大きな成功を収めたのだ。これほどの説得力は存在しないだろう。
厳密にいえば、「トータル・フットボール」はあくまで象徴だ。選手の流動性を実現した戦術は、それ以前にもオーストリア、ハンガリー、ブラジルで実現されたからだ。しかし、それを体系化し、ユース機関に落とし込み、トップチームで継続的に実現することが最大の変革だった。つまり、四半世紀にわたってそれを実現したアヤックスというクラブそのものが、「トータル・フットボール」の成功の証明なのである。
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