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MVP ARCHIVE PEOPLE|Presidents Political Leaders : Mikhail Gorbachev (1931-2022) / ミハイル・ゴルバチョフ - 冷戦を終結へ導いた改革者

Mikhail Gorbachev (1931-2022) / ミハイル・ゴルバチョフ - 冷戦を終結へ導いた改革者

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ミハイル・ゴルバチョフ - 冷戦を終結へ導いた改革者

ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ(1931–2022)は、ソビエト連邦最後の最高指導者であり、ペレストロイカ と グラスノスチ を掲げてソ連社会の改革を進め、冷戦終結に重要な役割を果たした政治家である。

1985年、ソ連共産党中央委員会書記長に就任、当時のソ連は、経済停滞、技術革新の遅れ、軍事支出、硬直した政治・行政制度など、多くの問題を抱えていた。

ゴルバチョフ は体制を維持しながら改革する道を選んだ。
しかし、改革によって社会に生まれた変化は、やがて共産党による統制そのものを揺るがし、東ヨーロッパの民主化、 終結、そして1991年のソビエト連邦解体へとつながっていった。

新しい世代の指導者

1985年3月、ゴルバチョフ は54歳でソ連共産党書記長に就任した。
ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコと高齢の指導者が続いたソ連において、新しい世代の指導者の登場だった。

ゴルバチョフ は、従来の制度をそのまま維持するのではなく、社会と経済の改革が必要だと考え、ソ連史を大きく変える二つの政策が始まる。

Perestroika ― 改革

ゴルバチョフ が進めた代表的政策の一つが、Perestroika( ペレストロイカ / 再構築 )である。

中央政府による強い統制を特徴としていたソ連経済に改革を導入し、企業活動や経済運営に一定の自主性を与えることなどが試みられた。
政治制度についても改革が進められ、複数候補による選挙など、それまでのソ連では限定されていた政治参加の仕組みが導入された。

しかし、経済改革は期待された成果を十分に上げることができず、物資不足や経済混乱も深刻化していった。

Glasnost ― 情報公開

もう一つの重要な政策が、Glasnost( グラスノスチ / 情報公開 )である。
政府や社会について、より自由に議論できる環境が拡大した。

スターリン 時代 の弾圧、政治腐敗、社会問題、チェルノブイリ原子力発電所事故 など、それまで公に語ることが制限されていた問題についても報道や議論が行われるようになり、情報が開かれることで、人々は国家の歴史や社会の現状を、それまでとは異なる形で知るようになった。

チェルノブイリ原発事故

1986年4月26日、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の チェルノブイリ原子力発電所4号炉 で大規模な事故が発生、事故直後の情報公開は限定的であり、ソ連政府の対応は国内外から批判を受けた。

Reagan and Gorbachev

ゴルバチョフ は、アメリカ大統領 ロナルド・レーガン との首脳会談を重ねた。
1985年のジュネーブ、1986年のレイキャビク、1987年のワシントンなどで両首脳は核兵器と米ソ関係について協議した。

1987年12月、両国は INF全廃条約( Intermediate-Range Nuclear Forces Treaty )に署名、核兵器の一部を廃絶する米ソ間の重要な軍備管理条約となった。

東ヨーロッパへの非介入

1956年のハンガリー動乱、1968年の「 プラハの春 」では、ソ連を中心とする軍事介入によって改革運動が抑えられていた。

しかし ゴルバチョフ政権 は、この従来の介入政策から離れ、1989年、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキアなどで政治体制が次々と変化したが、ソ連軍による大規模な軍事介入は行われなかった。

Berlin Wall

1989年11月9日、ベルリンの壁 が事実上開放された。
1961年以来、東西冷戦の象徴だった壁を市民が越え始め、翌1990年には東西ドイツが統一された。
ゴルバチョフ政権 はドイツ統一を受け入れ、第二次世界大戦 後から続いてきたヨーロッパの政治構造は大きく変化した。

冷戦の終結

1989年12月、ゴルバチョフ と アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュ はマルタで首脳会談を行った。
米ソ間の関係は、それまでの軍事的対立から協力と軍縮を重視する方向へ変化、1990年 ゴルバチョフ東西関係 の変化と軍縮への貢献によりノーベル平和賞を受賞、40年以上にわたって世界政治を規定してきた 冷戦 は終結へ向かった。

ソビエト連邦内部の変化

しかし、外交上の緊張緩和が進む一方、ソ連国内では政治的・経済的混乱が拡大、グラスノスチ によって政治的議論が広がると、バルト三国をはじめとする各共和国で民族運動や独立要求が強まった。

共産党による中央集権的な統治は次第に弱まり、ソ連という国家そのもののあり方が問われるようになった。

1991年8月クーデター

1991年8月、改革に反対するソ連共産党・政府の保守派が非常事態国家委員会を設置し、ゴルバチョフ を軟禁、クーデターは数日で失敗した。
しかし、この事件によってソ連中央政府と共産党の権威はさらに低下し、ロシア共和国大統領ボリス・エリツィン の政治的影響力が急速に拡大し、各共和国の独立への動きも加速した。

ソビエト連邦の終焉

1991年12月、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの首脳は、ソビエト連邦が事実上存在しなくなったことを確認し、独立国家共同体の設立を決定した。
12月25日、ゴルバチョフ はソビエト連邦大統領を辞任、翌26日、ソビエト連邦は正式に消滅、1922年に成立した国家は、69年間の歴史を終えた。

世界への影響

ゴルバチョフ の改革は、ソ連国内だけに留まらず、核軍縮、東ヨーロッパへの非介入、ドイツ統一の受け入れによって、第二次世界大戦 後に形成された東西対立の構造は大きく変化した。

その一方、ペレストロイカ による経済改革は十分な成果を上げることができず、政治的自由化と民族運動の拡大はソ連国家の統合を急速に弱めた。
ゴルバチョフ が目指した「 改革されたソビエト連邦 」は実現しなかった。

歴史的意義

ミハイル・ゴルバチョフ は、停滞していた社会主義体制を改革し、ソ連を維持することであった。
情報を開き、政治参加を広げ、東ヨーロッパへの軍事介入を控えるという選択は、それまで国家を維持してきた統制の構造そのものを変えていった。

MVP Perspective

ミハイル・ゴルバチョフ の歴史には、一つの重要な問いが残さた。
社会を変えるために開いた扉を、その後も自分で制御することはできるのか。」
維持するために始めた改革は、情報が開かれ、人々が発言し、各地域が自らの意思を示し始めると、その変化は当初の改革構想を越えて進んだ。

一方で、東ヨーロッパで大規模な軍事介入を行わず、米ソ間の軍縮と対話を進めたことで、冷戦終結 という巨大な変化は全面戦争を伴わずに進んだ。

ゴルバチョフ の歩みは、改革とは望む結果だけを選んで起こせる変化ではないことを示し、その先に生まれる予測できない変化まで含めて、歴史を動かすことになる。

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