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アラブの春 - 一人の青年から始まった、地域を揺らす連鎖
2010年12月17日。
北アフリカの国チュニジア。その地方都市Sidi Bouzidで、26歳の露天商Mohamed Bouazizi が自らに火を放った。
彼は路上で野菜や果物を売って生活していた。行政当局とのトラブルを経て、抗議のため県庁舎前で焼身し、Bouaziziは翌2011年1月に死亡する。
失業、貧困、政治腐敗、長期政権、政治参加の制限。
社会の中に蓄積していたさまざまな不満が、一つの出来事を契機として表面化し、チュニジア各地で抗議運動が拡大する。
そして2011年1月14日、23年以上にわたって大統領を務めていた Zine El Abidine Ben Ali が国外へ脱出した。
その光景はテレビ、インターネット、SNSを通じて周辺諸国へ伝わった。
やがて抗議運動はエジプト、リビア、イエメン、シリア、バーレーンなどへ広がっていき、後に世界は、この巨大な政治的連鎖を、Arab Spring アラブの春 と呼ぶようになった。
Tunisia
最初に崩れた政権
チュニジアでは Ben Ali政権 のもとで経済成長が進む一方、失業、地域格差、政治腐敗、言論・政治活動への制約などが存在していた。
Bouazizi の焼身後、抗議活動は地方都市から首都Tunisへ拡大する。
政府は抗議を抑えようとしたが、運動は収束しなかった。
2011年1月14日、Ben AliはSaudi Arabiaへ脱出、長期政権は短期間で崩壊、その後、チュニジアでは選挙と新憲法制定が進められ、一時は Arab Spring から民主化へ移行した代表例とされた。
しかし、その政治的成果も固定されたものではなかった。
2021年以降、Kais Saied大統領のもとで議会停止や権力集中が進み、Arab Spring 後に成立した政治制度は大きく変化している。
Egypt
Tahrir Square
2011年1月25日。
エジプトでも大規模な反政府デモが始まった。
首都CairoのTahrir Squareには、多数の市民が集まった。
当時の大統領 Hosni Mubarak は1981年以来、約30年間にわたり政権を維持していたが、抗議活動が全国へ広がる中、2月11日、Mubarakは辞任した。
チュニジアに続いて、中東を代表する大国の長期政権も崩壊した。
その後、選挙によって Mohamed Morsi が大統領となった。
しかし2013年、軍がMorsi政権を排除、Abdel Fattah el-Sisi が政治の中心となり、その後大統領に就任した。
Libya
革命から内戦へ
Libyaでは1969年以来、Muammar Gaddafi が国家を支配していた。
2011年2月、反政府運動が始まり、政府と反政府勢力の対立は急速に武力衝突へ発展、3月、国連安全保障理事会 は民間人保護を目的として飛行禁止区域設定などを認める Resolution 1973 を採択。
NATO による軍事介入が始まり、反政府勢力は次第に支配地域を拡大し、8月には首都Tripoliへ進攻。
10月、Gaddafi はSirteで拘束その際に死亡、42年間続いた体制は崩壊した。
しかし、複数の武装勢力や政治勢力が対立し、Libyaは再び内戦へ。
Yemen
政権交代の先にあった戦争
Yemenでも2011年、大規模な反政府運動が発生、Ali Abdullah Salehは長期間にわたり国家の中心にいたが、国内外の圧力を受けて権力移譲に合意する。
2012年、Abdrabbuh Mansur Hadiが大統領となったが、政治的混乱は続いき、Houthi勢力が拡大し、2014年には首都Sanaaを掌握。
その後Saudi Arabiaを中心とする連合軍が介入、大規模な内戦へ入った。
Bahrain
維持された王政
Bahrainでも2011年2月から抗議活動が拡大、政治改革などを求める市民が首都ManamaのPearl Roundaboutなどに集まった。
しかし政府は抗議運動を鎮圧、Gulf Cooperation Council( GCC )の枠組みでSaudi Arabiaなどから部隊も派遣され、王政は維持された。
Syria
抗議運動から13年以上の戦争へ
2011年3月、シリア南部Daraaで反政府抗議運動が始まった。
Bashar al-Assad政権 は抗議活動を強く抑え込んだ。
抗議は拡大し、やがて軍からの離反者や反政府武装勢力が現れる。
政治運動は武力衝突へ変わり、複数の勢力が入り乱れる複雑な状況となる。
政府軍、反政府勢力、クルド勢力、イスラム武装組織、ISIS。
さらに、Russia、Iran、United States、Türkiyeなどが関与する巨大な戦争へ発展、多数の市民が死亡し、数百万人が国外へ避難した。
そして2024年12月、反政府勢力の攻勢によって Assad政権 は崩壊した。
2011年に始まった抗議運動から、13年以上が経過していた。
Social Media
つながった市民
Arab Springが過去の革命と異なっていた特徴の一つが、情報環境だった。
Facebook、Twitter、YouTubeなどのサービスが急速に普及していた時代であり、市民は抗議活動の情報を共有した。
映像を撮影し、国外へ発信し、他国で起きている出来事をリアルタイムに近い形で見ることができた。
政治・経済・社会的不満は、それ以前から存在していた。
SNSは原因そのものではなく、すでに存在していた人々と情報を接続する新しい経路として機能し、一つの都市で起きた出来事が、国境を越えて共有され、別の国の人々がそれを見る。
そして、「 ここで起きたのなら、自分たちにもできるかもしれない 」
という認識が広がった。
One Spring, Different Futures
同じ始まり、異なる結果
チュニジアでは政権が崩壊し、民主化への移行が進み、再び権力が集中。
エジプトではMubarak政権が崩壊したが、その後軍が政治の中心へ。
LibyaではGaddafi政権が崩壊した後、国家が分裂した。
Yemenでは政権交代後に内戦が拡大した。
Bahrainでは王政が維持された。
Syriaでは抗議運動が長期内戦へ発展した。
同じ時期に、似た要求を掲げて始まった運動でも、その後の歴史は様々で、それぞれの国家が持っていた制度、軍、宗派、民族、経済、国外勢力との関係が異なっていたことによる。
What Remained
「春」のあとに残ったもの
Arab Spring は、中東・北アフリカに民主主義が一斉に広がった出来事という結果ではなかった。
しかし、それだけで Arab Spring が何も変えなかったことにはならない。
長期間維持されていた政権が短期間で崩壊するのを、人々は目撃した。
国家が情報を完全に管理することが難しくなった。
そして、これまで政治の外側にいるように見えていた市民が、巨大な政治変化を生み出す主体として現れた。
社会が安定して見えることと、人々が現状を受け入れていることは違う。
Arab Spring は、その違いを世界に見せた。
MVP ARCHIVE|Perspective
一人では、何も変わらないのか
Mohamed Bouazizi は国家を倒そうとして軍隊を組織したわけではない。
地方都市で生活していた一人の青年だった。
しかし彼の行動は、すでに社会の中に存在していた不満と接続した。
一人から一つの街へ、国へ、そして別の国へ、出来事が連鎖していった。
社会の中には、それ以前から膨大な違和感や不満が存在していた。
Bouazizi の出来事は、すでにあったものを、表面へ現す契機になった。
既存の構造を拒否することで、人々は一つになれる。
しかし、その構造がなくなった後、どんな制度をつくるのか、誰が統治するのか、異なる価値観をどう共存させるのか、権力をどう制限するのか。
Arab Spring は、「 市民には社会を変える力がある 」ことを示した。
同時に、社会を変えた後、その自由を維持する構造をつくることがどれほど難しいのかも示した。
2010年12月17日、チュニジアの地方都市で起きた一つの出来事から、歴史は動き始め、その結果は一つではなかった。
だからこそ Arab Spring は、革命の成功や失敗だけを語る歴史ではない。
人々が「 このままではない未来 」を選ぼうとしたとき、社会に何が起こるのか、その巨大な観測記録なのである。

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