本能寺の変1582 【注ポ06】 №6-132 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【注ポ06】 №6-132
はじめに ←目次 重要 ◎目次 過去記事 目次 【記事一覧】
←【五大要因】 中 小
←1 時代の風潮 1 2 3
←2 光秀の実像 1 2 3 4 5 6
←3 光秀の苦悩 1 2 3 4 5
←4 武田の滅亡 1 2 3
←5 信長の油断 1 勝利の余韻
「事態急変」
2 四国出陣
3 足蹴事件
4 中国出陣
「時は今」
←さる程に、不慮の題目出来候て、
←【注目ポイント】 目次
←【重要史料】 【重史全通】 【重史一覧】
←【人物】
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 公=信長公記 ✓=チェック済
信=信長の人物像 光=光秀の人物像 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正
【注ポ06】 №6-132
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【光秀という男】 結論 1/x 目
信長は、典型的な戦国武将。 →【信長という男】 目次
猜疑心が強く、用心深い。
「隙」を見せぬ男。
粘り強く、執念深い。
光秀も、これに同じ。 →【光秀という男】 5/7
典型的な戦国武将。
猜疑心が強く、注意深く、用心深い。
同、「隙」を見せぬ男。
そして、粘り強く、執念深い。
二人は、「同じ穴の狢」。 →【光秀という男】 5/7
「打てば響く」
周波数が合った。
光秀は、出来る男。 →【光秀という男】 3/7
キレ者である。
優れた能力の持主だった。
光秀は、洞察力に優れていた。 →【光秀という男】 4/7
光秀は、信長の性格・気性を知りつくしていた。
信長の心の内を読み取ることが出来た。
信長は、合理主義者。 →【信長という男】 目次
有能な家臣を求めていた。
信長は、大いに気に入った。
これを抜擢・登用した。
正に、「水を得た魚」。
以後、光秀は、出世街道を驀進する。
信長の夢は、「天下布武」。
光秀の夢は、「明智の再興」。
二人の志向は、合致した。
この頃は、利害が一致していた。
すなわち、互いに、利用し、利用される間柄。
二人は、利害で結ばれた関係にあった。
つまり、
互いに、深く、信頼し合って結ばれた関係ではなかった、ということ。
利害が、一致している間は、良好な関係がつづくが、
それが、崩れれば、破綻する、きわめて、脆い関係にあった、
ということである。
時は、戦国時代。
相互不信の時代である。
それは、やがて、現実のものになる・・・・・。
要注意!!
信長と光秀。
以上、二人の個性の根本が、「本能寺の変」の要因の一つとなった。
⇒ 次へつづく
