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本能寺の変1852 その一因 一、光秀の年齢 そ第5~13話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 一、光秀の年齢 そ第5~13話 

1光秀と光慶 

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そ第5話

 【参照】 ←テ第5話 ←◎第5話 ←第5話

 天正十年1582、春。
 信長は、甲斐を攻めた(甲斐遠征)。

 先陣は、嫡男信忠。

 信長の本陣は、その後を追う。

 信長は、光秀に出陣を命じた。
 細川・筒井、同。 
 両氏は、ともに、光秀の与力。
 その指揮下にあった。

 このことから、
 光秀は、甲斐遠征が出来る年齢だった。
 おそらく、1000kmを超えるだろう。
 長期に亘る大遠征となる。
 気力、知力、体力。
 光秀には、それが十分に出来た。
 まだまだ、現役。
 引退するような年齢ではない。
 と、いうことである。

 となれば、
 光秀の年齢は、六十代前半以下。
 
このあたりが上限になるのではないだろうか。
 そう、考える。

そ第6話

 【参照】 ←テ第6話 ←◎第6話 ←第6話

 信忠は、わずか一日で高遠城を攻略した。
 これが、武田最後の戦いになった。
 仁科信盛の首。
 信忠は、後継者として申し分のない人物だった。
 信忠は、逞しい戦国武将に成長していた。

 信長は、これに満足していた。
 織田家の前途は、大きく開けていた。

 だが、しかし、明智は、・・・・・。
 光秀は、高齢だった。
 嫡男光慶は、若すぎた。

 光秀の後継者問題。
 光秀にとっては、最も重要な問題。
 このことが、光秀を苦しめた。

 光秀は、出来る男。
 これまで、一度たりとも、落ち度がなかった。
 正に、パーフェクト。
 非の打ちどころのない男。
 見事である。

 光秀は、洞察力に優れていた。
 信長の意向を汲み取るのことに巧みだった。
 信長の心の内を知り尽くしていた。 

 光秀には、先見力があった。
 先が、見えた。

 光秀は、猜疑心が強い。
 信長を信用していない。

 光秀は、用心深い。
 「隙」を見せぬ男。
 心の内を、気取られず。

 光秀は、不安だった。
 「危うい」
 明智の将来は、一体、どうなるのだ!!

 この思いが、積もりに、積もっていく。
 そして、やがて、本能寺へ!!

そ第7話

 【参照】 ←テ第7話 ←◎第7話 ←第7話

 光秀は、大きな悩みを抱えていた。

 1己の年齢。
  そして、老い。
  人生の終末について、考えねばならぬ時期。
  光秀は、体力に不安を感じていた。

 2光秀は、かつて、大病を患ったことがあった。
  
今から、六年前。
  天正四年1576、五月。
  大坂攻めの真っ最中であった。 
  あいにく、梅雨の季節。
  激戦がつづいた。
  長陣である。
  その陣中で。
  劣悪な環境。
  疲労の蓄積。 
  光秀は、倒れた。

  光秀は、生死の境を彷徨(さまよ)った。
  これまでの人生で、最大の危機であった。 
  しかし、名医曲直瀬(まなせ)道三の懸命な治療と、妻の献身的な看病に
  より、奇跡的に持ち直した。
 
  この時の体験から、
  光秀は、体力面について、多少なりとも、不安を感じていたのではなか
  ろうか。
  そう、永くは、生きられぬ、と、思っていたのかもしれない。

  おそらく、それ程、頑強な肉体の持ち主ではなかったのだろう。
  年齢の問題に、このことが重なった。

 3「世代交代」
  光秀は、明智の当主。
  そこには、避けては通れぬ問題があった。
  「世代交代」、である。

  すなわち、後継者に関すること。
  明智氏の存続に直結する大問題。 
  これが、また、難しい。

  光秀の後継者は、光慶である。
  天正十年五月二十七日。
  「愛宕百韻」の中に、嫡男光慶(みつよし)の名がある。  

  発句 ここから、始まる。
  時は今、あめが下なる五月哉、     光秀
  結句 ここで、終わる。
  国々は、猶、長閑(のどか)なる時、    光慶
                          (「続群書類従」)

  この時、光慶は、まだ13歳だった。
  今風に言えば、12歳。
  小学6年生である。
  まだ、若い。
  否、若すぎた。

  しかも、相手は、あの信長。
  光秀に、残された時間は、あまりにも少ない。
  
「取るべき道は」、・・・・・。 
  光秀は、いよいよ、追い込まれていく。

 以上1~3、これらが、複雑に絡み合い、「本能寺の変」の一因となる。

そ第13話

 【参照】 ←テ第13話 ←◎第13話 ←第13話

 光秀は、苦悩していた。

 なるほど、明智の再興は成った。
 光秀は、織田家最高位の重臣の一人にまで上り詰めた。
 最早、かつての明智にあらず。
 今や、家中、一、二の大身。
 「持てる者」
 多くの家臣たちがいた。
 正に、順風満帆。
 「武士の鑑」、「憧れの存在」。
 そのように、見えた。

 されど、・・・・・。
 光秀には、先が見えた。

 天正十年1582の、この年。 
 光秀は、五十九 ± 四歳。
 信長は、四十九歳。
 二人の間には、大きな年齢差があった。 

 人間は、生まれた順に、死んでいく。
 光秀は、信長より、確実に、先に死ぬ。

 天正四年1576。
 光秀は、陣中で、大病を患ったことがあった。
 体力的に見て、それ程、頑健というレベルではなかったように思う。
 「老い先は、長くはなかろう」
 おそらく、そう、思っていたのではないか。

 「人生五十年」の時代。
 光秀は、疾(と)うに、その齢を越えていた。
 「老い」

 いつ、死んでも、おかしくない年代だった。

 だが、しかし、・・・・・。
 後継者光慶は、まだ、十三歳 。
 あまりにも若すぎた。 

 未熟な光慶を一人残して、・・・・・。

 光秀は、猜疑心が強い。
 信長を信用していない。
 

 己の死後。
 光慶の代。
 信長は、生きている。

 光秀は、信長の気性・性格を知悉していた。
 「役に立たねば、捨てられる」
 光秀は、粛清を怖れていた。

 これでは、死んでも、死に切れぬ。
 だが、残された時間は、あまりにも短い。
 光秀は、きわめて、難しい局面に置かれていた。

 光秀は、不安だった。
 明智の将来は、暗い。
 明智に、危機が迫っていた。

 ならば、・・・・・。

 このことが、「本能寺の変」の一因となる。



 ⇒ 次へつづく

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 「本能寺の変」
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