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本能寺の変1852 その一因 2(3)光秀の嫡男 そ第6話① 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

その一因 2光秀と光慶 (3)光秀の嫡男 そ第6話① 

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2光秀と光慶 
(1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 ← 
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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【 重要史料 】 【 重史一覧 】 【 人物 】 
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
 そ=その一因 テ=テーマ別
*加筆修正 240710 241026 

(3)光秀の嫡男 そ第6話①

 【参照】←テ第6話 ←◎第6話  ← 第6話

 【参照】2光秀と光慶 ← (3)光秀の嫡男 ←
  1信長の後継者 そ第5話① そ第5話② そ第5話③
          そ第6話①
  2光秀の後継者 そ第6話②

1信長の後継者 甲斐遠征4 高遠城2

 信忠は、わずか一日で高遠城を攻略した。
 落城の様子である。

  歴々の上﨟・子供、一々に引き寄せ 〃 〃 、差し殺し、
  切つて出で、働く事、申すに及ばず。
  
  爰(ここ)に、諏訪勝右衛門女房、刀を抜き切つて廻り、比類なき働き、
  前代未聞の次第なり。
  又、十五、六のうつくしき若衆一人、弓を持ち、
  台所のつまりにて、余多射倒し、矢数射尽し、
  後には刀を抜き切つてまはり、討死。

  手負い・死人、上を下へと員(かず)を知らず。

 これが、武田最後の戦いになった。
 組織的抵抗の終わりである。
 すなわち、織田の大勝利。
 そして、武田は、滅亡へ。
 となれば、・・・・・。
 「信忠が武田を滅ぼした」と、いうことになる。
 これこそが、信長の思い描いていた構図。
 事は、その通りに進んでいた。

  討捕る頸の注文。
  仁科五郎、原隼人・春日河内守・渡辺金大夫・畑野源左衛門・
  飛志越後守・神林十兵衛・今福又左衛門・
  小山田備中守 ( 是は仁科五郎脇大将にて候なり ) ・小山田大学・
  小幡因幡守・小幡五郎兵衛・小幡清左衛門・諏訪勝右衛門・
  飯島民部丞・飯島小太郎・今福筑前守。

  以上、頸数四百余あり。

 仁科信盛の首。 【 人物 】
 信盛は、武田信玄の五男。
 勝頼の弟である。
 享年、26。

  仁科五郎が頸、信長公へもたせ、御進上候。

 信忠は、後継者として申し分のない人物だった。
 この戦いで、後継者に相応しい大きな手柄を上げた。

  今度、三位中将信忠卿、
  嶮難・節所をこさせられ、
  東国に於いて強物(つわもの)と、其の隠れなき武田四郎に打ち向かひ、
  名城の高遠の城、鹿目(かなめ=要所)と、
  究竟(くっきょう)の侍ども入れおき、相拘へ侯を、
  一旦に乗り入れ、攻め破り、

 信忠は、逞しい戦国武将に成長していた。
 東西の戦場に幾度も出陣。
 合戦経験を積み重ねていた。

  東国・西国の誉を取られ、

 信長は、これに満足していた。
 信忠は、心強い存在。
 「おらばこそ」
 信長は、先へ進むことが出来た。
 
  
信長の御代を御相続、

 太田牛一が、証人である。
 理想的な後継者だったのだろう。
 「後代の手本・模範である」、と言っている。 
 世間の誰もが、その様に見ていた。

  代々の御名誉、後胤の亀鏡に備へらるべきものなり。
                     
【重史050】(『信長公記』)

 織田家の前途は、大きく開けていた。
 内外、ともに、順調。
 後顧に、憂いなし。
 織田家は、安泰。
 「これで、よい」
 その将来は、きわめて明るいものだった。



 ⇒ 次へつづく

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