見出し画像

【すごい博物館068】新宿ミニ博物館・目白学園遺跡出土品資料室:縄文~奈良の出土品がズラリ!

考古学好きにオススメ 大学関連施設 新宿ミニ博物館 無料. 


■目白学園遺跡・出土品資料室とは

2025年5月に訪問

新宿区の北西部は武蔵野台地のヘリの部分に位置していますが、この台地の上にある目白学園の新宿キャンパスには、かつて構内で発掘された縄文・弥生・奈良時代の出土品を紹介する資料室が設けられています。

目白大学や目白研心高等学校などを有する目白学園では、昭和25年(1950年)にキャンパス内で遺跡が発見されて以降、12回以上に及ぶ調査が行われ、186件もの竪穴住居跡が見つかるなどしたことから、この場所には神田川流域の拠点的な集落があったと考えられるようになったということです。

縄文~奈良時代の住居や集落の研究のために注目を集め、大量の土器や石器も出土したことなどから、この遺跡は「落合遺跡(目白学園遺跡)」と名付けられたのだそうです。

目白学園では出土品を保存・公開するため、昭和58年(1983年)に、創立者の名前を冠した佐藤重遠記念館の1階に「出土品資料室」を開設し、平成8年(1996年)には6番目の「新宿ミニ博物館」に指定され、平成28年(2016年)からは新宿区と連携協定を結び、イベントなども随時開催するようになったということです。

■出土品資料室

長方形の部屋の壁面ケースを利用して、縄文時代、弥生時代、奈良時代の出土品が約50点並べられ、出土品から読み取ることができる情報などが解説されていました。

縄文時代

この遺跡から見つかった土器は縄文時代中期のものが多いのですが、信州・山梨方面でよく見つかる「勝坂式土器」や、千葉・茨城方面で見つかる「阿玉台土器」などが出土していることから、関東西部・東部との交流があったことが考えられるということです。

この2つは、「勝坂式土器」だそうです。

縄文時代に関しては、狩猟具が見つからないため食物は植物に依存していたことや、竪穴住居にはそれぞれ形や柱の配列に様々なものがあり、同じ位置に新しい住居を建てなおしていたと考えられることなどが解説されていました。

この遺跡からは、縄文中期の打製石斧も出土していて、木の棒に括り付けて使われていたようです。

弥生時代

この場所に新たな集落ができたのは弥生時代の後期後半と考えられていますが、43件の住居跡と1棟の掘立柱建物跡、そして1基の方形周溝墓が見つかっていて、竪穴住居には炉が作られ火を使っていた形跡も残されているということです。

出土した土器の中には、静岡県の天竜川流域に分布する「菊川式土器」や、北関東地方に広がる「吉ヶ谷式土器」も見つかっているそうです。

奈良時代

奈良時代になると、この地でもロクロを使った土器づくりが盛んにおこなわれていたようで、土師器を「覆い焼き」という方法で焼成していた跡も19基が確認されているということです。

この地域で、粘土の紐をロクロを使って巻き上げて作られた調理具や食器は「落合型杯」と名付けられていますが、関東地方の中心地域で同じ型のものが多く認められているということです。

奈良時代になると竪穴住居内にはカマドが作られるようになったことが復元模型で紹介されていて、長胴の甕で米を蒸して食べていたと考えられるとの解説が付けられていました。

■まとめ

紀元前3000年ごろから紀元後800年頃までの間に、神田川流域で暮らしていた古代の人々の暮らしを、出土品を通じて垣間見ることができる、東京都内でも貴重な博物館だと感じました。

日本史で習う最初の重要項目を、リアルな出土品資料を見ながらおさらいできるため、子供さん連れで訪れるのを是非お勧めしたいと思いました。

なお、この記事は展示の解説やホームページ等を参照して記載しました。

<良かった点・いまひとつだった点>

〇発掘成果のポイントがシンプルに表現されていた
〇大都会新宿での貴重な考古資料であることを理解できた
〇新宿区制作の冊子が写真・情報多く勉強になった
△復元の竪穴住居が解体されてしまっていたのが残念だった

<新宿ミニ博物館の記事>

■インフォメーション

詳細はホームページで確認を

開館日・時間
 月~金曜日(土・日曜日と祝日は休館)
 10:00 - 16:00
料金
 無料
アクセス
 西武新宿線または都営地下鉄大江戸線の中井駅 徒歩約8分
 都営地下鉄大江戸線の落合南長崎駅 徒歩約10分
 東京メトロ東西線の落合駅 徒歩約12分
住所
 161-8539 東京都新宿区中落合4-31-1

以上です、ご覧いただきありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!