「人に嫌われるのが怖い…」 │ 社交不安障害と向き合う①
「人に会う予定が近づくと緊張して憂鬱になる」
「注目されると頭が真っ白になる」
「自分の存在が迷惑だと思われていると思う」
ずっと悩み続けてきた、人前での不安、恐怖。
──これは、私が社交不安と向き合う物語。
「社交不安」とちゃんと向き合うことにした理由
やりたいことが見つかった。
Webライティングなら、人と会わなくていい。
接客や電話の恐怖に怯えなくて済む。
育児との両立もできて、体調を崩しやすい私でも自分のペースで仕事ができる。
接客にも電話にも挫折した私にはピッタリだと思った。
ところが、Webライティングの講座を受講してみると、全く違っていた。
記事を書くには、読む人のことをよく考える必要があるし、取材やインタビューとなると人との関わりは必須だ。
情報交換や人脈、営業なども必要になってくるから人付き合いはあった方がいい。
「人を知らずして良い記事は書けない」ことを学んだ。
やっと見つけた希望が、黒いモヤモヤとした感情で塗りつぶされていくのを感じた。
「やっぱり、私は何もできないダメな人間なんだ…」
この道もダメだったか…
そう思い始めていた時、
Webライティング講座で一緒に受講した同期生と会う機会があった。
そこで、これからやりたいことを話したりしたのだが、例のごとく内心「みんなはすごいなぁ。私なんて…」と思いながら聞いていると、思いがけず、私の得意とすることが他の人はどうやら得意ではないらしいということ、それぞれ自信がないながらもやりたいことを目指しているということを知った。
その日寝る前に、これからやりたいこと、できることを洗い出してみているうちに、まずは自分自身のメンタルに真剣に向き合おうと思い始めたのだった。
現在の私──「社交不安障害」で通院中
ワンオペ育児とフルタイム勤務、そしておそらく症状をさらに悪化させた原因と思われるコールセンターでの仕事を経て、適応障害と診断を受ける。
その1年後、地元の田舎に子ども連れで移住。
20年ぶりに実家暮らしを始めた。
地元とは言え、帰省や、里帰り出産以外でその地で子育てをしたことはなく、勝手が違っていたり初めて経験することも多かった。
はっきりした大きな理由があったわけではないが、諸々の小さなストレスが積み重なり、移住して以降行くのをパタリとやめていたメンタルクリニックに通うことにした。移住から9ヶ月後のことだった。
現在は、月に1回通院している。
一番弱いとされる抗うつ薬が副作用がキツく服用を中止したので、今は睡眠薬と頓服の抗不安薬を処方してもらっている。
さらに、薬が合わないのでカウンセリングに切り替え、今後の方針を打ち合わせているところだ。
初めて診断された日──銀行時代の話
「社交不安障害」と診断されたのは、ここ最近のことではない。
もう16年も前になるのか… 新卒で入った銀行で、何を血迷ったか営業の仕事なぞを選んだものだから、とにかく人が怖くて仕方ない症状に悩まされるようになった。
仕事なのに、お客さんが怖くて訪問ができない。電話ができない。なんとかこなすものの、相当の精神的負担がかかっていた。
仕事に支障をきたし始めた私は、なんとか仕事を継続しようと助けを求めて、人生で初めて心療内科の門をたたいた。
そこで「社交不安障害」と診断を受ける。
服薬で治療をしていたが、当時、お医者さんも信用して話をすることがないくらい対人恐怖が強くなっていたせいで、病院に行くのもやめてしまった。
結局その銀行は退職。
地元に数ヶ月帰り、症状も良くなっていた。
その後、結婚を機に引越した先で、新たな職場で働きプライベートも積極的に知り合い作りに励んでいたが、また対人不安に悩まされ、病院ではなくカウンセリングを受けることにした。
1年間通い、卒業宣言をもらえたことで、もう克服したんだと思っていた。
それから病院にもカウンセリングにも行くことはなく、多少不安を感じることはあっても、なんとか乗り越えてきた、と思う。
出産とコロナ禍でリセットされた人付き合い
私は人見知りが強く、人前では大人しい方だ。
仲良くなるには時間がかかる。
飲み会やランチなどでプライベートな会話をして、お酒の力も借りながら自分のキャラを出したりして、距離を縮めるのが好きだった。
ところが、出産を機に、夜遅くにある飲み会には参加できなくなった。
女性の多い職場で飲み会自体も少なくなった。
職場を変えたところで、コロナ禍に突入。
飲み会、ランチ、普段の会話さえもはばかられる。
急速に人との距離を縮める機会を失っていく。
イベントは中止が相次ぎ、楽しみさえもなくなっていく。
だんだんと、気持ちも塞ぎがちになり、人と会うのもおっくうになっていった。
コールセンターで浮いた存在に
2人目出産後、働き始めたコールセンターで、
お客さんに罵倒されたり、イライラしていて当たられたり、理不尽なカスハラをしてくるお客さんをよく引いた。
多分に、私のしゃべりがたどたどしく、不安や隙を与えていたと思う。電話がどんどん怖くなっていったが、不安を与えないように、待ち時間にマニュアルを読み込んだりして努力をしていたつもりだった。
しかし、上司から職場の人とのコミュニケーション不足との指摘を受ける。
1人でマニュアルを読むのではなく、先輩同僚に積極的に聞く、が正解だったようだ。
普段から聞きやすいように、もっと自分から話しかけて雑談や世間話をして、子どもの状況なども知ってもらい、積極的にコミュニケーションを取らないといけなかったらしい。
自分なりに努力していたことが全て否定されたように感じてしまい、すごく落ち込んだ。
移住後、再び強まった社交不安
移住先での環境の変化も大きかった。
参観日後の懇談会に参加するように。
PTAや子ども会、子どもの習い事。
人と集まる機会や発言、注目の機会が増えていった。
さらには、仕事の契約が変更に。
業務量もかなり増え業務内容も難しく。
加えて、予定していたライティング講座とペアレントトレーニングも始まり、グループワークでの発言や感想を求められた。
実家暮らしも大きく影響していた。
ご飯を作ってもらえて、話し相手がいる、それだけで有難いのは山々なのだが、
体があまり強くない母親に負担をかけてしまっている申し訳なさ、祖母が陰口を言っている不安、夫という子育ての協力者がいないことで増えた負担。
ある日、子ども会の集まりに数分遅刻してしまい、注目の的になってしまったことがきっかけとなり、また強い不安を感じるようになってしまった。
2025年、自分のために時間を使う1年にしようと決めた。
年末に、久しぶりに会う夫と子どもたち2人と旅行に行った。
アンパンマンミュージアムに、動物園。
楽しかったのだが、人混みにとても疲れた。
何をやっても心から楽しめない自分に嫌気が差し、夜な夜な涙が出た。
でも、気づいたことがある。
私、子どもが喜ぶことだけを優先してなかったか?この旅行に、自分が楽しむ要素があったか?いや、ない。
──それだ。
自分を楽しませることを忘れていた。
2025年、私は40歳を迎える。
40代までこの鬱々とした気持ちを引きずっていたくないなぁ、と思った。
30代最後に、やりたいことをやろう。
最高の40代を迎えるために。
その一環で、ずっと放置していたじぶんの「社交不安」に、ちゃんと向き合うことに決めた。
「自分を癒す」取り組みも功を奏し、気分の波はあるものの、少しずつ良くなってきているように思う。
未来のために、こじれた過去を紐解く。
しかし、社交不安の原因は、もっと過去にありそうだ。
そこを紐解いていけば、少し気持ちが楽になるような気がする。
自分の過去と向き合うのはとても辛い。
書き始めると思い出してしんどくなるので、少しずつ、書いていこうと思う。
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