ウサギの校舎 1話
《あらすじ》
世界線第一の全寮制学校で高校生活を送る静(しずか)という少女は、世界線第二の「直情的で赤い血の人間」に興味を抱いていた。世界線第二では、第一のコバルトに代わり、鉄が多く含まれ流す血が赤いらしい。
静は、他六名の生徒と共に、世界線第二の文学であるミステリー研究部を組織していた。
ある日、部員の一人である花(はな)が殺された。教師代わりの無機質な音声が、課題と称して「呪いか殺人か決めろ」と言う。
静かはこの不気味な「課題」に尻込みした他部員からの反発を受け、次第に孤立していく。
鬱々としながらも調査を進めていると、普段は生徒に見向きもされない清掃員の「爪(そう)」と関わりを持ち、彼女が何か知っている事に気付く。
静は、花の死の真相と共に、学校の秘密に迫る。
はじめに、呪いか殺人か、である。と、私たちの先生代わりである音声は言うのだ。
「呪いか殺人か、決めて下さい。」ふざけたルールだった。
集められた六人の前に置かれているのは、ほんの一昨日「死んだ」と校内放送で周知された。
同級生・花(はな)の遺体写真である。
「休み時間や終業後を、捜査やディスカッションの時間に充てて、三日後同じ時間にミス研・六人全員一致の解答を出してください。なお、これは学期末試験の結果に考慮されます。以上」
そこで音声は途切れた。ふざけたルールだった。しかし、不満を言うものなど、誰もいない。
不気味な沈黙が部屋を支配していた。思いは様々だろうが、大体の思うところは同じだと、静(しずか)は感じた。花のように殺されるかもしれない、という恐怖である。
「呪い」というのは、ミステリー研究部で、学校の運営法を揶揄することばだった。この学校の生徒は、平均して年に二~三人、不審死する。 自死や事故死など死因は様々で、生徒が第一発見者となることもあるようだ。だが、いつも「清掃員」と呼ばれる出入りの業者が遺体とその他周辺をすぐに片付けてしまう。
翌日には、校内敷地の「堂」と呼ばれるところに生徒が集められ「黙祷」を指示される。それで終わり。
この学校の生徒たちには、「死を悼む」というパフォーマンスの習慣はあるものの、心情は伴っていない。
図書室の「世界線・第二の蔵書」にある小説の世界とは違う・・・。
世界線・第二とは、この学校がある世界を第一としたときの、便宜上のことばだ。 赤い血の人間しかいない奇妙な世界。
一般教養の授業で、この世界線・第二の事を教師が語ることがあるが、スピーカー越しにも戸惑いを感じるほど、曖昧だ。世界線・第二の存在は、第一の人間に認知されているが、実在するか定かではない。物証はある。静が好む、第二の書籍の他、発掘される不可思議な「現代の化石」など。その分析結果によると、第二の世界に存在する元素の割合は、第一に比べて軽いそうだ。
第一世界の大半の生き物には、青い血が流れている。血液に最も重要な金属はコバルトだ。対して世界線第二では、血の核の大半が鉄だという。第二は超新星爆発の段階で、金属分布が違った多次元宇宙の一つなのだ。第一においてはマイノリティである静のような赤い血の人間には、「世界線第二」の話を聞くと、憧憬のような、気持ちだけ故郷に凱旋したかのような奇妙な高揚がある。
まさしく「宇宙から来た」としか説明が付かない、この世界の物ではない物が、突然沸く。そこに在る。それは世界線・第二の存在証明だが、未だに世界戦第二の存在を否定する学者もいて、議論は絶えない。マイノリティかつ空間的時間的軸が違う世界線第二の蔵書など多くはない。「第一と第二を行き来する技術を確立しつつも、政府要人の亡命のため公開されていないだけ」という俗説は、カルト趣味の輩が好む、陰謀論でしかない。どのような経緯で第二の物が第一に来るのか、科学会の大きな謎として残されている。
一般論として、第二は頭に血が登りやすく短気。
対して第一の人間は冷静沈着と言われる。
心理社会学の面でも、議論は絶えないが、一理ある。世界線第一にはそもそも、衝動的な理由が大半であろう「殺人」という概念すら定着していない。
無意味だからである。
それと同時に、死んだら死んだで、終わり。
死者の気持ちに寄り添おうとはしない。やはり、無意味だから。
さて、問題は、校内で死ぬ人間というのが、成績落伍者や異端だということだ。ハッキリとした データがあるわけではない。けれど、静たちは「生徒の死」に関心がある。他人の死を悼む気持ちは薄くても、自分が死ぬことには抵抗がある。傍らで仲間が食い殺されれば、自分は安心と、悠然と草を食む鹿のごとく。けれどもし、空腹の狐や狼のような存在が校内にいるのだとしたら、彼らはそれを知りたい。
生徒による生徒の殺人、言うなれば共食いは、学校という管理下で起こり得ない。しかし校内を支配する学校というシステムが、リスクの大きい生徒を排除するということは有り得る。
大切に管理され育てられている生徒たち。ただし何かのきっかけで、組織の根幹を脅かすような思想を持った者、勉学に対し無気力になった者、自分の存在意義を疑ったもの、学校から存在意義を疑われた者は、危険である。
排除対象になる。
もちろん過去に、学校による殺人が公表されたことはないからだ。もちろん、その規準も手順も明かされない。生徒に伝えられるのは、死んだという事実だけ。彼岸や「かくれる」など、「死」を表す類語・隠語はたくさんある。
しかし、世界線第一には他殺や事故死、死の原因を明確に区別するようなことばは存在しない。
学校内での死は、このように突発的かつ捉えどころのないものだ。だが、いくつかの傾向がある。
まず、学業の成績が振るわない者が死にやすい。ただし必ずしもそうではない。テストの結果が最下位の者が、生きて卒業することだって、よくある。
はっきりしない死の真相を過剰に恐れ、必死で勉強する生徒は、おそらくいない。もともとこの全寮制の学校に入学できるのは、体力学力両面ですでに篩にかけられた連中だからだ。
不断に勉強し、言われた通りの課題をこなしていれば、まず間違いなく将来安泰。 成績優秀でなくとも、清掃員のような・・・生まれながらの劣等民族に自尊心があれば、という仮定の話だが・・・そういう学のない彼らが、泣いて歯噛みするほど良い職に就ける。
問題は「異端」の方だ。
異端は明らかに死にやすい。本人が意図してそうなるか分からないが、無気力になる。協調性がなくなる。そのため 落伍者と異端はニアリー・イコールになる。一見すると成績下位者が死んでいるように見える。自殺か事故か分からないような不審死も多い。
学校が意図して不穏分子を排除しているのではないか。というのが、ミス研連中の意見だった。これを、ミステリー研究部の面々は「学校の呪い」だと揶揄していた。静だけでなく、ミステリー研究部全員の不安を若起する理由の根源である。
連帯責任。ミス研は「異端」に属する。部活動の一貫として、校内報に欄をもらい、生徒の不審死とシステムの水面下にある因果関係、そしてその考察を載せた事がある。
予想より反響が大きく、学校側から、いい加減な情報でみだりに生徒を煽らないようにと、警告があった。
この不可解でふざけたルールの推理ゲームを学校側が突然持ち掛けたのは、静たちを排除するための予兆のように感じられた。学校側が生徒たちに見えないように張り巡らされたボーダーを、いつの間にか越えていたのかもしれない。 つまり彼らは、調子に乗っていたのである。自分達が死ぬことはない、と。
これにも根拠らしい根拠は無かった。けれど、声高に言うものが珍しいというだけで、学校が生徒を喰っているという噂は、ミス研が作りあげたものでもなく、古くから生徒の間で囁かれている噂なのだ。
他にも、自信を持てるだけの理由はあった。小説の中の世界、血が赤く、感情の浮き沈みが激しい者しか出てこない世界。世界線第二の人間には、解りがたいかも知れない。
この学校は「死ぬ」という恐怖で支配されているわけではない。
他人の死に無頓着で、喜怒哀楽が薄いことを除けば、この学校は楽園のようなところだ。学校は生徒に優しい。
優しいというのは、自由ながら福祉に手厚いということ。言論の自由も、異性との交遊すら生徒の自由裁量に任されている。
生徒が事故や病などの奇禍に見舞われれば、適切な医療が施される。完全に機械化されているが、AIの手に負えなければ、生徒の誰かがエマージェンシーコールを使う。すぐに病院へ搬送される。
心の悩みについても同じで、ストレスを抱える生徒の為に、24時間利用可能のカウンセリングルームが設けられている。心身ともにケアは万全。少なくとも、システムは完璧と言って良い。
カウンセリングルームでは対応する人間の姿は見えず、スピーカーから流れる声は、機械音声か肉声か、生徒には区別が付かない。
こちらも同じく機械化されていて「血の通った」システムであるかと問われれば、そうではない。しかし、医務室と比べカウンセリングルームの利用率はおそろしく低いため、わざわざ文句を言う者もいない。24時間受け付けているにも関わらず、ほぼがらんどう。
もともと大半の生徒が、親元から離れて寮に入るとき特殊な手術を受けていて、メランコリーとは無縁なのだ。
生徒同士の衝突も少ない。
大人がいない事はむしろ、不安を増長させることなく子どもの抑圧を減らし、心身ともに健やかにしていた。
赤い血の人間と青い血の人間の居住空間から垣根を無くしてしまうと、さすがにお互い慢性疾患の可能性が高くなるから、寮や食堂は分けられている。
そして、そこにそれなりの差別が生じる。
しかし、お互いの交流が規制されている訳ではない。では、差別から生じる軋轢はあるか?
確かに赤い血の生徒の中に、青い血の生徒を、冷たい・偉そうと嫌い、青い血の生徒には、赤い血を、貧弱・情緒不安定だと蔑む者がいる。 なまじ肌の色が違うと、当然それを理由に相手を貶める者はいる。
共有スペースをどちらが使うか、など、些細なことで揉めることも、もちろん頻繁にある。
それは、どんな学校・どんな民族・どんな組織にも生じる軋轢で、さらに言えば、人間という生き物がグループの縄張りを決めるために威嚇をするのは、必要不可欠なことなのだ。ただしここの生徒らは、無駄なエネルギーをとかく嫌うから、争いが大きくはならない。
ミステリー研究部は異端ながら、赤い血と青い血の生徒が入り交じる(と言っても、花を除いて六人だけだが)、バランスの良い部活だった。
静が学校に入学してから作った部活だが、申請受理に生徒会長は難色を示した。活動内容が分からない、と言われたのだ。
殺人の概念がない世界で、全校生徒の4分の1というマイノリティ・世界線第二の赤い血族が書いた、更にコアなジャンルであるミステリー小説を研究する部活だと言うのだ。世界線第二言語は、それなりの文明度を持っていたとされる蔵書を解読するため、ひとつの学問分野として認められていたが、マイナーはマイナーなのである。
世界線第一の迷信や魔術を愛好するオカルト研究部の方が、認知度は高い。今でもよく混同される。ミス研って、なに?静は、よく聞かれる。名前から連想することは、できないらしい。
静はメンバーの中でも自分がいちばんの異端であると、危惧していた。と、同時に、死ぬことはないとタカを括ってもいた。
排除される生徒は分かりやすい。死ぬ前に、必ず他も寄せ付けぬほど攻撃的になったり、無気力になったりする。しかし、静は考え方そのものが異端でも、学校の鼻つまみ者ではなかった。成績こそ学年では中の下でぱっとしないが、セミロングの黒髪はいつも濡れたように淡く輝き、樺色の大きな瞳とよく合っている。
大人しいが、目立つ。
生理的な問題により結婚することは許されないのに、青い血の男子生徒からもよく声をかけられる、美少女だ。
可愛いだけで、異端思想すら、ただのサブカル趣味と見なされ、一目おかれる。美醜が人の立場を分けるのは、世界線第一でも第二でもおなじのようだ。
ミステリー研究部にしろ、創部にやや手間取っただけで、困難というほどのものではない。 寮で同室の七海(ななみ)は、静が一言「ミステリー研究部を作ろうかな」と呟いただけで、友だちの一人を連れてきた。一年前に三人で創部申請した。その友だちというのが、殺された花だったが。
その後で、熱心なアプローチで交際を承諾した俊郎(としろう)が入部した。更にその後、どういう文句で口説き落としたかは知らないが、彼は、なんと才色兼備と名高い、美香(みか)を連れてきた。
俊郎は、美香に気があるのだと思うと面白くなかったが、男に美香を好きになるなという方が、無理である。
また、美香が入部したことでミス研の認知度が一気に高まった。文句は言えない。それから美香と同時に、取り巻き(と、本人に言うと怒るだろうが)の一人の爽(さやか)と、美香に気があるらしい三郎(さぶろう)が入部した。
花が死に、ミステリー研究部には、三人ずつ、赤い血と青い血が残った。円座になり、顔を突き合わせながらも、この不測の事態に皆途方に暮れている。 沈黙を破ったのは、美香だった。
「クラスで聞いてみたら?」
「え?」静は問い返した。
「殺人か呪いでしょう?殺人って、誰かが花を殺したってことでしょう。自白と言うんでしたっけ。それぞれクラスで聞いて、犯人がいるなら、名乗り出て貰えば良いのよ」
「なるほどな~」
俊郎が間の抜けた返事をしたことで、場の緊張が少し緩んだ。
「世界線第二の小説だと、殺人は刑務所に入れられる罪らしい。だからなのか? 自白なんてさせようともせず、めちゃくちゃ回りくどい捜査や推理をする探偵がいる。その回りくどさが滑稽で面白い。けど、こっちではそんな話、聞いたことないもんな」
「それで、誰も名乗り出なかったら呪いということになるの?」
美香の隣の、爽が言った。皆一様に、寸暇の間黙った。その後、三郎が深刻な表情でつぶやいた。
「教師は成績に考慮されると言っていた。当然、正解を狙いにいかなくちゃならない。けど、ルールが曖昧すぎるよね。そんなに簡単に判断して良いものなんだろうか?不在証明は難しい。悪魔を証明するには、悪魔を一人連れて来れば良い。では悪魔がいないことを証明するには?」
三郎はアイロニカルに笑った。
「すべての殺人の可能性を検証するのに、三日間は短すぎる」
「そう、三日間の期限があるのよね。まずこの場で写真を見直してみて、意見交換する。その後、各々校内で調査して、放課後この時間に報告し合う。期限の三日後に結論を出す。そういうのはどう?」
静が言った。
「もちろん、犯人だと名乗り出る人がいるかもしれないから、クラスで聞いてみるべきだと思うわ」
美香に頷いてみせると、彼女は微笑んだ。
実のところ、静は美香がちょっと怖かった。彼女は、敵視する女にこそ優しく振る舞うので有名なのだ。そして、隠れノン・アイロンだと噂されていた。
ノン・アイロンとは、つまり赤い血を差別する人間のことだ。
俊郎が、美香をミス研に連れてきたときは、その高名な美少女に、ただ驚いて、噂など頭から吹っ飛んでいた。だが、彼女は「萎縮する者」を見慣れていたらしく、足取り軽く静に近付き、言い放った。「わあ、あなたけっこう赤いのね」
「あ・・・うん」
何が、「あ、うん」なのか分からないが、射抜くような視線に耐えられず、静は目を伏せてただ頷いた。それからずっと後で気付いた。萎縮は脳の働きを鈍らせる。
肌の色を指摘するのは失礼だと言う不文律があるのを、彼女は無辜を気取った美しい女の特権で許されているのだ、と。彼女は恣意的にそれを示した。
静はミス研の部長だが、発言権の強さは美香に軍配が上がる。
俊郎は静の彼氏だが、美香と俊郎が二人きりの部室で楽しげに語らっているところを、静は度々目撃している。しかし美香は何を言い、何をしたところで、見咎められたなどと思わない。まるで絵画のような完璧な笑顔を作る。侮蔑の意味を込めて。彼女はそれが許される存在。
もちろん、他人を脅迫し意のままにするような野蛮な行為は、いかに美人であっても許されないはずだが。彼女は、自分が手を下す必要など無い存在だ。
「賛成、さすが部長」
鼻にかかった甲高い声は、七海である。七海は静の金魚の糞と言わざるを得ない・・・。
静と美香の水面下での権力争いに気付いているのかいないのか知らないが、どちらにせよ、わざわざ静の味方であることを主張して場を煽る無神経な女だ。
寮の部屋が同じなので邪険に扱うこともできないが、わざわざ美香と張り合うつもりはない。あからさまな太鼓持ちは、まるで美香と対立しているようになるため、迷惑である。
彼女と敵対したところで、静の得になることは一つもない・・・。俊郎との仲を疑うのは、静にとっても辛いところ。けれど静にもプライドがある。
何を盗られてもそれは皆、相手が人として女として、勝っているだけのこと。人が美香に惹き寄せられるのは、惚れ惚れするようなその容姿や、品のあるしぐさ、知性を感じさせる物言い、毅然とした態度を考えると、当然の事だ。雌としての劣位を認めざるを得ない。
自分の領分を静かに守る以外に、静には何もしようがないのである。
美香の底意は測りしれないが、彼女も静と露骨に争うことはない。けれどもお互いに付いた「取り巻き」が、周囲の目にも対立の構図が顕になってしまう。
(こうなったのは、七海と爽のせいかもね。学校は、私ではなく、感情に振り回され異端を煽る二人を、排除するつもりなのかもしれない)
静は七海を無視して、殺人現場の写真に目を落とした。
それは、校堂の内部、裏口近くで花が倒れている写真である。
「死んだ」と言われなければそれはわからない。
「殺人」のことばからイメージされる陰惨さとは程遠い。
花は、首にスカーフを巻きつけて倒れている。
頭部が傷付いているらしく、血が滲んでいるようだが、目を凝らさないとよくわからないほどの微量の血。
頭の傷が致命傷とはとても思えなかった。
顔は青白いが、撮影位置が天井側からの全身像の為、死を強く訴える図ではない。
一見すると縊死に見える。
校堂は昨日清掃員により、既に綺麗にされている。
片付ける直前の写真がコレ、ということだ。
その他の情報は、死亡推定時刻が夜10時前後と書かれているだけ。
推理も何も、理の部分を組み立てる材料が無い。
「これだけですか?」静は、教師に向けて聞いたつもりだが、返事はない。
無言の肯定。
静はため息を吐いた。
意見交換することの無意味さが脳裏を掠めたが、何も言わないわけにはいかない。
「どう思う?後ろから首を締められたか、首吊り自殺かしら」
「首吊り自殺?花は床に臥しているのに、どうやって首が吊るの?」美香が言った。
「校堂の裏口近くで倒れているでしょう?確か、裏口門のノブは、鳥居を横に倒したような形だったから、輪っかにした紐を引っかけることができると思うの」
※世界線第一に、鳥居というものは存在しないが、ここでは便宜上第二の表現を用いる。
「では、なぜ彼女は倒れた状態で死んでいるの」
「紐が彼女の体重を支えきれなくなったのかと。死後、紐が解けて、頭をブツケて怪我した痕がコレじゃない?」
静は花の頭部を指差した。
「ふうん。なるほどね」
意外にも、美香は静との話し合いに乗り気だった。『呪いか殺人か』そのことばの意味を、彼らは計りかねている。
他殺イコール殺人だろうが・・・では自殺は「呪い」なのだろうか?静には、部活動の仲間でありながら、結局のところ今まで彼女が世界線第二のミステリーというニッチな分野に、興味をそそられているようには見えなかった。
ただ彼女は自分の覇権を拡張したいだけに見える。にも関わらず、この問題に対して前向きなのは、これが、学校が生徒に与えた課題だからかもしれない。
優等生の美香には、そこにプライドがある。そして問題にヒントが少ない以上、出題意図を考えることが、正解への近道だ。
もし「呪い」で超常的な現象を起こせるなら、事故に見せかけて花を殺すことができる。又は、花を操り自殺させることも可能だし、他の生徒に花を自殺に見せかけて殺す、という事もできる。どうとでも解釈できる。
『呪いか殺人か』わざわざ問題提起するからには、意味朦朧な「呪い」ではなく、十中八九「殺人」なのだ。
しかし、学校側が提示する二択の問題に根拠のない解答を返す事は、正誤関係なく「誤答」と見做される可能性が高い。
だから、美香は静に協力する姿勢を示してくれる。
その日は、これ以上有意義な話し合いをすることはできないという事で、解散した。
部屋を出ようとすると
「待ってください」
スピーカーが言った。
「これは生徒のあなたたちには、なかなか難易度が高い問題と思います」
なに?今さら。
「死体解剖の結果はお伝えすることができませんが、指紋採取くらいは良いでしょう。磁性パウダーの使い方は、化学部の連中に聞くように」
カチンと錠の回る音がして、円卓の下の引き出しがわずかに開いた。
芝居がかったスピーカーに嫌悪を抱きながら、誰も取ろうとしないその鍵に手を伸ばし、ポケットに入れた。
生徒の自白に期待して訊くのが可能なのは、明日ホームルームの時間。期限は三日。とても短い。
静は解散後のその足で、校堂に向かった。学校は、上から見ると、北側に凸のある、やじろべえのような形をしている。西には、赤い血の寮、東には青い血の寮があり、校堂を挟んで、教室の並ぶ本堂がある。
校堂はやじろべえの重心。アシンメトリー。
不毛なディスカッションの間に、日はとっぷりと西の彼方へ沈んでいる。遠くに見える黒い渚は陸との境界を無くし、時節、月明かりを反射して、うさぎが跳ねているように見えた。静は、補助電灯だけが淡く光る廊下を歩いていた。
すると
「ねえ、校堂に行くんだろ?俺も」
と、俊郎が追いかけてきた。
「良いのに」
「良いだろ」
俊郎の真意を汲みとろうともせず、静は彼の好きなようにさせる事にした。
正直なところ、静はずっと動揺している。それがため他の部員が本当は何を考えているかなんて、この時は、聞こうとも知ろうともしなかった。
花と七海、それ以上に自分は「異端」 で学校から排除されようとしている・・・不安が、じりじりと燻っていた。この焦燥感には理由が2つある。
まず1つは入学当初の事だ。
この学校では入学の際、ある手術を受けさせられる。脳機能を活性化させるためのもので、合法化されたいわゆるドーピングのような手術。
手術は数十年前には正式に認可されており、それでエリートへの道が約束された学校に入れるのだから、受けない手は無い。
しかし、副作用として稀に記憶障害が起こると言われている。噂では、この記憶障害を起こしたものが、学校から排除されているのではないかと言うのだ。
静は思っていた。それはない。
事実、静は術後、それ以前の記憶を全て失くした。記憶障害が排除の要因なら、静はとっくに排除されている。
思い出せないことには不安を覚えたし、最近までは、同級生に副作用について聞いてみたいとも思っていた。厄介なのは、体制が術後副作用である記憶障害に厳しいという風説がある事だ。俗説のようで、学会の泰斗の中には、クーデターとの関係などデータを解析しそれなりの根拠を示して理論をぶつものもいる。記憶障害そのものが排除対象ではなくとも、「自身の記憶障害を周知すること」が、排除対象なのかもしれない。革命や反乱分子を危惧しているのなら、その可能性はある。ましてや、それで記憶障害を負っているのが自分だけだと分かれば、よけいに不安に侵される。
不安が拭い去れないのはなぜなのか。この学校に他人の過去に興味を持つ者など、いない。だから記憶が無いこと自体、学校生活になんら支障をきたさなかった。それ自体が不自然に思えることもある。
不自然に思うことが、排除の要因になり得るかも知れない。
三郎の「悪魔の証明」が鮮やかに蘇った。未だ起きていないことを、「起きない」と確信することは難しい。
排除への不安は、思考にたくさんの軛を作っていた。けれど、それは、充実した平和な学園生活と、輝かしい未来を天秤にかければ、自分を誤魔化してしまうほどの、些末な不安だ。だから、もう1つの不安の種が生まれるまで、静は彼女らしく、安穏とした学園生活を送っていたのだ。
あの日記だ。静の心にハッキリと影を差した日記。
それは、静の入った寮に残されていたもの。
前住人か、はたまた、もっと前の住人が残していったもの。紙の縁が黄ばんだ古い日記だった。
寮は基本的に二人部屋で、自分のコーナーには自由が許されている。しかしあまり大掛かりなリフォームはできない。
壁紙は三期ごとに、学校側が取り替えてくれる。
取り分け思春期の女子は、前住人の匂いを嫌がる者が多い。
「三年目」の静たちは、外れ年だと言われていた。
しかし、その外れ年の入寮時、荷物整理をしているときに気付いた。右側と左側の奥行きが違う。いや、何か入っている? そして日記を見つけたのである。中身を開いて感じた。これはただの直感だが、かなり古そう。
三年よりもっと前に書かれた物では無いのだろうか。
静は実は、世界線第二のことばが少し読めた。勉強した記憶を失っていたが、おそらく入学前に学んで知っていたのだ。そして、学校の必須履修科目ではないが、図書館には世界線第一―第二の辞書がある。だからその日記は、彼女にとって意味のない記号の羅列ではなく、同じ年ごろの少女の想いと密かに通じるドア。読まずにはいられない甘酸っぱい魅力があった。
パズルでも解くような気持ちで、日記の解読を始めた。
何度か読むうちに、その日記の構成が分かった。前半は聖典か詩か、文化的な何かを一章ずつ書き写していっただけのもの。
かつての生徒の、まめまめしい習慣が分かる。
中程で一部のページが切り取られており、そこから毛色が変わる。ポエムのような日記になる。そして知った。
この日記の主は、おそらく人を殺している。
世界線第二風のことばで言うと、殺人を犯した。そして、なんらかの心理的変化が生じた。
事故か、衝動的な殺意か、測りかねたが、ともかく人を殺したという自覚があった。それが異端のきっかけになり、ついに計画的に人を殺すに至った。
事象に交えて自分の気持ちを書いている。
次には学校からの逃亡を企てるようになる。学校の排除という死から逃れるためだ。
事実かどうか確かめる術はない。むしろ、ただの創作と考えるのが妥当だ。
世界線第二の本を真似て書いたのかもしれない。ミステリー研究部を作った動機には、日記の原本を探す事もあった。
彼女が、何か禁忌を犯すような気持ちで、前住人の日記にのめり込んだのは、どうやら日記の持ち主には、逃亡を手伝った何者かがいたというところだ。
「友人」は武器を操り、日記主自身か、同級生か、どちらかの生命を優先するか、試して行った。
「学校からの排除」とは曖昧で、そのときにはなんと、何か猟犬のようなモノが校内を徘徊していたらしい。官僚を輩出するエリート校を狙ったバイオテロは、猟奇性からあまり大きくは取り上げられないが、確かに学校史に残っている。
日記が事実なら、その時に場に居合わせた生徒の貴重な証言だ。
取り残された生徒の一人だった彼女は、逃げ延びる為に他の全てを犠牲にする覚悟をした。そこには、美香のような優秀な生徒もいたらしい。学校の生徒たちは、成績で階層化されている。個人の行き過ぎた生への執着は、異端の思想である。
日記主は、自分だけ生き残ろうとせずに、他の優秀な誰かに「椅子」を譲るべきだった。利己的な選択に嫌悪を抱いた。しかし、それには抗いがたい誘惑があることも知った。
バイオテロで生徒が大量死した事があると聞いたことで、静は日記を読み進めるまで、てっきりウイルスや細菌がばらまかれたものだと思っていた。犬の侵入を許すなど、管理不行き届きもいいところだ。
しかし、もし日記が完全なフィクションだとしても、この学校では突如生徒が何者かの陰謀を感じる奇禍に見舞われることは、紛れもない事実なのである。
