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大條道直(大條家第十五世)【上】

幼名:多門
通称:監物、左衛門
号:是水、環翠
生誕:寛政9年(1797年)
死没:明治11年(1878年)10月19日
諡名:環翠院殿道直是水大居士
父母:大條道英(大條家第十四世)、榮(伊達村好の娘)
兄弟:女(布施定郷夫人)、木村信近(木村直行養子)、大條道洽 / 伊達宗茂(大條家第十六世)、女(小島敬三郎夫人)、伊藤三郎(伊藤権十郎養子)、女(佐藤好治郎夫人)、男子(捨之助)、女(保土原頼母夫人)
妻:直子(古内主膳の養女)
子供:なし(弟の大條道洽を養子とする)

資性豪邁な精神と揺るぎない信念で仙台藩を守り、大條家の威光を示した名君、大條道直について記述します 【前編】


1. 『此君亭』復元とサンドウィッチマンの支援

2023年、宮城県亘理郡山元町において、東日本大震災で甚大な被害を受けた大條家ゆかりの茶室「此君亭(しくんてい)」が、約12年の歳月を経て見事に修復を完了いたしました。

この修復事業では、貴重な文化財の保存と地域の復興を目的にクラウドファンディングが実施されました。その際、人気お笑いコンビである「サンドウィッチマン」が「ふるさとの歴史を未来へつなぎたい」と支援を表明したのです。
伊達みきおさんが大條家の末裔にあたるというゆかりもあって全国から大きな関心が寄せられ、見事に目標金額の1,000万円を達成いたしました。

このクラウドファンディングを機に、改めて大きな注目を集めている人物が大條道直です。
今回修復された「此君亭」は文政13年(1830年)に建造され、天保3年(1832年)、第十一代仙台藩主 伊達斉邦から大條道直へ下賜された歴史ある茶室でありました。
この建物は現存する仙台藩の上級武士ゆかりの茶室として極めて貴重な歴史的価値を有しており、現在では山元町の新たな観光名所として多くの人々を魅了しています。
本記事では、大條道直の足跡を辿りながら、茶室拝領に至る経緯や、その波乱に満ちた生涯と遺した功績を詳しく振り返ってまいります。

2. 18歳での出仕と将軍 徳川家斉への拝謁

大條道直は、寛政9年(1797年)に大條道英の嫡男として誕生いたしました。
この時、父である大條道英は26歳であり、まだ祖父の大條道任(大條家第十三世)が当主として家督を預かっていた時期でありました。

文化11年(1814年)正月、大條道直は父の名代として18歳で出仕し、文政2年(1819年)7月、第九代藩主 伊達斉義が家督を継ぐに際しては、第十一代将軍 徳川家斉への拝謁に随行いたしました。

伊達斉義像
(仙台市博物館蔵)
徳川家斉像
(徳川記念財団蔵)

3. 伊達一門への弔問と要衝・寺池要害の歴史

文政3年(1820年)正月、大條道直は申次役に任命され、翌文政4年(1821年)2月には権大番頭へと就任いたしました。
また同年8月、伊達宗充(登米伊達家第十三世)の母親が逝去した際には、仙台藩からの命を受けて居城である寺池要害へ赴き、弔問を行った記録が史料に残されています。

寺池要害(旧 寺池城)
Wikipediaより

登米伊達家(仙台藩一門)
登米伊達家は、白石宗直を始祖とし、登米郡に入部した仙台藩一門の重臣家系であります。
元和元年(1615年)、伊達姓を賜り正式に一門の列に加わると、代々藩政の中枢を担うこととなりました。居城は寺池要害(登米要害)であり、北上川の水運を抑える交通と戦略の要衝として、軍事および行政の重要拠点として機能いたしました。
歴代当主としては、初代 白石宗直、第二代 伊達宗貞(寛永期の藩政参与)、第三代 伊達宗房(寛文期の治水事業で活躍)らが広く知られており、文政4年(1821年)時点の当主は第十一代である伊達宗充でありました。登米伊達家は、江戸詰めや国元の重職を歴任する一方、地元においては新田開発や寺社保護に大きな尽力を重ねました。
ちなみに、居館となった寺池要害(旧寺池城)はもともと大崎葛西文化の拠点であった葛西家の本拠地であり、文政4年の当時から230年ほど前には、大條家始祖である大條実頼(着座大條家第一世)が主家との外交や政務のために頻繁に訪れていた因縁深い場所でもあります。

そして、文政6年(1823年)8月、伊達宗嵩(岩谷堂伊達家第九世)が逝去した際には、大條道直は仙台藩からの命を受け、江刺郡岩谷堂要害の伊達義隆(岩谷堂伊達家第十世)のもとへ弔問の使者として赴きました。

岩谷堂伊達家(仙台藩一門)
岩谷堂伊達家は、岩城常隆の嫡男である伊達政隆(初名:岩城政隆)を始祖とする仙台藩一門の重臣家系で、江刺郡岩谷堂(現在の岩手県奥州市)を領地に治めました。
慶長15年(1610年)、岩城政隆が仙台藩初代藩主の伊達政宗に庇護されて伊達姓を賜り、正式に一門の列に加わると、代々藩政の中枢を担うこととなりました。
居館は岩谷堂要害であり、北上川水系と人首川の水運を抑える交通と戦略の要衝として、軍事および行政の重要拠点として機能いたしました。
歴代当主としては、初代 伊達政隆、第二代 伊達国隆(岩谷堂領の基盤整備に貢献)、第三代 伊達宗規(第二代藩主 伊達忠宗の子として養子入り)らが広く知られています。
岩谷堂伊達家は仙台藩一門として知行高5,000石を領し、江戸詰めや国元の重職を歴任する一方、地元においては新田開発や街道整備に尽力いたしました。また、北上川舟運の管理を通じて経済的にも重要な役割を果たし、江刺地方における穀倉地帯の発展に大きく寄与したのです。

4. 29歳での家督相続

文政7年(1824年)6月、大條道直は申次役兼近習聞役に任命され、翌文政8年(1825年)7月21日に父の大條道英が逝去したことに伴い、大條家第十五世当主として家督を相続いたしました。
こうして29歳で大條家の家督を継承した大條道直は、やがて仙台藩の家督継承問題をはじめとする数々の難局に直面することとなります。
いかなる困難に対しても毅然と立ち向かい、決して退くことなく処した大條道直の剛毅な生き様については、次回の記事で詳しくご紹介いたします。


◼️参考資料
山元町誌編集委員会『山元町誌 第2巻』1986年
伊達忠敏『大條流伊達家記録』1988年
本田勇『仙台伊達氏家臣団事典』2003年
佐藤司馬『大條家坂元開邑三百五十年祭小志』1966年
田辺希績 編著ほか『伊達世臣家譜続編』1978年



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