見出し画像

Q:アルゼンチンタンゴ、ディープなのはともかくダークなこともあるんじゃ、と勘繰ってしまうのですが。

A:どのようなことを「ダーク」とするかにもよりますが、タンゴも人間の営み、人間社会で起こる厄介なことはタンゴでも起こりうる、というのが残念ながら現実かと思います。では、ダークサイドを上手に避けつつタンゴを楽しむにはどうしたらいいか? ご参考になれば思うことを以下にいくつか書いてみました。
(タイトルPhoto by Daniel Maquiling on Unsplash


タンゴの黒歴史

タンゴの始まりの物語に必ず登場するのが売春婦と荒くれ男たち。20世紀初め急速に拡大するブエノスアイレスのあちこちにあった悪所では、酒、タバコだけでなく麻薬なども提供され、客は売春婦たちやダンスの相手だけをするホール係の女性たちとタンゴを踊ることができました。その後タンゴはナイトクラブやキャバレーなど普通の夜遊びスポットでも踊られるようになりますが、そういうところでも過度の飲酒や麻薬使用などは絶えることなく、良識ある市民がタンゴを嫌厭する大きな理由となっていました。

そういう心配をせずタンゴを楽しめるように、夜遊びの一部としてではなくタンゴを娯楽のメインに据えたタンゴクラブなども同時に存在していましたが、無頼の世界をロマンティックに取り上げた歌のイメージなどもあり、タンゴは不健全、という考え方はアルゼンチン国内でも根強く残ります。例えば、フアン・カルロス・コビアン の名曲『Los mareados』は、もとは『Clarita』という題のインストゥルメンタル曲として1920年作曲されましたが、1922年劇中歌として歌詞がつけられた時、『Los dopados(ヤク中ども)』と改題されました。劇のタイトルがそうだったから、というものの、ちょっとあんまりな曲名。これでは少し、ということか、1942年アニバル・トロイロの依頼でエンリケ・カディカモが新しい歌詞をつけた時には『Los mareados(酔いどれたち)』に改題されました。(ちなみに、このカディカモ版にも当時の政府の検閲が入り、カディカモは酔いどれた男女の破局をうたった歌詞を「良識あるもの」にするよう求められ、曲名も 『En mi pasado』に再変更。ただし、現在広く親しまれているのはカディカモのオリジナル版の歌詞です。)

このようなタンゴへの負のイメージは、しかし、1980年代後半のタンゴリバイバルから2009年のユネスコ無形文化遺産登録(アルゼンチンとウルグアイの共同登録)へ至る過程で大きく変わっていきます。

まず、リバイバルにのってタンゴを新しい娯楽として始めた人たちは、「声がウィスキー焼けするくらいにならなきゃホントのタンゴは踊れない」などといった古い「美学」に違和感を持つことも多かったし、それを受け入れなければならないといった義理も感じませんでした。また、ユネスコ無形文化遺産への登録過程で、アフリカ系や女性のアーティストの貢献を軽んじてきた過去や、それを正せなかった歴史的認識も論議されたことから、過去の不幸な出来事と未来に継承すべき事柄が分離して考えられるようになりました。つまり、タンゴの成り立ちにかかわったダークな部分を無視したり否定することなくタンゴのことを論じられる環境が整ったことで、より多くの人がタンゴを受け入れやすくなったわけです。

それで過去の暗い部分が清算されたわけではないし、タンゴを取り巻く問題がまったくなくなったわけでもありませんが、「タンゴは私たちの文化」とためらわずにいう若いポルテーニョブエノスアイレスっ子をみるたびに、こんなふうに受容できるのはあの議論があったからこそ、そういう話し合える環境がある限り、問題があっても「ブラック」になるのを避けられるのではないかな、とポジティブにおもえます。

コミュニティのダイナミクス

アルゼンチンタンゴは一人では踊れません。二人以上、ほとんどの場合は実際にミロンガタンゴのダンスパーティーに踊りに来ている人たちの何倍もの人が関わるコミュニティでおこなわれるイベントです。

コミュニティのメンバー間には、ダンスの上手下手、立ち居振る舞いや外見、そのコミュニティへの貢献度など様々な要素がからんだ、階級意識みたいなものがあります。また、タンゴのダンスパーティではお作法のようなものもあり、コミュニティに受け入れられるためにはそれを尊重することが求められます。つまり、タンゴを踊るということはただ踊るだけでなくて、ダンスや社交のあれこれを通じて、梯子を一段一段上るように、コミュニティの中でランクアップしていく息の長いゲームに参加する、ということでもあるのです。したがいまして、そういう階級ゲーム的側面が間違った方向にいくと、セクハラ、パワハラまがいのことになってしまうことも。

どういうことが問題なのかについてはいい出すときりがないですが、例えば下のビデオでは、ベテランのタンゲーロが若い女性の初心者に近づき、自分の影響力をふるおうとすることが問題視されています。

このビデオは、以前もご紹介しました Lucas Antonisse の YouTube インタビューの一本で、インタビューされているのは、ニューヨークで学生や若い人たちにタンゴを長く教えてきた Robin Thomas。彼によると、「残念だけれど、ミロンガやプラクティカにはダンス以外の目的でやってくる奴らがいて、初心者(主に若い女性)に近づいて、親切そうに教えるふりで『ここはこうしなければダメだ』などと自分が優位に立てる状況を作り、彼女らをマインドコントロールしようとする」のだそうです。さらにぞっとすることに、そういう輩は「常習犯」であることが多いのだとか。幸い、彼らはミロンガのオーガナイザーやコミュニティの人たちには面が割れていることも多いので、オーガナイザーやコミュニティが少し気をつけることで被害を少なくできる、というのが Robin の論点です。

確かに、初心者でなくても、初めて訪れたミロンガなどでは様子がわからなくて心細い思いをすることもありますもんね。コミュニティの人たちが少し気にしてくれるだけで安心できることも多い。ただ、ミロンガなどタンゴのイベントは一般に開かれているのが普通なので、誰がやってくるかはその日になってみないとわからない。自分たちのミロンガに「問題人物」が現れたらどうするか? Robin は彼自身の体験をもとに、具体的な対応方法なども話しているので、ご興味のある方はぜひインタビューを通してご覧になってみてください。

ダークサイドを栄えさせないために

楽しく安全であるべきダンスの最中に問題と思えることがおこったらどうするか。「ドンと突き放して歩き去る!」「2度と踊らない💢」「オーガナイザーにクレームする☝️」などキッパリした行動をとることを勧める声は多い。一方、そういう凛とした態度がダークパワーを増長させないためにも大切とわかっていても、相手が自分より格上のダンサーやコミュニティで力を持っている人だったりすると、行動に移すのはとても勇気がいるのも事実。

問題行動には不適切な身体的接触だけでなく、不適切な言動や態度も含まれます。最近もある大きなタンゴフェスティバルで、招待された有名なマエストロが、デモの途中に自分のパートナーを口汚くののしり、パートナーがそれ以上踊るのを拒否したという事件がありました。どうしてそんなことになってしまったのか、背景はよくわかりませんが、マエストロの行動がパートナーの「譲れない一線」を越えてしまったのは明らか。

大きなフェスティバルでは大きな額のお金が動きます。デモを楽しみにしてきたのに、わりをくってしまった参加者たちはどう思ったか? 事件直後様々なことがソーシャルメディアで流れましたが、興味深いことに、踊らなかったことでパートナーを非難する声は見当たらず、事件の翌日、件のパートナーがフェスティバルに姿を現した時、参加者はみな立ち上がって彼女にサポートの意を込めた拍手をおくったということです。タンゴを踊る上ではパートナーに敬意をもって接するのは大原則。そういう原則を参加者たちも守ろうとしたのかなと思います。

この事件のマエストロは大変有名な人であったので、こんなことがあってもすぐにうやむやになってしまうのではないか、と心配した人もいたのですが、事件後、別のフェスティバルがこのマエストロの招待を取り消すという連鎖反応も起こりました。マエストロ側の話も聞かず一方的に断罪したようですっきりしない面もありますが、パートナーの尊重はいかなる時もおろそかにできない、というタンゴの原則を思い出させてくれたことと、そういう原則を支持することで、入り組んだパワーゲームのダークな連鎖をとめて明るい方向へ修正していく力も私たち一人一人にあるんだ、と感じられたことは一つの救いといえるでしょうか。

お金で買えるもの、買えないもの

アルゼンチンタンゴを踊ることを楽しもうとする場合、ダンスを習う、靴や衣装を購入する、ミロンガやタンゴフェスティバルに参加するなど、様々な場面で費用がかかります。また場面ごとに様々なオプションがあり(例えば、習うにしても、グループレッスン、プライベートレッスン、特別講師のワークショップ、ブエノスアイレスで憧れのマエストロから習うなど)、どれを選ぶかで金額も違います。

現在のタンゴは、特にブエノスアイレスなどでは、組織化された産業なので、お金と時間(忍耐)を惜しまなければ、じつに様々な体験をすることができます。しかし、タンゴで使うお金の大きな部分である「体験」には適正価格がつけにくい。さらに、本場のマエストロから「本当のタンゴ」を習いたいといった、憧れがオーバーヒートしてしまいがちの部分に、現地の習慣や、主要通貨圏との経済格差なども絡んで、支払う金額の妥当性の判断に苦しむことも。

したがいまして、タンゴを安心して楽しむためには、面倒でも事前の情報収集は必須です。例えば、ブエノスアイレスでは観光客には高めの二重価格制も珍しくないので(違法ではないし)、戸惑わないよう最近の話をネットでこまめに拾うことをお勧めします。現地でガイドを雇ったりツアーなどで行く場合でも、一応の相場観をもっているとグンと安心感が上がります。さらに、タンゴは「Long game長丁場の遊び」なので、今しかできない、ここでしかできないなどと煽るような話は、少し引いて見てみるほうがいいかもしれません。

さらに、ときおり浮上する話がダンスパートナーを雇うことです。有名マエストロのレッスンをとるから自分のことに集中して効率的に習いたい、フェスティバルにいって壁の花になるのはイヤなど、雇うほうの動機は様々で、タンゴが盛んな地域ではオプションとして珍しくない。一方、タンゲーロスの間では、その日踊りに来た人の間で誘いあって踊る伝統を無視したやり方だ、と拒否反応も強い。

そんなわけで、タクシーダンサーと呼ばれる対価を受け取ってダンスパートナーを務めるダンサーたちには偏見が向けられることもあり、問題としてアルゼンチンのメディアでも何度か取り上げられました。そこで繰り返しいわれたのは、ブエノスアイレスで観光客のレッスンパートナーなどをするタクシーダンサーはダンスインストラクターなどと同様の仕事をしているだけなので、ジゴロかコールガールのようにおもうのは誤解だ、普通の仕事として認識しよう、ということです。

普通の仕事とすることで労災の認定などもできるようになり、いいことも多い一方、タクシーダンサー側には所得の申告と納税の義務がかかってくるので、小遣い稼ぎ感覚でタクシーダンサーをしてきた人、またそういう感覚で彼らをビジターに紹介してきた仲介業者には、どこまで「普通の仕事化」が受け入れられるのか未知数のところもあります。

また、ブエノスアイレス以外でも、「##タンゴフェスティバルに参加します。リーダー歴10年超、1タンダ$$ドル」といったの個人広告がソーシャルメディアなどで流れることもあります。こうなるともう、自己責任で、ですが、サービスを売る方も買う方も、ダークサイドに陥らないよう、細心の注意が必要なのはいうまでもありません。

さておき。もともとタンゴは庶民がお金をかけずに楽しめる娯楽でした。でも、他のことと同様、手早く「ホンモノ」を手に入れたいワタシたちの気持ちを反映してお金がものをいうようになり、タンゴのあらゆる面がビジネス化してしまいました。このことを嘆く声は多いですが、ビジネス化したことで、より多くの人がタンゴに親しめるようになったことも事実。現実的に考えると、今後もタンゴのビジネス面とは付き合っていくしかない。大多数のワタシたちタンゲーロスはお金を払う側。支払いは一時でも体験は記憶として、いいのも悪いのも、長く残る。いい思い出を増やすように、また、タンゴのためにもなるようにお金を使うにはどうしたらいいか? ここが悩むところですよね……。

ブラックな風聞

プライベート・レッスン料などと称して高額請求する、ダンスビデオを一緒に作ろうなどと持ち掛けてお金をだまし取る、果ては結婚詐欺、デートレイプなど、ダークを通り越してブラックな噂もないわけではないタンゴ界隈。ミロンガなどでささやかれる話はどこまでが本当なのかはわからないけれど、真顔で「日本からくるタンゲーラには、『用心したほうがいい』と伝えなさい!」などといわれるとさすがに考え込んでしまう。

人をだまそうというような輩は「獲物」を実によく研究していて、相手がタンゴに持つ夢や願望を巧みに織り交ぜて罠をかけるので、下手をすると、だまされた方が、うまい話にのった自分がバカだった、などど自責して表沙汰にしないことも。でも(噂によれば)そういう輩はプロの犯罪者で、噂が広まるころには何人もの人が被害にあっていることも稀じゃないそう。被害の広がりを防ぐためにも、身体的な被害を被った時は警察、金銭的なトラブルは消費者保護団体など、話を聞いて対応してくれるところにまずコンタクトするのがベストかと。旅行中で時間がなくても、被害届だけでも出しておくと、被害を旅行保険でカバーできたり、後日司法がおこなわれて、被害にあった金額の一部が返ってくるなどということも。

また、アマチュアや観光客だけでなく、プロや事情通が被害にあったという話もチラホラ。例えば、海外でパフォーマンスとワークショップをやってくれ、と持ち掛けられ、ツアーの半ばで現地スタッフが売り上げをもって姿をくらましたとか、タンゴスクールをつくるというのでの出資をしたけれど、話が立ち消えになってお金が返ってこない、とか。世界中で踊って教えるというプロたちの夢を巧みについた犯罪で、これもまったくやりきれない。

実際のところがわからない話も多いですが、こういう噂話が流れるのも、タンゴが世界中で愛好されるようになって、かなりの金額が動くビジネスになったと同時に、ダークな面もそれなりに大きくなってしまった、という残念な現実を反映しているのかもしれません。

まとめ

アルゼンチンタンゴを踊る人たちのだれもが口をそろえていうのは、その中毒性。今日もミロンガ、明日もミロンガ、おや、最後に息子の顔をみたのはいつだったっけ? というビエホ・ミロンゲーロスブエノスアイレスのミロンガの常連の冗談ではないですが、時間、お金、気持ち、いろいろな面で突っ込んでしまいがち。

そんなふうに人を虜にしてしまう力のあるタンゴの世界には、パワーゲームの面もあり、お金も絡む。結果、いろいろなダークスポットが発生して、誰が被害者になってもおかしくないし、入り組んだ利害関係から、知らないうちに加害者になっていた、なんてことも起こりかねない。気をつけていたら何とかなる、というものではないかもしれませんが、まずは適度に頭を冷やす時間をとることが肝要かもですね(自戒)。

え、それでも今夜のミロンガには行きたい? ふむ、確かにTDJもいいしこのデモは見逃せませんね……。でもまあ、今夜はいつもよりリラックス気分でいきませんか? 無邪気にデモの感想をいいあってみたり、音楽を聞くだけのタンダを増やしてみたり。そう、ちょうどブエノスアイレスの古手のミロンゲーロスがやってるみたいに、ゆっくり気長にいきましょ🌹
©Rico Unno, 2026, CC BY-ND


◀️タンゴを踊る場所  ▶️ウチはウチのやり方で

いいなと思ったら応援しよう!