細野晴臣提供曲の7インチコレクション①(11枚)
かまやつひろし「仁義なき戦い」(1975)

A面「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」
作詞作曲:かまやつひろし/編曲:Greg Adams
B面「仁義なき戦い」
作詞:松本隆/作編曲:細野晴臣
75年4月5日リリースのアルバム『あゝ我が良き友よ』よりシングルカット、といいたいところだが、このアルバムからだと当時は吉田拓郎作の先行シングル「我が良き友よ」が大ヒット中だった(オリコン1位)、そのB面が「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」だったので、それを再発すればいい話と思えるが、まず94年に渋谷系のトラットリアから新録の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を含めたアルバム『Gauloise』がリリースされ、曲自体がDJ界隈で再注目された流れもありつつ、今度はオリジナルをA面にしてB面に同アルバム『あゝ我が良き友よ』より細野晴臣作の「仁義なき戦い」が選曲されて(この盤を入手する動機)7インチでリリースされたが、再発の具体的な経緯を知らないので、ジャケのコンセプトなど不明
久保田麻琴「バイバイベイビー」(1975)

A面「バイ-バイ-ベイビー」
作詞:藤田洋麻/作編曲:細野晴臣
B面「初夏の香り」
作詞作曲:久保田麻琴/編曲:細野晴臣
オリジナル盤のリリース日は不明なのだが、75年11月1日にリリースされた久保田麻琴と夕焼け楽団『ハワイチャンプルー』にこのシングルAB面の曲がアルバムヴァージョンとして録音し直されているので、それより前というのは確実、そして「初夏の香り」というタイトルから察するに5〜7月辺りだったのではないかと推測
A面が細野サンの作編曲、B面が編曲ということで実質細野晴臣プロデュースのシングルといっていいだろう、このシングルを経て久保田麻琴ソロ名義から久保田麻琴と夕焼け楽団としてハワイ録音の『ハワイチャンプルー』を完成させるが、ハワイには細野サンも同行、まだ夕焼け楽団にドラマーがいなかったこともあり、何とドラマーとして参加している
このシングルの再発のインフォには「鈴木茂や佐藤博をはじめとするハックルバックが演奏をサポート」とあるのだが、おそらくベースは細野サンだとするとハックルバックというより『トロピカルダンディ』のメンバーといっていいだろう
いしだあゆみ「私自身」(1977)

A面「私自身」
作詞:橋本淳/作編曲:細野晴臣
B面「バイバイジェット」
作詞:橋本淳/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣、萩田光雄
77年4月25日にリリースされたアルバム『アワーコネクション』からのシングルカットは当時なかった、そもそも『アワーコネクション』がティンパンアレー(とその周辺)とコラボレーションする企画扱いだったので(いしだあゆみ&ティンパン・アレイ・ファミリー名義)、このアルバムからのシングルヒットは最初から考えていなかったのでしょう、実際このアルバムが当時売れたのか、どう反響あったのかはわかりません
この時点でいしだあゆみの知名度に比べれば、参加してる細野晴臣や山下達郎はまだまだ一般的に知られていなかった、しかしメンツがメンツだけに年々このアルバムの評価は高まり、CDは何度か再発され、ついにアルバムの中から7インチカットされることになった、まず2015年に「私自身/ひとり旅」のカップリングでリリースされたが、この時まだレコードを集めて直してなく、盤を知った時にはすでに高値で手が出なかった、その再発を何年も待っていたが、7年後にカップリングが変わって再発されたのがコレ、確かに「ひとり旅」より「バイバイジェット」が好きだったので不満はないものの、やはり「ひとり旅」も捨てがたいので、いずれは入手したいが...
MANNA「YELLOW MAGIC CARNIVAL」(1979)

A面「YELLOW MAGIC CARNIVAL」
作詞作曲:細野晴臣/編曲:鈴木茂
B面「椰子の木陰で」
作詞作曲:浜口庫之助/編曲:今井裕 & MAX
原曲はティンパンアレーのアルバム『キャラメルママ』に収録された「YELLOW MAGIC CARNIVAL」のカヴァー、YMO的にいえば、この曲は重要であって、そもそもこれがYMOだったかもしれない⁉️
細野晴臣の最初の構想としては高橋幸宏/坂本龍一ではなく、このボーカルのマナ/林立夫/佐藤博でイエローマジックというかサヴァンナバンドするはずだった、しかしベーシスト細野晴臣が1番気に入ってるドラマー林立夫がマナは自分でプロデュースしたいと主張、ゆえにはっぴいえんど解散後から続いた細野晴臣とのリズム隊も解消となり、完成したのがこのシングル、ややこしいのは結局細野晴臣曲のカヴァー、しかもアレンジは鈴木茂(アルバムverは今井裕)、要はティンパンから細野サンを追い出した形にも受け取れなくはない
残るは細野サンが1番気に入ってるキーボーディスト佐藤博だが、そもそも松任谷正隆がユーミンで忙しくなった代わりでティンパンのセッションに参加し始めたのであって、佐藤博的には細野バンドに入ってるつもりはないし、入るつもりもない、細野晴臣と同い年で生まれたのは佐藤博の方が1ヶ月ほど早い、年上ならぬ月上、というのがどれほど影響してるか不明だが、YMO構想にのらなかったのは事実、表向きはアメリカに行くということで誘いを断ってるが、実際に渡米したのは『オリエント』というアルバムを作った後の79年夏、77年末のYMO構想話から1年半後であり、あくまで口実に過ぎない疑い、しかも『オリエント』はYMO構想と重なる部分も多い(因みにYMOは「中国女」、佐藤博は「孫悟空」という曲を生む)、ということで、ティンパンで散々一緒にやってきた林立夫/佐藤博からしてみれば、コンセプト的にうんぬんというより細野サンから離れたかっただけと解釈
細野サン的には、まさかの第1候補の林立夫/佐藤博両氏から断られて、YMO構想はここで終わってもおかしくはなかったが、既にバンドメンバーが正式に決まる前から公にイエローマジック構想を宣言しており、ALFA村井社長ともプロジェクト実現の約束をしているので、リンダキャリエールプロジェクトもボツったことだし、ここで諦めるわけにもいかず、新たなドラムとキーボードを探さないとならなくなったわけで...
クレストフォーシンガーズ「サンシェイド」(1975)

A面「サンタナへの道」
作詞:Maurice Vidalin、日本語詞:伊達歩/作曲:Michel Fugain/編曲:三保敬太郎、細野晴臣
B面「サンシェイド」
作詞:小林和子/作曲:細野晴臣/編曲:三保敬太郎、細野晴臣、松任谷正隆
AB面ともアルバム『スウィングエイジ』からのカット、正直「ラムはお好き?」とこちらのシングルのB面「サンシェイド」(☞CD-BOX『細野晴臣の歌謡曲』に収録)でカップリングされていれば1枚ですんだところを2枚買わねばならなかったというわけで
おそらく原盤はアルファ(アンドアソシエイツ)であることからソニーのGREAT TRACKSで、その細野曲カップリングの7インチを作れそうなものだが…
クレストフォーシンガーズ「ラムはお好き?」(1980)

A面「ヘイ!ミスタースマイル」
作詞:竜真知子/作曲:小田裕一郎/編曲:前田憲男
B面「ラムはお好き?」
作詞:吉田美奈子/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣、坂本龍一
セカンドアルバム『スウィングエイジ』からのカット、但しB面「ラムはお好き?」はアルバム未収録曲(近年CD化された際にボーナストラックとして追加された)
細野サンが関わってなかったら知らなかったであろうジャズコーラスグループ、お目当ては吉田美奈子のアルバム『FLAPPER』(76年)に収録されていた細野サン曲のカヴァー「ラムはお好き?」で、もうYMOは活動中で最初のワールドツアーも行われているが、坂本龍一との共同アレンジは特にテクノと関係なく、トロピカル〜サヴァンナバンド路線の延長といった雰囲気、そもそも「シムーン」はこのグループ用に書いたのが発端ではなかったか? 或いはマンハッタントランスファーだったかも、とにかく実現はしなかったが、是非聴いてみたかった
金井夕子「チャイナローズ」(1980)

A面「チャイナローズ」
作詞:伊達歩(伊集院静)/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣、坂本龍一
B面「離愁」
作詞:金井夕子/作曲編曲:梅垣達志
79年12月にリリースされたサードアルバム『CHINA ROSE』からのカットだが、アルバムリリースから4ヵ月の間にYMOの人気が上昇(『パブリックプレッシャー』が1位になるなど)したので、急遽シングルカットされた可能性もあり
金井夕子はYMO以前からの細野ファンだったようで、ディレクターと一緒に曲を頼みにいったとのこと、79年の段階だとワールドツアーがニュースになったりはしてたが、まだ本格的なYMO人気は沸騰前で、オファー自体はそれに便乗したわけではない模様、逆にその後だったら忙しくて断られたかもしれない、ブレイク前ゆえのYMO全員参加(演奏)の作品となる、同じ79年の近田春夫『天然の美』も同様のケース
高橋ユキヒロ「悲しきブルーカラーワーカー」(1980)

A面「悲しきブルーカラーワーカー」
作詞:クリスモズデル/作曲:細野晴臣/編曲:高橋ユキヒロ
B面「ミラーマニック」
作詞:クリスモズデル/作編曲:高橋ユキヒロ
YMOブレイク真っ只中の80年初夏にリリースされた『音楽殺人』よりシングルカット、このアルバムからはシングル2枚、タイトルチューン「音楽殺人」と半年後のコレになります、A面はサンディーのコーラスも良好な細野晴臣提供曲、細野サンを自宅に呼んで曲が出来上がるまで帰らせなかったそうです、そこまでしないと天才は作ってくれないようです、アルバムでは他に坂本龍一提供曲もあり、海外盤ではシングルカットされてます、しかしなんだかんだこの時期のクリスモズデルは大活躍、YMOその他関係作品の殆どの英詞をやってたりするので、さぞかし現在に至るまで儲かってることでしょー
すゎて、『サラヴァ』『音楽殺人』が何故アルファではなく、キングなのか、これは幸宏氏が昔からBUZZのレコーディングでキングと関わりがあったため、ソロを作る際は是非うちで〜的なお誘いがあったようです、YMOはアルファだけど、ソロは契約ナシって今だったら考えられないような話ですが、YMOブレイク前だったので緩かったのでしょう、しかもこの頃までサディスティックス時代のビクターの契約も残ってたっぽい
ちなみに「ブルーカラーワーカー」中で「仕事はツライな〜」的なことを呟かれてますが、この時期YMOブレイク真っ只中で忙しかったからと思いきや、家業のバズショップが潰れかかったことのようです
ジャケ裏「MIRRORMANIC」の歌詞は鏡ということで反転になっています
スーザン「AH! SOKA」(1980)

A面「DO YOU BELIEVE IN MAGIC?」
作詞作曲:John B. Sebastian/編曲:高橋ユキヒロ
B面「AH! SOKA」
作詞:高橋ユキヒロ/作曲:細野晴臣/編曲:高橋ユキヒロ
アルバムタイトルはMAGICのスペルをMAZIKとしてるのだが、海外盤ではMAZICとなっている、曲の方はLovin’ Spoonfulのカヴァーなので正しくMAGICとなっている、何故この曲をカヴァーしたのかは謎だが、YMOにはシャッフルの曲が無いので、それだけで珍しいと思ってしまう
B面は細野サン提供曲、この曲でも「MAZIK」のフレーズが使われていたり、曲タイトルはスーザンが発した言葉からだったり、うっすらとエフェクトがかかった細野サンのガイドボーカルが入ってたり、サビはスーザン独特のビブラート唱法だったり、テストボーカルの声がそのまま使われていたりと遊び心MANSAI
金井夕子「Wait My Darling」「ハートブレイカーのために」(1980)

A面「Wait My Darling」
作詞:大貫妙子/作編曲:細野晴臣
B面「ハートブレイカーのために」
作詞:糸井重里/作編曲:細野晴臣
AB面共に「チャイナローズ」に続く細野晴臣ナンバー、セッションメンバーは細野晴臣/矢野顕子/大村憲司に加えて、A面のドラムが林立夫、B面のドラムが高橋幸宏と大変贅沢なアンサンブルになっております
後に4枚目のアルバム『ecran』 に収録される際に詞と曲名を「走れウサギ」変更、Ver.0も存在し、2種ともCD化されております、ややこしいことにA面「Wait My Darling」もシングルヴァージョンとアルバムヴァージョンに加えて謎のシングルロングヴァージョンも存在し、3種ともCD化
基本的に細野晴臣提供曲が多くなるのは「ハイスクールララバイ」大ヒット後でありまして、このYMOブレイクとは関係なく生まれた金井夕子提供作品は重要なポイントになります
「走れウサギ」は数年後に越美晴がアルバム『ボーイソプラノ』でカヴァー
スネークマンショー「咲坂と桃内のごきげんいかが123」(1981)

A面「咲坂と桃内のごきげんいかが1•2•3」
作詞:スネークマンショー/作編曲:細野晴臣
B面「えぶりぼーでぃ•しんぎんぐ•ばーじょん」
作編曲:細野晴臣
一応このシングルのアーティスト名は「ユー・アンドー・ミー・オルガスムス・オーケストラ」
もともとはスネークマンショーのラジオ番組内でシュガーヒルギャングの上にラップしたのが最初のようで、改めてレコーディング時に曲を作る必要があり、細野晴臣が参考にしたのがブロンディ「ラプチュアー 」のようだが、そのシングルカットが81年1月リリースなので、それを聴いてからでは遅く、多分80年11月にリリースされたアルバム『Autoamerican』を聴いたのだろうと、それにしても新譜中の新譜を即参考にする素早い咀嚼力(これはULTRAVOXとCUEの関係にも似てる)、初の日本語ラップはこうして出来たわけだが、長いことヒップホップ側からはスルーされつつ、最近は歴史の一つとして定着したようだ、確かに途中からラップじゃなくて、ただの掛け合いになっているが、何といってもまだヒップホップシーンがアメリカでも定着していない状況だったので、ここは目を瞑って下さい、さらにコレがラップというなら、日本のもっと古い曲でコレはラップではないか?みたいな曲を持ち出してくる人もいるが、たまたま早口で歌ってるだけであって、問題はラップっぽく聴こえるという話ではなく、アメリカのヒップホップを認識した上でやってるかどうかである、勿論「ごきげんいかが123」より先にそういうアプローチの曲があれば聴いてみたい
また「ごきげんいかが123」を経てYMO「ラップ現象」も生まれた、初の日本語ラップと日本人の英語ラップ誕生がほぼ同時期(作曲も同一人物)ということであるが、英語ラップも実はそれ以前にコレがあったというのがあれば聴いてみたい
B面「えぶりぼーでぃ•しんぎんぐ•ばーじょん」はA面のカラオケだが、いまだにCD化されていない(演奏は細野晴臣、高橋幸宏、大村憲司、松武秀樹)
