初めての外泊──こだわりのある不安
【第5章 番外編 その3】
一泊だけの外泊許可。
妻の半年ぶりの帰宅は、
それまでにあった日常に触れた瞬間でした。
けれど、
それは束の間の穏やかな時間。
それと同時に──
これからの介護生活への不安を、
垣間見る機会でもありました。
リビングテーブルで寝ていた妻は、
目を覚ましてから懐かしそうに、
家中をゆっくり見渡していました。
家のほとんどのものは、
妻がいた頃と変わらずに、
そのままにしておきました。
しばらくして──
やや怪訝な顔になった妻は、
『写真の位置が変わったから戻して』
『まな板の置き方が違う』
『あそこゴミがある。
そこに埃がたまっている』
カタコトながら次々と間髪入れずに、
私に"指示"を出してきました。
それは高次脳機能障害を抱えているとは思えないほどの、
記憶力と注意力で。
初めのうちは、
『よく気づくなあ』などと、
やや嬉しくも感心しながら、
『はいはい』と言って、
対応していましたが。
いつまで経っても一向に、
止むことはなく──
『あれ変、これ戻して』と。
言う通りにしないと感情的になりそうな、やや圧も感じるその"指示"に。
私は対応を余儀なくされていました。
ようやく全ての指示を終えた頃には、
妻もニコニコと。
けれど、
その全ての対応を終える頃には私は、
笑顔もないほどクタクタに──
次は2階の寝室。
階段の手摺りにつかまりながら、
妻はゆっくり一段ずつ上がり、
寝室へ向かいました。
ベッドで寝れるか、起き上がれるか。
私が事前に行ったイメトレ通りに、
妻ができることを確認して。
ひとまず安心しました。
ただ、そう思ったのも束の間、
次の瞬間──
『あの服がない、どこにある?』
『あの本は、どこ?』
『あそこ汚い。綺麗にして』と。
新たな『指示』が次々と。
…マジ?
妻には、脳出血の後遺症のひとつ、
「こだわり」がありました。
それは一度気になり出すと、
自分が納得するまでは止まらない。
また自分の思うようにならない時には、
感情的になるという厄介なものでした。
そこに加えての失語症。
妻の訴えを理解し、行動に移すだけでも、
私にはハイレベルな意思疎通の能力と、
それに応える忍耐力が求められました。
最後のほうの私は、すっかり妻の要求に、
応える気力すらなくなり──
それでも指示を出し続ける妻に、
『ごめん。もう無理』とだけ。
朝から張り切っていた私は、
もはや笑顔も消え去り、
グッタリしていました。
長い入院生活の中で、
それまで『帰宅』が、
一つの目標でしたが、その時はまだ。
一緒に暮らすというイメージをすることはできませんでした。
むしろ──
働きながら、
『これ、やっていけるんだろうか』
という介護という現実を、
初めて垣間見たときでもありました。

初めての外泊
──こだわりのある不安【完】
▼この話は、『番外編 最終話』へ続きます。
▼前回の話 穏やかなリビング
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