Fungry! ⑫ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】
分かり切ったことだったけど、彩花の体を一度で全部食べてしまうなんてことは不可能で、結局私たちは四日かけて彼女の肉を何とか食べ尽くしたのだった。
けれど、あれだけの空腹に耐えて再びたどり着いた『あの日の味』も、一度お腹を満たしてしまった後は再びなりを潜めてしまって、私は苦痛に顔を歪めて残りの彩花の肉を胃に押し込む羽目になった。
あの日の味を再現してから四日間、私たちは一度も会話することなく、ただ黙々と彩花を食らった。
それは、証拠となるものをとにかく早く胃に詰め込んでしまわなければなんて焦燥感と、満腹感からくる苦痛が耐えがたいものだったからってのもあったけど、私は、もしかしたら海咲も、このカレーが与えた独特な余韻と心地いい虚無感の中で、ひたすらに考え続けていたのだと思う。
もう一度あの味にたどり着くには、どうしたらいいかってね。
そうして、自分を叱咤しながら必死に彩花の肉を胃に押し込み続けているうちに、私はふと、その答えに気づいたのだった。
あれは単に、極限までお腹が空いてたから美味しかったんじゃない。
あの半解凍のパンとケチャップには、確かに、人生の全てが詰まった味だった。
それはつまり、ママに捨てられたかもしれないという恐怖、怒り、憎しみ、そうして目前に迫る死から一時的ではあれ救われたその安堵感、様々なものが入り混じり、スパイスとなって私の舌を痺れさせたのだ。
そして、彩花の肉にかぶりついた日。
私の中にはあの頃と同じような不安、恐怖、憎しみ、そうして人を一人殺してしまったという変えようのない絶望的な事実が、確かに存在した。
彩花を殺してしまったという恐怖、海咲が裏切らないかという恐怖、正気を取り戻した海咲に見捨てられる恐怖、モデルの仕事、今まで築き上げてきた交友関係、明日美や和樹との関係、二人に注がれる世間の目、そんなすべてを失い崩壊させてしまう恐怖と、彩花の肉さえ食べきってしまえばこの危機を乗り越えられるのではという、あの日感じた死の一歩手前で首の皮一枚つながった安堵感と希望、そして、彩花が死んでなお、彩花に想いを寄せる海咲への怒り、そのすべてがスパイスとなって、あの奇妙でこの上ない『あの日の味』を、再び自分の舌の上に再現できたのだ。
そう、これはこの世の全ての『負』をまぜこぜにした、まさに『悪魔の味』なのだ。
それにようやく気付いたとき、私の中に、一つの、どうしようもなく絶望的で、抗いようのない好奇心が沸いてしまったのだ。
丁度、最後の肉を食べきった瞬間だった。
すでに自分の担当の鍋を平らげてソファでぐったりしていた海咲を見た、その瞬間だった。
もし、私がこの手で海咲を殺して、その肉を同じようにして食べたのなら、その瞬間に味わうことのできる衝撃は、一体どれほどまでに強烈なものなのかと。
海咲は、自ら命を絶とうとした私を救ってくれた。
あの日、もう一度だけ世界と私を繋ぎとめてくれた。
彼女のあの澄み切った目が、私に人間としての生に向き合う覚悟をくれた。
モデルの仕事も、学校生活も、気まずい明日美さんたちとの関係も、すべて海咲の支えあってこそ成り立ってきた。
そうして『悪魔の味』の呪縛もまた、彼女のおかげで一時的とはいえ忘れ去ることができていた。
海咲は間違いなく、私の心の支えで、大切な、大好きな人だ。
彼女を失えば、その先で待ち構えるのがいいようのない絶望と虚無感であることは、容易に想像できた。
でも、だからこそ、だ。
彩花の一件で、私はちゃんと、海咲が自分の前からいなくなってしまうかもしれないという事実を現実のものとして認識することができた。
正確に言えば、海咲はいなくなるわけじゃない。
きっとこれから先も、海咲は私と一緒にいてくれるのだろう。
ただ、私の理想とする、出会った頃の海咲がいなくなってしまう、ということだ。
けれど私も、わかっている。
人は、いつまでも同じとこにとどまることはできない。
誰だって大人になるし、大人になってもまだ『子供の頃の自分』に囚われ続ける人間ほど救いようがないってことも、わかっている。
だからこそ、あの頃の海咲との別れは必ず訪れる。
けれどその別れが、進路の違いだとか、恋人ができたとか、結婚するとか、そんなつまらない理由での別れではいけないのだ。
それじゃあきっと私は後悔する。
なんであの時、海咲を殺して食べなかったんだって。
今の私はまだ、海咲にはっきりと依存している。
その海咲を殺し、食べてしまった時の深い絶望と、まだ見ぬ私への成長の予感は、一体どれほどの旨味でもって私の舌を躍らせてくれるのだろう。
どうせ、私の前からあの頃の海咲が消えてしまうのだ。
なら彼女を使ってもう一度、『半解凍のパンとケチャップ』よりも、『彩花のカレー』よりも、さらに美味しい『悪魔の味』を手にれなきゃ損じゃない。
ちらと、スマホを確認する。
明日美さんたちが帰ってくるまでは、まだ十分に時間があった。
海咲を見れば、ソファーの上でぐうたれながら、抱きかかえた鍋を、何やら意味深な瞳で見つめている。
ここまできてまだ彩花に執着しているのか、はたまた、私みたいに悪魔の味の虜になってしまったか。
まあ、そんなことはどうでもよかった。
どちらにせよ、海咲は今、私が例え彼女のもとに駆け寄ってキスをしようが頭をひっぱたこうこうが、きっと変わらず鍋を見続けているくらいには、ちゃんと放心状態って感じだった。
食べ過ぎてしまったせいでひどい倦怠感に苛まれる体に鞭打って、立ち上がる。
キッチンに視線をやれば、かぴかぴに乾いた大きな包丁。
その鈍く輝く銀色がまとう新たな快楽の予兆が、酷い満腹感の中で苦しむ私の舌をも、じいんと痺れさせた。
私はゆっくり、それの元へと近づいていく。
一歩踏みしめるごとに、なぜか走馬灯のように、海咲と過ごした日々が蘇ってくる。
そのどれもが暖かく、優しく、切なく、苦しく。
私の胸をぎゅうっと締め付ける。
心臓が痛いのは、愛のせいか、緊張のせいか。
息はとってもすい辛くて。
数分後には、私はこの手で海咲を刺しているかおもしれない。
そう思うと、わずか数歩の距離であるキッチンまでの道のりが随分長くも、随分短くも感じて。
フローリングを踏みしめるその一歩ごとがたまらなく愛おしくて。
ついにたどり着いたキッチンで、私はそっと、包丁の柄をつかんだ。
その時、よっ、なんて言って海咲がソファから立ち上がった。
海咲と目が合う。
少しだけ、緊張が走る。
私がにこって笑うと、海咲もにこって笑った。
「片付ける?」
私が聞いても、海咲は、うーん、なんて煮え切らない返事をしながら、手に持った鍋を弄んでいる。
ふと窓外を見れば、あれだけ降っていた雨はどこへやら、ぎらぎら輝く夏の太陽が顔をのぞかせていた。
「雨、止んだね」
「なー」
私につられるようにして、海咲も窓の方へと視線をうつした。
そんな彼女に注意しながら、私はゆっくり、水切りラックから包丁を引き抜いた。
海咲はまた、何事か思案するようにして、目を細めながら窓の外を眺め始めた。
私はそのまま、腰の裏に隠すようにして包丁を持って、ゆっくり、ゆっくり、海咲の元へ向かう。
彼女はボクサーだ。
面と向かっては勝てない。
今、この瞬間のような、一瞬の隙をついてやってしまわなければ。
窓外からのぞく太陽は、そんな私の悪心を嘲笑うみたいに、目いっぱいの陽光でもって私を照らす。
「ねえ海咲、片付けないの?」
彼女が抵抗できる状態にあるかどうか確認するため、私は念を押すように、もう一度海咲に聞いた。
「お前は片付けねーのかー」
海咲は相変わらずぼーっと一点を見つめながら、放心したような口調でそう言った。
「うーん、そうだねえ」
曖昧に返しながら、私は着実に、彼女の背中に近づいていく。
「ちょっとやることがあるかなあ」
海咲の背中まで、あと少し。
「そっかー、それなら仕方ねえなー」
あと、少し。
「うん、仕方ないねえ」
あと、一歩。
「わたしねえ…」
ホラ、トドイタ。
「もう一週間、断食しようと思うんだ」
いうと同時に、思い切り包丁を振り上げた、その瞬間。
ぱっと、海咲が身をひるがえすようにして振り返った。
その瞳は、爛々と輝いていて。
「奇遇だな。あたしもあと一週間、断食しようと思ってたんだよ」
END
※げろ便ちゃんは霧島のオリジナルキャラクターDEATH。
↓各話リンクはこちら↓
Fungry! ① 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
Fungry! ② 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
Fungry! ③ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
Fungry! ④ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
Fungry! ⑤ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
Fungry! ⑥ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
Fungry! ⑦ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
Fungry! ⑧ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
Fungry! ⑨ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
Fungry! ⑩ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)
