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Fungry! ⑤ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】


鼓膜いっぱいの蝉の声。
寂れた駅のホームの片隅、申し訳程度に置かれたベンチは色あせて、私は、一人ぼっち。
馬鹿らしくなるほど真っ青な夏の空を見上げて、のどを滴る汗をぬぐった。
遠く響く、警報音。
ぷわあん。
カンカンカン。
ガタンゴトン。
ガタンゴトン。
何もかもが年季の入った駅の中、唯一異彩を放つ電光掲示板に、『列車が来ます』のオレンジが、ちかちかちかちかちかちかちかちか!!!


あの日、薄汚れたコンバースで、私は確かに地面をけり上げた。


曖昧な意識の中、海咲の声が聞こえた気がした。
あの時、地面をけった私の腕をぎゅっとつかんだ海咲。
地獄の底まで落ちきったら、そんときゃ好きに死ねばいい。
そう言って、海咲は世界と私をもう一度、つなぎとめてくれた。
あの瞬間、再び負の呪縛に囚われてしまう自分の未来がよぎったけど、それでも構わないと思えるくらいに、海咲の瞳は澄み切っていた。
「おーい、萌香?」
ぴんとおでこをはじかれ目を開ければ、気だるそうに私を見下ろす海咲と、心配そうな彩音のお二人さん。
「いま、何時…?」
寝ぼけた脳みそから必死にひりだした、間抜けな質問。
「いいご身分だな」
海咲がふと、スマホを突き出した。
15時17分。
とすると、私は五限目以降ずっと眠っていたことになる。
久しぶりに仕事がないのと、教室があんまりあったかいせいで、随分と気が抜けていたみだいだ。
窓外に目をやれば、ちらちらと雪が降っていた。
「珍しいよね」
彩音が静かに呟く。
「ね」
雪のせいか、エアコンの音が妙に大きく聞こえる。
「いつまで寝ぼけてんだ」
こつんっ、と海咲が私にげんこつする。
しぶしぶ、私は荷物をまとめ始めた。
そういえば今日は、彩花の誕生日だった。
この後一緒に、焼き肉行くんだっけ。
そう考えた途端、わなわなとあふれる不快な感情に促されるようにして、意識が急速に覚醒していく。
「ねえ、あの日言ってくれたこと、覚えてる?」
おもむろに口を開いた私を、彩花は不思議そうに見つめていた。
一方の海咲は、明らかに面倒だって感じで私を睨む。
そりゃそうだ。
やなやつだなって思ったけど、私のお口は、自制するってことを知らないようだった。
「最近近づいてる気がするんだよね」
「何に?」
私と海咲を交互に見つめながら所在なさげにする彩花をよそに、海咲の瞳にふと、一種の殺意みたいな感情が横切ったように見えた。
「地獄の底。案外、このあたりかもね」
私が言うと、海咲はそうかよ、なんて言って手をひらひら、一人教室の出口に向かう。
えと…、なんて呟いて、彩花も慌てて彼女を追った。
途中、おろおろと私の方を振り返りながら。
私は私で、よっこらせ、なんておどけてみせて、一人ゆっくり、立ち上がる。
窓外の雪は少し強くなっていた。
誕生日会に行くのは、何だか随分、面倒だ。


明日美さんと和樹さんは、私に何不自由ない寝床と食事を与えてくれた。
だからこうして私は、焼き肉なんてものを楽しめるご身分にまでなれたわけで。
目の前を、じゅわーって音と一緒に、食欲そそるギトギトの煙が埋め尽くす。
七輪に目をやれば、てらてらと光る牛肉が、ぱちんと音を立ててはじけ、炭の上にぽとぽと油を垂らしてる。
その横でぽんって音をたててソーセージの皮がはじけて、はたまたその横で、みそと唐辛子にまみれたホルモンがじんわり油を浮かべて、食べられる時を今か今かと待ちわびていた。
「なくなんぞ」
そう言う海咲は、タンやらハツやらハラミやらロースやら、無造作に焼いては貪欲にお皿に盛りつけたそれらを、せっせと口に運んでは、白ご飯をごくりと飲みこんで、再び肉に手をだして、白ご飯をごくり、繰り返している。
合間に挟むメロンソーダの噴く水滴が、唇を伝ってのどを滴っていくその様には、色っぽさすら感じた。
「あんた食べ過ぎ」
咄嗟に取り繕って、海咲を睨む。
「減量明けなんだからいいだろ?試合もしばらくねえしな」
つっけんどんに答える海咲の横には、せっせと肉を焼く彩花の姿。
今日は、この子がホストじゃなかったっけ?
「誰が誕生日なのかわかんないわね」
私が毒づくと、海咲のご飯をかき込む手が、ふと止まった。
「だ、大丈夫だよ?海咲ちゃんがいっぱい食べてるとこみるの好きだし」
場を繕うように彩花があたふたと手をふった。
「だ、そうだ」
それを聞くなり、海咲は再びご飯をかき込み始める。
全く。
彩花の今の発言が、疎い彼女の無意識のうちの暴力ってのはこの半年の付き合いで分かり切ってることだし、今日は彼女の誕生日ってこともあるから、寛大な私は許してあげることにした。
どころか、私はすっとトングに手を伸ばす。
「彩花食べな。あんたがホストなんだから。肉は私焼く」
え、いいよお、とか言う彩花のトングもついでに取り上げて、私は適当な肉を七輪の中に並べ立てていく。
偉いぞ私。
すごいだろ、彩花め。
有無を言わせずトングを取り上げた私を見て諦めたのか、彩花も焼けた肉を手に取り始めた。
「モデルは大変だな」
何を勘違いしたのか、海咲が呑気な声で言う。
「別に、一日くらい食べ過ぎても平気。あとで食べるわよ」
そう言いながらも、私はいまいち乗り気になれなかった。
それは単に、これが彩花の誕生会だからって理由だけじゃなかった。
世間一般では焼き肉のことを御馳走と認識するらしいけど、私にはどうもそう思えない。
確かに美味しいことは美味しい。
だけど、あの日食べた半解凍の食パンとケチャップに比べたら、こんなものコンビニ弁当と何の変りもない。
味に深みがないのだ。
焼き肉は明らかに嗜好品って感じで薄っぺらい味しかしない。
だけどあの時のパンとケチャップは、まさに人生って感じだった。
生きるってことの全部が詰まった、まるで壮大な宇宙を、あの三切れと1パックにすべて閉じ込めたみたいな、そんな味だったのだ。
手から滴り落ちるケチャップの混ざったぬめぬめの水、何日も磨いてなかった歯が醸し出す口臭と混ざり合うトマトと小麦の香り、かみしめた途端に溢れ出す生ぬるい水分に、ごりっとした芯の触感。
その全てが、私の脳にこびりついて離れなかった。
だから私は当然のように、あの味を再び求めた。
でも、満たされた状態で食べる半解凍のパンとケチャップは、この上なくまずい代物で。
だから断食なんかもしてみた。
でも、そんなことしたら当然明日美さんと和樹さんが心配して無理にでも食べさせようとしてくるのは目に見えていた。
それで私は、精神の不安定な虐待被害者の演技をして、食べることを拒否した。
心が不安定な人間に嫌がることを無理にするのはまずいと判断してくれると、幼いながらに悪知恵を働かせたのだ。
後になって、私はそういう病気を持った人たちと関わることになった。
みんな、私のモデル仲間だった。
躁鬱、強迫観念、不安神経症、パニック障害。
だから私も、そういう病気に理解がないわけじゃないけれど、自分自身に限った話だと、どうやら私はとんでもなく図太い神経の持ち主らしく、頑張ったところでそんな病気になれるタイプではないようだった。
そうじゃなきゃ、ママを恨まないどころか、愛してまでいるなんてこと、できないはずだ。
私はママのことがいまだに好きだ。
こんなことがあった。
ママは基本的に湿っぽくてずんと沈んだ態度で私に接してくることが多かったけど、まれに気分のいい時は、突拍子もないことして私を笑わせてくれる人だった。
珍しく、一緒にお風呂に入っていた日のことだ。
湯船につかって、体を洗ってるママの背中を何となく見ていた時、おもむろにママが、自分の眼前に何かを掲げたのだ。
それはしわくちゃで、片方に口があって、どこか風船を彷彿とさせる形をしていた。
『なあにそれ?』
不思議そうにそれを見つめるママに、私は聞いた。
そしたらママ、はっとした顔して振り返ると、いたずらっぽい笑みを浮かべてこういった。
『これ?これはねえ………風船!』
そう言って、ママは目いっぱい息を吸ったかと思うと、手に持ったそれをぷくーって膨らませた。
ママは、子供にはまだ早いと思って、咄嗟にそんな行動をしてくれたのだろう。
今思えば、あれは使用済みのコンドームだった。
しかも、多分ママの膣から出てきたのだ。
一体いつ頃から入っていたものなのか。
ママの腕には、注射痕があった。
昔はそれが何なのかわからなかったし、そもそも注射痕ということすら認識していなかったけど、多分あれは、シャブだ。
ママは、いわゆるキメセクってやつをしてたのだ。
だからママも、その相手も、途中でコンドームが外れたことも、ママの中に残ったままになっていたことも、気づかなかった。
そしてママは、しょっちゅう業務ストアに行っていた。
そんないつの物とも誰の物ともわからない、もしかしたら中にせーえきだって少しは残ってたかもしれないそれに、私を笑顔にするためだけに口をつけたのだ。
その事実が、16歳になった今でもおかしくって、愛おしい。
私は確かに、愛されていたのだ。
随分と話がそれてしまったけど、私のエセ不安定メンタル演技は、確かにうまくいった。
だけども七日後、ついに待ちに待った食事にありついたとき、私は再び裏切られた。
お腹さえ減っていれば、あの時の衝撃を再現できると思っていたから。
でもダメだった。
何もかもが、全然足りなかった。
その後も私は断食を繰り返した。
半解凍の食パンとケチャップをわざわざ用意したこともあった。
結果は同じだった。
明らかに何かが足りない。
でも私には、何が足りないのか一向わからなかった。
あの日の感動をもう一度味わい。
その一心ですり減らす命。
一向見つからないパズルのピース。
明日美さんたちを裏切ってまで死にかけては、自分自身が裏切られる日々。
そんなある日、私はお風呂上りにふと、鏡に映る自分をしっかりとみてしまったのだ。
やせ細り浮き出たあばら。
頬はこけ、顔色は土気色、とでもいえるくらいにひどい。
そうして、落ち窪んだ瞳を爛々と輝かせたその姿は、地獄の絵なんかで見る餓鬼そのものだった。
私はもう、うんざりだった。
だから、死のうとしたのだ。
「おーい」
海咲のけだるげな声で、ふと現実に戻された。
目の前では、相変わらず牛の肉がじゅうじゅう音を立てて油をまき散らしていた。
「萌香ちゃん、疲れてる?」
心配そうに私を覗き込む彩花。
いつの間にか、彼女の手にトングが戻っていた。
「ご、ごめんごめん。別に疲れてないから」
「無理すんなよ」
そういう海咲は、相変わらずのペースで肉を口に放り込んでいる。
「あんたも無理に詰め込むと後にひびくよ」
「うっさいわい」
いつものように手をひらひらさせる代わりに、今日は箸でぴんっ、と私を指した。
行儀悪い。
「ほんとに大丈夫?」
「大丈夫だから」
心配する彩花にもう一度謝って、目の前でいい塩梅に焼き色のついた肉を手に取った。
最近、昔のことをよく思い出す。
海咲に救われた日、私は再びあの忌まわしい味への探求に囚われる日々が始まるんだと思ってた。
けれど現実は違った。
私の心は海咲に満たされ、味への探求心はひっそりと影をひそめてしまった。
助かったと思った。
ようやく解放されたんだって。
でもこの頃、影を潜めていたあの欲望が、昔の記憶の力を借りて、再び私の前に姿を現し始めたのだ。
手に持った肉を、ぱくりと口に放り込む。
やっぱり焼き肉は、全然だめだった。


「いやあ、よく食った」
そう言った海咲は、ぷはー、なんて言いだしそうな勢いで伸びをした。
一体この細身の体のどこに、あれだけの肉を詰め込めるのか。
一向膨らまない海咲のお腹には生命の神秘すら感じさせられる。
「んじゃ、カラオケでも行くか?」
唖然とする私たちをよそに、海咲は呑気にそう告げた。
「あんた、あんだけ食べて歌えんの?」
「もっちろん」
そう言って、海咲はなぜかマッチョポーズを決めた。
その時だった。
私たちの座席のすぐ近くで、声を殺したような悲鳴が上がった。
誰かがドリンクでもこぼしたのだろうか。
そう考えているうちに、後方がどんどんと騒がしくなっていく。
言葉にならないような、けれど確かに焦りの色が伺えるざわめきの中に、はっきりと、大丈夫か?大丈夫ですか?なんて怒号が混ざっている。
ふと海咲を顧みれば、彼女はすでに座席を飛び出していた。
「ちょっと!」
私も慌てて座席から身を乗り出す。
すると通路の先、お腹を抱えてうずくまる男の姿が。
男はまさに顔面蒼白って感じで、ここからでも額に大粒の汗が浮かんでいるのが見てとれた。
男の周りには、恋人だろうか、心配そうに彼を気遣う女性に加え、すでに店員二人が駆け付け、しきりに男に声をかけながら、スマホ片手に通話をしているようだった。
そんな輪の中に、海咲は飛び込んでいったのだ。
海咲は落ち着いた風で周囲の人間と少し会話を交わし、男の顔を覗き込んで何事か呼びかけていた。
うずくまる男の肩に手を置き、励ますように言葉をかける彼女の瞳は、私の腕をひっつかんでこの世界に引きとどめてくれたあの日と同じように、限りなく澄みきっていた。
ずきりと、心臓に鈍い痛みが走った。
ふと脳裏をよぎった嫌味な予感を払しょくするように、一度強く息を吐く。
振り返って彩花を見れば、彩花も今か今かと座席を飛び出さん勢いで海咲の動向を伺っていた。
「あんなにいるんだし、大丈夫でしょ」
咎めるように言うと、彩花は、でもでも、なんて言いながらせわしなく体を揺らしている。
「多すぎても邪魔なだけ。海咲も邪魔でしょ、あれ」
もう一度念を押すように言ってみると、彩花も不承不承って感じでゆっくり座りなおした。
その様子に、私は少し、ほっとした。
あれだけの人数がいるのだ。
海咲は、私があそこへ行かないことを十分にわかっているはずだ。
けれど彩花についてはどう思っているのか。
私は海咲ほど彩花と一緒にいるわけじゃないから、こういう時、彩花がどう動くのかは知らない。
けれど少なくとも、ここで海咲たちのもとに彩花を行かせるのが私にとっていい判断とは言えないことは、はっきりわかっている。
彩花を見れば、まだ気になっているのか、ドリンクにさしたストローを弄びながら、向こうで声が上がるたび、心配そうに眉をひそめていた。
全く。
彩花が好感度のためじゃなく、本当に心配してあの場に駆け付けたいと考えていることが手に取るようにわかるからこそ、余計に胸の辺りがむずむずする。
私はこれ見よがしにため息をついた。
「ああいう感じなの、昔から。ほっとけないんじゃない?」
私が言うと、彩花は少し顔をほころばせた。
「うん、かっこいいよね、海咲ちゃん」
憧れるなあ、と海咲は最後に一言、独り言ちるように呟いた。
「そう?迷惑なおせっかいでしょ」
そう呟いた私だったけど、その瞬間、あの日鏡で見たやせこけた自分の姿が頭をよぎったのだった。
駅のホームで腕をつかまれたあの時、海咲にとって、私は間違いなくほっとけない人だった。
あの頃の海咲は私にとって、手の届かない、あんまり眩しい存在で。
けれど私は変わった。
海咲の隣に並んでいても恥ずかしくない女になるために、精いっぱい努力した。
今の私は、それなりに充実した人生を送っていると思う。
海咲のおかげで、あの忌まわしい衝動も影を潜めていた。
でもそれは、海咲にとって私が『ほっとけない人』ではなくなり始めてるって事実の裏返しでもあった。
もしこのまま私が、モデルとして大成功を収めたら、海咲はそれでもまだ、私の隣にいてくれるのだろうか。


⑥へ続く
Fungry! ⑥ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)


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Fungry! ② 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

Fungry! ③ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

Fungry! ④ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

Fungry! ⑤ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

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Fungry! ⑦ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

Fungry! ⑧ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

Fungry! ⑨ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

Fungry! ⑩ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

Fungry! ⑪ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

Fungry! ⑫ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】|霧島はるか (note.com)

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