Fungry! ③ 【創作大賞2024 ホラー小説部門 応募作品】
※
失敗するわけにはいかなかった。
だって私は、あのママの子だから。
ママは結局ママのままだし、こたつでパンを解凍させられようがゴミあさりさせられようが、案外私は、ママが好きだったりする。
でも、ママのせいで私は、あの味に囚われる羽目になってしまっていたのだから。
所謂ビハインドってやつだ。
生まれながらに負け越してる。
一切の希望は捨てよ、汝ら我をくぐるもの。
ってのはどうやら地獄の門に掲げられてる言葉らしいけれど、できれば子宮の出口にもこの言葉を掲げてほしい。
とはいえ私はそんなに人生を悲観してるわけじゃない。
ただ、それくらいの覚悟をもって臨まないと、私は絶対、這い上がれないから。
明滅するフラッシュの白。
辺りを包む照明の妖艶な赤紫。
肺腑を震わす重低音。
絡みつくような蠱惑的な女性の歌声。
皮張りのソファに頬ずりをしながら、サテンのドレスにゆっくり指を這わせる。
点滅。
がちゃり、とシャッターの音。
上目遣いにレンズを見ながら、私の最大の武器である足を、ゆったりとソファの背もたれにかけてみせる。
努めて、ゆっくり。
そうすると、衣擦れの音と共に、ドレスの切れ目からきめ細かな足がのぞく。
がちゃり。
シャッターと共に、カメラマンの喉仏がかすかに上下する。
私はさながら、緩慢な死へと誘う悪魔になったつもりで、レンズ越しの彼へゆっくりと微笑んで…。
「はい、おつかれ」
ぼそっと一言、彼がつぶやいた。
途端、私を取り巻いてた赤紫は健全極まりない真っ白な照明に切り替わった。
音楽は小さくなって、けれどあたりを震わせていた音色の余韻が確かに耳にへばりついて、鼓膜をじいんと痺れさせている。
「お疲れ様ですー!」
私のところに、素朴な笑みを浮かべたマネージャーが飛んできた。
「萌香ちゃん、完璧」
「ほんとですか?ありがとうございます。ちょっと緊張してたんですけどね」
「またまたあ」
マネージャーの篠田は、ショートボブの髪をふわりと揺らして、おおげさにかぶりをふった。
「ほんとですよお。まさか鳥谷さんに撮っていただけるなんて。篠田さんのおかげですね」
「もー、萌香ちゃんの実力だよお」
そう言いながらも、篠田の顔は溶けださんばかりにほころんでいた。
「ちょっと私、挨拶してきます」
にこっと笑って私は立ち上がり、カメラマンの鳥谷のもとへ。
「どうでした?」
「うん、いいよ」
鳥谷は神経質そうな瞳でもって私を一瞥すると、ん、とタブレットをよこしてみせる。
鳥谷のいかにも気難しそうな雰囲気は苦手だけど、もちろん、私は彼にも愛嬌を振りまいてやるのだ。
「ありがとございます!」
鳥谷から受け取ったタブレットを確認すると、妖美な雰囲気をまとってポーズをとる、完璧な私の姿が。
「ありがとうございます!すごく素敵です!」
私は跳ねるようにして深々とおじぎをして、タブレットを返しざま、鳥谷の瞳をしっかりと見据える。
「あの、今日の撮影で直したほうがいいところとか、ありました?」
そう聞きながら、ちらと出口付近に視線を走らせる。
大人びたファッションに身を包んだモデルが一人。
私と同じく女子高生モデルであり、同じ事務所の先輩、麻里佳だった。
最悪だ。
ここであんまり鳥谷に媚びすぎても、後で何を噂されるかわかったもんじゃない。
「目、だな。まだ少し、泳ぐ」
鳥谷が消え入りそうな、それでいて芯のある声で呟いた。
「すみません、ご指摘いただいてたのに…」
「次、気をつけよう。最初より随分、よくなってるから」
「はい!ありがとうございます」
麻里佳の視線を意識し声の調子に気を付けて、もう一度鳥谷にお辞儀をして、出口へ向かう。
「おつかれー」
少し鼻にかかった声で、麻里佳がゆく手を遮るようにして立ちはだかる。
「お疲れ様です麻里佳さん。今から撮影ですか?」
「そだよー」
声や全体の雰囲気こそ柔和で面倒見がよさそうにみえるけれど、目はいつも他人を値踏みするような、ぎとぎととまとわりついてくる光を宿してる。
「ねえ、鳥谷と何話してたの?」
予想通りすぎた言葉に、思わず笑ってしまいそうになるのをこらえて、私は努めて、『可愛らしい後輩』像を演じる。
「えと、最初に目が泳いでるって言われて、それで、改善できてたかどうか聞いたんです」
ふーん、と麻里佳は言いながら、じっとりした視線を鳥谷に向ける。
「萌香ちゃんって、何年目だっけ?」
「二か月弱です」
クソみたいにわかりきったこと聞くなよ、とはもちろん言わない。
「よく撮ってもらえたよね」
麻里佳が顎で鳥谷を指した。
彼女の声音は、打って変わって低く忌々しそうな調子になっていた。
めんどくさい。
そんな言い様じゃ、どう返しても角が立ちそうじゃない。
「いえ、事務所の人たちがいい経験になるからって、結構強引に依頼してくれたみたいで。麻里佳さんなんて、常に鳥谷さんですよね?すごすぎて憧れますよ」
そう言うと、ほんとかあ、なんて言いながらも、明らかに麻里佳さんの表情が緩んだ。
彼女の単純さに救われた私は、大きくお辞儀をする。
「では、お先に失礼します」
私が言うと、麻里佳は手をひらひらさせて鳥谷の元へ歩き出した。
乗り切った。
ほっとしながら麻里佳の後姿を見送り、踵を返す。
私はうまくやっていた。
勉強はできないけど、体型には恵まれた。
中三にして172センチ。
生まれながらの負け組を憐れんだ神様が、私にくれた唯一のギフテッド。
顔はそこそこだけど、メイクがあれば大した問題じゃない。
私はプロのモデルになった。
仮面をつけるのにももう慣れた。
付き合いたくない話題、くだらない微笑み、卑しいお追従笑い。
何十人の私が、切磋琢磨して、ほんとの私を支えてくれる。
何より私には、海咲がいる。
私の大好きな大好きな海咲。
14歳の夏、私を救ってくれた、大切な人。
私はうまくやってきたはずだった。
「お疲れ、萌香」
スタジオを出て帰路につこうとした私の耳に、聞きなじみのある声が響いた。
途端、私の頭ん中はぱっとはじけるソーダみたいに明るくなって、嬉しくなって。
ボーイッシュなショートヘア、切れ長の目にすっと通った鼻筋に、大きな八重歯。
私が見上げなくちゃいけないくらいに大きな体は、徹底的に無駄をなくしたしなやかな筋肉で構成されてて。
振り返る前から脳裏に浮かんだ海咲の姿に頬を緩ませ、私は振り返る。
「おつっ!…かれ…」
振り返った先には、確かに思い浮かべた海咲の姿があったのだけど、その横が問題で。
隣には、純粋そうな笑みを浮かべた彩花の姿。
琥珀色のショートボブに、丸々した悪意のない瞳。ちょっとぺちゃっとした鼻は、逆に全体のバランスを整える役割を果たしている。
加えて雪見だいふくみたいに真っ白でもちもちな肌。
そう、私はうまくやっていたはずだった。
この御堂彩花が私たちの前に現れるまでは。
「お、お疲れ彩花。今日も来てくれたんだ…」
気を取り直して、動揺を気とられないように、努めてにっこり笑って見せる。
「飯食い行くっていったろー」
海咲が気だるげに返す。
彼女はいつものジャージ姿で、彩花は制服ってことは、また海咲の部活が終わるまで待っていたのだろうか。
「うん!」
彩花は頷き、うさぎみたいにぴょこぴょこと、私と海咲の間に割って入ってきた。
女子高生の平均身長くらいはあるようだけど、私たちの間に入ると、どうしてもちっちゃく見えて、それがまたいじらしくみえてしまうのだから、やれやれって感じで。
「ねね、さっき萌香ちゃんにおすすめされたバンド聞いてみたよ!」
「そう、どうだった?」
「すっごいうるさかったけど、萌香ちゃんがかっこいいって言う理由はわかった」
それは結局どっちなんだろう…。
にっこりマスクに苦笑いが染み出してこないように、私は必死に目元を緩める。
「あ、それでね」
彩花はぱっと何かに気づいた顔をすると、せわしなくバッグをまさぐり始めた。
彼女が動くたびに、梅雨の湿気に混じってつんとした独特のにおいが鼻をかすめる。
ただでさえひどい湿気だって言うのに、未だに長袖を着ているせいだろう。
体質的に紫外線に弱いらしく、学校からも許可をもらって着ているみたいだけど、年頃の女の子がこんな無頓着な匂いをかますのはさすがにどうなのかな、なんて思ったりもするけど、せっせせっせとバッグを漁るその頭頂部を見ると、この子に限ってはこの匂いも純粋とか飾り気がないって言葉で片付けてしまえるどころか、魅力の一つにできてしまうのは、この子の見た目だけじゃなくて、性格そのものの良さにあるのだろう。
「これ!」
ふと、彩花はようやく目的の物を探り出したみたいで、ずいっと、それを私の前に突き出した。
彩花の手には、真っ黒な下地に赤色の五芒星が描かれた紙の小包が。
「なにこれ?」
私はそう言いつつも、この中に入っているものに心当たりがちゃんとあった。
「開けてみて!」
まんべんの笑みの彩花。
紙袋を開けると…。
案の定中には、一般人がおよそ魔法少女とは認識できないほどにグロテスクな自称魔法少女のキーホルダーが入っていた。
赤黒い長髪。墓場から掘り起こしたみたいなぼろぼろのゴスロリ。土気色の肌。えぐり取られた二つの瞳があった場所から石油みたいに真っ黒な血が流れてる。
そいつが釘バット片手に口裂け女よろしくどでかい口を三日月型ににっとして、びっしり生えたのこぎりみたいな歯をのぞかせていた。
魔法少女げろ便ちゃん。
聖なるゲロと裁きのクソを武器に、愛とメタルで自分を救って、ついでだから世界も救っちゃう、私の大好きなスーパーヒーロー!
「まじでっ!?これどうしたの!?」
今回ばかりは、特別演じなくても、勝手に喜びがあふれてきて、私は鼻息ふんすと彩花につめよる。
「プレゼントだよ~」
彩花も嬉しそうな笑みを浮かべる。
「まじ!?ありがと!!」
「ねね、ちょっとこの子のお腹押してみてよ」
彩花に促されげろ便ちゃんのお腹を押してみる。
「ファッキンシット!」
途端、しゃがれた女の子の声で、下品な暴言が放たれた。
「おおおおお!」
興奮に身を震わせる私を横目に、琴音がもっかい、と促してくる。
言われるまま、げろ便ちゃんのぷにっとしたお腹をもう一度押してみる。
「ピースオブシット!」
もう一度。
「ファッキンクリーピー!」
もう一度。
「ナカユビタテロー!」
……。
「おおおおおおおお!お?おおう。おお!?おお…おおおおお!?」
品格を疑われても仕方のないあらゆる下品な言葉をげろ便ちゃんが吐くたびに、私は言葉にならない興奮にただただ奇声をあげていた。
「よかった~、きにってくれて」
彩花が少しほっとしたように頬を緩めた。
「そりゃもちろん!これどこにあったの?」
「パルゴだよ。特設展、さっき行ってきた」
答えたのは彩花じゃなくて、海咲だった。
びちゃっと、私の心に黒いシミが広がった。
「行きたがってたろ?代わりに買ってきてやったけど、何欲しいかわかんなかったからとりまそれにした。しゃべるしな」
呆然とする私をよそに、海咲が続ける。
「まあ、あれだ。いつも仕事お疲れってことで。サプライズは成功か?」
「二人で行ったんだ…」
「ああ?」
「うんうん、なんでもない。成功、大成功だよ!ありがと」
努めて明るく言いながらも、私は、胸の中で真っ黒な感情がふつふつと湧き上がるのを感じてた。
確かに、最近仕事が忙しくて行く暇がないとは言った。
けれど、声くらいかけてくれたらよかった。
大体、急げば今からでも三人で行けたはずだ。
サプライズ?
二人で行きたかっただけでしょ。
必死で作り笑いを浮かべながらもそんな考えにくらくらしてる私をよそに、彩花が何やら怪しげな笑みを浮かべて、再びバッグをあさりだした。
「実はねえ…」
訝し気に彩花を見つめた私の眼前に、彩花がぐいっと何かを突き立る。
「じゃーん!」
彼女の手には、頭にカチューシャ、腰にフリルを巻いた、青色の、まるでたべっこアニマルズのような可愛らしいカバのキーホルダーがぶら下がっていた。
「オッズボーン4世!?」
そう、こいつはみずみずしいクソを機関砲のように発射しげろ便ちゃんを手助けする、彼女の使い魔だ。
「せっかくなら、三人でつけよって」
三人、の言葉に海咲を見れば、彼女もくいって手を掲げた。
その手には、美しいゴスロリをまとい、いくつもの操り人形を手にした茶髪の女の子、げろ便ちゃんの宿敵、ゴミクソこんちゃんのキーホルダーが。
「ゴクソじゃん」
「いいだろ、彩花が買ってくれたんだぜ?」
その一言に、私の作り笑いは崩壊寸前。
もう、漫画みたいに口の橋がぴくぴくなってんじゃないかってくらいに。
「えっと…」
口ごもっている私を見て、彩花が付け加えた。
「ほら私、二人におごってもらってばっかりだから。いつものお礼したいなって」
少し気恥ずかしそうにしながら、えへへ、彩花は笑った。
「そ、そか…ありがとね、ほんと…」
私はいよいよ激しさを増す感情をやっとこさ抑えて、もう一度、無理やりに笑みを浮かべた。
「あんたも大切にしなよ。せっかく買ってくれたんだから」
何とか強がって海咲に言うと、彼女はへいへいー、なんて言って、彩花の頭に手をぽん。
「ありがとな」
そう言って、一人すたすたと歩き出した。
それを見た彩花も、うさぎみたいにぴょこぴょこ跳ねながら後を追う。
「今日もザイゼでいいか?」
「うん!」
楽しそうにそんな会話を交わす二人の背中を見つめる私は、沸騰しかけた感情を落ち着かせるため、ふう、って一度、ため息を吐いた。
涵養された憎しみほど質の悪いものはない。
それはいつか、他人だけじゃなくて、自分自身も蝕み、破滅させる。
私はずっと、うまくやってきたはずだったんだ。
④へ続く
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