狂気を孕む 第一章 一話

(あらすじ)
 それは我が子を授ける「キチショウカのおまじない」
 気分屋な大学生、黒田深海は夏季休暇明けに大学の先輩から聞かされた話に興味を持った。それは、不妊に悩む女性の間で流行っているとあるおまじない。先輩の姉はおまじないを実行し、子供を授かったのだという。
 しかし、姉は凄惨な死を遂げ、胎児は行方しれずに。事の次第を聞いた深海は、講義終わりに民俗学専攻の大学教授、御門尊に相談する。
ーー降って湧いたようなおまじない、不審な死因、胎児の行方、加速する事態。それらの謎を追うため、二人で調査に乗り出ることを決めたのだった。

 十一月某日。凍てつく風が強く吹き付け、防寒具が手放せなくなった頃。
 「ご懐妊おめでとうございます」
 とある産婦人科の診察室で、初老の産科医は穏やかな声でそう言った。
 「え……ほ、本当ですか!?」
 美桜は、医者から告げられた言葉に思わず大声で問うた。そんな彼女に頷いて、医者は優しい表情を向けて再度「おめでとうございます」と返す。
 「よかったですねぇ、ほんとうによかった」
 医師の傍らに立つ看護師は涙ぐんでいた。
 「あたし、ほんとに心配してたんですよ。もうずっと、美桜さんは好きな人との子供を身ごもるんだって信じてましたからね」
 「坂井くん」
 制するように名前を呼んだ医師に、坂井はハッとした様子で「すみません……」と謝った。
 医師は、
 「詳しい検査は後日しますので、今日はこれで終了です。旦那さんにお話して、検査の日取りを決めてください」
 と言って、エコー画像をプリントアウトしたものを封筒に入れ、美桜に手渡した。
 「は、はい……わかりました」
 半ば放心しながら、なんとか医者の言葉を聞き取る。
 (本当に、妊娠した……)
 長年望んでいた理想が現実になった。思考は現実を受け止めることができず、感情が先走って歓喜に湧く。チグハグな内心はきっとバレバレなのだろうーーと美桜は冷静な意見を脳内で述べた。
 美桜は十年間、不妊治療を続けていた。自分の身体にも夫の身体にも問題はないというのに、子供を授からない日々。きっと、見つかっていないだけで自分に問題があるのだろうか、という不安感にずっと苛まれてきた。
 そっと薄い腹を撫でる。ここに、いるのだ。わたしの赤ちゃんが……。そんな私を、医者は静かな眼差しで見守っていた。




 八月某日。季節は夏。
 お盆を過ぎ、地域で開催される夏祭りの日程が間近に迫った頃。
 「あっちぃ……」
 イツキは、汗で張り付く髪を後ろへ撫でつけながらぼやく。
 就職活動を終えて、無事第一志望就職先の内定をもらったイツキは、地元にある母方の祖父母の家で学生生活最後の夏季休暇を満喫していた。
 過疎化地域にあるためか家は少なく、広大な田んぼや畑が四方を囲んでいる。遠くから畑を耕す音が木霊し、裏手の山から居りてきた鳥類が元気よく飛び交っていく。
 そんな自然豊かな場所に、イツキは居た。
 恋人は居ない。そもそも、恋愛ごとに縁遠いためデートする相手なんて居るはずもなく、友人と遊ぼうにも揃ってアルバイトやら就職活動やらで大忙しなのだ。
 つまり、イツキは暇だった。
 大学進学を機に実家を出てひとり暮らしを始めたから、日々を慌ただしく過ごしていたため、こうして祖父母の家でのんびりと過ごすのは久々だ。祖父が他界して久しく、やってきたイツキを祖母が嬉しそうに出迎えたのがつい先日のこと。
 ふと、イツキは姉の顔を思い浮かべた。
 (姉さん、今頃なにしてるんだろうなぁ……先月様子見に行った時はお腹もだいぶ膨れて、中の子も元気に蹴ってたし。そろそろだよな、産まれてくるの)
 初めての年下、初めての甥姪っ子。兄弟でないのが残念な気持ちであるが、家族に変わりない。産まれてからはうんと可愛がってやると決めている。それに、今回の妊娠で姉の悩みは解消したに違いない。妊活している男女のもとへ気軽に遊びに行けるほど、無垢でも純情でもないのだ。今まで遠慮していた分、たくさん遊びに行ってやろう。ついでに、恋人を紹介してくれればいいのだ。
 姉、美桜とは八歳違いの姉弟である。姉は、十年前から昨年まで不妊に悩まされていた。詳しいことは知らないが、姉の恋人との子供が一向にできないらしい。子供を作るなら結婚が先じゃないのかと思いつつも、部外者の自分は口を出せないだろう。両親や祖母も複雑そうにしてはいたが特に何も言ってないようだし、もしかすると、自分は性事情に関する認識が古いのかもしれない。ともかく、不妊というものは古今東西、夫婦間で深刻な問題なのだろう。女性の方が重く考えやすいのか、はたまた姉が心配性なのか分からないが、姉の悩みが解決して良かったと思う。
 そんなことをぼんやりと考えながら、ジリジリと身を焦がす日の光にイツキは目を細めた。縁側で扇風機の風を間近に浴び、汗を垂らしながら棒アイスを口に入れる。
 ソーダの爽やかな風味と価格通りの安っぽい味が口の中にじんわりと広がり、熱を持った頭を冷やした気がした。これぞ夏。この安っぽさがたまらないのだ。
 ーージリリリン……ジリリリン!
 「うおっ……!」
 ビクリ、大きく肩を跳ねて驚くイツキ。
 玄関から居間に続く廊下へ備え付けられている黒電話が、けたたましい声で受電を訴えたのだ。今どき黒電話など、古びた公民館や博物館でしか見かけないだろうに、この家の電話は祖母が嫁いでからずっと変わらないという。数十年経てども現役なその姿勢(物ではあるが)、これから社会に出る身としてはとても見習っていきたい。
 アイスを急いで食べ、イツキは受話器を取った。
 「もしもし……?」
 家に電話が来るなんて、詐欺か営業しか思い浮かばないなーーと訝しげに尋ねると、耳に入ったのは今まさに思い浮かべていた人物。
 「もしもし、イツキ? わたし、ねえさんよ」
 ーー姉だった。
 「え、姉さん? なんで急に……珍しいな、いつもは俺のスマホに直接かけてくるのに……」
 その問いに、姉は少し沈黙した。
 なにか言いにくいことでもあるのだろうか。それとも、祖母に用事があったのだろうか。女同士なら言える内容なら、また改めてかけ直してもらわなくては。そう考えていると、聞き取りにくい音量で答えが返ってくる。
 「なんかね、スマホ失くしちゃったみたいで……」
 「え、大丈夫?」
 「ええ。それで、イツキに伝えたいことがあったから、たまたま覚えてたこの番号にかけたのよ」
 普段よりゆったりとした口調。疲れているのだろうかと少し心配になった。スマホを失くして気分が落ちているのだろうか。
 「そうなんだ。それで、伝えたいことって何? あ、そうだ。お腹の子はどう?そろそろ生まれるだろ?」
 矢継ぎ早に問いかけてしまったが、仕方ない。あまり妊婦にストレスを掛けても良くないだろうし、さっさと聞き出そう。きっと、妊娠して気が滅入っているのだろう。つわりなどの時期はとうに過ぎたが、出産が間近に控えている今、神経過敏になってもおかしくはない。
 すると、たった一言。
 「うまれた」
 たった四文字の言葉、簡潔な一文で答えられた。
 (うまれた……?いま、産まれたって……)
 予想しなかった返答は、イツキの茹だっていた頭を冷やすのに十分だった。呆然と、姉の言葉を反復する。
 「うまれたのか」
 「そう、そうよ」
 姉はまるで、脳に刻み込むように、何度も何度も繰り返し言った。
 「うまれた……うまれたのよ」
 
 


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