見出し画像

2026年上半期のベスト記事を振り返るよ!(前編)

ここ半年間で特に読まれた記事をまとめてご紹介します。「どうしておれたちは平和な心持ちで生きていくことができないのか」を考え続けた上半期、合計30,756スキを受けた61記事からのベストセレクション。


あらまし

先月である6月末の時点で、シロイのnoteの継続日数は957日、公開済みの記事数は277記事となりました。

現在のダッシュボード、全期間表示にするとこんな感じです。今のペースで計算すると、半年後の年末には累計100万ビューを達成している可能性が高そうです。テンション上がりますね!

スキもコメントもいつもありがとう〜🎉

さて、今回は2026年上半期のベスト記事まとめです。

去年出した2025年半期下半期のまとめと同様に、上半期と言いつつも6月中の記事はあまり時間が経っていないので除外して、同じ理由から前回除外した前年12月の記事を今回のまとめに含める形にします。

カテゴリはざっくり以下の3つに分けて、全部で9記事を上半期ベスト記事として選出しました。分量が多いので前編・後編に分けることにして、今回の前編では5記事をご紹介します。

  • 心と生き方の話 …… 4記事(うち、今回は3つ紹介)

  • インターネットと社会の話 …… 3記事(今回は2つ紹介)

  • 創作論とnoteの話 …… 2記事(2つとも次回の後編で紹介)

ひとまず、今回書いた振り返り的な紹介文をざっと読んでいただいて、面白そうだなと思った記事があればリンク先に飛んでいただければと思います。全部は開いていられないと思うので、1つか2つでも読んでいただけたら十分嬉しいです。

なお、前編で紹介する記事には世間の風潮をやや批判的に検討したものが多いですが、目的はあくまで「なぜ我々は仲良く幸せにやっていくことができないのか」を考えることにあります。誤りの訂正は肯定に向かうためのステップであり、批判すること自体が重要なのではありません。

個人的に最もいい内容にできたかなと思った1位から3位までの記事には、メダルの絵文字(🥇🥈🥉)をつけています。

では、行ってみましょ〜。

生き方の話

あなたが何にも満足できない理由 (1/17) 🥈

これは去年出した書籍「人生の意味のつくり方」のダイジェスト版とも言えるような記事です。私がここ1〜2年くらいで伝えようとしてきた内容の要点が詰まってるので、自選の2位🥈としてみました。

人は言葉を使うことによって、物事を抽象的・概念的に考えることができます。一般には、そのように考えられる人間のほうが賢いとされています。

ここで、言葉による説明や定義や概念を誤って現実そのものだと思い込んでしまう人がときどきいるのですよね。この世界や人間というものの複雑さに対して、言葉という道具は常に不十分で、不完全なものです。その点を自覚した上で使っているのなら、それは智恵の働きと呼んでよいですが、概念の記述によって目の前の現実を理解したと考えるのは、賢さではなく愚かさの表れだと言わなければなりません。

「これこそが本当の幸せだ」「人間はこのように生きるべきだ」「そうでない人間は不幸だ」というのは、いずれも定義や概念の話をしています。それは怪しげな伝道者によって大声で宣伝されているものかもしれないし、あなたや私のような普通の人々が自分で自分に言い聞かせようとしているものかもしれません。ところが、食事の概念によってお腹が満たされることがないように、幸せの概念によって私たちが満たされるということもやはりないんです。

だから、さっさとジムに行くとか、料理するとか、友達と買い物に行くとか、ひたすら部屋を片付けるとか、とにかくじっとして考え込む以外のことをしたほうがいいと思います。ここでどういう行動がベストになるのかというのは人によりけりではあるものの、少なくとも、これらの行動はいずれも現に存在する世界に触れています。現実に触れているなら、現実の幸せに届く可能性は少なくとも0%ではなくなります。

概念上の幸せなどというのはまやかしです。幸せは現実世界の中にしかありません。天国や涅槃にではなく、です。

HSPについての短い私見(と偏見) (2/10)

HSPという用語の功罪から、主に「罪」のほうを指摘した話です。

この記事、公開するかどうかけっこう迷ったんですよねえ。noteのフォロワーさんにはこの用語に助けられたという人も一定数いるはずで、こういうことを書くと傷つく人もいるかもしれない…というのは当然想像できます。元々、この内容は1月に出した書籍「人間関係が苦手でもなんとかやっていくための本」で指摘した内容なのですけど、noteは書籍よりも人目に触れる範囲が広そうですし、書籍よりも真意を誤って受け取られるリスクも高いことでしょう。

ただ、去年の記事「お気持ちモンスターはなぜ暴れ続けるのか - 境界線とアサーション」(2025.11.20)でも書いたように、何か意味のある内容を書きながら誰も傷つけないというのはどうやっても不可能なので、私としては世間にいくらか存在するであろう「HSPという免罪符へのモヤモヤ」を整理するという仕事を優先することにしました。(…っていうことも記事本文の最後に書いていましたね、今見返して思い出しました!)

この記事内で、私はこんなことを書いています。

(……)私たちを苦しめているのは「自分」に対する「自分以外」からの無理解であり、同時に「自分」の中に存在する「自分以外」への無理解でもあります。私たちが周囲の人間を理解せず、大切にすることもできないのなら、いったい誰がこちらのことを「理解したい」「大切にしたい」などと思ってくれるのでしょうか。

「誰も自分を理解してくれない」という感情は苦しいものだし、周囲からの無理解があるということ自体は事実としてそうなのでしょう。しかし、周囲の人間のことを何も理解できていないというのは我々の全員が同じです。その点を見ようとせず、一方的な他責や被害者意識のため込みを続けるなら、その人が周囲からちょっと困った人間として扱われてしまうのも仕方がないことなのだと思います。

「特別に繊細な自分」と「それ以外の人々」を分断することは、本当は自分を助けてくれたかもしれない「自分とは別の弱さと強さを持つ人々」を自ら突き放し、自ら切り捨てる行為になってしまっているかもしれません。自分を守るためのシェルターが、他者との相互理解や共生を阻む壁になってしまうわけですね。

確信を持って言えること、いくつ持っていますか? (2/14)

これも先頭の記事と同じく、「人生の意味のつくり方」の議論の中心にあった視点です。

「客観的でなければならない、主観的なのはいけない」というのは大間違いで、これを「論理的」だと言ってしまうのは論理的思考力が赤ちゃんすぎると思います。実際には、この世には客観的に扱うべき物事と主観的に扱うべき物事が存在しており、私たちにとってクリティカルなものは主に後者です。

日々の食費と家賃を稼ぐために、仕事をしているときにはさまざまな場面で客観的な視点が必須になりますが、そういう生活の全体を「まだ墓に入っていないというだけ」の空虚なものにしてしまわないためには、主観的な視点に徹底する必要があるんです。

他人にとってではなく、自分にとって意味があり、価値があると感じられるものは何なのか。記事内でも書いたように、客観的な物事(社会や他者などの複雑な存在が事実としてどう動いているか)については何も断言してはダメですが、自分が何に信を置いているのかという点については、疑いの余地のない強さで断言できるようになっておいたほうがよいです。

すぐにはなれないとしても、必ずそうなりましょう。そうなってください。

インターネットと社会の話

それって「言語化」じゃなくない? (4/18)

これは要点としては、最初に出てきた「言葉による説明や定義や概念を現実そのものだと思い込んでしまう」とまったく同じものですね。最初の記事が私たちの内面にある「どうして幸せになれないのか」という感覚に注目していたことに対して、この記事ではSNSに蔓延する「言語化」という風潮を取り上げています。

ここまでに出てきた「抽象的に考えられるほうが賢い」「主観的なのは間違い、客観性が大事」と同じく、「言葉で説明できる人のほうが物事を深く理解している」というのもありがちな考え方です。これは部分的には正しいですが、常に正しいのかと言われれば、相当に怪しいと答えなければならないでしょう。

ある種の人々は「物事には必ず理由があり、因果関係があり、それを単純明快に説明することができる」という信念によってこの世界を見ているようです。人間は「わからない」という状態に強い不安を覚えるので、これは心理的な防衛機構のようなものなのかもしれません。

このような信念とそこそこの文章能力を持つ人はネット上にも一定数いて、社会や人間の心の仕組みについての適当な「言語化」を次々と披露しており、同じように不安の解消を求めている聴衆も「なるほど、そういうことだったのか!」という感じでその投稿をバズらせたりしてしまいます。

「血液型なんかで人の性格がわかるわけないだろ」と考えられる人でも、こういうレトリックを駆使した「言語化」にはコロッと説得されてしまうことがそれなりにあるようです。本当に困ったものだなと感じます。

○ーロンがきっとかつての平和なツイッターランドを再建してくれるだろう…などという希望を抱いている人は、もう地上には1人も残っていないと思います。現代のSNSやデジタル依存の問題については、とにかく各自が正気を保てるように自衛していくしかないような気がしますね。

なぜ私は政治の話をしないのか (5/2)

実はこれも公開を迷った記事でした。現在の私はBlueskyをメインのSNSにしていて、ブルスカランドで個人的に仲良くさせていただいているフォロワーさんの中には、現在の国内政治についていろいろと真面目に発信されている方がそこそこいるからです。デモに行ってきたよ!という投稿もよく見かけます。

これに関してよかったな〜と思うのは、政治に関心の高いフォロワーさん方でも、私の書いた「政治にかこつけて個人的な悪意や攻撃を正当化するのをやめろ」という論旨は普通に受け取ってくれたらしく、それによって反論が来るとかフォローを外されるといった反応は(私の気づいた限りでは)何も起こらなかったということです。

やっぱりSNSって、ごく一部の異常な投稿が目立つだけで、普通の人々は普通の人々が良識や分別と呼んでいるようなものを普通に持っているんですよね。ちょっとやだなって思われてたら、それはごめんなさいですが、ひとまずみなさん読んでくださってありがとうございます。

もちろん、本文を15秒くらいも読んでないんだろうなと思うようなアレな人たちから何個か○○こが飛んできたのですが、何を書いても○ん○を投げてくる人というのはどうしてもいるので、この点はしょうがないです。たとえば、私はこの記事で「人々の関心が別々の方向に偏っていることの大切さ」を書いているのですが、「偏るなと言ってるお前が偏っているだろう!🤬」というう○○が飛んできました。日本語を読んでほしいです。

お医者さんは医学についてめちゃくちゃ考えているだろうし、農業をやっている人は農業についてめちゃくちゃ考えているでしょう。同じように、私は政治以外の物事についてめちゃくちゃ考えているし、一市民として政治についてめちゃくちゃ考えている人もいます。これは全員がいなければなりません。片手間でなんとかできる専門分野などというのは基本的にないからです。

私にできないことをあなたがやって、あなたがしていないことを私がやって、他の人々も全員同じようにして、そういう積み重ねで社会はよくなっていくのだと思います。職業という意味でもそうでなくても、各自が自分自身の仕事を頑張っていくことが何よりも大切なんです。

後編へ続く!

というわけで、2026年上半期のベスト記事として、前編である今回は5つの記事をご紹介しました。

後編については来週末に公開予定です。自選ベストの1位🥇と3位🥉は後編に含まれているので、そちらもお楽しみに!

関連記事

いいなと思ったら応援しよう!

シロイ いつも応援ありがとうございます✨ いただいたチップはおやつ代へ…(カロリーを書籍とnote記事に変換しています🍩🍰☕️