見出し画像

【連載小説】フルート五重奏 #1

あらすじ:
 篠原由希子は、小学生の頃から吹奏楽部に入部し、フルートを吹きたかった。フルートパートに無事に入れた由希子は、フルートパートの部員たちと出会う。彼らとの出会いは、幸か不幸か……⁈

 音楽室の前に進み出ると、黒板の右端の文字の下に、自分の名前を震える手で書いた。

フルート:篠原由紀子

 黒板の前から音楽室の隅の机に戻ると、一息吐いた。自分の名前を書きに行っただけにも拘わらず、握り締めた掌は、汗で濡れていた。

 黒板の右端を注視した。誰もフルートの文字の下に、名前を書かない。他に、フルート希望者はいないようだ。フルートは争奪戦になる、と噂を聞き、覚悟を持って今日を迎えたため、拍子抜けした。

 小学六年生の音楽の授業の一貫で、生のオーケストラの演奏を聞いた。フルートの音色は、光のように澄んで聞こえた。中学生になったら、吹奏楽部に入り、フルートを吹く、と固く決意した。
 今、フルートを吹く、という大きな夢が叶うかどうか、決まる。
 黒板の左端が、賑やかだ。視線を移せば、トランペットの文字の下に、名前が乱立していた。

トランペット:城ケ崎優実、清水友香子、上野瑞希、山本真奈美、白鳥美月

 豊島大吾部長のせいだ。目の前の光景の犯人が、脳裏に浮かんだ。
 細身で長身の豊島部長は、爽やかに、マイナスイオンを振りまきながら、吹奏楽部のビラを配っていた。
 豊島部長と同じ空気を吸うために、トランペットを吹きたいんだろう。吹奏楽部に入部した理由も、楽器を吹くためではない新入生が多そうだ。

 パート決めが行われている音楽室は、新入生たちの声で騒がしかった。入部届を出したばかりにも拘わらず、旧知の仲のように、新入生たちは、和気あいあいと談笑している。唯一のクラスメイトの美鈴が、音楽室の向こう側で、ショートカットの女の子と話していた。
 私の強い視線に気付いた美鈴が、一瞬、私を見たが、すぐに目の前の友達との会話に引き戻された。クラスメイトの子ともろくに話せない私は、音楽室の隅で、身を竦めて、時が過ぎるのを待った。

「五月蠅い、静かにして。これから、希望者の多いパートは、オーディションをします」  
 吹奏楽部顧問の樋口冴子先生が、よく通る低音を発した。談笑する声が、止んだ。波の立たない湖面のような、静けさが漂った。
「まずは、二名の枠で、三名希望しているサックスから始めよう」
 黒板の右端を見ると、フルートの文字の下には、私以外誰の名前も書かれていなかった。
 胸に安堵が広がった。私はフルートを吹けるだろう。

 サックス希望者の生徒が、先輩が運んできたサックスを、恐る恐る吹いた。間の抜けた音が、音楽室に響いた。何処からともなく、忍び笑う声が聞こえた。
 自前の楽器を持って来ている新入生もいた。「楽器持ちの生徒は、優先的にパートに割り当てていく」と樋口先生が宣言した。
 定員を超えているパートの希望者が、初めて楽器を手に取り、奇抜な音を出しては、樋口先生に合否を言い渡された。ある生徒は軽やかな歩調で、ある生徒は肩を落としながら、席に戻った。だが、喜びに湧いている私の耳には、閻魔大王の声は入って来なかった。

「美鈴、楽器持っていたの?」
「一年前から、私はトランペットを吹いてたからね」
「聞いていないよ。ずるいなあ」
 一際騒めきが大きくなると、私も目の前の光景に集中した。希望者が乱立しているトランペットのオーディションをしているらしい。美鈴と話していたショートカットの女の子が、頬を膨らませていた。
 普通の女の子が頬を膨らませると、駄々をこねたぶりっ子に見えて、可愛くない。だが、さっぱりとした気性が垣間見える、整った顔立ちをしているからか、女の子が頬を膨らませると、愛嬌が感じられた。
 楽器持ちの新入生が定員の二名いたため、トランペットのオーディションは、一瞬で終わった。一通りのオーディションが済むと、落第者たちのパート決めが始まった。

「貴女の唇はフルート向きね。よし、フルートにしよう」
「先生、あたし、フルートは嫌いなんだけど」
「吹いているうちに、好きになるから。きっと良い音が出せるよ。まあ、頑張れ」
 体格の良い樋口先生に、勢いよく、背中を叩かれた生徒は、先ほどのショートカットの女の子だった。

 フルートパートの定員は二名。パート仲間が決まった。
 樋口先生に引導を言い渡された女の子を、見詰めた。次の瞬間、女の子が、私を見詰め返した。
 アーモンド型の綺麗な目をしている。手足は長く、スタイルが良い。
 羨ましい。私が彼女の隣に並んで立っても、見栄えがしないだろう。
 華やかな雰囲気を纏った女の子は、私に近付いて来た。
「フルートパートの子? 黒板を見た感じだと、由紀子ちゃんで合っているよね? あたしは白鳥美月。よろしくね」
「……篠原由紀子です。よろしくお願いします」
 緊張で喉が渇いた私の声は、今にも消え入りそうだった。
「何で、敬語? もっとフランクに行こうよ。由紀子って呼んでいいよね? あたしのことは、美月って呼んで」
 美月の笑顔は、正視できないほど、眩しかった。(続く)

第2話

第3話

第4話

第5話

第6話

第7話

第8話

第9話(完)

使用した吹奏楽曲

#創作大賞2025
#エンタメ原作部門

いいなと思ったら応援しよう!