かくして、僕は今日も昭和映画館に足を向ける。
今より、ずっと混沌としていた時と街で、
僕は映画の森の中を彷徨い、何かを探し続けていた。
何を、って?
それが分かっていたら、あんなに映画に夢中になれるわけない。
けれど、求めているものが、そこにあって、いつか見つかる気がした。
だから僕は今日も、ポケットの中の期待と不安が溶け合った感情を握りしめて、昭和映画館に足を運ぶ。
第1回 「青幻記〜遠い日の母は美しく〜」
第2回「さらば友よ」
Column #1 かくも主観的なハードボイルド考察
Column #2 またも主観的「さらば友よ」タイトル比較論
第3回「モナリザ」
Column #3 私的モンティ・パイソンとイギリス・ギャグ論
第4回「未来世紀ブラジル」Part1
まだライターの駆け出しの頃、もちろん遮二無二仕事をして徹夜も厭わなかったけれど、時間が自由だったから映画も頻繁に見た。
前述した通り(Column #3 Part2を参照)その頃は生意気にも選択基準として、どの監督が撮っているか、というのも要素のひとつであった。
『ポイント・ブランク』のジョン・ブアマン、『明日に向かって撃て』のジョージ・ロイ・ヒル、『グランプリ』のジョン・フランケンハイマー、『マーフィの戦い』のピーター・イェーツ、『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリック、『ブレードランナー』のリドリー・スコット、『北国の帝王』のロバート・アルドリッチ、『ワイルド・バンチ』のサム・ペキンパー…。まだまだ続くが、それだけでこの章が終わってしまうので割愛。
で、そんな監督の1人がテリー・ギリアムだった。
もちろん、「モンティ・パイソン」がその理由だが、当時は一部の(僕のような)ファン以外は注目もされておらず、当然、作品の情報や封切館が少なかったため『バンデットQ』を見逃してしまった。この映画は出演者にショーン・コネリーが名を連ねていたので、テリー・ギリアム作品というより、むしろそれが注目されていたのだろう。たぶん、観た人の大半はがっかりした、か、困惑したはずだ。いきなりギリアムの世界観を目の当たりにしたのだから。
『未来世紀ブラジル』が日本公開されたのは1986年(昭和61年)。
その前年、1ドルは240円前後だったが『プラザ合意』によって年末には200円、翌年には160円まで高騰する。のちにバブル経済と呼ばれ、誰もが浮かれ気分になる好景気が一気に加速した(じつは輸出に頼っていた自動車メーカーなどは大打撃を受けていたのだけれど)。
世の中がそんな時代、ディストピアを描いた作品がヒットするだろうか?
この年前後にヒットした映画を見ると『バック・トゥ・ザ・フューチャー(一応、観た)』に『ランボー・怒りの脱出(これも一応…)』、『ゴーストバスターズ(シガニー・ウィーバーが出ていたから…)』、『トップガン(いや、観ましたけれどね…)』『コブラ(はは…)』『ゴリラ(ははは…そっくり』云々…。
けっこー難解っぽいのもいくつかあった。
『ゴダールの探偵(一応、ゴダールということで…)』とか『ホテル・ニューハンプシャー(原作がアーヴィングなので…)』とかジム・ジャームッシュの三部作(これはこれでいいんじゃないか的な)とか。
これも切りがないのでここらでヤメておくけれど、とにかく予定調和の中でエンタテイメントと幾ばくかのテーマ性を盛り込んだ作品が観客を喜ばせていた。
多分、そういう時代だったのだろう。未来は明るい。それが望まれる予定調和だったのだ。
1982年に公開された、酸性雨が降る暗澹としたL.A.を舞台にした『ブレードランナー』でさえ、公開当時はほとんど話題にならず、興行成績は失敗。しかも当時の劇場公開版のラストシーンは青空の下、明るいお花畑の上を長生きしそうなレイチェルと一緒にスピナーで逃避行するというハッピーエンドで終わっている。
リドリー・スコットによれば、この結末は配給会社の指示で結末を変えなければ公開できないと言われ、仕方なく変更した、らしい。
やれやれ。
ディレクターズ・カット版で結末が大きく変わっているのはご承知の通り。
この頃、洋画の情報と言えば『スクリーン』や『ロードショウ』といった月刊誌に限られていた。それらの中に、『未来世紀ブラジル』のわずかな記事があった。
『ブレードランナー』は衝撃的だったけれど、僕自身、きっと予定調和に慣らされていたんだろう。ちょうど仕事の合間、僕はテリー・ギリアム作品だから、という軽い気持ちで地元繁華街ど真ん中にある、東宝系を上映する今のシネコンのような映画会館の、いちばん小さな上映劇場の扉を開けた…。
Part2に続く

