「生きる意味」160記事読んでみた
みなさんの「生きる意味」を読ませていただきます。
前回までに 150 記事読んでいます。
また、心苦しくも集計しまして統計をとっています。本来、個人の生きる意味は統計という無味乾燥なものに帰着させたくありませんが、絶対的な意味はないということを反証するために必要なのです。(盲目な理性に対抗するには、彩り豊かな心の団結が必要です。)
50回ごとに集計したいと思っています。私の解釈でちがうところ、思ったこと等あれば気軽にコメントください。
151 いろんなものと繋がりながら、私たちは生きています。
いろんなものと繋がりながら、
私たちは生きています。
だからこそ、
「どう生きるか」を考える時間には
意味があります。
誰かの答えをそのまま信じなくてもいい。
大切なのは、
あなた自身が、どう感じ、どう捉えるのか。
この文章の中に、
一つでも心に残る考え方が
あったなら嬉しいです。
また誰かのためにもなりうるもの、など「いろいろある」。
152 どれだけ人に良い影響を与えられたか
そして私が思う生きる意味は
どれだけ人に良い影響を与えられたか
自分が生きた証を誰かの記憶に残すこと
だと思うようになったんだよね
記憶に残ること、も何人かの方があげられていました。
153 「どこかに属するために」生きているのである。
結論から言えば、人は生きるために存在しているのではない。「どこかに属するために」生きているのである。
所属とは見えない繋がりのことで、繋がりが切れたときに人は不安になりますね。
アドラーの、所属の欲求の方が生存の欲求よりも強いものである、というのはそうかもしれないと思いました。そうでないと所属に失敗した個体が自殺を選ぶのは不思議に思えますから。
154 私なら、娘のためって答えるかな。
でもさ、生きる意味って1つじゃないんだよね
私にとっての生きる意味
私なら、娘のためって答えるかな。
でもさ、生きる意味って1つじゃないんだよね。
そうしたささいな出来事が、次々と生活から欠けたならば、生きる意味が見えなくなってしまいそうです。生きる意味は「娘のため」でありながら、その内実は多くの小さなもので成り立っている。
小さな日常的なことでありながら、遠くを見据えられるような大きなものでもある、そういうものが生きる意味なのかな。だって一人で食べるプリンは普通のプリンですから。
とてもいい記事を読ませてもらいました。
155 生きる意味とは「自分の人生が輝いている」という実感から生まれるものだ
具体的には、何かを達成したとき「これは自分が本当に望んでいたことか、それとも社会から与えられた目標だったのか」を問うようになりました。その問いを持てるかどうかが、「達成後の空虚」に飲み込まれるかどうかを変えます。著者が「かがやき」と呼ぶ感覚——自分の人生がいきいきしているという実感——を、日常のどの瞬間に感じているかを意識するようになると、「生きる意味」という問いが遠い哲学の話ではなく、今日のできごとへの向き合い方として具体的になります。
この本気になっていたので記事に出会えてよかったです。
156 生きることそのものが、すでに生きる目的なのだから
今日の空が少しきれいだったとか、誰かの声が嬉しかったとか、好きな飲み物を買えたとか。
そんな小さな出来事が、“生きる目的”の断片になっている。
大きな夢や立派な目標がなくてもいい。今日を生きる理由は、すでに私たち自身の中にある。
中国に行った時、黄砂で天気がずっと悪くて、日本に帰った時に見た澄み切った空に感動しました。それは一見大きな目標には繋がりえない、ように見えますね。でも私が繋がり得ないと思っただけで、必要不可欠な土台の一部を構成しているのかもしれません。
生きることそのものが、すでに生きる目的なのだから。
157 生きていくことは産まれたことの結果でしかなく、意味なんてものは全部後付けで問題ない
でも今は、死に際に「こういう人生だった」と自分で思えれば、それで十分なのかもしれないと思っている。もしかしたらそれが生きる意味だと言われるかも知れないが、まあそれでも問題はない。
生きていくことは産まれたことの結果でしかなく、意味なんてものは全部後付けで問題ない。だから、自分は自分がいいと思うことを少しずつ続けて、なんとなくいい感じに日常を消化すればいいのだ。
158 なにか、なにかないか。
私の人生を狂わせてくれる何か。
私はもっとおかしくならないといけない。私の人生を、生活を、時間を、精神を、全部捧げられるくらいの何かがないとやっていけない。だから人は子どもを産むのだろうか。何か、曖昧な生活に指針を持つために。ワーカホリックが働き詰めるのも、きっと同じなんだろう。そう考えると、腑に落ちてしまう自分がいる。
記事をたくさん読んでいると、生きる意味はないとか、日常のささいなことが大切だという人は多いです。それは確かなんですけど、私も若い頃は(今もですけど)強く渇望していました。「全部捧げられるくらいの」大きなものが欲しいんですよ。とても素直で率直な文章です。
159 ”生きる意味”があるとするならば、それは、”生きること”。
”生きる意味”があるとするならば、それは、”生きること”。
これが、私のたどり着いた答えです。
私は、この答えに辿り着いた後、生きる意味を探すことをやめ、まず最初にただ生きていることを感じることにしました。
心臓が動いている。呼吸をしている。お腹が空く。風を感じる。光を浴びる。
たしかに意味は身近にありふれたもので成り立つように思います。でも、その魚も遠くの海を切望していたのですね。
160 亡くなる為に生きている
亡くなる為に生きている。
今はただ、周囲に迷惑をかけないで
亡くなる事が目標で生きている。
読み終えて
実に色々な生きる意味を読みました。日常のささいな出来事が意味になりうるという方もいれば、身を焦がすほどの強い意味が欲しいという方もいて、やはりどちらも欠けてはいけないのだと思いました。遠い海のような場所が我々には必要なのかもしれません。
この曲なぜか思い出した
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