【PERFECT DAYS】
近年見た映画の中で一番言葉が少なかった。にもかかわらず2時間まったく飽きることなく見終わった。良い音楽が時折挿入される。
洋楽の中、唯一登場した日本語の歌。とても良かった。
なんでもない運転、トイレ掃除、畳の部屋での読書や水やり、日常で繰り返される何気ないワンシーンも映画では切り捨てられることがない。なのに、見ていてまったく飽きない。心地良ささえ感じる。
考えさせるシーンようなシーンは複数ある。
・同僚の若者に、毎日真面目にトイレ掃除なんかやって嫌にならないんですか、と言われるシーン。
・この世界はひとつのように見えて、いくつもあるんだというシーン。
・影は重なると黒くなるのか
せっかくnoteをやってるので他の方の記事も見に行こう。
皆さんの記事を読んで
それが打ち寄せる感情の波を映し出す役所広司の表情に集約されていた。
変な表現かもしれないが、その遷移はイカの激しい色の擬態を見るようだった。
繰り返しになるが、平山は、一見、ともに暮らす家族も友人もいない「孤独の人」だが、実は自分の狭い世界から、極めて大きな世界への接続を日々試みている人間、ということになる。
平山はよく物を見てますよね。トイレの便器を丁寧に磨いたり、挟まっていた紙の丸ばつゲームをしたり、木の下に生えた小さな苗木を持ち帰ったり。多くの人、特に都会の人はそうした身近な物を見ようとせず、人のことを気にしたり、大きな目標や理念のようなものを気にするような。だから、トイレ清掃中の看板を蹴っ飛ばしても何も思わないし、はぐれた子どもが見つかればそれで良い。自分の身近な世界を見ないから、より大きな世界に接続できない、のかもしれません。
映画、ヴィム・ヴェンダース監督『PERFECT DAYS』の主人公のように、一冊古本を読み終えて、また一冊だけ次の古本を買うというのが理想ですが、なかなかそうはいかないものです。
抗うようにアナログなものを好み、しかしまた、奇しくも仕事では東京のイケイケの近代的なトイレを掃除していく。
詳細は描かれない。何を失い、何にうちのめされたのか、「今度」があったのか、消えていった彼らについても、その場所にどうしても行けないことも。好きだったでしょって、高級そうなお菓子を食べていた暮らしを捨てた理由も。
外国人に透明なトイレの使い方教えるところなんかで、無言で伝えるのさすがだなと思いました。
そもそもは「The Tokyo Toilet」計画きっかけでPR映画が企画されたらしいが、平山の生業として公衆トイレの清掃員を設定しているならば、「TTT」ではなく、本来の一般的な公衆トイレ(落書きだらけでゴミだらけのトイレ)であるべきだったと思う。
パリ、テキサス、という同監督の映画、観てみたい
個人的には映画のストーリーや内容よりも、映し出される映像が素敵だった。
浅草の地下街とか、銭湯の休憩所とか。レトロ感満載。
主人公の住む部屋で、畳を踏んだ時の、木造特有のきしむ音とか、ちょっとしたワンシーンがすごく印象に残る。
多くの中高年サラリーマンは、「まだ何者かにならなければならない」という呪いを抱えたまま生きている。
ところで銭湯や地下街にも足を運ばれていて、すごく面白い記事でした!
あのとき、「私」の手のひらをくぐり抜けていった海の水、そして魚たち。しかし時はあっという間に過ぎ去り、いま「私」の手を通り抜けていくのは冷たい風ばかり。たしかに昔手にしたはずの海も魚はどこかに消えてしまって、冬の風だけ残っているかのようなさみしさ。
ルーティン的な生活ではあるけどSNSでよく目にするストイックなルーティン動画から感じる「野心」とは、かなり距離がある。
『Perfect Days』で、古本屋で、平山(役所広司)が手に取ってレジに持っていった本について店主が語る場面がある。ある作品の話で「”恐怖”でなく”不安”を描いている」という風なことを言っていた。映画には公園に住む老人が出てくるシーンがある。彼は平山の今後の人生における不安を象徴しているのではと思った。そして平山を他人とは思えない自分(樺山)も何だか不安を感じるのだった。
恐怖は対象がはっきりしているとき、不安は対象が曖昧な時、とどこかの本で読みました。
コインランドリーで洗濯が終わるのを待つ時間も、
何もしていないのに、ちゃんと幸せだった。満たされた時間だったわ。
「退屈しのぎに○○する」、そして、「あれこれとバタバタしているうちに、肝心の部屋の掃除がおろそかになっていた」といった、「つつがなく暮らす」を乱す要素がほとんどない。
印象に残ったセリフがある。
「何も変わらないなんて、そんな馬鹿なことがあるか……!」
この言葉は、まさに主人公そのものだと思った。
彼の毎日は同じことの繰り返しに見えるかもしれないが、同じ日は一日として存在しない。日々移ろう小さな機微に心を寄せながら生きる彼の姿勢は、飽き性で欲深い自分にとって、見習いたい生き方だと感じた。
こうして皆さんの記事を読んでいくと、同じ映画でも実に違った見方があるものだなと実感します。
トイレ掃除という「地味な」仕事を、毎日丁寧に繰り返す。結果(社会的評価)ではなく、行動そのものが自分を形作る。派手さはないけど、日常の積み重ねで「完璧」を体現しています。
彼の丁寧な仕事ぶりを見て、姪もやってみていい?と自分から動いたシーンが印象的です。人を動かすにはまず自分が真剣にならないといけないと思いました。
自分の感想
私は何かを生産したいんです。PERFECT DAYSの彼も写真を撮ったりしますが、私はもっと自分の内側を表現していきたい。なので、彼の生活を見て心地よさを感じながらも、私は全肯定できないのです。
方丈記でも同じような、いやもっと悟った老人が出てきます。でも、彼は最後には弱みを吐露していくんです。
貧しい暮らしをしてきたせいで、心が迷っているのか。あるいは、迷いの多い心のために狂っているのか。だが、自分の心にそんなふうに問い掛けても、心は何も答えなかった。
そうじゃなければこんな文章書かないと思うんです。映画の彼にも同じ弱さ・寂しさを感じたような気がします。
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