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野中郁次郎は、なぜ空前絶後なのか|尊敬する人①

野中郁次郎という人を、知れば知るほどよくわからなくなります。

経営学者でありながら、ただの学者ではない。
理論家でありながら、机上の人ではない。
大きな成果を出しながら、その成果に安住しない。

経営学者の楠木建さんは、
野中先生のことを「空前絶後の人」と表現していました。

まさにその通りだと思います。

というか、そうとしか言いようがない気がします。

掲載元:https://str.toyokeizai.net/books/9784492522325/


どこで切り取っても偉人

野中先生の歩みを振り返ると、普通なら何度も「ここで終わっていい」と思える地点があります。

  • 30代前半:富士電機時代にカリフォルニア大学バークレー校へ留学。修士課程を経て博士課程に進み、Ph.D.を取得

  • 30代末:博士論文をベースに『組織と市場』を刊行。組織と市場の関係を、情報処理モデルの視点から捉えた先駆的研究となる

  • 40代末:防衛大学校時代の共同研究から『失敗の本質』を刊行。40年以上読み継がれ、100万部を超えるロングセラーになる

  • 60代:The Knowledge-Creating Company/『知識創造企業』でSECIモデルを世界に広げる

  • 80代:The Wise Company/『ワイズカンパニー』で、知識創造の理論をさらに展開する

このどれか一つだけでも、十分すぎる実績です。

まず1960年代に、富士電機からバークレーへ留学する。
しかも、奥様とともに異国へ渡り、富士電機時代の上司にお金まで借りて。

その時点で、すでに相当ふつうではありません。

その後、『組織と市場』を出した時点で、研究者として十分すぎる看板を得ていたはずです。

さらに『失敗の本質』に至っては、40年以上読み継がれ、100万部を超えるロングセラーです。

それでも、野中先生はそこに留まりませんでした。


ふつう人は、一度大きな成果を出すと、それを自分の看板にしたくなります。
その成果を語り、磨き、広げる。
それだけでも、十分に価値があります。

けれど野中先生は、そうしませんでした。

『組織と市場』で終わらず、
『失敗の本質』でも終わらず、
『知識創造企業』でさえ、終わらなかった。

成果を守らず、次の問いに向かい続けた。
ここに、野中先生の異質さがある気がします。

すごい理論を作った人。
ベストセラーを書いた人。
世界に影響を与えた経営学者。

どれも正しい。けど何よりも、
「自分の問いと信念を、更新し続けた人」であり、
「その信念を、経営理論にまで鍛え上げた人」でした。


信念を理論にした人

素人ながらに、経営学は、合理性、分析、数値、構造に傾きやすい学問だと思います。

特に、1970年代から80年代前半にかけては、組織を情報処理システムとして捉える見方が大きな影響力を持っていました。

野中先生自身も、30代末に書いた『組織と市場』では、その見方を高い水準で使いこなしていたそうです。

けれど、野中先生はそこに留まりませんでした。

楠木さんによれば、野中先生はある講義で「情報処理パラダイムとは決別する」と宣言したそうです。

情報を処理する組織ではなく、知を創造する組織へ。
野中先生は、自分が成功した理論の延長線上に留まらず、さらに先へ進みました。


野中先生が見ていたのは、もっと生々しい人間だったのだと思います。

人は、ただ情報を処理する存在ではない。
現場で感じる。語り合う。
全身全霊でぶつかる。
暗黙知を持ち寄り、形式知にして、また実践に戻す。
そうやって、知を生み出していく。

つまり、組織とは単なる管理装置ではなく、知識を創造する場である。

「人間って、こういうもんだろう!」

極めて主観的なその言葉を、ただの信念や思想で終わらせなかった。
ホンダ、キヤノンなど、日本企業の現場を調べ上げる。
実践の中にある知を見に行く。

そして、論理と身体感覚の両方から、人間中心の経営理論として、SECIモデルを組み上げていったのだと思います。


最初は、たぶん一人の主観でした。

知とは、ただ蓄積されるものではない。
人と人のあいだで、現場で、対話の中で、実践を通じて創られるものだ。

その主観が、竹内弘高さんという盟友との対話を通じて鍛えられ、共著として結晶化し、やがて世界を巻き込む理論になっていった。

この過程に、僕はとても惹かれます。

SECIモデルがすごいのは、フレームワークとして便利だから、だけではないと思います。

SECIモデルの根っこには、最初に一人の主観があったのだと思います。
それが竹内弘高さんとの対話を通じて鍛えられ、第三者からも共感され、世界の共通言語になっていった。
そのプロセスそのものが、まさに知識創造だったのではないか。

野中先生は、知識創造を語っただけではなく、自分自身の生涯を通じて、知識創造を実践していたのだと思います。


ロックスターのような人

野中先生とは、いったい何者なのか。

経営学者、実践理論家、知の探究者。

どれも正しいのだと思います。でも、それだけでは捉えきれない。

学会の中にいながら、その常識に染まらない。
成果を出しながら、成果に飼いならされない。
評価を得ながら、評価のためには動いていない。

自分の信じるものを、生涯を通じて更新し続ける。

その姿勢には、どこかロックスターのようなものを感じます。

ただ、華やかでカリスマ的というだけではない。
そこには、パンクロックのような反骨もある気がします。


一度だけ、野中先生の講演を拝聴したことがあります。

世界的な学者という威厳より、どこかおっちょこちょいで、どこか少年のようなチャーミングさのある人でした。

けれど、語っていることの奥には、ずっと変わらない熱がある。

「人間とは何か」「組織とは何か」という問いを、本気で引き受けている人なのだと感じました。


最後に

僕が野中先生から受け取ったものは、SECIモデルだけではありません。

自分の主観を信じること。
だけど、独りよがりにならないこと。
そして、一度成果が出ても、そこで終わらないこと。

人間とは何か。
組織とは何か。
知とは何か。
経営とは何か。
生きるとは何か。

その問いを、生涯をかけて更新し続けた人。

僕にとって野中郁次郎は、やっぱり「空前絶後の人」でした。



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